第八話 エンドレス・ウインター
季節は四月。桜の花が溢れんばかりに咲き誇る暖かい季節と言うイメージが先行する時期ではあるが、現実にはまだまだ肌寒い時期である。それ故、街を行きかう人々の中は薄手ではあるがコートを羽織る人も珍しくない。レイが通う都立北高は東京でも郊外とされる八王子市にあるため、世間一般では相当な田舎と評されることが多いのであるが、不本意ながらその評判はあながち間違ってはおらず、気温的にもテレビで流れる天気予報の予想気温よりも若干低いのが常であり、小春日和とは名ばかりの肌寒い日々が続いていた。
しかし植物的にはそれでも十分暖かいようで、四月に入った途端、例年よりも早い桜の開花宣言が発表されていた。それにタイミングをあわせたのかどうかは定かではないが、開花が宣言された途端に一気に花開いた桜たちは数日も経つと一気に満開になってしまい、各地で入学式の時期となる頃には既に緑がちらほらと見える葉桜になってしまっていた。
そんな入学式を経て二週間程度が経過したある日、レイは下校時刻を知らせるチャイムの中、校門前で待ち構える身体よりもやや大きめの制服に身を包んだ見知った人物を見つけると、歩くペースを落とさずに軽く手を振りながらその人物に近づいていく。
「おねーちゃん、遅いよ!」
「ごめんごめん、掃除当番だったから時間が掛かっちゃってね」
校門で待ち受けていたのはレイの妹こと倉橋じゅんである。じゅんが北高に入学して二週間が経過していた。この時期はお昼休みや放課後ともなると各クラブが新入生獲得に必死になり、今もレイの見える範囲で運動系や文化系など、さまざまなクラブ生がここぞとばかりに新入生に自分が所属するクラブの魅力を語っている。
もっとも予め入りたいクラブを決めている者は既にそのクラブに仮入部しているので、この時期に勧誘を受けている新入生はもっぱら部活動に趣をおいていない生徒がほとんどである。そんな生徒を勧誘する在校生もそう言った事情は十二分に理解しており、彼らを戦力としては期待していない。ならば何故と言う疑問が沸かないでもないが、実のところ部活の活動費獲得のために少しでも所属部員を増やそうと言うのが主目的であったりする。そのため、勧誘の口説き文句も『とりあえず籍だけでも・・・』と言った非常に消極的なものであった。
じゅんもそんな積極的に声を掛けてくる消極的勧誘の餌食となるのだが、おおよそ二、三言の問答で勧誘した方が残念そうに去っていくのが常であった。じゅんから発せられる質問の内容はと言うと・・・
「スキーボードが出来る部活なら入る」
これを言われた大半の生徒はスキーボードが理解できず、ほぼ全員からスノーボードの言い間違いと勘違いされる。その勘違いに始めの頃こそ多少カチンと来た様子で訂正をして説明していたのであるが、ほぼ毎回間違われることに落胆したじゅんは途中からは間違われるままにしていた。
もっともそこを訂正して正しく理解してもらったとしても、郊外とは言え仮にも東京にある高校で部活としてウインタースポーツを行うクラブはなく、スキーボードであろうがスノーボードであろうがそのようなクラブはないと言う結論には変わらなかった。
二人は校門で待ち合わせをすると肩を並べて帰宅の途につく。じゅんが入学してから今までのところ変わらない習慣である。帰り道の道中の会話はもっぱらじゅんが主導権を握っている。
「やっぱり北高の制服って可愛いよねー、ここにしてよかった!」
「じゅんったら、入学してから毎日言ってるわね。私が入学したときにはもっと野暮ったい制服だったから羨ましいわよ」
「去年から変わったんだよね?何かちょっと地味目の色でいかにも制服!って感じだったもんね。もし今もあの制服だったらちょっと考えてたよ」
「ちょっと、それって私が一年の時に着てた制服のことでしょ?私に失礼じゃない!?」
「えー!?あ、ごめーん!」
「もう!」
手にしたかばんをぶらぶらと振り回しながら笑いながら歩くレイとじゅん。じゅんのかばんにはゲレンデで腰にぶら下げていたパンダ型の小物入れがぶらぶらとぶら下がっている。姉妹のいつもの日常であった。
じゅんが北高に進路を決めた理由はいくつかあるのだが、その理由の一つは制服であった。レイが一年の頃は上下共に紺のブレザーに白いシャツ、エンジ色のスカーフ、所謂『野暮ったい』と評されても仕方ない制服であった。
それがレイが二年になる前に突然制服変更の連絡があり、それまでの色合いから一新された。基本デザインはプレザータイプのままであるが、ジャケットは少々丈が短くなりその色合いは水色に近い青。赤を基調としたチェックのスカートと、スカートと同デザインであるスカーフ。かっちりと着こなしても多少崩して着てもさまになるデザインとなった新制服は当時の新一年生には大いに歓迎され、『野暮ったい』制服を着用していた在校生はこぞって新制服の購入に乗り出した。
また制服変更の効果により北高の人気は急上昇した。レイが入学した頃は学区内でも中の下であったランクがじゅんが受験する頃には中の上、或いは上の下と言った具合に僅か二年で入学の敷居が急上昇したのだった。それでも入学希望者が後を絶たずじゅんの受験勉強はかなり大変だったようだが、北高に入りたい一心による猪突猛進っぷりが勉強面に発揮されたお陰で無事合格することが出来た。因みにその裏ではじゅんの頑張りっぷりに身体を壊さないかハラハラしているレイがいたのはいつもの光景である。
制服への魅力を語るじゅんをニコニコと眺めていたレイだったが、ふと思い出したように話題を変えた。
「で、じゅんは結局部活はどうするの?」
「うーん、スキボが出来る部活がないなら帰宅部でいいかなって思ってるよ」
「中学の間にやっていた水泳はどうするの?」
「水泳はもう引退したからいいよ。今はスキボがやりたいしね」
「でも部活には入ったほうがいいわよ」
「それならおねーちゃんが入っているクラブ、料理部だっけ?そこに入ろうかなぁ」
「せっかく大会とかにも出てたのに勿体無いんじゃない?」
「大会って言っても地区大会に出ただけだよ。申請すれば誰でも出れる大会だよ」
レイとしては出来れば高校でも何かしらの部活をして欲しいと思っていた。確かに中学でじゅんが所属していた水泳部には記録として残るようなものはほとんどなかった。しかしじゅんが部長を務めていたことにより部員たちの士気は非常に高かった。それは恐らくはじゅんの何事にも一直線な性格に部員が引っ張られた形だったのであろう。そんな部活動の様子をしっているレイは、恐らくじゅんには人を引っ張る才能があるのではないかと思っていた。だからこそ高校では、例え水泳部ではなくても何かしらの部活をしてほしかったのだが、こればかりは本人の意向が第一である。そんなじゅんの意向を一番に汲み取ろうとするレイは、高校生活での部活について軽い後押しはするがそれ以上のことは本人に任せようと口を閉じるのであった。
そんなレイの想いを知らないじゅんは高校に入学してからもスキーボードの魅力を忘れられないでいた。しかし前述のとおり、高校生活内でスキーボードに触れられる機会はない。そのことに落胆しているかと思いきや、意外とその様子もなく、むしろより一層スキーボードへの情熱を燃やしていた。
「今日だっておねーちゃん部活ないみたいだし、活動が少ないクラブならバイトとかも出来るからね」
「部活はないわけじゃないわよ。今週までは新入生勧誘で正規の部活動が休みなだけなのよ。まぁ確かに週二か週三くらいしか活動していないし、休むのも自由だけどね」
「それならやっぱり私もその料理部に入ろうかなぁ」
「って言うかじゅん!?バイト始めるの?そんなこと言ってなかったじゃない?」
「言ってなかったっけ?」
「そうよ、初耳よ」
「だってさ、今度の冬までには自分のスキーボードを買いたいって思ってるからバイトしてお金貯めたいって思ってるんだ。それにもっとたくさん滑りに行きたいけどもお父さん達に甘えてばかりいるわけには行かないからね。今から頑張って貯金しないと!」
じゅんはスキーボードを通じて短期的ではあるが将来の計画を立てるようになり、更に両親への負担を考えるようになっていた。それはレイにとっても非常に喜ばしいことであるし、恐らく両親もそのような理由であればバイトにも反対しないであろう。しかしレイには一つだけ懸念事項があった。
「結局キッカーでグラブが出来ないまま終わっちゃったからね。今度の冬こそは春美ちゃんみたいなグラブを決めてやるんだ。来年こそはおねーちゃんもパークに入ろうよ!このじゅん先生が教えてあげるよ」
「そ、そうね。無事に進路が決まって落ち着いたらね」
平均よりも小柄な身体で精一杯胸を張り、偉そうにふんぞり返るじゅんであったが、そんなじゅんのふざけた態度を軽く笑い飛ばせないのには理由があった。
スキー旅行の最終日前夜、晴子から忠告を受けたレイであったが、結局パーク経験があることをじゅんに伝えられないままスキー旅行を終えて今日に至っていた。最終日、晴子からはその話題が出ることはなかったが、ただ攻めるようでもない悲しそうでもない、普段は優しく感じるであろう暖かく見守るような視線がその時ばかりは居心地が悪かったことが印象的であった。
レイ自身もスキーボードに対して、いまやじゅんに負けないくらい大きな魅力と感じている。それは今まで経験してきたスキーでの滑走や、いまだにじゅんには言えていないスキーでのパーク経験以上のものであった。葉流から伝授されたグラトリの数々、晴子と滑ったフリーラン、春美の大空を舞うようなパークスタイル、何よりもじゅんのスキーボードを滑る嬉しそうな笑顔など、スキーボードを通じて得られた経験はレイの中で大きなウエイトを占めていた。しかし僅かにタイミングを逃し言い出せなかった自分自身の些細な秘密のせいにより、あれから自身の口からスキーボードについて語ることが出来ないでいた。
今年高三となるレイは進路を言い訳にスキーボードの話題を避けており、その理由にじゅんは納得していたので、そのこと自体は特に気にされていないのが唯一の救いであった。
「今はねー、クラスで出来た友達にスキーボードの魅力を伝えているんだよ。最初はもちろん知らなかったみたいけど、最近ちょっと興味を持ってくれてるんだー」
「でもスキボは冬しか出来ないし、冬になってもゲレンデまで行かないと出来ないからそんなに簡単に出来るものじゃないんじゃない?」
「そう思うでしょー?」
「そうよ、だから夏は夏らしく海にでも行くしかないわよ」
今年受験生であるレイがスキーボードの話題を避けているのは、じゅんに隠し事をしている心苦しさだけではない。高校三年生であるレイにとって進路問題は何よりも大きな悩みであり、しかし自分自身の将来に関わることなので向き合わざるを得ない重要事項である。
レイだって好きなことだけを考えていたいと思うのであるが、そんな重要な問題がレイの中に重くのしかかる。じゅんのいつでもやりたいことに向かって全身全霊を傾ける姿勢は、普段であれば心配しながらも素直にすごいと思えるのであるが、この時ばかりは自分自身の状況と照らし合わせ、ちょっとだけうっとおしく思ってしまう。レイの『夏は夏らしく』の発言はそんなレイのちょっとした嫌味でもあったのだが、じゅんはそんなことに気付かず相変わらずやりたいことに向けて一直線であった。
「ところが夏でも出来るところがあるんだよ、これが!」
「夏に雪がある場所?まさかスキボをしに北極にでも行くつもり!?」
「違うよおねーちゃん。ウォータージャンプだよ」
「ウォータージャンプ?」
「そう、ウォータージャンプだよ!」
「それはどういうものなの?」
「友達から聞いたんだけどね・・・」
~~~~~~~~~~
「・・・でね、普通のスキーと違う感覚って言うか。とにかくやってみたら絶対楽しいよ!」
「もう、よく分かりませんけども、じゅんにそれだけ熱く語られたらとにかく楽しそうな雰囲気は十分に伝わりますよ」
「でしょでしょ!?エリも一回やってみたら?絶対ハマるって!いやー、早く冬来ないかなぁ」
とある休み時間のじゅんと友人の会話の一幕である。じゅんの話す相手はたまたま前の席になった片瀬 英里。彼女も家族に連れられウインタースポーツの経験を積み、じゅんと同じくゲレンデの魅力にハマってしまっていた一人であった。ただエリが経験しているのはスノーボード、残念ながらスキーボードではなかった。だがじゅんたちの世代にとってウインタースポーツを共通の話題に出来るものは少なく、スキーボードとスノーボードの違いはあれど休み時間のたびにゲレンデへ想いを馳せる二人であった。
今日もいつも通りゲレンデに想いを馳せる二人であったが、ひょんなことから話は思いも寄らぬ方向へ進んでいた。
「そう言えばじゅんは中学時代は水泳部でしたよね?」
「そうだよ。一応部長をやってたけどね。でも特に強くなかったから威張れるほどじゃないだよね」
「部長だったんですか?すごいじゃないですか!」
「凄くないよ。ただその時は水泳にハマってたから先輩に推薦されちゃっただけだよ」
「それでも部長をしていたなんて凄いですよ!部活仕切ったりするのは大変だったんじゃないですか?」
「慣れればそんなに大変じゃないよ。私でも出来るんだからエリだって絶対出来るよ」
「そうなのですか?」
「エリは見た目はお姉さんキャラだからね、きっと皆ついてくるよ」
「どう言う意味ですか!?」
話題の方向性はコロコロと変わるのは女子高生の会話の常である。今も会話が二転三転しており、周囲に聞き耳を立てている者がいたとしても話題についてくる郁子とは難しいであろう。
そんな会話の中で出てきたとおり、エリは高一にしては大人びた容姿と周りよりも落ち着いた物腰を持っていた。身長は一六七センチとレイよりも高く、優しいながらも意志の強そうな目、日本人形のような真っ黒な黒髪と丁寧な口調、それと小さいがしっかりと結ばれた口元が年齢よりもしっかりした印象を周りに与えている。恐らくじゅんと並んで歩いていれば間違いなくお姉さん、或いは上級生と間違えられることであろう。
当初、じゅんはエリの大人びた雰囲気に少々戸惑ってはいたが、せっかく席が前後隣り合っていたので思い切って話しかけてみた。すると大人びているのは見た目だけであり、その中身はじゅんと変わらない入学したての高校一年生であった。新しく始まる高校生活に浮き足立つような言動や実は意外と抜けている一面が分かり、今ではお昼を一緒に食べる仲にまで進展していた。
「ところで水泳部だってことがなんなの?」
「水泳部だったなら当然泳ぎは得意ですよね?」
「まぁね。部としては強くはなかったけども、それでもクラスの中では一番速かったからね」
「それじゃ、スキーとかスノーボードを履いたまま泳げると思いますか?」
「何それー?」
「いいから。どう思いますか?」
「そりゃ泳げなくはないだろうけども、速く泳いだり長時間は泳ぎ続けるのは難しいと思うよ」
「そうですよね、そう思いますよね」
「なんなのー、さっきからー」
エリの要領を得ない話しっぷりにさすがに苛立ちを覚えるじゅん。そんなじゅんをからかうようにエリが続ける。
「ごめんなさい、最後にもう一つだけ。じゅんはスキーボードでパークに入っていたんですよね?」
「うん、そうだよ」
「それってキッカーとかで飛んだり、ジブなどをしたりってことですよね?」
「ジブはちょっと入ったくらいだったけども、キッカーで飛んだりはばっちりやってたよ!」
「それが夏でも出来るところがあるって言ったら驚きますか?しかもここからそんなに遠くない場所で」
「うそ!?」
「埼玉県の所沢にある北部園って遊園地は知ってますよね?あそこにウォータージャンプと言う施設があるらしいんです。そこはスキーとかスノーボードなどで水に向かって飛び込める施設らしいんですよ。そう言ったことをする人にとっては夏でウインタースポーツを楽しめる施設ってことになると思いませんか?」
「北部園ってここから電車でも行けるところじゃん!」
「私もゆきから聞いた話なんですけれどもね」
「ゆきって、野々村さんのこと?」
エリから出た名前、野々村 有紀はエリと同じクラスメートであるが、じゅんは席が離れているため今のところは話したことがない。じゅんの記憶にある野々村ゆきとはじゅんよりも背が低く、おかっぱに近いショートカット、じゅんと同じようなややタレ目であると言ったことを覚えている程度であり、どちらかと言えばあまり目立たないと言った印象であった。ただ例えてみるならば小動物、小柄な大人しい雰囲気であったことは覚えていた。
エリの下校時、たまたま下駄箱でゆきと一緒になったことがあり、下校しながら暫く話している時に、休み時間にじゅんと話している内容からウインタースポーツの話となり、そう言えばとウォータージャンプの話をしてくれたとのことだった。
「ゆきもスキーをやるらしいですよ」
「えっ?そうなの?もしかしてスキボ!?」
「いえ、流石にスキーボードではなく普通のスキーだそうですけどもね」
「そっかぁ。まぁそうだよね」
「でも私たちと同じように滑るのが好きで、だから前から私たちの話に加わりたいって思っていたみたいですよ・・・。って、ちょっとどこ行くんですか!?」
思い込んだら一直線のじゅん。エリの話を聞き終わる前に既にゆきのところに向かっていた。
「あ、あの。野々村さん?」
「あ、倉橋さん。どうしたの?」
「今、エリから話し聞いたんだけども、野々村さんもスキーやるんだって?」
「え?そ、そうだけど・・・」
「そうなんだ!良かったら私たちと話さない?」
「え、え・・・?」
「ウォータージャンプの話、私にも聞かせて!」
「あ、ちょっとまっ・・・」
あまりの唐突さと強引さに思わず身構えそうになるが、興奮したじゅんの前では僅かな抵抗すらも出来ず、手を取られて強引にエリの元へ連れていかれるゆき。戸惑いながらも同じ趣味を共有できる友人が出来るかと思うとまんざら悪い気がしないゆきであった。
~~~~~~~~~~
「で、その野々村さんから聞いたのがウォータージャンプってわけね」
「うん。春休みにたまたま北部園に遊びに行った時にポスターを見たんだって」
「それにしても早速友達が出来ているみたいで良かったわね」
「エリもゆきも滑っているものは違っても同じ雪山好きだからね。こんな趣味の話が出来るなんて、本当にスキーボード始めてよかったよ!」
レイは話の経緯を聞きながら、ウォータージャンプの存在も気にはなったが、それよりもじゅんの高校生活の充実している様子に一安心していた。慣れない環境でじゅんのような一直線な性格は場合によっては疎まれる可能性もあったのだが、どうやら片瀬エリ、野々村ゆきはじゅんの良い友人になってくれそうであり、レイはそのことに安堵するのであった。
レイは自身のちっぽけな苛立ちを恥じ、しかしながらどうしても消えることがないわだかまりをいつものように笑顔でごまかした。
「でも何だか話を聞いていると片瀬さんと野々村さんって、まるで晴子さんと葉流さんみたいね」
「確かに雰囲気は似てるかも」
「そうするとじゅんは春美さんってとこかしらね」
「パーク好きってことでは同じだけども、私春美さんみたいに調子に乗ったりする性格かなぁ?」
「そんな事言っていいのかな?今度会った時に言ってやろー!」
「あっ!ちょっと待って!今のなし、なしだよー!」
レイは若干の陰りを含んだ意地悪を言うと逃げるように駆け出した。それをいつものじゃれ合いと受け取ったじゅんはかばんを振り回しながら追いかけていく。逃げるうちにレイの心に陰りは晴れていく。一時的にではあっても今はこのじゃれ合いが楽しい。そう言い聞かせながら行ういつものじゃれ合いは郊外特有の程よい静けさの中に響き渡っていった。
◇◆◇◆◇◆
五月のゴールデンウィークも瞬く間に終わり、梅雨を目前に控えた六月のとある週末。まだ午前八時にも関わらず夏と勘違いしそうな茹だる様な暑さと肌にチリチリと焦げを作りそうな太陽の下、じゅんはエリ、ゆきと共にウォータージャンプに来ていた。
「遂に来たねー!」
「そうですね、ここがウォータージャンプですか」
「なんか思ったよりも広くてびっくりなの」
初めてのウォータージャンプに三者三様の反応を示す。興奮のあまり思わず叫ぶじゅんをニコニコと見守るエリとゆきは、はしゃぐ子供を見守る父親と母親のようにも見える。それでもそんなことお構いなしと施設のあちこちを見ては『すごーい!』『たかーい!』などと疲れを知らずはしゃぎまくるじゅんであった。
「今からそんなに興奮しては後からバテてしまいますよ」
「ホントだよ。じゅんちゃん、少し落ち着いて」
「だって冬が終わってもスキボが出来るなんて思ってなかったからさ。嬉しくなっちゃうよ!」
二人に窘められても興奮が収まるどころかますますテンションをあげていくじゅん。そんなじゅんの様子にゆきがそのテンションにつられるように、にっこりとした笑顔でじゅんに話しかける。
「でも、ウォータージャンプなんてたまたま見かけはしたけども、まさか自分が来るなんて思わなかったからじゅんちゃんに感謝なの」
「そんなことないよ。ゆきが教えてくれなかったら私は存在自体知らなかったんだから。あのまま滑れないままでいたかと思うとゆき様々だよ」
ゆきからウォータージャンプの話を聞いたじゅんは、詳しい内容を色々と調べてみた。
ウォータージャンプとはその名の通り水に向かってスキーやスノーボードでジャンプして飛び込むゲレンデのキッカーを模した施設である。人工芝のようなアプローチ部分とゲレンデのキッカーを模したリップの部分は雪の有無の違いはあるが形状自体はゲレンデとさほど変わらない。しかし着地地点がプールになっていると言う点が大きく異なっている。この特殊な形状から、ゲレンデであれば万が一バランスを崩し、板以外の箇所で着地してしまった場合には大怪我につながりかねないのだが、ウォータージャンプではランディングが着地ならぬ着水となるので、バランスを崩しても大事には至ることはほとんどない。
そのため、ゲレンデでは試せないような派手なトリックの練習や、キッカー自体に不慣れな人がキッカーに慣れるための練習、或いは夏場のプール代わりなど、ウインターシーズンが終わってもゲレンデが忘れられない愛好家が多く訪れる場所となっていた。水に向かって飛び込むと言う特性上、営業は五月頃から十一月の始めまでとなっており、一部の熱狂的或いは熱心な者はオープン時期やクローズ時期のぎりぎりまで通い詰めるのだが、客層の多くは初夏から初秋時期に集中している。
ウォータージャンプをする際、当然ながら身に着けているものは着ているものからスキーブーツに至るまで全て水浸しになる。しかし通常のスキーやスノーボードなどの道具は元々は雪上を滑る道具であって水中で使用するものではない。自前の物を持ち込むとたちどころに水浸しとなり、いざゲレンデで使用しようとする時に影響が出る恐れがあるので、常連の者は雪山では使用しない使い古した道具などを持ち込んでくるらしい。
また、安全面から水に浮くライフジャケットやヘルメットの装着が必須となり、それ以外にも防寒の為にウェットスーツ着用や軍手などの着用が推奨されている。その格好はゲレンデでのそれと異なり、この施設の愛好者以外ではやや珍妙にうつるかもしれない。しかしそれこそがウォータージャンプと言う施設を楽しむための正しい正装となる。
高校生であるじゅんたちに使い古した板などはなくどうしようかと思っていたが、電話で確認したところ、道具類はライフジャケットやウェットスーツなども含めて全てレンタルが用意されているとのことである。さらに数は少ないもののスキーボードもレンタルのラインナップにあるとのことで、それを聞いたじゅんは早速その喜びを延々とエリやゆきに語り続け二人を困らせたりもした。
そんな経緯を経てそれなら早速行ってみようと提案したじゅんであったが、三人の都合がなかなかあわず、じゅん自身も両親に許可をもらって始めたバイトの給与もまだ手元に入っていなかったことから、六月になってやっと初のウォータージャンプが実現したのだった。
◇◆◇◆◇◆
「流石にここではお留守番だね」
ゲレンデではいつも腰にぶら下げて、普段はかばんを定位置としていたパンダ型の小物入れ。今日も持参はしてきていたが、流石に水浸しにするつもりはなく、いつもつけていた相棒と一緒に楽しめない僅かな心苦しさをパンダへの言い訳と変えて、準備を終えたじゅんはエリたちの下へ走っていった。
じゅんはスキーボード、エリはスノーボード、ゆきは普通のスキーを借り、初心者向け講習を受けた後はいよいよウォータージャンプの初体験である。パーク経験があるじゅんはブラシ独特の滑走感に最初こそ戸惑いを見せたものの、キッカーを飛ぶこと自体は恐怖心よりも期待感が勝っていた。しかしエリとゆきはウォータージャンプはもちろん、パーク経験すらないため、キッカーと言う特殊地形に大して恐怖心が先行してしまいなかなか上手く飛べないようであった。
それでも初心者向けの一番小さな台で果敢に練習する二人に『ちょっとあっちの大き目の方に行ってくるね!』と言い残し、じゅんは一人中級者向けのジャンプ台で、ゲレンデで春美に教わった内容を反復するのであった。
-基本姿勢はスタンスは肩幅程度、手は軽く前に突き出す・・・
-膝と腰を落として胸を適度にはり、目線はリップを見る・・・
-脛はブーツのタンに当て、荷重はなるべく真下に・・・
-リップの先端で立ち上がるように上体を伸ばす・・・
-飛び上がった瞬間に身体が伸びていることを意識する・・・
-飛んで直ぐにタックするんじゃなくて、一拍置いてから足を縮める・・・
-板を掴む時は反対側の手を上に挙げてバランスを取る・・・
教えてもらったことを一つ一つ確認しながら冬に出来なかったグラブにチャレンジするじゅん。黙々と飛び続けてイメージを身体に覚えこませている。着地地点は水なので失敗を恐れず果敢にグラブに挑戦し続けていく。
最初は久々のキッカーであることに加え、水へ飛び込む違和感や慣れぬブラシマットなどで戸惑っていたじゅんであったが、何度か飛び続けて慣れてくると少しずつではあるが板を触ることが出来るようになっていた。
三十分程経過した時には不恰好ながらもセーフティグラブが出来るようになっており、心地良い疲労感と自分自身への満足感に酔いしれるじゅんであったが、レイとゆきのことを思い出したじゅんは休憩スペースで休んでいる二人を見つけてその隣に座り込んだ。
「いやぁー、楽しいねー!エリたちはどう?」
「見てると楽しそうだったんですが、実際にやると結構怖いですね。壁が迫ってくる感じについ身体が萎縮してしまいます・・・」
「ゆきも同じ。今まで普通に滑ったことしかなかったから一番小さいジャンプ台でもちょっと怖いの・・・」
二人とも楽しさを十分満喫できていない様子であり、じゅんはそのことを知ると申し訳ない気持ちと何とかしたい気持ちが複雑に絡み合うのを感じた。自分が楽しいと思っていることを雪山と言う共通の趣味を持つ二人にも理解してもらいたい。そう思って考えを巡らしていると・・・
「でも元々興味がありましたから、怖いと思う以上に楽しいと思う気分の方が大きいですよ」
「そうだね。ゆきは初めてだけどもじゅんちゃんが飛んでいるのを見ると私も同じように飛んで見たいって思うの」
「それは同感です。じゅんもこの冬から始めたばかりなんですよね?どうやってそこまで飛べるようになったんですか?」
「ゆきたちも出来るようになる?」
二人は満喫出来ていないどころか、じゅんの楽しそうに飛ぶ様子を見て逆に向上心が刺激されているようであった。
「私はたまたま知り合ったスキボダのお姉さんたちに教えてもらって、後は何回も練習しただけだよ」
「それだけですか?」
「えっと、その他は飛び方とか目線とか色々教えてもらったけども」
「後は?ゆきにも教えて!」
「あ、後は飛ぶ時の姿勢や飛ぶ瞬間の動きとか・・・」
普段は物腰柔らかいエリや小動物のように大人しいゆきの思いもよらぬほどの興奮っぷりに思わず圧倒されてしまうじゅんは畳み掛けるような質問の嵐にタジタジになりながら答える。
「それじゃ私たちにもそれを教えてください!」
「ゆきも飛べるようになりたいの!」
どこで琴線に触れたのかは定かではないが、エリとゆきのキッカーに対する情熱はじゅんの想像以上に大きく膨らんでいたようであった。
実のところ、二人はじゅんが普段話すスキーボードの内容を話し半分で聞いていたのだ。あまりにも楽しそうに話すその内容は恐らく誇張された部分も多く含まれていると思っていたからである。だからキッカーに関しても飛べはするだろうけれども、ちょっと飛び上がる程度だろうと思っていたのだ。
もっともそれを馬鹿にするわけではない。楽しいことを話すときについ話を誇張してしまうのは誰にでもあることであるし、それをわざわざ訂正させるほど空気が読めないわけではない。むしろ自分たちにもそんな心当たりがあるので敢えてそこには触れないでいた。詰まるところ、結果的には決して悪意があるわけではないのだが、じゅんのことを過小評価をしていたのだ。
しかしいざ実際に目の当たりにしたじゅんは正しく普段じゅんが自身で話していた通りであった。
ウォータージャンプと言う特殊な地形構造がジャンプ台をより大きく見せているのではあるが、エリたちにとってはそんなことよりも自分たちが想像できないくらい大きなジャンプ台から気持ち良さそうに飛び出し、笑顔でグラブを決めているじゅんが途端に遠い存在に思えたのだ。
そんなじゅんであってもついこの間までは飛び方すら知らなかったと言う。それならば自分たちでも同じことが出来るはず!そう思った二人は食いつくようにじゅんに教えを請うのであった。
「ちょ、ちょっと待ってよ二人とも。落ち着いて!」
珍しく動揺するじゅんである。
「私も始めたばかりだから教えるほどは上手くないよ。でも自分が教えてもらったことくらいなら教えてあげられると思うよ」
「ホントですか!?」
「うん・・・、けど・・・」
「けど?」
二人は揃ってじゅんの言葉の続きを待つ。
「私はスノボや長板で飛んだことないから、スノボと長板な二人には教えられないよ。でももしスキボを履いてくれるなら何とか教えられると思うけども・・・」
思いもよらぬところでスキーボードを薦められる二人。お互い顔を見合わせて悩むこと数秒程度。
「ちょっと私、スノーボードをスキーボードに変更できないか聞いてきます!」
「あっ、ゆきも行くの!」
そう言うや否や、凄い勢いでレンタルコーナーへ駆けていく二人。そんな二人を呆気に取られながら見ていたじゅんは苦笑しながら呟く。
「ま、まさかこんな形でスキボダ仲間が出来るなんて・・・。でも何か嬉しいなぁ、私たちの時も晴子ちゃんたちはこんな気持ちになったのかなぁ」
数ヶ月前の自分に思いを馳せていると、やがてレンタルコーナーから二人の嬉しそうな声が聞こえてくるのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「たっだいまー!おねーちゃん、いるー?」
じゅんは初のウォータージャンプを心ゆくまで堪能した後、夕方になって帰宅した。あれからエリとゆきはスキーボードをレンタルしてじゅんの拙い指導の下でひたすらキッカーの特訓を行い、帰る頃には中級者レーンで棒ジャンプではあるが見事に飛び出すことに成功したのであった。因みに即席講師となったじゅんは二人への指導の合間にも飛び続け、しっかりとタックしきれてはいないもののミュートグラブが出来るようになっていた。
僅かな休憩時間以外には常に飛びっぱなしではあったのが、十六歳と言う肉体的特権は疲労等を残さず、身体への負担は空腹と言う形でのみ体現するに留めていた。
身体があげる空腹と言う悲鳴に素直に従うことにした女子高生三人組は帰る道中で決して軽食とは言えない量のおやつを取るのだが、消費エネルギーと摂取エネルギーのバランスを取るためにはそれだけではまだ足りず、今か今かと夕飯を待つじゅんであった。
じゅんに呼びかけられたレイは自室からのんびりと顔を出し、呼び出した本人に声を掛ける。
「おかえりー、どうしたの?」
「あっ、おねーちゃん!聞いて聞いて!」
エリとゆきがスキーボードを始めてくれたこと。キッカーでグラブ出来たこと。自分が二人にキッカーを教えたこと。それらを含めて初めてのウォータージャンプが凄く楽しかったこと。
そんなことをじゅんは身振り手振りを交えてレイに力説する。ひとしきり語り終えたじゅんはニコニコと話を聞くレイを見て、ふと気付いたことを口にする。
「おねーちゃん、何かいいことあった?」
「えっ?どうして?」
「最近のおねーちゃんは気難しい顔が多かったけども、今日はずっとニコニコしてるからね」
確かにレイはここのところ考え込むことが多かった。その事はレイ自身が一番自覚していた。しかしそれは今日、ほぼ解消したのだ。解消と言っても、今は解消の道が見つかっただけの段階ではあるのだが、それでもレイの心はそれだけで随分と軽くなっていた。
「さぁ、どうだろうねー」
「どうしたの?教えてよー!」
「何でもないよ。さぁそろそろご飯だよ」
「二人ともー!ご飯よー!」
タイミング良く母親から夕飯の知らせがあり、空腹を堪えていたじゅんは今までの話などすっかり忘れて元気よく飛び出していく。きっと夕飯の食卓もじゅんの話に染まるんだろうな。そんなことを思いながらレイも食卓に向かうのであった。
お読み頂きましてありがとうございました。
誤字脱字等は適宜修正していきますのでご容赦ください。
※サッズ
サッズとはキッカーのリップにあわせて、空中に飛び上がる瞬間に身体を伸ばすことを指す。サッズ時に自ら飛ぼうとすると、それが余計な力となり充分な浮力を得ることが出来ないので、あくまでも伸びると言う意識が大切ではあるが、それでも伸びきる勢いで空中での高さが大きく分かれる大切な動作である。
※タック
タックとは空中で伸びきった姿勢から、伸びた勢いを利用して足を状態に引き付ける動作を指す。正しくサッズが出来た場合には伸びた反動で膝が曲がろうとするので、タックは比較的容易に出来るとされている。空中で身体を縮めることによりさまざまなグラブへ意向することが出来る。
※セーフティグラブ
右手で右足の板の外側を掴むグラブ。上体を縮めて板を触りに行くよりも、しっかりとタックをして板を横方向に出すようにしてグラブした方がより映えるグラブとなる。




