第五話 ぐらうんどとりっく
「それじゃまず何から教えましょうか?」
レイたち五人はいまだ昼食を取ったレストハウス内でお茶を飲みながら顔を突き合わせていた。レイとじゅんにスキーボードを教えることになった晴子たち三人。話を聞くと晴子たちも泊りがけでスキーに来ているらしい。日程的には四泊五日、昨日から鹿島岳に来ており、二日目の滑走を楽しんでいたところでレイたちを発見したのだった。
そんな三人は姉妹にどんな風にスキーボードを教えていくかを相談している。先ほどはレイとじゅんの勢いと期待に満ちた視線にほだされるように頷いてしまったが、晴子たちは人に教えた経験はほとんどない。三人が知るスキーボードの滑りはただ滑るだけではないものが多く、それを教えるのも容易ではないので、どのように教えようかその手順を決めかねていた。
とは言え、教えることを決めたことに後悔はない。せっかく出来た弟子への指導方針を慎重に決めようと相談していたところ、春美が我慢しきれない様子で立ち上がった。
「あー!こうやって話していても埒明かないよ!時間もどんどんなくなるし、考えてたって仕方ないからとりあえず滑ろ!で、ウチらの滑りをレイたちに見てもらおう?」
実に春美らしい考えだなと晴子は苦笑するもその言葉に一理あると感じて頷く。
「そうね。私たちだって同じスキボダとは言え得意分野はバラバラなんだし、まずは見てもらうのが一番ね」
「得意分野?同じスキボなのに何か違うの?」
晴子の発言に思わず疑問が口に出るじゅん。既に準備を始めている春美を尻目に冷め切ったお茶をゆっくりと飲み干した葉流が答える。
「簡単に言うなら楽しみ方の違い。でも百聞は一見にしかず。言葉で説明するよりも見てもらったほうが分かる」
「そーそー、おねーさんたちの滑りを見て驚くがいいさ!」
準備をしながらもしっかり話を聞いていた春美が口を挟んできたことにより、これ以上は聞いても無駄だと思ったじゅん。まぁすぐに分かるか、と気を取り直し春美に習って準備を始める。
レイも冷め切ったお茶を飲みきり準備を始めようとしてふと四人を見ると、
晴子は既に準備完了、春美とじゅんももうすぐ準備完了と言ったところだが、先ほどまで自分と同じペースで冷めたお茶を飲んでいた葉流が既に準備完了している。
軽い驚きと共に無言のままに目を丸くするレイ。その様子に気付いた葉流がレイに話しかける。
「・・・どうしたの?」
「い、いえ、葉流さん、さっきまでのんびりしていたのに準備早いなぁって思って」
「・・・そう?」
そんなやり取りの合間にも春美とじゅんは準備を終え、気付けば何も準備を終えていないのはレイだけとなっていた。
「おねーちゃん、まだ準備終わってないの?」
そんなじゅんの一言でそのことに気付いたレイは慌てて緩めていたブーツを締め付けようと椅子に座ったままお辞儀をするようにしゃがみこむのだが、あまりの慌てっぷりに思いっきりテーブルにおでこを打ちつけてしまい、四人から失笑を買うのであった。
◇◆◇◆◇◆
レイたちは先ほど晴子たちと再会した比較的斜度がきついコースに来ていた。
このコースは幅がおよそ十メートル程度、曲がりくねることなくほぼ真っ直ぐに滑り降りるだけの単調なコースであるが、傾斜のきつさから誰でも気軽に滑れるというわけには行かず、また左右に生い茂る木々がそのコースを滑る者にに軽い威圧感を与えている。右側の木々の隙間からこのコースに連絡するリフトがちらちらと見えており、恐らく晴子たちはこのリフトからレイたちを発見したものと思われる。
このコースの上部にはコースを迂回するような林間コースも設置されており、腕に自信がないものはほとんどそちらを利用するため、このコースは人が多い鹿島岳スキー場の中でも比較的空いているコースである。
実はこのコース、見た目の威圧感と比較すると難易度はさほど高いものではなく、レイはもちろん、スキー歴の浅いじゅんでさえも慎重に滑りさえすれば問題なく滑る事が出来る。それを知っているものにとっては鹿島岳スキー場の中でも穴場的なコースなのであるのだが、それは滑り慣れたものしか知らない秘密である。その事情を知る晴子たちは人が少ないこのコースを姉妹のスキーボード講習の最初のゲレンデに選んだのだ。
滑りを見てもらうために姉妹と春美をある程度の位置まで滑らせて待機させた。最初に晴子と葉流が滑走実演を担当し、春美がその解説役と言う役割分担である。
「まずは基本となるフリーランでも見てもらおうかな」
「フリーラン?」
待機場所まで辿り着いた春美が姉妹に告げる。聞きなれない単語に2人声を揃えて聞き返す。
「直訳すると『自由に滑る』ってことかな。ただ滑るって言ってもスキボの滑り方は自由だからね。晴子はこのフリーランが一番好きなんだよ」
「滑り方が自由って、色んな滑り方があるの?」
「その通り。まぁ見ててみな」
春美はそう言うとゲレンデ上部で待機している晴子たちに手を振って合図を出す。手を振り返し合図確認を知らせると、まず晴子が滑り出してきた。
晴子の滑りは膝と腰をしゃがみこむかのように低く構え、雪面を切るような滑りであった。雪面を切るという比喩があながち間違っていないことを示すかのように、晴子が滑った後のシュプールは細い二本のラインが残っていた。ターンの時にはバイクレーサーのように大胆に身体を倒しこむ。倒しこんだ際にバランスを取るように倒しこんだ側の手を雪面に擦らせる。すると板と手の二箇所から雪飛沫があがり、その様子はさながらアクション映画を見ているようでもあった。
「晴子のあの滑りはカービングと言う滑りだよ。雪面を切るような滑り方だろ?スキボのエッジを立てて滑るから雪の抵抗が少なくスピードがどんどん出るんだ。ターンする時も身体を思いっきり倒してあんな風に手をつけるのは何だかバイクレーサーみたいだろ?」
「うん・・・、スゴイね・・・」
「因みにあの手を雪面に擦りつけながら滑るのは『ハンドスライド』って言うトリックの一つなんだ」
「そうなん・・・ですか・・・」
晴子の滑りに見とれた姉妹に春美はその滑りを解説する。視線と意識を完全に奪われた二人は春美の解説に生返事しか返せない。そんな二人に春美はやれやれといった様子で晴子の滑りに視線を戻す。
何度かターンを繰り返し晴子が姉妹の前を滑りぬける時、狙ったかのように大きな雪飛沫をかけてくる。突然のことで何の反応も出来ない春美たち三人はその雪飛沫を思い切り浴びてしまう。春美が文句を言うが、滑っている晴子に聞こえるはずもない。レイとじゅんは雪飛沫を浴びた勢いか、或いは突然のことで驚いたのか危うく尻餅をつきそうになる。
「まったくもぅ!やられたぁー!」
「び、びっくりしたよぉ・・・」
「これもまぁ『お約束』ってヤツだよ。しかしこのタイミングでやるかねぇ、晴子のヤツ」
晴子のおふざけはいつものことであるらしく、春美も本気で怒っているわけではない。そんなじゃれ合いのような滑りを見て、また目を輝かせるじゅんであった。
「何か・・・、面白いね!」
「そんな事言って、油断しているとやられちゃうよー」
楽しそうに言うじゅんに春美がいたずらっぽく切り返す。
「でも、それもスキボの魅力なんですよね?」
「そういうこと」
レイがニヤリと笑って春美にやり返す。飲み込みが早い弟子に満足そうに春美は頷く。
「晴子は元々基礎スキーをしていたらしいんだけどね。こういう自由な遊び方をしたかったらしく、私たちと会ってからはスキボでこういうふざけ合いばかりしているってワケよ。私たちだってフリーランは好きだし楽しいけども、晴子が一番フリーランを楽しんでるんじゃないのかな?」
まだ出会って僅かしか経っていないが、レイとじゅんは晴子が三人の中心的存在であると認識していた。事実そうであり、レイとじゅんの想像通り三人の牽引役は間違いなく晴子であった。そんな晴子であるから、周りをたしなめこそすれ、こんな風な悪戯を仕掛けてくるというのが想像つかないことであり意外でもあったので驚いているのだが、そんな晴子の意外性を引き出してくれるスキーボードに二人の心はますます魅了されていった。
「さて、次は葉流だな。葉流の滑りこそスキボの特徴でもあるんだから、よーく見ておくんだよ!」
春美の合図で今度は葉流が滑り出す。葉流の滑りは春美の言葉通り、見たこともない不思議な滑りであった。一見すると普通に滑っているようであったが、ターンの度に宙に浮いているのだ。いや浮いているのではない。ターン前に自ら雪面を蹴って飛び上がっているのだ。自ら飛び上がり、空中で器用に姿勢を変えて着地する。空中で器用にターンしているその滑りはポンポンと鞠が跳ねるように見え、コミカルなダンスのようでもある。
「葉流のあの滑りはエアターンと言うトリックの一つ。もっともあれはスキボ以外でもやろうと思えば出来るトリックだけどもね。あんな感じで葉流は滑りながら行うのがトリック、グラウンドトリックが得意なんだよ」
「ぐらうんどとりっく?」
「そう、略してグラトリ。きっと他にも色々見せてくれるはずだよ」
春美の予想どおり葉流が姉妹の前を滑りぬける手前で葉流の動きに変化があった。エアターンを繰り返す動きは変わらないのだが、姉妹の目の前に差し掛かる寸前に先ほどよりも大きく身体を捻ってジャンプしたかと思うと、滑りながら空中でぐるっと横向きに一回転する。まさかの動きに目を丸くする姉妹であったが、何でもなかったかのように着地をすると、今度はすぐさま後ろを向いて、そのまま後ろ向きに滑っていった。
「グラウンドサブロクをやった後にフェイキーにスイッチしたんだよ」
「サブロク?フェイキー?」
「サブロクってのは三百六十度ってこと。要は一回転ってことさ。フェイキーってのは後ろ向きに滑ること。スイッチって言うのは滑る方向を変える事を指すスキー用語だよ」
「この短い間に色々やってるんだねー」
目まぐるしく変わる葉流の滑りに目を丸くして答えるじゅん。解説をしている春美は素直に感心してくれるじゅんの態度が嬉しいかのようにさらに続ける。
「葉流は私たちに会うまでスキーをしたことがなかったらしいんだ。でもその代わりに小さい頃にバレエをやってたみたいで、身体のバランスを取ることだったり、ああいった軽やかな動きが得意みたいなんだよ」
「バレエをやってないと出来ないんですか?」
「そんなことないよ。ただコツを掴むのが早いってだけ。多分個人差と言うかセンスもあるだろうけども、練習すればたいていのトリックはすぐに出来るようになるよ」
「センス、ですか」
「見ての通り普通に滑っていたらなかなかしない動きだからね。センスと言うかバランスと言うか・・・。なーに、そんなに難しい顔しなくても大丈夫!レイなんかはセンスよさそうだからグラトリ向きかもよ」
「ホントですか?」
「どうかなぁ、やってみなくちゃ分からないけどもね」
曖昧な返事に複雑な表情になるレイ。それでも向いていると言われたことが嬉しいらしく、滑り終わった葉流と今まで葉流が滑っていたゲレンデを何かを考えるように交互に見つめていた。
「それにね、葉流が見せたのはグラトリの中でも比較的簡単なものだよ。後からもっとすごいのを見せてくれると思うよ」
「そうなんだぁ。私でも出来るかなぁ、出来るところが想像つかないんだけど・・・」
「まぁ向き不向きはあるからね。実は私もグラトリはあんまり得意じゃないんだ」
「それじゃ春美ちゃんの得意な滑りはなに?」
「・・・それは後でのお楽しみだ。さ、二人のところへ行こうか」
じゅんは今見た滑りが自分に出来るものかなと不安げな表情になるのだが、春美の慰めの内容にあった得意分野が気になりあっという間に表情を変える。そんなじゅんと、いまだに何かを考えるような素振りのレイを促して晴子たちの下へ滑り出す春美。そんな春美を慌てて追いかけるレイとじゅんであった。
◇◆◇◆◇◆
「さーて、次は私の番だね!」
春美が得意な滑りを見せるために来たコースはセンターレストハウスを左側から裏手に回りこむよう東方面に下って、鹿島岳スキー場を一番下まで滑り降りたエリアであった。
鹿島岳スキー場のセンターレストハウスは文字通りゲレンデの中央にあり、標高的にも山の中間地点に位置しているが、こことは別にゲレンデ最下部にもレストハウスが設けられていた。もっともこのゲレンデ最下部のレストハウスはチケットセンターなどの業務的窓口のみの営業で、この付近に建てられた地元定食屋やレストランなどがレストハウスの役割を担っていた。
ゲレンデに訪れる客の中にはセンターレストハウスの食事よりも地元定食屋の雰囲気が好きでわざわざここまで滑り降りてきて食事をする客も多くいたが、このエリアを好んで滑る客の大半は春美が得意としているコースが目当てである。
「ここは・・・」
そのコースを見てレイが口ごもる。
「不思議なところでしょ?パークって言うスキー場の中では特殊なところなんだよ。キッカーって言うジャンプ台だったり、ジブって呼ばれる人工物の上を滑って遊んだりするところだよ」
「ジャンプ台?オリンピックみたいな!?」
ジャンプ台と言う言葉に食いつくじゅん。初めてスキーをした時にもレイにスロープスタイル競技のことを尋ねて困らせていたものであったが、じゅんの中ではそう言った滑りが強く印象に残っており、自分も出来ることが出来たら、と心密かに考えていたのである。
「オリンピックみたいな大きいキッカーがあるところなんてそうそうないけれども、分類で分けるならそういうことかな。じゅんが観ていたのはスロープスタイル、って言って通じるかな?ええっと、途中で手すりっぽいところを滑ったり、飛びながらグルグル回ったりしているやつのことかな?」
「そう!それ!アレって凄いなぁって思ってたんだよ!」
「規模は全然違うけども、そう言うことをするのが私の得意分野だよ。それじゃ早速行ってみようか!」
そう宣言してリフトに向かう春美。そんな春美に色々話を聞きたい様子で一生懸命追いかけるじゅん。レイはそんなじゅんを苦笑混じりに見つめ、その後もう一度パークの方を視線を移す。パークを上から下までじっくり眺めた後、盛大にため息を漏らすと、今度こそ置いて行かれないようにリフトへと駆け出すのであった。
◇◆◇◆◇◆
パークエリアまで来た一行。春美と葉流はキッカーの順番待ちをしており、その間にレイとじゅんは解説役の晴子と共にパークのキッカーが良く見える位置まで降りてきていた。
「パークに限った話ではないんだけれども、今みたいにゲレンデの途中で止まる場合には他の人の邪魔にならない場所にいるようにしてね。特にパークの場合は死角も多いし、滑っている人も集中しているからね。こっちが注意しなくちゃダメなのよ」
「はーい!」
晴子の注意にご機嫌に答えるじゅん。よほどパークでの滑りを見るのが楽しみなのであろう、さっきから終始ご機嫌である。一方、先ほどからなんとなく浮かない顔をしているレイ。そんなレイの様子に気付き様子を伺う。
「レイ?大丈夫?」
「え?あ、あぁ。だ、大丈夫ですよ」
「そう?何かちょっと疲れてるように見えたから」
「そうでしたか?興奮しすぎで疲れちゃったのかなぁ」
「そう?それならいいけども・・・」
慌てて自分に問題ないことを告げるレイ。あまりの慌てっぷりに違和感を感じるものの、そろそろ順番となった春美を見て二人に告げる。
「さぁそろそろ来るわよ。しっかり見ててね」
前の人が滑り終わり、いよいよ春美の番である。左右を確認して自分の番であることを示すように手を挙げてから滑り出す。最初にスケーティングの要領で二、三回蹴り出すようにして滑りだすと後、空気椅子のように腰と膝を曲げ、足を肩幅程度に開き、手をやや前方に突き出し前を見たままの姿勢でキッカーに進入して行った。
やがて三人から死角となるキッカーの登り坂部分、アプローチに入り春美の姿が見えなくなる。しかし数秒後、キッカーから大空に舞い上がる春美の姿が見えた。
春美の空中姿勢は一言で言うと真っ直ぐだった。空中で棒のように真っ直ぐ立ち、手は両手をやや前方に程よく脱力した感じで突き出している。それは道端で自然に立っているような状態であった。しかし驚愕すべきはその高さ、飛び出した空中での高さが春美自身の身長をゆうに超えている。高く飛んでいる分、空中にいる時間が長く、また飛距離も長い。じゅんはゆっくりと見とれていたつもりであったが、いくら滞空時間が長いとは言え、恐らくそれは数秒にも満たない時間であっただろう。
高さの頂点に達した春美は重力に任せるようにキッカーの下り坂、ランディングに向かって着地体勢をとるのだが、高さと飛距離のせいでキッカーの下り坂であるランディング部分を僅かに超え、平地部への着地を余儀なくされた。落差にしたら何メートルあったのだろうか?それでも全身のバネを思いっきり利かせて落下の衝撃を吸収した春美は、トントンと腰を叩きながら滑り降りていった。
「どう、今の春美のキッカーの感想は?」
「・・・・」
「じゅん?」
晴子は声を掛けても返事がないじゅんの様子を伺うように顔を覗きこんだ。その顔は呆けているわけではない。先ほどまで宙にいた春美が飛んでいたキッカーに視線を向けたまま、それでも思考は別のところにあるようであった。よく見ると目は輝き、身体は小刻みに震えている。そんなじゅんの異変にレイも気付き、じゅんの様子を心配する。
「ちょっとじゅん?大丈夫?」
「・・・い」
「えっ?どうしたの?」
「・・・すごい、すごいよ!!おねーちゃん!今の見た!?」
「見たわよ、凄い高さだったわね。じゅん、実はね・・・」
かつてない程の興奮を見せるじゅんに驚きを隠せないレイ。じゅんがパークに興味を持っていることは、以前にオリンピックのスロープスタイルのことを聞かれてからうすうす気付いていた。だから意識的に話題を避けていたし、鹿島岳スキー場にパークがあることは知ってはいても敢えて避けていたのだ。
それでも目の前の興奮っぷりを見せ付けられて、それでもまだ遠ざけるようなことは妹想いの姉としては出来ることではなかった。観念したようにため息交じりの苦笑をすると、レイはじゅんに自分の想いを伝えようとするのだが、その話は晴子によって遮られた。
「春美は元々スノーボードをしていてね。でもスノボって周りでやっている人って結構いるでしょ?私たちと知り合ってスキボを知ってから、人よりも目立ちたいってスキボを始めたのよ。スノボをやっている時からパークに入ったりしていたらしいから、あまりパークにいることがないスキボだからより目立つだろうって」
「そうなんだー」
「でもね、春美はテンションによってその時の調子が左右されるのよ。元々実力があるからいいんだけども、それでも全く危なっかしいったらありゃしないわ」
苦笑交じりで春美のことを教える晴子。それでも心底呆れている様子ではなく、これもまたいつものことであると言った調子であった。
「今日の春美ちゃんのテンションはどうなの?」
「・・・テンションマックスと言ったところね。手本を見せるためのただの棒ジャンプだったとは言え、調子に乗って飛びすぎたみたいよ」
「棒ジャンプ?」
「今みたいに空中で真っ直ぐ伸び上がる飛び方よ。キッカーの飛び方で一番基本の飛び方だけども、シンプルな分、綺麗に魅せるには実は意外と難しいのよ」
「今のが一番シンプルなの?ってことはもっと凄いのがあるってこと?」
「そうよ」
「はー、凄いんだねぇー」
「ところでレイ、さっき何か言いかけなかった?言葉を遮っちゃったみたいだったけども・・・」
「え?い、いえ何でもないですよ・・・」
実際に言葉を遮られたのだが、レイはそのことは告げず誤魔化すようにキッカーの方に視線を移す。
「あっ、次は葉流さんの番ですね」
レイの言葉に促されて晴子とじゅんも視線を移す。葉流は春美がキッカーから滑りぬけたのを確認すると、手をあげて自分の順番であることを周りにアピールしてからキッカーに向かって滑り出した。滑る体勢は先ほどの春美と同じように膝と腰を落とした体勢である。春美と同様にアプローチ部分で一度の姿が見えなくなり、その数秒後にその小柄な身体が空中へと飛び出す。
キッカーのジャンプ台部分、リップ部から春美と同じように大きく真っ直ぐに伸び上がった後、空中で膝を体育座りのように曲げる。そのままその足を正座を崩したような横座りのような位置に持ってきた。するとスキーボードの滑走面、ソールがほぼ真横に向き、晴子たちがいる場所からもソール面をしっかりと確認することが出来る。その後スキーボードを十字架のように交差して重ねると縦にした板の先端の方ををがっしりと掴み、もう片方の手は片手でバンザイをするように大きく上方に伸ばしている。
その体勢を維持していたのは恐らく数秒も経たない間ではあっただろう。しかし空中でビシッ!と効果音が聞こえてきそうなほどポーズを決めるその姿は、見るものが見れば力強く美しくも感じたことであろう。
やがて板を掴んでいた手を離し、足を元の位置に揃えキッカーの下り坂のなっているエリア、ランディングに着地して何事もなかったかのように春美の下へ滑りぬけて行った。
「晴子ちゃん・・・。今の葉流ちゃんのって・・・」
「あれはミュートグラブって言うキッカーのトリックの一つよ」
「ふぇー、葉流ちゃんってグラトリの他にキッカーも出来るの?」
心底感嘆したようにじゅんが叫ぶ。
「私も春美ほど上手くないけどキッカーに入ったりもするわよ」
「えっ、晴子ちゃんも!?」
「別に一つのことしかしちゃいけないってわけでもないでしょ?」
「そ、そうだけども・・・」
「楽しいって思えば色々やってみればいいのよ」
「そんなに色々出来るかなぁ」
「まずはチャレンジしてみればいいんじゃない?」
「・・・そっか、そうだよね!」
先ほどから想像以上の滑りを見せ付けられ圧倒されていたじゅんであったが、晴子との会話により自分自身に言い聞かせるように頷く。改めて今まで春美と葉流が飛んでいたキッカーを眺めながら目を輝かせるじゅんであった。
一方レイは、じゅんと同じようにキッカーを食い入るように見つめてはいるが、その表情はじゅんとは正反対に何かを思いつめたような表情であった。しかし晴子の視線に気付くと慌てたように表情を変えて晴子に尋ねる。
「でもスキボでキッカーを飛ぶのってバランス取るのが難しそうですよね。何かコツとかあるんですか?」
「なかなかいいところに気付くわね」
レイの着眼点に思わずニヤリと微笑む晴子。
「確かにスキボは長板やスノボよりも重心の位置がシビアよ。でもフリーランとかで自由に滑れるようなれば自然と重心を取れているはずよ。重心さえ取れれば絶対とは言わないけども問題はないわ」
「基本はフリーランってことですね」
「そう言う事になるわね。さぁ、いつまでもここにいたら邪魔になるから春美たちのところへ行くわよ」
姉妹のそれぞれの感想を満足げに確認したところで晴子は移動を促す。じゅんとレイは名残惜しそうにもう一度キッカーを一瞥するとそれぞれ滑り出すのだが、キッカーを見る想いは姉妹それぞれ違ったものであることには誰も気付かなかった。
◇◆◇◆◇◆
「次は私。私はもっともスキボらしい滑り方、グラトリを披露する」
一行は先ほどまでいたパークと並行する位置にある緩斜面ゲレンデに来ていた。リフトを降りてゲレンデまで来ると、やっと自分が主役になる順番が来たことに誇らしげな葉流がレイとじゅんに向けて宣言した。
「グラトリってグラウンドトリックのことだよね?」
「そう、グラウンドトリック。知ってるの?」
「さっき春美ちゃんから聞いたんだ」
じゅんは先ほどの葉流のグラトリを思い出しながら嬉しそうに言うのだが、レイはふと気付いたように葉流に確認する。
「でもグラトリはさっき見せてくれたんじゃないですか?」
「グラトリは奥が深い。スキボの醍醐味と言っても過言ではない。さっきのはその一部。しかもスキボじゃなくても出来るトリック」
「そうなんですか?」
「そう。今回見せるのはスキボならではのグラトリ」
「スキボならでは・・・、ですか」
先ほどのグラトリでも十分衝撃的だったのに、あれがまだほんの一部だと言う葉流。スキーボードならではのグラトリに興味を抱くじゅんであったが、それ以上にレイが食いついてくる。
「スキボならでは、とはどう言うグラトリなんですか?」
「・・・それは見てからのお楽しみ」
レイの食いつくような質問に不敵に笑い、答えを避ける葉流。楽しみにしているオヤツを取り上げられた子供のような顔をするレイに春美が移動を促す。
「さぁ、それじゃちょっと途中まで滑って待っててくれるかな?」
「あれ?春美ちゃんは?」
「せっかくだから私もグラトリするよ」
「あれ?さっき苦手だって言わなかったっけ?」
「苦手は苦手だけども、全く出来ないわけじゃないよ。まぁ二人には敵わないけどもね。さぁ行った行った!」
春美に追い立てられるように滑り出すレイとじゅん。ゲレンデの中腹辺りで止まり、晴子たちの方を向く。レイたちが止まったのを見て晴子が何か叫んでいるようだが、さすがに遠くて聞こえない。
「何か言っているけども聞こえないわね」
「とりあえず手を振っておけばいいんじゃない?おーい!」
「ちょっとじゅん!」
じゅんの適当な反応を慌てて止めようとするレイだが、意外にもじゅんの反応が正しかったようで、じゅんが手を振り返してきたのを確認すると春美、間をおいて晴子、さらに間をおいて葉流の順番で滑り出してきた。それぞれ時間にして約三~四秒の間隔だが、互いの距離は七~八メートル程度離れているのでぶつかる心配もなく、レイとじゅんからは三人の滑りを同時に眺めることが出来る状態である。
春美のグラトリはこれをグラトリと呼んでいいのか疑問に思うほど衝撃的であった。何故ならスキーボードを履いているにも関わらず雪面を走っているからだ。物の例えではなく、文字通りゲレンデをスキーボードを履いたまま走っているのだ。通常の靴であれば地面に設置している長さは少ないので自然な動作で走れるし、そもそも接地している長さなど気にとめるこはない。しかしスキーボードは短いとは言えその長さは一メートル近くある。その板を大きな足の動作で後方に蹴るように抜き、前方には足を突き出すようにして入れていく。
両手もジョギングするように前後に振っているのだが、大きな足の動きに合わせるように大袈裟に振っている。その手足のコミカルにも見える動作は姉妹だけでなく、他のゲレンデ客からも不思議そうな視線を浴びていた。
一方、晴子はターンのたびに滑る向きを前後に入れ替えながら滑っていた。最初のターンで板で雪面をずらすようにターンをするのかと思ったら、反動を利用してそのまま身体を真後ろに向け、そのまま後ろ向きで滑り続ける。後ろを向きとは言っても首だけは進行方向を向いているので、車のバックで窓から顔を出すように身体は後ろ、顔は前と言う器用な体勢だ。そのまま次のターンの時には同じように身体を半回転させて何事もなかったかのようにまた正面を向いて滑っている。
ターンの度にこの動きを繰り返すだけではなく、時には回転せずにそのまま滑り、時には一回転して先ほどと同じ向きで滑り続ける。そんな流れるような滑りはフィギュアスケートのような舞うような滑りであり、その不思議な動きにやはりゲレンデから注目を浴びていた。
しかし一番不思議なのは葉流のグラトリであった。何故なら葉流は後ろ向きになり、板を雪面に立てて板の先端だけで爪先立ちのように滑っているのである。よく見ると板を若干前後にずらしており、横方向から見ればきっと階段を登っているような姿勢であることが分かっただろう。それなのに上体は背中を反るような姿勢であり、顔だけを進行方向、つまり身体とは逆の方向に向けている。それは小動物が二本足で立ち、周りを警戒するような体勢にも見えたが、このゲレンデの小動物は周りを警戒することなく勝ち誇らしげにゲレンデを後ろ向きの爪先立ちで滑走している。
葉流の滑った後の雪面は板の先端のラインが大きく抉れたように残り、それは滑ったと言うよりも削ったと言う表現の方がふさわしい。前の二人同様に注目を浴びているが、二人以上に『すごーい』などの歓声があがるのは、板の滑走面、ソール面を周囲に見せ付けるような通常ではありえない体勢で滑っているせいであろう。
三人は三者三様のグラトリをしながら姉妹の前を滑りぬけていった。春美はさすがに大きな動作を続け疲れてきたのか、姉妹の前を通り抜けた後は普通に滑って行ったが、葉流は滑りながら姉妹に対してピースをする余裕っぷりを見せ付けたのは、さすがグラトリが得意と豪語するだけある。三人が滑りぬけた後、その様子を息をする間もなく見つめ続けていた姉妹はため息をつくようにどちらからともなく呟きだす。
「スキボのグラトリって・・・、スゴイね」
「あれ、私たちでも出来るようになるのかなぁ」
「・・・分からない。分からないけども私は向いてるって言われたわよ」
「えー、おねーちゃんズルイ!」
「でも練習すれば大抵の事は出来るようになるとも言ってたわよ」
「ホント?私でも出来るのかなぁ」
「・・・分からないけども、やってみたいよね」
堂々巡りとも言える会話を繰り返す姉妹にゲレンデの下のほうから二人を呼ぶ声が微かに聞こえる。それに気付いたレイが呼び声の方を向くと、晴子たちが懸命に二人を呼んでいた。
「いっけない!春子さんたちが呼んでる!行くよ、じゅん」
「あー、待ってよー!」
あまりに衝撃に晴子たちが待っていることも忘れて呆けるようになっていたレイとじゅんは晴子たちの呼び声で我に返り、慌てて三人の元に滑り降りていった。
◇◆◇◆◇◆
「さてっと。これで私たちの得意な滑りをそれぞれ見てもらったワケだけれどもどうだった?」
五人は地元の定食屋が屋外に設置しているテーブルに腰を掛ける。じゅんは先ほどの呆けた様子はどこかに置いてしまったように、今度は何かを期待し喜び勇んで定食屋の中に入っていくのだが、ものの一分も経たない内にあからさまにがっかりしたようにトボトボとレイの元に帰ってきた。
「ここ、デザートないんだって」
「何を慌てているのかと思ったら、全くじゅんはいつでもじゅんね」
「なにそれ、失礼しちゃうよ」
レイの呆れたような口調にへそを曲げるじゅん。晴子はそんな姉妹の様子を見て軽く微笑み、席に着くことを促す。改めて姉妹の顔を見た後に春美が冒頭のように切り出した。
「どうって言われても、皆凄すぎて何と言っていいか分からないですよ」
「晴子ちゃんの滑りも楽しそうだし、春美ちゃんのキッカーはすっごくカッコよかったし、葉流ちゃんのグラトリは何かこう、不思議と言うか・・・」
「それで、私たちでも出来るのかなぁってちょっと不安になっちゃったと言うか・・・」
レイとじゅんは三人のそれぞれ特徴あるスキーボードの滑りを見て、それが自分たちの想像以上のものであったことにすっかり萎縮していた。先ほどまでは傍観者的な立場であり、それは自分とは縁遠いものだとどこかで思っていたが、改めて『どう?』と問われ、自分たちが今から先ほどまで見ていた滑りを習うのかと思うと、それはとても高い壁に見えてきたのである。
「多分いきなり色々見せられて萎縮しているんでしょうが、以前にスキボを貸した時の滑りを見ると実は二人ともかなり良いセンスしているのよ」
先ほどまでと違いすっかり勢いを失くしている姉妹に対して、消沈する必要などないと言わんばかりの軽い調子で晴子は二人の滑りの特徴を解説する。
「まずレイの滑りは元々スキー経験者ってことでかなり綺麗な滑りだったわ。あれでターンの時に膝と身体の使い方をちょっと工夫すれば葉流がやっていたのエアターンくらいならすぐに出来るようになると思うわ」
「そうなんですか?」
「それにじゅん。じゅんは何故か既にカービングが出来ているわ。もうちょい滑り込んで身体のバランスを掴めれば私がやっていたハンドスライドは今日中には出来るようになるんじゃないかしら?」
「ホントに!?」
晴子の診断をびっくりした様子で聞くレイとじゅん。思わず春美と葉流の顔を見るが、二人とも晴子の言葉を肯定するように力強く頷く。再度晴子の顔を見る姉妹の顔は先ほどの萎縮した表情とは異なり、期待にときめく顔になっていた。
「つまりね、初めてだから色々考えて難しく感じるでしょうが。ちょっと練習すればある程度までは誰でも出来るってことなのよ」
「そうそう、もちろんそれ以上上手くなるにはもっと練習が必要だと思うけどもさ」
「始めなくちゃ始らない。二人はどんなことをやってみたい?」
三人が三様の誘いの手を差し伸べる。じゅんはやや躊躇した後に春美のほうを向きもじもじとした様子で答える。
「私は・・・、私はパークがやってみたい。春美ちゃんや葉流ちゃんのようにカッコよくキッカーを飛んでみたい!」
その答えに思わず驚くようにじゅんを見るレイ。その視線には何か戸惑いのようなものが含まれていた。そんなレイの様子はじゅんはもちろん春美や葉流も気付いていないが、ただ晴子だけは表情には出さないものの静かな顔で見つめていた。晴子に自分の様子が気付かれているとも知らないレイは一度目を伏せると、改めて微笑むような顔で葉流に向き直り自身の希望を伝える。
「私は葉流さんのやっていたグラトリをやりたいです。さっきの不思議なトリックもそうですし、他にも色々滑りながら出来るトリックがあるなら色々出来るようになりたいです」
レイとじゅんはそれぞれの師匠に対して自分たちがやりたいことをはっきりと告げた。その顔にもう萎縮した様子はなかった。
「キッカーにグラトリね。それぞれに特徴的なことに惹かれたって訳ね。いずれにしてもまずはスキボ自体に慣れてもらわないとね」
「そうだね、スキボの基本はフリーラン。まずは皆でワイワイと滑るのを楽しむことから始めるか!」
「人数が多ければ多いほど楽しい。それがスキボ」
晴子たち三人は笑顔で姉妹に告げる。これから楽しいことが待っている。そんなことを笑顔で語る三人の様子に自然と笑顔がこぼれるのを自覚するレイとじゅんであった。
お読み頂きましてありがとうございました。
誤字脱字等は適宜修正していきますのでご容赦ください。
※棒ジャンプ
キッカーで何のトリックもせずにただ伸び上がて飛ぶことを指す。身体に余計な動きがない分、正しく飛ぶことが出来れば非常に綺麗である。逆にキッカーにおける基本がしっかり出来ていないと綺麗に見えないため、実は一番難しいトリックと言われることもある。
※ミュートグラブ
キッカーでのトリックの一つ。右手で左足の板の外側を掴み引き上げるトリック。このグラブが綺麗に決まると板が交差するようになるので、難易度の割には映えるトリックである。
※ソール
板の滑走面のこと。
※ハンドスライド
雪面に手をつきながら滑るグラウンドトリックの一つ
※エアターン
通常滑走のターンをする際に空中に飛び上がり、空中で方向転換するトリック。
※スイッチ
滑走中に滑走する向きを入れ替えること。
※サブロク
三百六十度の略称で一回転のこと。横方向に一回転する際に用いられる。