第二十八話 スキーボード
山の天気は変わりやすい、とはよく言われる言葉であるが、それはゲレンデにおいても適用される言葉である。先ほどまではいかにも冬らしい白く重い雲の塊が空に鎮座していたのだが、気が付けばそんなものは最初からなかったかのように空一面は青い空に支配されていた。
そうなれば当然ながらその存在を大きく主張するのは遥か昔から現在に至るまでゲレンデのみならず地球全体を照らしてくれている太陽であるが、太陽が出ていると言うだけで気分が高揚してくるは流石は母なる恵みと言ったところであろうか。その恩恵はこの鹿島岳スキー場においても同様であり、思い思いに滑るスキーヤー、或いはスノーボーダーに等しくやわらかな光が降り注がれていた。
そしてその恩恵はもちろんスキーボーダーである彼女たちにもしっかりと与えられている。
「あれ?いつの間に晴れたんだろうねー?」
「本当なのー。さっきまで雲がいっぱいで今にも雪が降り出しそうだったのー」
二日前から鹿島岳スキー場で卒業旅行と言う名目のスキー旅行に来ているのはレイとしずく。そして何故かそれと共にいるのがレイの妹であるじゅん。それとじゅんの友人であるゆきであった。
四人はこの鹿島岳スキー場で一番標高が高いコースに立ち、雲ひとつない白と青のコントラストを視界に映していた。
しずくを除く三人はスキーボーダーであり、履いているのはもちろんスキーボードであったが、しずくは自他と共に認めるフリースキーヤーである。しかし今履いているのは通常のそれではなく、レイたちと同じくスキーボードである。それについてしずく自身はこう語っている。
『フリースキーヤーってのは自由なスキーヤーってことだ。だから別に気分によってスキーボードを履いたっておかしくないんだよ?』
確かにその通りだと納得してしまうじゅんとゆき。その横で事情を知っているレイはくすくすと笑いをかみ殺していた。
何のことはない。レイたちと滑るうちにしずくはすっかりとスキーボードに魅了されてしまったのである。しずく本人に言わせれば『魅了でなく洗脳だ』と反論されそうなので敢えて口に出しては言わないが、ここのところスキーよりもスキーボードを履くことが多くなっていることから見るとそれは明らかであった。
一応今まで愛用していたスキーも持参しているようなので、この旅行中にはどこかでスキーボードではなく通常のスキーで滑るつもりもあるらしいが、それはこの二日間の間では今のところ実現していない。
そんなことを思いつつ、レイも空に向かって思いっきり伸びをしてこの青空に包まれたゲレンデ独特の高揚感に身を任せていた。
「さて、そろそろ行きましょ?」
「そうだな、そろそろ時間だしな」
「一番最後の人が皆にジュースを奢るんだからね!」
放っておけばいつまでもこの場に立ち尽くし続けてしまいそうなじゅんたちに軽く声を掛けると、レイとしずくは返事を待たず滑り出していく。その勢いはまるで獲物を見つけた野生動物のようであり、ぐんぐんとその姿を小さくしていった。
真っ白な世界と言う街中では味わえない非日常感は既に何度も体験しているはずのじゅんたちであったが、それでもやはり心奪われてしまうのは思春期真っ盛りの多感な時期だからであろう。
しかしそんな年頃であってもレイが言い残した最後の一言を聞き逃すことは出来なかった。かぶりを振ってその言葉を聞き直そうとした時にはその発案者は既にゲレンデを踊るように滑り出していた。
「あっ!おねーちゃん、ずるいよ!!」
「じゅんちゃん、急がないと!このままだと私たちがジュースを奢ることになっちゃうのー!」
「そうだね、行こっ!」
「うん!」
二人は頷きあうとスピードスケートのようにゲレンデを蹴りだし、クラウチングの姿勢で滑り出して行った。
◇◆◇◆◇◆
「うー・・・、結局私がビリだった・・・」
「そうクサるなって。まさかあそこから追いつくとは思わなかったぞ」
「そうよ、じゅんってば何時の間にあんなに直滑降が上手くなったの?」
ゲレンデ最下部のレストハウス、その自動販売機の前で三人にジュースを買いながらぼやくじゅんを慰めながら、レイとしずくはじゅんの思わぬ上達っぷりを褒めちぎっていた。その意図は半分は慰めであったが、感心していたのも事実であった。
レイが一方的に持ちかけたダウンヒルレース。その結果は案の定じゅんが最下位であった。しかしながら一位はと言うと・・・。
「じゅんちゃん、元気出してなの」
「って言うか、私と同時にスタートしたのに何で一番になれたの?」
「こんな感じのダウンヒルレースは家族と一緒に滑っている時に良くやっていたのー」
このダウンヒルレースの勝者はじゅんと同時にスタートしたはずのゆきであった。じゅんと同時に滑り出し、じゅんと同じように滑っているにも関わらず、ゆきはあっという間にじゅんを引き離す。呆気にとられるじゅんをそのままに、更に加速を続け、あっという間に先行していたレイを視界に捉える。
一方、もう追いつけるはずがないとのんびりグラウンドトリックをしながら滑っていたレイたちであったが、後方からぐんぐん迫るゆきに気付くと、気を引き締めなおし、再度速度をあげて再びその差を広げに掛かっていく。
しかしゆきは速度が出ると言われているクラウチングの姿勢を維持したまま直滑降を続け、ターンや速度調整を無駄なく巧みに行うと、ゴールに設定されていたゲレンデ最下部のレストハウスに到達するよりも大分手前で二人を追い抜かすと、その結果に慢心することなく姿勢を維持し続けたままレストハウスまで滑りぬけて行ったのであった。
「そう言えばゆきは家族ではずっと基礎スキーをやっていたんだっけ?」
「そうなの。パパからスキボをしても基礎的な滑りは忘れるなって言われてるの。だからパークやグラトリも好きだけど、実はこういう滑り方も得意なのー」
「パークでもグラトリでも全ての基本はフリーランだからな。ゆきのお父さんの指摘は的確だと思うぞ」
「そうなの?ただ検定を受けさせたいだけかと思ったの」
「そんなことはないと思うわよ。だって・・・」
「それよりも早くいこーよ!」
レイがしずくが滑走の基礎の重要さを説こうとしているところで、ジュースを奢らされやや不貞腐れているじゅんから先を急かす横槍が入る。自分の得意分野を褒められご満悦だったゆきは話の腰を折られてやや不満気味ではあったが、じゅんが急かす理由も充分に分かるので気持ちを切り替えじゅんの背中を追いかけていった。
「やれやれ、全くじゅんときたら」
「でも私たちも急がないと、こんなところでのんびりしていたら怒られちゃうわ」
「そうだな」
じゅんの行動に溜息をつきつつも、レイとしずくも先を行く二人の背中をのんびりと追いかけていくのであった。
◇◆◇◆◇◆
「遅い!」
「ごめーん!だって皆がさぁー」
レイとしずくがやってきたのはゲレンデの駐車場。その駐車場のとある場所を目指して歩いていると、二人が向かう先から姉御的な風格を漂わす女性からじゅんを責める声が聞こえてくる。
停められた車と除雪された雪壁のおかげでじゅんの姿も声の主の姿も見えないが、ある意味予想していた展開ではあったので思わず微笑んでしまう。しかしこのままじゅんが責められ続けるのも気の毒であったので、歩む速度を若干早めて、声がする方へと足を急がせた。
「もうかれこれ三十分は待っていましたよ。到着の連絡はしたはずですよ」
「遅れた理由を明確に聞きたい」
「ごめんなのー。ついちょっとなのー」
続いてゆきが礼儀正しい口調とぶっきらぼうな口調から責められている声が聞こえてくる。レイは聞こえてくるべきはずの声が聞こえてこないことに若干の落胆を示す。しかしその表情を直ぐに切り替えようやく声の主を居並ぶ車の先に見つけことが出来た。
「お待たせしましたー」
「遅い!こっちはとっくに着替え終わって待ち続けていたんだぞ」
車の陰で怒り心頭で待っていたのは春美、そして葉流とエリであった。三人ともゲレンデを前にお預けを余儀なくされていたため、不満がオーラとなって現れている。そしてその不満の矛先を向けられているが三人の目の前で小さくなるじゅんとゆきであった。
「到着予定より一時間も早く着くなんて予想外だったからな。連絡を受けたときには丁度ゲレンデの頂上に向かうリフトの上だったから、これでも全員で直滑降で降りてきたんだ」
「それにしても予定よりも随分早かったですね。お陰で待たせちゃいました」
今日から合流予定だった春美たち三人の到着時間は予め聞いていた。しかしその到着時間が一時間も早くなり、もうすぐ到着すると連絡を受けた時は、レイたちはちょうど山頂のゲレンデに向かう途中のリフト上であった。到着時間に合わせてのんびりと滑り降りる予定だったレイたちは、慌てて山頂から待ち合わせ場所である駐車場まで一気に滑ってきたのだが、それでも連絡を受けてから三十分程度経過してしまっていたのだった。
「いきなりもう着くからと言われても、私たちも頑張って駆けつけたんだぞ」
「そうですよ。だからそろそろ二人を解放してあげてくれませんか?」
不満が収まらない春美にのんびりと答えるレイとしずく。その様子は別段焦ることもなく、のんびりとした雰囲気のままであった。柔らかな笑みを絶やさぬまま春美たちに懇願するが、それは思いのほかあっさりと受け入れられる。
「それもそうだな。じゅん、ゆき、もういいぞ」
「えっ?えっ?」
突然の解放に目を丸くするじゅんとゆき。直前まで怒り心頭であった春美や葉流、そして普段のやわらかな物腰からは想像もつかない程のむっとした雰囲気であったエリから突然刺々しい雰囲気が影を潜める。その様子についていけず思わずレイにすがるような視線を向けると。
「あなた達は春美さん達にからかわれたのよ。別に皆怒ってなんかいなかったのよ。ただ待たされた分、お返しをされたってところじゃない?」
「もっとも雪山を目の前にお預けを食らっていたんだ。その演技は真に迫っていたと思うがな」
「そうなの?」
レイとしずくの冷静な考察の当否を確認すべく遅れてきた同級生に視線を移すと、わざとらしく視線を外し隣にいた葉流と『さぁそろそろ準備しましょうか?』などと露骨に無視を決め込んでいる。
急いで駆けつけたじゅんたちは待ちぼうけを食らっていた三人の様子をじっくりと見る間もなかったのだが、遅れて駆けつけたレイとしずくにはどことなくニヤニヤしている春美たちの様子から、三人の意図を即座に察していた。その意図を察した上で、敢えてその意図に便乗し、待ちぼうけを食らわせた加害者を演じていたのだ。
「なんだー!春美ちゃんたちを怒らせちゃったかと思ってドキドキしちゃったよー!」
「ホントなのー。エリちゃんまで一緒になってからかうなんて思ってもみなかったのー」
「はは、悪い悪い。でも待たされたのは本当だからな。これくらいいいだろ?」
「私たちはじゅんたちよりも滑る日数が短いですからね。ちょっとの時間でも貴重なんですよ」
レイとしずくの卒業旅行は最初から来ていたじゅんやゆき以外にも等しく誘いの声が掛けられていた。卒業旅行と言う名目での旅行に同行するのは春美たちも流石に憚られたのであるが、それでもレイたちの意向を聞くとそれ以上断る理由もなかった。
しかし予定があり初日からはどうしても参加が出来ず、途中からならばと言うことで、ようやくこの日になって春美、葉流、エリの三人は遅ればせながら卒業旅行に合流することが出来たのである。
ようやく合流できたクラスメートの演技を賞賛するじゅんたちの横で、レイは春美たちと声を潜めてここにいるべき人物について確認を取り合う。
「ところで・・・、晴子さんは?」
「相変わらず。メールで詳細は逐一連絡はしているが返信はない」
葉流の返事にレイは落胆を隠せない。
「そっちにはどうだ?」
「いえ、何も・・・」
「そうか・・・」
「私の勘、当たらなかったですね」
今まで良い方向に当たり続けていた葉流の勘。それにあやかるように感じたレイの『もしかしたらこの場に晴子がいるのかも?』と言う希望を含めた勘は残念ながらその期待を裏切る形となっていた。
あれから連絡が取れずにいる晴子。本来の目的であるレイとしずくの卒業旅行と言う名目であれば晴子はあくまでもゲストであり、ここにおらずとも問題はないのであるが、もはやいるのが当たり前であり、スキーボードで繋がれた仲間たちが集まる中で晴子だけがいないのはとても不自然であると感じざるを得なかったのであった。
◇◆◇◆◇◆
春美たちが合流すると卒業旅行の一行は合計七人の大所帯となっていた。この人数は友人同士の集まりと考えても少なくない集団であり、その全員がスキーボードを履いているとなると、それは人数とはまた違う意味で目立っていた。
彼女たちの滑りの嗜好はフリーラン滑走やグラウンドトリック、パークスタイルなどそれぞれに異なる。しかし嗜好の外の滑りをしないかと言うと、そう言うわけではない。派手なパフォーマンスを披露できるパークはもちろんのことであるが、広い緩斜面でのグラウンドトリックや急斜面でのスピードを出したダウンヒル。更にはゲレンデに許可された森の中を滑るサイドカントリー。林間コースでじゃれあいながらの滑走など、ゲレンデのありとあらゆるところを思い思いに満喫していた。
この集団そのあらゆる場所のどこにおいても少なからず周囲の視線を浴びていた。それはゲレンデではマイノリティとも言えるスキーボードの集団であると言うだけではない。もちろんそれも要因の一つではあるが、何より、何をしていても楽しそうなのである。
実際に楽しんで滑っているのではあるが、周囲から見てそのように見える理由の一つにはスキーボードならではの距離感があげられるかもしれない。
通常のスキーやスノーボードであれば少なくとも身長程度の板長があり、その範囲内では相手を巻き込んでしまう恐れがあるのであまり接近することが出来ない。厳密にはそんなことはないのであるが、滑走感を楽しむスキーや大きなアクションで魅せるスノーボードでは他者と近接して滑走するという概念そのものがほとんどないのである。
しかしスキーボードはその板の短さ故、やろうと思えば手を繋げる距離まで接近しながらグラウンドトリックやパークスタイル、フリー滑走などを行うことが可能である。
板の短さが仲間との距離感の短さ
これは誰が言った言葉であろうか。しかしこの言葉を体現するかのように、時には実際に手を繋いで滑ったり、時には仲間に連なって滑ったりしていたのであるから、そのような滑りを見たことがない第三者から見れば注目されるのは必然であった。
◇◆◇◆◇◆
春美たちと合流した後、文字通り食事も忘れて滑り続けていた一行であったが、葉流の『アイスが食べたい』と言う突然の一言で急に空腹感を思い出す。気付けば時間は昼食よりもおやつの時間が近いくらいになっていた。
思い出すと途端に空腹感に全身を支配されてしまうのはもはや条件反射とも言えるべき人間の本能。『お腹空いたー!ご飯ー!』と叫ぶじゅんを余所に、今から昼食を取ると夕飯に差し支えるとしずくが進言にする。それに不満を漏らすじゅんを尻目になるほどと納得する一行はやや重めのおやつを取りに行くと言うことで叫ぶ少女を黙らせると、レストハウスの一角を陣取り思い思いのおやつを堪能していた。
「それにしても今日は色んなところを滑りましたね」
「そうだな、いつもだとパークばかりだけども、やっぱり皆でワイワイと色々なところを滑るのは楽しいな」
「じゅんはどこが一番楽しかったですか?」
「ふぇっ!?」
エリと春美が大き目のホットケーキをシェアしている横で、怒涛の勢いで三本目の団子に口の中に収めていたじゅんは急に話を向けられ、すっとんきょうな声を出していた。
「ほら、じゅん。このお茶飲んで。全くいくらお腹空いているからって一気に食べすぎなのよ」
「ほぐっ!・・・んっ!ぷはー!だってさ、去年おねーちゃんが食べていたこのお団子、結局私は食べなかったからさ。せっかくだから味わいたくって」
「だからってそんなに一気に詰め込まなくてもいいでしょうに」
「夜ご飯までこのお団子だけで耐えなくちゃいけないんだから足りないくらいだよ。ちょっと追加でアイス買ってくるね。ゆき、行こっ!」
「え、ちょ、ちょっと待ってなのー」
「いいからいいから。ここのアイスは牛乳味が美味しいんだから!」
空腹に任せた勢いで買ってきた団子を全て平らげると、のんびりとジュースを飲んでいたゆきを引きずり軽食コーナーへと消えていった。
「私の質問がスルーされてしまいました・・・」
「今のじゅんでは仕方ない」
「そのようだな、諦めろ」
目の前で突然嵐のような喧騒を起こした空腹少女は哀れな小動物を連れて一気に去っていき、残された一行の下には台風一過のような落ち着いた雰囲気が訪れていた。ただ質問をしたはずなのにそれに触れられることもなかった少女が若干意気消沈していたのだが、それもこの落ち着いた雰囲気の代償と思えば仕方がないことであると言えよう。
「全くアイツは休憩の時くらい静かに出来ないものかな。バイトの時と全く変わらないぞ」
「まぁじゅんだからね。仕方ないわよ」
「そうですよ、じゅんですから」
「そう、じゅんがじゅんである以上諦めるしかない」
「・・・お前ら、酷い言い草だな。まぁ確かにその通りだけども」
しずくの言葉にそこにいる全員が『じゅんだから仕方ない』の一言で納得してしまう辺り、良くも悪くもじゅんはじゅんなのである。
「それにしても皆さん、それぞれ得意な滑りがあって凄いですよね。じゅんはパークがメインですが、最近はグラトリも練習してどんどん色んなトリックを覚えていっているし、ダウンヒルや不整地などの滑走系ではゆきにはとても適いません」
「確かにあいつらはそれぞれ得意分野を伸ばしているって感じだな」
「それにしずくさんはパークはもちろん、ダウンヒルのスピードは凄かったですし、葉流さんの不整地やサイドカントリーは普通に滑っているのと変わらないくらい気持ち良さそうに滑っていました」
「何言ってんだ。そう言うエリだってジブでの安定はなかなかのものだぞ。もっと練習すればジブに関してはこの中で一番になれるんじゃないか?」
「レイもグラトリが凄く上手くなった。それにキッカーでの春美とのトレインは見た目にも鮮やか」
「私なんか春美さんに比べればまだまだですよ」
「いやいやそんなことないぞ。それにレイとじゅん、息が合った姉妹のシンクロは見ていて凄く楽しそうだ」
「楽しそうと言えば何と言っても・・・」
それぞれの滑りについて思い思いの感想を述べている中で、レイはここにいない仲間の名前を口に出しそうになり、それに気付いて開きかけた口を閉ざす。
「一番楽しそうに滑るのは晴子。晴子はいつでも何をしても楽しそうだった」
「そうだな。全く晴子はどこでどうしているのやら」
気まずい雰囲気が漂いそうになる中で、おどけた様にして葉流と春美が敢えて彼女の名前を口にする。その口調で多少なりとも場が沈むのを押さえはしたが、何となく漂う空気が先ほどまでの談笑ムードを水を差す。
「ん?どーしたの?何の話?」
そこにアイスを食べながら空腹少女が戻ってきた。後ろに続く小動物もお勧めと言われた牛乳アイスを片手に持ち、評判どおりの味にご満悦の様子である。その二人が改めて話の輪に加わろうと話の流れを尋ねるのだが、気まずい雰囲気の中で僅かに訪れた沈黙した空気の中において、誰もが口を開きにくそうにしていた。
その様子にどうやらあまり愉快な話ではなさそうだと何となく察したじゅんは答えを待たずに先ほどまで座っていた席に戻ろうとしたところで、しずくがこの空気を入れ替えるように、じゅんの問いに答えを出す。
「晴子さんの話だ。どうしているのかなと言っていたところだ」
「しずく・・・」
「いいじゃないか。ここで敢えて名前を挙げないほうが本人に対して失礼だと思うぞ」
「まぁしずくの言うとおりだな。晴子はこんな空気を望むようなヤツじゃないからな」
重い空気の中で敢えてその原因となる名前を挙げたしずくをすぐさま嗜めようとするレイであったが、しずく自身の反論とそれに同調する春美の言葉に、確かにそうだなと思い返す。そんな雰囲気を察してかどうか、じゅんは『そっか』と殊更何でもないよう答えて先ほどまで座っていた席に座る。
「晴子ちゃん、何で来ないんだろうねー。このままスキボ、辞めちゃうのかなぁ」
「流石にそれはない・・・、と思うわよ」
じゅんの何気ない一言にすぐさま否定の言葉を口にするレイであったが、それを最後まで言い切る前に先日の晴子の様子を思い出し、否定の言葉にやんわりとした推測の言葉を添える。
「まぁ心配するな。晴子がスキボを辞めるわけない。それは断言できるぞ」
「そう。晴子は色々考えすぎているだけ。或いはそこら辺からこちらの様子を伺っている可能性も否定できない」
葉流の言葉に思わず一斉に振り返る一堂。しかし当然ながらそこに望む人の姿はない。
「そんなに都合よくはいかないですよね」
「でもちょっと心配なの」
「心配は心配だけどさぁ、でもそれ以上に晴子ちゃんと一緒に滑りたかったなぁって思うんだよね」
「そうね。晴子さん、どうしてるのかしら」
再びその場に重い空気が立ちこめる。レイの言葉を最後に何となく口を開くのが憚れる雰囲気が漂う。しかしそれをして、敢えてしずくは再び口を開く。
「私は晴子さんが羨ましいと思うぞ」
「・・・どうしたの、突然」
「この場にいなくても当たり前のように名前が出る存在。それは皆の中でかけがえのない仲間だって言う証拠でもあるってことだ。そんな風に思われているのを羨ましいと思うのは当然だろ」
しずくの言葉はその場にいる者をハッとさせるには充分であった。そこに居て当たり前である存在。居ないのが不思議だと思わせる空気。その場に居なくても当たり前のように存在感を感じさせる。それはしずくの言うとおり例えこの場に居なくても晴子が間違いなく皆の仲間であることを示していた。
「そっかぁ・・・。そうだね、私も晴子ちゃんが羨ましいよ。私も晴子ちゃんみたいにそこに居なくても名前が挙がるようになりたいよ」
「じゅんは心配しなくても大丈夫ですよ」
「うん、そうなの。じゅんちゃんはもう立派にそうなってるのー」
「二人の言うとおりだな。むしろその存在を忘れるほうが難しいぞ」
「同意する」
「ってことだ。良かったな、じゅん」
「え?え?なんなの、みんなして」
晴子みたいになりたいと願う少女の憧れは既に達成されているとその場の全員から肯定される。じゅんの一言で一気に塗り替えられたその場の空気。これこそがじゅんの魅力であると彼女を幼い頃から見ているレイは思う。
この魅力に晴子は羨望を送り、また嫉妬した。しかしその少女自身が憧れているのは他の誰でもない、晴子なのであった。結局晴子の悩みとは何なんだろう?そんなことが頭を掠めるのだが、そんな想いを直ぐに頭の片隅に追いやり柔らかな空気を取り戻していたこの場に次の行動を促す。
「さて、そろそろ行きましょ?まだまだ時間はありますよ」
◇◆◇◆◇◆
休憩後、そのまま夕飯までたっぷりとゲレンデを滑りつくした一行は、夕飯後もナイター滑走を堪能した。この中で唯一ゲレンデ歴が浅いじゅんはナイター滑走が初めてであったため、日中とは異なる薄暗いナイターゲレンデと言う異空間の中でいつもの五割増のはしゃぎっぷりで周りを苦笑させていた。
ゲレンデの周囲に生えている木々には闇の帳が落ち、それをやや黄色がかったナイター照明が幻想的に照らす。いつもと同じゲレンデであるはずなのに、ただそれだけで日常とは隔絶された特別な空間を作り上げる。それが夜間と言う寒さと相俟って、更に心地の良い空気を作り上げていた。
ナイター滑走であっても日中と変わらずグラウンドトリックをしたりパークで遊んだりするスキーボーダーたち。ところどころ薄暗いゲレンデの中にあってもスキーボードの独特の動きは周囲の目を惹きつけるには充分である。
ナイター滑走を楽しむコアなウインタースポーツ愛好者だからこそ分かるその不思議な動きは、一人よりも二人、二人よりも三人、三人よりも大勢で、と言った数での圧倒力もあり、総勢七名のスキーボーダーが滑るたびに周囲から『次は何をやるんだろう?』と言う期待の視線を集めていた。
翌日以降もゲレンデの至る所で行う独特の滑りはどこに行っても注目の的であった。しかし当の本人たちは周りから集まる視線を気にも留めず、転んでもその顔から笑顔が消えることがない程、楽しい時間を過ごしていた。
そして春美たちが合流して二日が経過、レイとしずくの卒業旅行は最終日を迎えていた。
◇◆◇◆◇◆
「さて、それじゃ皆。準備はいいか?」
春美は目の前に広がるゲレンデの様子を確認しながら自身の左右に広がる仲間たちに声を掛ける。
ここは鹿島岳ゲレンデの山頂部にあたる場所。この日のように晴れ渡った日に見る山頂部からの風景は絶品であり、この景色を堪能するために山頂部まで上ってくるスキーヤー或いはスノーボーダーは少なくない。
しかし繰り返すがここはゲレンデ山頂部。ここから滑り降りるコースは鹿島岳ゲレンデにおいてもっとも勾配がきつく、また敢えて整地を行わない不整地コースであるためところどころに滑走により出来た大小のコブが滑走してくる者たちを手厚く歓迎しようと待ち構えている。もちろん言うまでもなく上級に分類されている難関コースである。
もちろん全ての者がこう言った難関コースを滑れるわけもなく、そのような人たちのためにコース幅こそ狭いものの、勾配が緩やかな迂回コースが用意されている。このような迂回コースは雪がない時期は一般の道路やハイキングコースであることが多く、山頂とは違う意味で景色が良かったり、自然の中を散策するような気分を味わうことが出来るので、初心者でも楽しく滑走することが出来る。
滑りに覚えがある者は喜び勇んで難関コースに挑み、そうでないものは迂回コースへと流れていく。本来はそのような住み分けが出来ているはずなのであるが、たまに滑りに自信がある人に半ば強引に難関コースへ連れて行かれる哀れな初中級者もいたりするのだが、それもある意味ゲレンデにおける風物詩と言うものである。
春美たちが立っているのはこの難関コースの入口。春美たち一行はここからゲレンデ上で滑走している人が少なくなるタイミングを見計らっている。きょろきょろと様子を伺いつつ仲間たちへ声を掛けると、自身の右から返答の声が聞こえてくる。
「問題ない」
「大丈夫ですよ」
「いつでもいいぞ」
葉流からはいつもと同じように抑揚のない淡々とした返事が、レイからは丁寧ながらもこれから行われることに対する意気込みを感じさせる返事が、しずくからはレイよりも更に挑戦的な雰囲気を隠さない返事が聞こえる。
「そっちはどうだ?」
右に控える仲間たちに頷きを返すと視線を顔ごと左にやり、再度尋ねる。
「ちょっと緊張しますが大丈夫です」
「私もオッケー!今度こそゆきに負けないんだから!」
「じゅんちゃーん、そんなに気張らないでほしいのー」
今から行うことに対する緊張感に恐々とした様子で答えるのがエリ。その様子とは正反対に先日の雪辱を晴らそうと意気込んでいるのがじゅん。そしてそんなじゅんの勢いに飲まれそうなのがゆきである。
「ルールをもう一度再確認するぞ。今から行うのはダウンヒルレース、所謂チャイニーズダウンヒルと言うやつだ。しずくとゆきは知っているんだったっけか?」
「ああ、よく親父とやってたな」
「ウチもなのー」
「それでもレイたちは知らないから説明するぞ。チャイニーズダウンヒルってのは、簡単に言うと誰が一番早くゴールまで滑り降りれるかって言う競争だ。そこに至るまでのコースの選択は自由。つまりこのコースを滑ろうが、向こうの迂回コースを滑ろうが構わないってことだ。ここまではいいな?」
「うん、大丈夫!」
単純明快な解説にじゅんが元気良く答える。その他のみんなも同じように頷く。
「ちゃんとしたレースであれば専用のコースなどを設けて行ったりもするらしいけども、まぁこれは遊びだ。そんなことまでは出来るわけがない。だから途中には一般の人もたくさん滑っているからくれぐれもスピードを出し過ぎたり接触事故とかには気をつけろよ。自分自身が怪我するのは自業自得だけども、相手に怪我なんかさせたらせっかくの楽しい遊びが台無しだからな」
ややきつめの口調で注意を促すと各自は神妙な面持ちで肯定を表す。
「ゲレンデでの接触事故はストックの先端や板のエッジとかで大怪我をする可能性があるからな。私も親父からきつく言われていたものだ」
「そうなのー。私もお父さんによく言われたのー」
「それに周りだけじゃなく自分自身にも注意が必要だ。ゆき、分かるか?」
「はいなの。結構なスピードを出すから万が一転倒したときには変に手をつかないことなの。転んだときに手をつくと捻って手首や腕、肩を痛めたりするかもしれないから危ないの」
「そう。それと転倒時と言えば板にも注意が必要だ」
「その通り。スキボの短さだから板が変に引っかかって足を捻ったりすることはないと思うが、それでもゆき以外はみんな非解放だからな。くれぐれも気をつけてくれ」
春美と経験者であるしずく、ゆきが会話の中で注意点を挙げていく。話の内容は全て合点がいくものであり、確かに気をつけねばと気を引き締める一方で、未経験者組は繰り返される注意喚起にやや閉口していた。それでも重要なことであることは理解しているので真剣に聞いているのだが、直ぐにでも滑りに行きたいじゅんは繰り返される忠告に、先ほどまでの勢いがなりを潜めやや疲れた表情を見せる。
「いくら注意が必要って言っても、そんなにあれこれ言ってたら楽しめるものも楽しめないわよ」
そんな中で誰かから発せられこの言葉は今のじゅんの想いを代弁する声であった。正しくその通りだとじゅんはその言葉に便乗する。
「そーだよ。気をつけなくちゃ行けないのは分かったけども、そう何度も繰り返されると疲れちゃうよ。ねぇ?」
と、今の言葉の主に同意を示そうとする。しかし未経験組のエリもレイも言葉の発し方を忘れてしまったかのように呆けていた。葉流ですらいつもの無表情を歪め何か見たこともないものを見つけたような表情でじゅんのことを見つめていた。
「えっ?何?私なにか変なこと言っちゃった?」
自身の発した言葉に対する三人の異様な反応にじゅんは動揺し、救いを求めるように経験者組の三人を見るのだが、こちらも同じような表情で穴が開くほどじゅんを見つめ続けていた。
いよいよ違和感を感じたじゅんは、ふと決定的な違和感に気付く。
「ん?それじゃさっきのって誰が言った言葉なの?」
「私よ」
じゅんの問い掛けの答えは予想もしない方向から帰ってきた。じゅんはその答えが発せられた自分の真後ろを振り返る。するとそこには・・・。
「晴子ちゃん!!」
「遅くなったわね」
それはここにいるべきはずであったのにいなかった欠くことが仲間、晴子であった。
待ち合わせに遅れたかのような自然な登場はいかにも晴子らしいが、じゅんを除く六人は突然の晴子の登場に驚くあまり声を出せずにいた。ここまで驚かれるとは想像していなかった晴子はどうしたものかと苦笑するが、じゅんだけは晴子の登場に喜び言葉を続ける。
「本当だよ、待ってたんだよ!」
じゅんの態度は構ってくれない親に向かって駄々をこねるそれと良く似ていた。それは通常であればいるべきはずなのにいなかったことに対する不満。やっと来てくれたことへの喜び。そんなものが入り混じる子供の態度そのものであった。
「ふふ、ちょっと遅くなったわね。ごめんね」
「ちょっとじゃないですよ。何やってたんですか?」
じゅんに続いて我を取り戻したのはレイである。レイは一歩前に出ると晴子の前に立ち、不貞腐れたように口を尖らす。
「貴方たちにお説教されたことでちょっと思うところがあってね。実家に帰ってたのよ。で、昨日まで実家にいてそこから真っ直ぐここまで来たのよ。流石に疲れたわ」
「実家って・・・、それじゃあ・・・」
「まぁ父とはそれなりに話をしてきたわよ」
大遅刻をして登場した晴子を困らせてやろうとわざと不貞腐れた態度をとろうとしたレイであったが、晴子の話を聞くとそんな悪戯心などすっかり忘れていた。そしてそれはじゅんも同様であった。
「それじゃ仲直りしてきたの!?」
「仲直りなんて大それたもんじゃないわよ。そもそも今回の件と同じ、私が一人で思い悩んでいただけだったんだから」
「どういうことだ?」
レイとじゅんが目まぐるしく態度を変える中でようやく現状を把握した残りの一行。春美は晴子の言葉の意味を問い掛ける
「言葉通りよ。父は私にスキーを楽しんで欲しかった、それだけよ。ただその楽しむと言う方向性に互いに齟齬があったってだけ。全く今思えば似た者親子だわ。我ながら嫌になっちゃう」
「原因は会話不足?」
「ま、そういうことよ」
葉流の端的な質問に苦笑しながら答える晴子の顔に先日のような影が差したような表情はなかった。むしろこの状態を受け入れ、それを楽しんでいるような雰囲気すら漂わせていた。
「でもね。父との不和も結果的には必要だったの思うの」
「それは何故でしょうか?」
「そうなの。喧嘩した方が良かったなんて不思議なの」
「それはね・・・」
晴子は言葉を溜めて、ここにいる仲間の顔をぐるりと見つめる。そしてどこか満足したように頷くといつもの悪戯っぽい笑顔ではない、晴子にしては珍しい満面の笑顔でこう答えた。
「スキーボードと出会えたからよ」
その言葉に思わず笑顔の花が咲くスキーボードの仲間たち。互いが隣にいる仲間と顔を合わせ、何となく肩を叩き合い、ようやく全員揃ったことを喜び合っていた。
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遅れてきた晴子に積もる話があると言わんばかりに詰め寄る一行。ついさっきまで行おうとしていたダウンヒルレースはこの際お預けになってしまっていた。しかしそれを不満に思う者はこの場にはいない。それ以上に楽しく喜ばしいことがあったからだ。
積もる話を質問と報告に換え、雑談を続ける一行を尻目にアイコンタクトを交わす二人の少女。二人の絆はここにいる誰よりも深い。それ故、互いが考えていることは声に出さずとも僅かな目の動きで理解し合える。
「何だかレースどころじゃなくなっちゃったね」
「でもせっかく晴子さんが来てくれたんだから、ねっ」
例え仲間同士であっても親友同士であってもこれに勝る絆はない。姉妹と言う絆で結ばれたレイとじゅんは晴子を中心とした輪からゆっくりと外れ、ゲレンデの前に立つ。そこで改めて頷きあうといまだに談笑を続ける一行にとびきり大きな声で呼びかけた。
「みんなー!滑らないんだったら私たちが先に行っちゃうよー!」
「晴子さん!私たちの滑り、見ていてくださいね!」
「「それじゃ行きまーす!!」」
そう一方的に宣言すると、呆気にとられる一行を残し姉妹は勢い良く滑り出していく。何事かとその動きに注目していると、二人は滑りながら手を繋ぎ、そのままグラウンドトリックの中でも難易度が高いクロスステップを手を繋いだまま行いだした。
手を繋いだまま一歩、二歩、三歩と安定したステップを続ける姿に一行は驚きを隠せない。
このトリックはただでさえ難易度が高いうえに、手を繋いだ双方のタイミングを全く同じにあわせなくては転倒は免れない。それを優雅に、かつ二人で同時に行う奇妙な動きは、その難易度が分からなくても嫌でも視線を集める。
二人同時に大きく足を振り上げ、危うげなくトリックを続ける二人の動きは、まるでラインダンスを見ているようで、日頃からスキーボードのトリックを見慣れている晴子たちであっても視線を外すことは出来なかった。
やがて手を離すと、二人は思い思いのグラウンドトリックを行いながら滑走を続ける。ある程度滑り終わったところで立ち止まると、今も二人を見守る一行に大きく手を振ってきた。
レイたちに手を振り替えしながら晴子は宣言する。
「そうね。私たちは滑りに来たんだもん。ここで雑談なんかしていたら勿体無いわね!」
晴子の言葉に残された全員が頷く。既に滑り終えた仲間から視線を外して滑走に備えていると、ゲレンデから優しく風が吹き上げ、一行を優しく撫でていく。その程よい冷気を心地よく感じているとしずくが一歩前に出て不敵に笑う。
「私の親友と同僚はなかなか味な真似をしてくれる。確かに私たちは滑りに来たんだったな。お陰で気合が入ってきた。さて、誰が我が親友にスキーを教えたのか、改めてじっくりと見せ付けてやるとしよう」
そう言い残すとしずくは斜面を二、三度蹴り、クラウチングの姿勢で勢い良く滑り出して行った。しかし元々それが狙いであったのか、途中からクラウチングの姿勢をやめると、斜面にところどころ出来たコブをキッカーに見立てて跳んだり、壁面を利用した地形遊びをしたりと、その動きは正に元々しずくが行っていたフリースタイルスキー。そんなところでこんなことが出来るのかと言う意外性を持った滑りはゲレンデを自由に遊びつくすと言うフリースタイルスキーの姿勢を顕著に表していた。時に飛んだり、時に回ったりと自由な動きを繰り返しながら、しずくはその姿を小さくしていった。
「それじゃ私たちも行きましょうか」
「うん、じゅんちゃんたちばかりに楽しい思いはさせないの!」
しずくが滑り出した後にスタートしたのはエリとゆきである。二人は自分たちにスキーボードの魅力を伝えてくれた親友の背中に追いつくべく滑り出した。
ゆきは元々の基礎系の滑りを生かした全身を使ったコブさばきとスキーボードの短さを利用した細かいターンを繰り返す。ただでさえ滑りにくい不整地を軽く扱いやすいがその短さ故に雪面に足を取られやすいスキーボードで軽がる滑り抜けて行けるのは、ゆきが父親から言われていたと言う基本をしっかりと守り続けているからであろう。まるでモーグル選手のように不整地であるこのコースを物ともせず速度を落とさず滑り抜けていった。
エリはスノーボードで培った強靭な膝と腰でしっかりと重心を取り体幹を安定させ、この荒れた不整地ゲレンデを力技で滑っていく。ところどころに溜まる雪溜まりをものともせずに大きな雪飛沫を上げながらターンを繰り返す様子は、大自然を滑るスノーボードのプロモーション映像のようであり、それを楽しそうに行うエリのスタイルが元来はこの滑りであることを伺わせる。雪飛沫を派手に舞い上げていたお陰でゆきに僅かに遅れはするものの、ゆきと同様、あっという間にこの不整地エリアを滑り抜けていた。
「皆、凄いな」
「そうね」
「これも絆」
残された晴子、春美、葉流の三人は目の前に繰り広げられた光景をどこか暖かい視線で見つめていた。
「スキボのグラトリにフリースタイル、基礎滑走、スノーボード。皆の得意分野が出てて面白いな」
「極論的には全てゲレンデを楽しむもの。使用する道具、滑り方、楽しみ方が異なるだけ。突き詰めていけば辿り着くところは同じ」
「それなら何もスキボじゃなくてもいいんじゃないかしら?」
葉流の呟きに晴子が放つ疑問は、スキーボードに拘る晴子にとっては重大な問題であった。しかしそれだけ重大な問題であっても、晴子の顔に憂いはなかった。
「しかし私たちはスキボに出会ってしまった。その魅力を知ってしまった」
「そういうこと。スキボを選んだ理由なんかは今更関係なし。ただ今はスキボが好き、それでいいじゃんか」
「そう言うことね」
晴子は既に答えを見つけていた。その答えはレイとじゅんがもたらしたもの。自分たちから始まったスキーボードの輪が今しがた滑り抜けていった仲間たちによって確実に広がっていくのを感じていた。どんどん小さくなっていく仲間たちの背中を見つめながら晴子は独り言のように呟く。
「でも、これからスキボってどうなるんだろう?この間の大会みたいにあまり認知されないまま続いて、やがては廃れていっちゃうのかな・・・?そんなのは・・・、嫌だな・・・」
答えを見つけた晴子であってもスキーボードの全体的な衰退ばかりは個人の力ではどうしようもなく、それに対しては不安を拭いきれないでいた。しかしそんな不安ですらも軽い言葉で払拭される。
「そんな心配する必要はないと思うぞ。あれだけ楽しそうな滑りを見てれば、その魅力に気付く人は絶対にいると思うぞ。現に私たちはそうやって繋がってきたんだからな」
「スキボはこれからも爆発的に広がることはない。それがマイノリティたるスキボの宿命。しかし私たちの辿ってきた軌跡は決して無駄ではない。一部の人の記憶にしか残らなくても、少しずつゆっくりと確実に浸透していき、その存在を確実に世に残していく」
それは晴子の独り言と同じように呟くような答えだった。決して答えを求めたわけではない晴子の呟きは、さまざまな悩みを吹っ切ったはずであった自身の心の片隅に残った僅かな不安の残滓なのかもしれない。だからこそ春美たちの言葉は今まで以上に素直に晴子の中に響いていた。
「いずれにしてもそれは晴子の気にすることじゃない。私たちは出来ることはただスキボ楽しむことだけだ」
「それが軌跡となり、その軌跡が繋がりまた新しい輪が出来る。そしてそれはこの先も少しずつであっても確実紡がれていく」
「二人とも・・・」
晴子の不安と吐露した言葉に春美たちは確信に満ちた言葉を返す。ゲレンデに向けていた視線をゆっくりと起こし二人の顔を見ると、スキーボードの未来は自身が発した言葉通りになるのが当然だと言う、気負わず自然体の笑顔を見せていた。
「やっぱりそうだよ!あのショートスキーの人たちだよ」
背後から突然聞こえてきた興奮気味の声が言葉にした『ショートスキー』と言う単語に思わず聞き耳を立てる。声の主は今しがた滑り降りていったじゅんたちを始めとする自分たちスキーボーダーのことを指し、一緒にいるであろう仲間たちに興奮気味に語りかけていた。
「さっきからグラトリしたりパークに入ったりしているショートスキーの集団がいるなって思ってたんだけどさ。あの動き、あの滑り。間違いなくそうだよ!」
「この前出たキッカーの大会で変わったショートスキーの集団がいたって話?」
「そうそう。キッカーのエントリーにグラトリしながら突っ込んでいった人たち」
その言葉に思わず晴子が振り返る。そこには四、五人程度のスノーボーダーの集団がじゅんたちの滑った後を眺めながら、思い思いの感想を述べ合っているところであった。
「最初は普通よりも短いスキーなんて子供用かよ!って思ってたけども、あの滑りを実際に見たら馬鹿に出来なくなっちゃったよ」
「確かにさっきの人の滑りは凄かったな」
「手を繋いでグラトリとか見たことねーよ」
「それにショートスキーなのに地形であれだけ飛べるとか、ありえねーよ」
「後から滑ってたのも、短いスキーなのに普通のスキーみたいにガツガツ滑れてたよな」
「俺・・・、ちょっとカッコいいって思っちゃったよ」
「んじゃやってみたら?」
「周りは皆スノボだろ?俺だけスキーとかヤダよ」
「でも、俺はちょっと考えちゃうな」
「確かにあんなグラトリとか出来るんだったら、たまにはスノボ以外もやってみてもいいかもな」
話しながら滑りだして言ったスノーボーダーたちを言葉もなく見送る。彼らは先ほどのじゅんたち同様、グラトリをしたり、地形で飛んだり、或いは激しく雪飛沫を舞い上げながら、やがてその姿を小さくしていった。
何とはなしに言葉もなくその滑りを見つめていた晴子であったが、肩にぽんと手を置かれて我に返る。振り向くと春美が、そして葉流が満面の笑みで笑いかけていた。
「・・・なっ?」
「そういうこと」
先ほどまでの見知らぬスノーボーダーが語っていたのは明らかに自分たちのこと、晴子自身が大きな無力感を感じることとなった大会での出来事のことであった。
晴子はあの時のじゅんの行動力に賞賛を示し、その行動派あの場において場の雰囲気を大きく変えるに至り、その行動は大いに評価された。しかしその一方でスキーボードの置かれている世間的認知度の低さを改めて再認識させられ、排斥とも呼べる他ギヤのスキーボードに対する扱いに絶望すら覚えた。
しかしそれは間違いであった。
確かに百パーセント受け入れらているとは決して言えない。恐らく未だに嫌悪感や排斥感を感じている人も多くいると思われる。しかしながらその中にも先ほどのスノーボーダーのように他ギヤを嗜好する人々にもスキーボードの魅力を理解し、尊敬の念を感じてくれる人もいる。
それを成したのはスキーボードの魅力を感じてもらえたから。スキーボードがマイノリティギヤであるが故、その魅力を広く伝えることが出来ずにいるが、同じように魅力に共感してくれる人はまだいてくれるはず。そのためには自分たちがスキーボードを楽しみ、スキーボードの魅力を滑りを通じて伝えていく。それこそが当初晴子が思い描いていたスキーボードの団体の行動指針に他ならないものであった。
「そっか。私、考えすぎてたんだね」
「何だ、突然。今更気付いたのか?」
「スキーボードの魅力はスキーボードの魅力に触れた人にしか分からない」
どこか陰のあった晴子の笑顔は、ようやく憑き物が払われたかのように吹っ切れた抜けるような表情へと変わっていた。その晴子の顔を見て、春美たちはようやく晴子の心に残っていたしこりが全て瓦解したことを悟る。
「前言撤回ね。スキボはこれからも残り続けるわ」
「一応聞くけど・・・、なんでそう思う?」
「勘?」
「その通りよ」
予想していた答えにこれからのことを確信した晴子に憂いの影はもうなかった。言葉もなく三者三様の笑顔を浮かべながら今までの、そしてこれからのことに想いを馳せていると、遠くから三人を呼ぶ声が聞こえてくる。
「・・・おーい!晴子ちゃーん、春美ちゃーん、葉流ちゃーん!!」
「早くしないと行っちゃいますよー!!」
ゲレンデを見やると、既に滑って行ってしまったと思われた仲間たちがゲレンデの下のほうで大きく手を振って三人を急かしていた。遠目でも分かるほどに笑顔を零したその様子はいかにも楽しそうで、冬と言う季節を、ゲレンデと言う場所を、仲間たちといることを、そして何よりスキーボードで滑ることを心の底から楽しんでいた。
「待ってなさいよー!私たちの本気を見せてあげるからねー!」
晴子は呼びかけに大きな声で答えると、二人に目配せをして頷きあう。
「それじゃ行きますか」
「・・・ん」
「そうだな」
春美は二人の目の前に立つとおもむろに拳を突き出した。一瞬その意図を計りかねた晴子であったが、葉流が同じように自分の拳を突き出すと直ぐにその意図に気付く。春美の憎らしい演出に微笑みながら晴子も自身の拳を近づけ、互いの拳が密着しあった状態になると、『よしっ!』と言う春美の掛け声と共に中心で拳同士を軽くぶつけあう。
それがスタートの合図であったかのように、三人はその場から散開し一斉に滑り出した。
雪の上に花びらが舞う様やさしく優雅に舞い滑り、肉食獣が駆けるような雄々しくも美しく滑り、遠い海外の見たこともない舞踊のような滑りがゲレンデを支配する。その三人のスキーボーダーは先で待つ五人のスキーボーダーと合流し、その一団は更にゲレンデを魅了する滑りを解き放っていくのであった。
◇◆◇◆◇◆
それから数年後・・・。
スキーボードはその魅力に魅入られた人たちによって、決して多くはないが確実に全国各地にその仲間を増やしていく。その仲間たちはそれぞれにスキーボードの楽しみ方を模索していた。
ある者はグラウンドトリックを昇華させ、新しいトリックや集団で行うトリックを見出す。
ある者はパークの中でもジブに特化していき、スキーボードのならではの動きで周囲を魅了する。
ある者はスキーボードと言うマイノリティ性を逆手に取った団結力で周囲との結束をより高めていく。
ある者は自ら会社を立ち上げ、スキーボードの製造販売を通じてスキーボードに新たな息吹を吹き込んでいく。
その全ての発端は一人の少女が提唱、実行したとあるイベントである。そこに参加した人たちがスキーボードの魅力に触れ、その虜となり、今度は自らが発信者としてスキーボードの魅力を世に広め続けていく。
全ての始まりはスキーボードの滑りに魅了された少女たちの想いであり、これはそんな彼女たちが作り上げていった物語である。その彼女たちがこの後、さまざまな物語を作り上げていくのであるが、それはまた別の話である。
お読み頂きましてありがとうございました。
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