第二十三話 マイノリティギヤ前編
大会の会場となるキッカーの横はゲレンデ中腹であるにも関わらずこの大会のために平らに整地されていた。そこに大きなテントが立てられており、テントには会議室で見るようなテーブルやイスが設置されている。中ではスタッフとおぼしき人たちがこの後に控える大会に使用する放送機材らしきものの最終チェックに追われているようで、忙しく動き回っている様子が見て取れる。
またテントの横では既に十数人の大会参加者と思われるスノーボーダーが思い思いに座り込んでおり、顔馴染みなのか、或いはこの場で知り合ったのか、和気藹々と談笑している姿も確認できた。
スタッフの動きが突然緩慢になると、テントの前に設置された大きなスピーカーから突如軽快な音楽が響き渡る。ようやく準備を終えて音楽を流せる段階まで落ち着いたようであった。
最初は突然の大音量に周囲を滑る人たちからもやや迷惑そうな視線が向けられていたが、何度かの音量調整を経てさほど周りには影響がない音量に落ち着いた。それでもテントの周りに集まる人たちにとっては身体に響く心地よい音量のようで、集まる人々の顔には今から開催される大会に期待が隠し切れない表情が溢れていた。
流れている曲はじゅんたちには耳馴染みがないものであった。それは程よく低音が効いた洋楽であり、それが流れる雰囲気はさしずめどこかのクラブにでもいるようであった。とは言え、じゅんやゆき、レイはクラブになどは行ったことがないので想像の範疇でしかないのであるが。
やがてスタッフの一人が参加者の前に進むと、音楽にあった軽快なトークで大会の趣旨を伝え、大会の開始を宣言した。
宣言と同時にじゅんたち以外の参加者は手を叩き、歓声を上げて盛り上がりを一層増長させていく。じゅんたちは一瞬その雰囲気に飲まれるものの、楽しそうな雰囲気を悟り、追従するように手を叩き歓声をあげる。
「ゆきー!何だか凄いねー!」
「ホントなのー!でもここにいるとお話しするのが大変なのー!」
「さあ、二人とも。今から三十分間は練習時間よ。スタートラインに移動するわよ!」
音楽の音量で会話に苦労している二人に晴子がスタートラインへの誘導を促す。ふと周りを見ると、ここに残っているのは観戦者のみのようであり、レイと春美はもちろん、他の参加者も一斉にスタートラインに向けて移動を開始していた。慌ててそれに習い、背中に軽快な音楽を受けながら移動を開始する。
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大会の進行は運営本部にいる進行係の合図によりスタート、キッカーに向けて滑走して行くと言う事になっている。最初は予選として一人につき二回飛び、審判による採点が高い上位八名が決勝へと勝ち上がる。決勝では飛べるのは一回のみ、ここでの採点で最終順位が決まる仕組みとなっている。
因みに採点の方法であるが、厳密な技術などが定義されている競技の場合は減点方式と呼ばれる方法が採用されることが多い。これはいかにミスをせずに一連の競技、或いは演目をやり遂げることが出来るかを判断されるもので、僅かなミスすら許されないことが多く、行った演目の完成度の高さが求められる。
一方、そのような技術が確立されていない分野などでは加点方式を採用することが多い。これは技術の難易度や完成度、さらにはインパクトなどをそれぞれの採点者がそれぞれの基準で数値化して行くと言うものである。
恐らくこの大会もその方式を採用しているのであろうが、何をすればより評価されるかと言うのは採点者の好みなどによるところが大きく、具体的な指標は特にない。それは裏を返すと技の完成度や難易度が低くてもインパクトがあればそれだけで大きな加点となる可能性があり、スキーボードでのエアトリックはその人口の少なさからインパクトとしてはそれだけで充分当てはまるはずのものである。
もっとも採点の内容は非公開であることが多い。中には獲得点数を公開して順位付けをする場合もあるが、そうである場合も採点基準が明確ではないので、決勝に進めた、或いは予選落ちした、などの結果でしか採点の内容を知ることが出来ない。それでも今回のように進行役がいて、トリックの解説をする者がいる場合には、その解説内容や話し方、興奮具合である程度知ることが出来るということもある。
つまり、どのように評価されるのかが全く分からない以上、乱暴な言い方をすれば、見ている人たちによりインパクトを与えたもの勝ち、と言うシンプルな思考で挑めば間違いないと言えなくもないのである。
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練習時間が終わり、いよいよ大会が始まるとなると、さすがに運営本部から流れる音楽は音量を細め、スタートラインで自分たちの順番を確認していたじゅんたちからは遠くから微かに聞こえてくる程度になっていた。既に大会は開始しており、最初のほうから順番に滑り出していたが、じゅんたちの順番は全体の後半の方なので大会の様子を見守りながら心地よい緊張感に身を委ねていた。
「順番は最初にゆき、次にレイ。それから晴子、春美。最後にじゅんだな」
「ゆきが一番最初なの!?緊張しちゃうの・・・」
「最初って言っても私たちの中で最初ってだけよ。全体の中では二十二、三番目。かなり後半の方なのよ」
飛び始めた人を盛り上げる進行役の解説や会場を煽る軽快なトークが聞こえてくる。進行役は一人飛ぶたびにそのトリックの内容や難易度を解説し盛り上げていく。春美以外はスノーボードのエアトリックがよく分からないので飛んだ人の凄さと言うのは解説役のテンションで判断するしかない。そんな状況であった。
トップバッターとなるゆきはそわそわと不安げな様子で明らかに緊張しているようであった。小さい身体を更に縮こませて緊張する様子は小柄なゆきをますます小動物のように見せる。こんな時でなければ微笑ましいのに、などと不謹慎なことを思いながら晴子はゆきの肩に手を置いて優しく語りかける。
「大丈夫よ、練習の時のゆきのセーフティグラブは綺麗に決まっていたわ。一番基本的なグラブを綺麗に決めるって言うのは簡単なようで実は意外と難しいんだから。身体の力を抜いてさっきと同じことをすればきっと大丈夫よ」
「そうなの?ゆき、頑張ってみるの・・・」
「そうだよ。それよりもキッカーの方を見てみな。スノーボードとは言えキッカーの基本は同じだからな。ゆき、覚えてるか?」
晴子の言葉に不安げに頷くゆきの緊張を紛らすように春美がキッカーの方に視線を促す。今飛んだスノーボーダーは空中で体勢を崩してバタバタとギャバっているようであった。
「うん。まずエントリーの姿勢をしっかりと意識するの。目線や上半身にも注意するようにするの」
「そうだな、後は?」
「後は腰と膝をしっかり落として飛び出すための溜めを作るの。キッカーから飛び時はしっかりと伸び上がって、頂点付近で足を上半身に引き付けるタックをするの」
「それだけか?」
「・・・後は着地なの。ランディングに軽く視線を向けて板を合わせていくの。着地の衝撃はしっかりと膝と腰で吸収するの」
「・・・よし。合格だ」
「へへー」
春美に褒められたことで緊張していたことがすっかり飛んでしまったゆきは照れ笑いを浮かべる。そんなゆきに対して再び視線をキッカーへ促す。
「そしたらそのことを踏まえて改めて他の人が飛ぶのを見てみな。向いている方向は縦と横の違いはあるけども、キッカーの基本はどちらも同じだからな」
「そうなの?」
じゅんが横から口を挟む。
「まぁ正確に言うとスノボの場合は板の反発を利用して飛ぶ場合もあるけども、飛び慣れている人ほど基本に忠実なもんだよ」
「板の反発?」
「ああ、オーリーって言うんだよ。スキボじゃ短か過ぎて出来ない技術だから説明は省くけどもな。ただスノボでもスキーでも飛び慣れていない人ほどキッカーの地形を利用せずに自分で飛ぼうとしちゃうんだよ。でもスノボの場合はこのオーリーが効くおかげでちゃんと飛ばなくても高く飛べちゃうんだよ」
「ちゃんと飛ばなくても高さが出るってどういうことなの?」
「うーん、説明するのが難しいなあ。まあキッカーの方を見ててみな。この大会はスピン禁止のストレートジャンプ限定。つまりあまり飛び慣れていない人たちばかりなはずだから多分そういう人がいるはずだよ」
春美が言うそばからキッカーでは春美の言う不自然な飛び出し方をしたスノーボーダーがいた。
「春美ちゃん!今のがそうなの?」
「ああ、何となく分かったろ?」
「うん。なんかリップの部分でサッズを掛けて飛ぶって言うよりも足の動きで飛び上がっているって感じだったような・・・」
「そう、その通り。オーリーってのはスノボの基本的なグラトリの一つでその場で飛び上がったりするトリックなんだよ。それをタイミングよくキッカーのリップでやればあんな風になるってことだよ。飛び出しは不自然でも結果的には高さは出てただろ?」
「でも今の人は飛んだ後にバランスを崩して危なそうだったの」
「多分飛び慣れていないんだろうな」
「飛び慣れてない?」
「そう、さっきも言ったとおりオーリーは元々グラトリの技術だからね。平地で高さを出すためのトリックをキッカーでやれば普段以上の高さが出るんだよ。だから飛び慣れていない場合には飛び出した後の高さにビビッてバランスを崩したんだろ。多分だけどもね」
「そういうもんなの?」
「じゅんやゆきだって最初からキッカーが飛べてたわけじゃないだろうし、飛べたとしても小さいキッカーだけだったろ?やることや姿勢は同じだとしてもスピードや高さが違うだけで何となくびびっちゃうんだよ。こう言った大会の雰囲気に飲まれて必要以上に気張ってやり慣れないことをやると、自分の実力がついてこなくてバランスを崩して危ないってことだよ」
「その通りよ、ゆき」
今まで話を黙って聞いていた晴子が横から口を挟む。
「だからこういう時にいつも通りのことがいつも通りに出来るって言うことが大切なのよ。緊張するのはいいけれどもやることはいつもと同じこと。普段できないことが今突然出来るようになるなんて都合が良いことはそうそう起こらないわ。今まで出来ていたことを同じようにやればいいだけなのよ」
「なるほどね、そう言うことか」
ゆきよりも先に話の内容に合点がいった様子のじゅん。
「それなら大丈夫だよ。春美ちゃんの話を聞いて改めて見た感じ、周りのスノーボーダーさんたちは大きな声では言い辛いけどもあまりちゃんと飛べている人はいないもん。飛べても空中でバランスを崩しているみたいだからこっちからじゃランディングは見えないけどもきっとちゃんと着地出来ていないはずだよ」
「ああ、多分そうだろうな」
じゅんの的を得た推測に満足そうに頷くと晴子は言葉を続ける。
「更に言うとさっきゆきがおさらいしたとおり、キッカーでのエアトリックは空中だけじゃなくて、飛ぶ前の姿勢からしっかり着地するまで全体が出来ていて初めて高い評価を得ることが出来るんだ。着地で転倒なんてのはマイナスの対象なんだよ」
「それっていくら高く飛べてもしっかり着地しなくちゃダメってことなの?」
「その通り。去年オリンピックでやっていたスロープスタイルみたいな大会でもそういう採点方式なはずだぞ」
「つまりそう言うことよ。見た目は派手で進行役が盛り上がっていたとしても、無理なことをしちゃ着地できないどころか怪我の元よ。だから繰り返しになるけども普段出来ていたことを普段どおりにやれば何の問題もないのよ」
「そうそう!だからゆきは頭をカラッポにして飛んでくればいいんだよ!」
「そんな簡単に言わないのー!」
晴子たちの慰めとも激励とも取れる言葉はじゅんの軽口で締められた。その言葉に思わず反論するゆきであったが、先ほどまでうるさいくらいに聞こえていた心臓の音は聞こえなくなり、身体の力が程よく抜けた心地よい緊張感に包まれていた。
ゆきの様子が変わったことに気付いたじゅんはゆきの肩をポンと叩くと改めていつもの調子で語りかけた。
「さあ、そろそろ出番だよ。いつものエアトリックを見せてきてね!」
「うん!」
じゅんの激励を受けてゆきはキッカーのエントリーに向けてゆっくりと歩き出していった。
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ゆきを見送るとじゅんは先ほどから黙りこくっているレイの元にやってきた。レイは表情を強張らせながらキッカーの方を見つめ続けていたが、じゅんが近づくと表情を緩めじゅんにいつもの雰囲気で語りかけた。
「アンタもいいとこあるじゃない」
「まーね。だってゆきったらガッチガチなんだもん。おねーちゃんは大丈夫?」
「私は平気よ。伊達にアンタに隠してまで飛んでいたわけじゃないんだからね」
「そうだよね。あーあ、あの時はショックだったなー」
レイが自ら過去の話を持ち出してきたので、じゅんもそれに乗るように悪戯っぽくその話の尻馬に乗る。
「でも私に勝とうとしてこれだけ飛べるようになったんでしょ?言ってみれば私のお陰よ。感謝しなさい」
「えー!?なんでそうなるのー?」
互いの言葉は本心ではない。いつものじゃれ合いである。過去のことを笑い話に出来る心地よさに現在の状況を忘れて思わず微笑みだすレイとじゅん。しかしゆきがキッカーに向かって飛び出していった時、じゅんはその状況に思わず目を見張るのであった。
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ゆきがキッカーに近づくと共に進行役が煽り交じりのトークを繰り広げていく。こう言った雰囲気は初めてではあるが、じゅんのお陰で身体の力が抜けたゆきには進行役の軽快なトークも滑走に伴う風切り音と同程度のノイズにしか聞こえない。頭の中は数秒後に訪れるキッカーでの動きがリアルなイメージとして再現されている。それはウォータージャンプなどで何度も繰り返してきた動きであり、ゲレンデでの経験こそ少ないものの、ゆきにとっては身体に染み付いた動きであった。先ほど晴子にも言われたとおりいつもと同じ動きを再現すればよい、ただそれだけの話であった。
キッカーのリップから飛び出し、空中の頂点付近までは身体を伸ばし続けた後、いよいよ頂点に達するタイミングで足を上半身に引き寄せつつスキーボードの滑走面を進行役に見せ付けるように横に向ける。横に向けたスキーボードを同じ側の手で掴む。真正面から見た時に、腰を中心に下半身がやや横に傾くのだが、上半身までその傾きに釣られない様にするために反対側の手はピンと上方へ伸ばす。
それは晴子が評した、基本ではあるがその分一番難しいと評したセーフティグラブであった。後ろで見ていたじゅんたちから見てもお手本のようなセーフティグラブと言えるトリックを決めたゆきは自分自身でも手応えを感じ、着地と共に小さいガッツポーズを決めてそのまま滑り降り、残る四人がやってくるのを待ち受けることにした。
キッカーから空中に飛び出した時に進行役が何かを言っていたようであったが、飛ぶことにのみ意識を集中していたゆきにはその内容までは聞き取ることが出来なかった。しかし聞き取れなかったのはゆきにとって幸いだったかもしれなかった。
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じゅんはいつの間にか隣に来ていた晴子に状況の確認を求めた。
「晴子ちゃん・・・、今のって・・・」
「・・・どう言うことかしら?私にも分からないわ」
「だって今のってエアトリックの中では基本的なトリックのはずでしょ?それがあんな風に・・・」
「二人とも、落ち着きなよ」
「そうよ、次は私の番だからちょっと試してみるから」
今起きたことについて動揺を隠し切れないじゅん。呼びかけられた晴子も何が起きたか分からないと言った様子であった。それを嗜めたのはレイと春美。二人はじゅんたちと違い随分落ち着いた様子であった。
「確かめるって、何をするつもり?」
「ちょっと難易度の高めなグラブをしようと思います」
「おねーちゃん、何するの?」
「そうね・・・、スピンは禁止だからこの間練習してたアレでもしてみようかしら」
「おっ、アレをやるのか!?」
「春美ちゃん、知ってるの?」
「ああ。それなら確かに確認できるかもしれないな」
「春美、それってどういうこと?」
何かを理解しているような二人の会話に内容が見えてこない晴子が不安げに問い詰める。しかし次の走者であるレイの順番を促すアナウンスが流れ、話はひとまず打ち切りとなる。
「とりあえず見ててください。それじゃ!」
そう言い残すとキッカーに向かって滑走を始めるレイ。進行役は数少ないスキーでの参加者であるじゅんたち一行を彼なりのトークで盛り上げている。周りの視線と進行役のトークを受けつつ、リップに差し掛かったレイの身体が空中へと飛び出していく。
リップから板が離れる時にしっかりとサッズをかけたレイの身体はキッカーのリップが描く放物線よりも高い位置に放り出される。その際に発生した跳躍力を無駄なく使うため、空中へ飛び出した後、レイの身体を綺麗な一直線となって伸び上がる。数瞬後、本能的に跳躍の頂点を察すると、両足を上半身に引きつけ、スキーボードの滑走面を横に向ける。ここまでは先ほどゆきが行ったセーフティグラブと同じである。しかし板を掴み方がはセーフティグラブとは異なっていた
セーフティグラブであれば腕はやや横に広げるように真下にある板を掴むのであるが、レイの腕は何故か真下にある板を掴まず、脇を締めたまま身体をやや後方に捻る。その状態で真下に伸ばした腕は尻の辺りを通過して、掴みにいった腕と反対側の足の板を背面から掴んでいる。本来掴まれるはずの板はフリーとなり、ほぼ真横に伸ばされる。それは下半身だけ見ると特撮ヒーローが悪役にキックをしているような体勢にも見えた。掴みに行っていない方の腕はセーフティグラブと同様にバランスを取るためにピンと上方に伸ばされている。
空中で足をしっかりと上半身に引きつける技術、タックがしっかりと出来ていないと空中で余裕があるグラブは出来ない。空中で余裕があるば難易度が高いさまざまなグラブが可能となる。レイが行ったのはそんなグラブトリックの一つ、ジャパングラブであった。
そのグラブを初めて見るじゅんから見ても非常に完成度の高い美しいグラブであった。それは晴子と春美から見ても同様である。しかし進行役はレイのグラブをこう解説していた。
「さぁさぁさぁ、今度もショートスキーがやってきたぞ!先ほどの少女は空中で女の子座りをしていたが、今度は何をやってくれるんだ!?さぁ来たぞ来たぞ!飛んだー!!これは高い!かなりの高さだー!そして・・・、着地だー!」
お読み頂きましてありがとうございました。
誤字脱字等は適宜修正していきますのでご容赦ください。
※エアトリック
キッカーで飛んだ時に空中で行うトリック全般のこと。
※ジャパングラブ
キッカーでのトリックの一つ。右手でグラブする場合、右足の後ろから左足の板の外側を掴むトリック。体勢的に身体をやや捻らなくてはいけないため、空中でバランスを崩す恐れがあるトリックでもある。




