第二話 羽のように
「貴方たち、スキーボードに興味が有るの?」
それは突然の出会いであった。変わった動きをする謎の人物に気を引かれて、気付けばその人物を追いかけていた。ただそれだけだったはずである。どんなものであるか気になり、それを軽く尋ねて満足得る答えを貰えれば、お礼を言ってその場を立ち去り、後は先ほどまでの姉妹のじゃれ合いに戻るはずであった。
しかしロングヘアーの女性から逆に質問を投げかけられると、じゅんは先ほどまでの自身の胸の中に湧き上がる何かを思い出していた。先ほど見かけた不思議な動きを見た途端に感じた何か。その何かの正体が分からぬまま、気付けば感じた想いをたどたどしく、しかし一生懸命伝えてみた。
「なんか突然だけどびっくりしたんです。だって雪の上なのにスケートを滑っているようだったり、陸上選手みたいだったり、不思議なダンスをしていたり・・・。見ていたら何だか心臓がドキドキしちゃって、声を掛けずにはいられなかったんです!」
「じゅん・・・。なんだかすいません、妹が突然声を掛けてしまって。でも確かにすごく不思議な滑りでした。なんだかとっても楽しそうで、妹を止めに来たはずなのに私も気になっちゃいました。なんですか?スキーボードって」
こういう時の妹を止めるのは本来は姉であるレイの役割であったのだが、三人の滑りに心惹かれたのはレイも同様である。じゅんに続いて思わず素直に感想を述べていた。
「スキーボードって言うのはね、長さが九十九センチ以下で・・・」
「気になるなら何かの縁だしさ、ちょっと履いて見ればいいじゃん!」
ロングヘアーの女性の言葉を遮るようにセミロングの女性が言葉を被せる。
「春美!?」
「いいと思う。スキーボードに興味を持つ人が増えるのは嬉しいこと」
「葉流まで・・・。でもそうね、履いてみる?」
ショートカットの女性、葉流と呼ばれた女性の思わぬ援護射撃により改めてスキーボードを勧められるレイとじゅん。突然の申し出に面食らいながらもじゅんは既に借りる気であったが、疑問に思ったことをレイが尋ねる。
「ありがたい申し出ですけども、ソールサイズ(ブーツのサイズ)があってないと簡単にお借りできないと思うんですが・・・」
「大丈夫!このスキーボードのビンディング(固定金具)は簡単に調整できるんだぜー!」
板を脱いでビンディングの固定位置を変更してみせるセミロング、春美と呼ばれた女性が調子よく答える。
「この簡易式ビンディングはスキーボードの特徴」
「ほらほら君たち、板を脱いでお姉さんにブーツを見せてごらん。ほら晴子も脱いで脱いで!」
葉流がスキーボードのウンチクを披露する中で春美はセミロング、晴子にも板を脱ぐように促す。
初対面の人からの突然の申し出に心苦しさを感じたレイはやんわりと断ろうかと思っていたが、レイ自身もスキーボードに興味を持っていたのは紛れもない事実。じゅんの『履いてみたい』と言う気持ちと春美の押しに負けて提案通りにスキーボードを借りることになった。
「ビンディングはこれでよし、ちゃんとリーシュコードつけてっと。これで二人ともオッケーだよ!」
「ホントに簡単に調整できるんですね・・・」
「うわー!かるーい!!」
春美にスキーボードを履かしてもらいそれぞれの感想を述べるレイとじゅん。初めての履くスキーボードの感触を確かめるようと右足、左足と交互に足を上げてみるじゅん。その度に腰につけたパンダがゆらゆらと居心地悪そうに揺れている。そんな様子を満足げに見守る晴子、春美、葉流の三人。何となく気分が高揚してくる自分を感じつつ、レイは最後の理性を振り絞り改めて三人に謝辞を伝える。
「でもいいんですか、お借りしちゃったら皆さんが滑れなくなっちゃうんじゃ・・・」
「ちょうど私たちは一休みするところだったからね」
「スキーボードの魅力をぜひ知ってほしい」
「頑張って行ってきな!」
お礼の返答に三者三様の激励を受けてしまい、ここまで来たら引き返せないと重ねて礼を述べてリフトに乗ろうとする時に、ふとレイが三人に尋ねる。
「あ、皆さんのお名前は?」
「私は日比野晴子よ」
ロングヘアーの女性、日比野晴子の雰囲気は一言で言うと近所の優しいお姉さん。背格好はレイとほぼ変わらないであろうにも関わらず大人な雰囲気を纏って見えるのは先ほどまでのやり取りでも垣間見える面倒見が良いであろう性格のせいであろうか。その人となりがこの短い間にも充分に伝わってきていた。ファーをあしらったフードが付いている薄いパープルのウェアが大人の女性っぽさをさらに引き立てていた。
「葉月葉流」
ショートカットの女性、葉月葉流はじゅんと同じようなやや小柄で非常に寡黙、いわゆる無口キャラとでも言おうか。ここまでのやり取りでも感情を外に出さず、その淡々とした様子は受け取り方によっては冷たい印象を受けるが、他の二人とのやり取りで決してそんな性格ではないのであろうことが伺える。数字が大きくバックプリントされている水色のウェアはサイズがあっていないのか、それとも敢えてそう言ったものをチョイスしているのか。いずれにしてもウェアの中で身体が遊んでいるように見えた。
「それでこのお姉さんが布川春美。三人ともバリバリの十八歳だぜ!」
セミロングの女性、布川春美は姉御肌と言う表現がぴったりであった。身長こそレイや晴子と変わらないものの、積極的にレイたちに話しかけたり、スキーボードを履くことを提案してくれたりと、恐らく人見知りなどはほとんどしない性格を伺わせる。三者三様の個性の中で、彼女の存在は三人の中でも潤滑油的な立ち位置なのであろう。積極性の中でも相手を気遣う様子が垣間見えるその性格はどこか安心感を感じることが出来るものである。胴が茶色、袖が黄色と言うスタジアムジャンパーのようなウェアがその雰囲気と良く似合っているように思えた。
「皆さん私の一つ上なんですね、私は倉橋レイ。こっちは妹のじゅんです」
三人の自己紹介を受け、何となく浮かんだ三人の感想を思い浮かべつつ、姉妹も簡単な自己紹介を済ます。そんな中、じゅんがもじもじとバツが悪そうに口を開く。
「そーいえば・・・。コレ、どうやって滑るの?」
スキー歴半日のじゅんが苦笑いをしながら三人に尋ねる。さっきまでの勢いとのギャップに思わず目を見合わせて吹き出す三人。突然の爆笑に意味が分からずきょとんするじゅんに、何となく三人の想像した内容に思い当たったレイが助け船を出す。
「実はこの子、今日初めてスキーをしたんですよ」
「なるほどね、だからそんなこと聞いてきたのね。納得よ」
「突然の笑ってしまったことを謝罪する」
「でも初めてであの滑りっぷりなの?大したものね」
「大丈夫!あれだけ滑れるならきっと大丈夫!いけるいける!」
そんな回答になっていない回答をもらい、さっきまでの勢いが静まり不安げな顔になるじゅん。そんなじゅんの様子を伺うように葉流がゆっくと歩み出るとじゅんの前に立ち、上から下までゆっくりと視線を動かす。何かを確認するようにちょんとじゅんを押す。思わず『うわっ!』と叫びながらも倒れずに堪えるじゅんを見て、納得したように話し出す。
「今、貴方はスキーボードを履いた状態で真っ直ぐ立てている。軽く押したにも関わらずその体勢を維持できている。それは重心が安定しているということ。スキーボードは板が短いからこの重心が大切。滑っている時も前後に重心を振らないで。分かる?」
「う、うん・・・」
「・・・葉流?」
葉流の突然のアドバイスに驚きを隠せない晴子と春美。それに意を介さずにじゅんの目を見て表情少なく満足げに頷く。
「後は滑るだけなら基本的には普通のスキーと変わらない。重心は常に身体の真下、滑る意識は視線の先。それを忘れないで」
言いたいことは言い終わったとばかりにじゅんを見つめる葉流。数秒の間呆気にとられていたじゅんだが、やがて眼に先ほどまでの光を取り戻しながら勢いよく頷く。
「え~っと葉流ちゃんだっけ?分かった、ありがとう!よし、おねーちゃん、行こ!」
「そ、そうね。それじゃちょっとお借りします」
「ええ、気を付けてね」
元気に言い残し、姉妹はリフト乗り場に向かって滑り出していった。残された三人は姉妹を見つめながら今までこの場にいた新米スキーボーダーについて語りだす。
「それにしても晴子、なんでスキボを貸そうと思ったの?」
「何よ、履いてみる?って提案したのは春美じゃない」
「そうだけどさ。でもまさか晴子があっさりオッケーするとは思わなかったんだよ」
「何よそれ。でもそうね、何でかしら?何故だかあの二人には履いてもらいたいなって思ったのよ」
「ふーん、確かにスキボダが増えてくれれば私も嬉しいけどね」
「春美はいつだって楽しく滑れればオッケーな感じだものね」
「まーね、それにしても葉流が自分から人に話かけてアドバイスまでするなんて珍しいな」
「それは私も同感、どうしたの?」
「・・・・晴子と同じ。もしかしたら彼女たちは私たちと同じになってくれるかも」
「もしそうなってくれれば・・・、楽しくなりそうね」
リフトに揺られる二人を見つめながらどこか期待を込めた眼差しを向ける晴子たち三人。そんな視線に気づかないじゅんは呑気にリフト上で履いたばかりのスキーボードの感触を楽しむように足を振りながらレイに話しかける。
「おねーちゃん、あの人たちのさっきの滑りって凄かったね」
「そーね、あんなことが出来るなんて思ってもみなかったわ」
「アレって・・・、私も出来るかな?」
「そうねぇ、見た感じだと少なくともさっきまで履いていた普通の板じゃ難しいわね」
「そんなもん?」
「分からないわよ。私も初めて見たんだもの」
「そっか・・・。あっ晴子ちゃんたちがコッチ見てるよ、おーい!」
「全く年上の人をちゃん付けで呼ぶなんて」
「いーから、おねーちゃんも手を振りなよー」
「全くもう・・・、おーい!」
大きな声で手を振る姉妹。リフトは初めてスキーボードを履いて不安と期待を織り交ぜた姉妹をいつもと同じ動きでゲレンデへと運んでいくのであった。
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やがてリフトは降り場に到着した。リフトを降りる際にも僅かであるが滑る必要があるのだが、葉流のアドバイス通り重心を意識することで何とか転倒せず無事にリフトを降りることが出来た。しかし問題はこの後である。
リフトを降り、ゲレンデに立つ二人。目の前のゲレンデは今まで滑っていた緩斜面コースであるとは言え、履いているのは先ほどまでと違い初めて履くスキーボード。同じゲレンデなはずなのに履いているものが違うだけで先ほどと違う表情を見せている気がしてしまう。緊張した面持ちでゲレンデを見つめるレイは多少気が引けるているようであったが、それは隣に立つじゅんも同様のようである。それでもレイはスキー経験者の威厳を保つかのようにじゅんに向かってアドバイスを授ける。
「板が短くなっても基本は一緒よ。ただ板が短い分軽くなっているはずだからしっかりと踏み込まなきゃだめよ」
「分かってるよ。さっき葉流ちゃんに聞いたもん」
「いいからちゃんと聞いて。それとストックがないから両手でバランスを取ってターンするのよ。それと・・・」
「とりあえず行ってみるよー!」
「あっ、まだ話は終わってないわよ!」
じゅんが気が引けていると感じたのはどうやらレイの勘違いであったようであった。じゅんは気が引けるどころか、早くスキーボードを試してみたくて仕方がないようだったようで、レイのアドバイスが途中であるもに関わらず、我慢の限界と言わんばかりにすっ飛んで行ってしまった。
「あっ、ちょっと気をつけなさいよー!」
じゅん追いかけるレイ。追う者と追われる者。レイとじゅんの位置が入れ替わったことと履いている板。先ほどまでと異なっているのはただそれだけなのにレイの世界は先ほどとはガラリと変わっていた。
さっきまでの滑りが重りをつけて滑っていたとするなら、今はまるで羽が生えたかのように全てが浮き上がるように軽い。ターンをしようと板をずらすと、先ほどまで異なり僅かな力で板がついてくる。軽い分多少不安定な感じもするが、レイの技量であればそれは問題ないレベル。そんなことよりもこの軽い感じが何かから解き放たれたような爽快感を生み出していた。
決してスキー初心者ではないレイではあるが、それでも年に数回しか滑る機会がない。それでもゲレンデ内であればどこを滑るにも苦労をしない腕前は持っているものの、本当に余裕があるかと言われると多少の不安は残っていた。
しかしこのスキーボードは今までにない爽快感を感じさせてくれながらも、どこかに心の余裕を持たせてくれた。それは操作性向上による身体的余裕からくるものではあるのだが、今のレイにはそこまで気付く余裕はない。ただ余裕から生まれるゲレンデとの一体感がとにかく心地よかった。
ロングターンではエッジを効かせることによりゲレンデを切るようなターンが可能であり、ショートターンであればゲレンデを舞うようなターンが可能であった。
緩急をつけた連続ターンは正に舞うような動きである。操作性の向上が心に余裕を生み、それが引いては身体的気持ち的な余裕へと繋がり、それが互いに相乗効果を生み出し、レイの中でプラスのサイクルとなって働きかける。そんな余裕が元々の実力と相まって通常のスキーを履いていた時よりも華麗に舞うような滑りが出来ていることにレイ自身は気付いていない。ただ気づけばじゅんを追っていたはずなのに滑りのみに没頭していた。もっとも、それに気づくのは晴子たちの元にたどりついてからでなのであった。
一方じゅんはまずその板の軽さに驚愕を覚えた。最初はあまりの軽さに戸惑いを覚えて、気付いたときにはバランスを崩し転倒していた。しかしそこは猪突猛進型のじゅんである。これが自分にとって楽しいものだと本能的に気付くと、すぐに立ち上がり、自然と口角をあげ『いっくぞー!』っと叫び再度滑りだしていく。
滑り出す時、誰に教えられたわけでもないが、何となくアイススケートのように雪面を交互に蹴りだしていた。雪面を蹴るために腰を低く構え、水泳で鍛えた脚力で力強く前に進んでいく。ある程度進んだところで滑走に入ったのだが、ここでじゅんは型破りな滑り方を行う。
スキーでは足幅をこぶし一つ分程度に開き滑走するのがセオリーである。しかし腰は先ほどの状態のまま低く構えたまま、そのまま重心を取るために足幅は自然と肩幅程度まで広げていた。その体勢は垂直飛びをする前の溜めの姿勢とよく似ていた。
腕を軽く前に突き出し、ターンの際には先ほど葉流に言われたように曲がりたい方向に視線を向ける。視線の方向に意識を向けると身体の重心をその方向に預ける。そのまま板をずらさず曲がりたい方向に身体を倒して強引にターンする。そうすると身体ごとターン方向に倒れていくのだが、じゅんはそれを意識して行っているわけではない。自転車でカーブを曲がる時に曲がりたい方向に意識を向けて身体を軽く倒す。そんな状態であった。
ターンの際に雪面に逆らわずターンを行っているため、遠心力の加速によりターンをする度に徐々にスピードが上がっていき、じゅんが滑った後には綺麗な二本のレール状のシュプールが出来る。どんどんあがるスピードにも広めに取ったスタンスと落とした腰が安定感を生みだしたせいか、風を切る爽快感と身体にかかる遠心力を心地よく感じるじゅんに恐怖感はない。
晴子たちが待つところまで滑り終えたところで自身のスピードが今までにないほどの速度になっていることに気付き、慌ててブレーキを掛けるがそれも間に合わず、晴子たちの前を通り過ぎた後にスライディングのように転倒してようやく停止した。
姉妹それぞれの滑りを見て呆気にとられていた三人であったが、やがて感心したように晴子が二人に話しかける。
「・・・貴方たち、スキーボードしたことあるの?」
「いえ、これが初めてです」
「あの・・・、もう一回滑ってきていい?」
「あ、私もいいですか?」
晴子たちの驚く様子に気付いていないじゅんの提案に、レイも便乗してお願いを重ねる。その顔は今の滑りで違う世界が見えたのか、明らかに高揚した顔であった。断る理由がないどころかもう一度の滑りを見てみたいと言う気持ちは言葉に出すまでもなく三人の共通の思いだったのであろう。晴子はもちろんその願いを快諾する。
再びリフトに向かって滑り出していく二人の背中を見送りながら葉流が呟く。
「思った通り」
「どうしてそう思ったの?」
葉流がポツリと零した言葉に晴子が静かに聞き返す。
「・・・勘」
「勘、ねぇ・・・。でもまぁ確かにその通りだな」
春美が思わず突っ込むが、それでも結果として初めてスキーボードを履いたとは思えない二人の滑りを目の当たりにした今となっては頷くしかない。
「お姉さんのレイだっけ?レイは緩急をつけた流れるような綺麗な滑走。元々スキー経験があるんでしょうが、あれだけ綺麗に滑れるのはそれだけじゃないわね」
「元気な方は妹さんじゅんだったよな?彼女はまるっきり初めてって言ってたけど元々何かスポーツやってたのかな?ちょっと不格好とは言えいきなりスケーティングからカービングターンが出来るとは。しかもアレだけのスピード出してのターンは慣れていてもそうは出来ないよ」
「もしあの二人がスキーボードを楽しいと思うのなら是非勧めるべき」
「楽しいと思うのなら?それはあの姿を見れば考えるまでもないわね」
舞うように華麗に滑るレイとシャープに雄々しく滑るじゅん。対称的な滑りではあるが二人の顔にはもはや戸惑いはなく、むしろ舞い散る雪飛沫さえ楽しいと言わんばかりの笑顔が溢れている。
今度は転倒することなく晴子たちの元にたどり着いたじゅん。ちょっと遅れてレイも到着する。
「これが・・・スキーボード・・・」
「凄い!すっごい楽しいよ、これ!!」
興奮冷めやらぬ二人を微笑ましく見守る三人。まだまだ滑り足りないじゅんと違い、辛うじて自制心を残していたレイは板を借りていたお礼を伝えて板を脱ぎだす。レイが板を脱ぎだすのを見て、明らかに物足りなさそうな顔をしながら、それでも姉に習ってじゅんも板を脱ぎだす。
「あの、ありがとうございました」
「晴子ちゃん、春美ちゃん、葉流ちゃん、ありがと!スキーボードってすっごく楽しいね!」
二人の礼を受けて何かを提案しようと晴子が口を開きかけたとき・・・。
「あっ、おねーちゃん!あっちにおとーさんとおかーさんがいたよ!」
「どこ・・・?あ、本当だ!やっと見つけた!いくら二人仲良くって言ってもせっかくの家族旅行なんだから一度くらいは皆で滑ったっていいのに」
レストハウスからまるでカップルのように仲睦まじく出てきた両親を見つけたレイとじゅんは今回の旅行の趣旨を改めて思いだし、今までの爽快感も忘れて軽い不満を漏らす。思い立ったら即行動、そんなじゅんは自分の板を抱えて両親のもとに走り出す。
「ほら、おねーちゃん、早く!」
「あの、本当にありがとうございました!こら、待ってー!」
すっかり話の腰を折られた上に肝心の話を出来ずに去って行った二人を見送ることになってしまった晴子は季節外れの嵐を見送るような心境で二人の背中を見つめていた。そんな姉妹が視線の先で両親と合流し、こちらに向かって指差しながら何かを伝えている。
両親は遠くからこちらに向かって会釈をしてきたので、それを笑顔と会釈で答える三人。きっとこの笑顔は向こうには見えないだろうなぁと思いつつ、それでもつい笑顔になってしまうのは姉妹の、特にじゅんの楽しそうな身振り手振りがこちらからも見えるからである。
やがて家族水入らずでリフトに消えていくのを見届けた後、晴子は残る二人に出発を告げる。
「さて、そろそろ行こっか?」
「いいのか?せっかく面白そうな子たちだったのに」
「いいのよ、せっかくの家族水入らずを邪魔したくないもの。それに・・・」
「・・・それに?」
「もし本当に縁があって、彼女たちもその気なら、また出会えるはずだからね」
「そんなものかなー?勿体ないなぁー」
「元々私たち三人で始めるつもりだったんだから、いいじゃない」
突然の出会いに後ろ髪を引かれる春美を縁を信じてたしなめる晴子。名残惜しそうに姉妹たちが消えていったリフトを見続ける春美に既に板を履き終えた葉流が声を掛ける。
「そろそろ帰らなくてはいけない時間。でもきっとまた会える」
「根拠は?」
「・・・勘」
当てになるようなならないような葉流の答えであったが、その答えは何故か不思議な説得力を感じさせた。
「・・・うん、そうだな」
ようやく納得した春美に対して僅かながら心残りがありつつもそれを出さないように晴子が告げる。
「それじゃ行くわよ!駐車場まで一番遅い人はジュース驕りだからね!」
「・・・負けない」
「あっ!私まだ板履いてないんだよ、ずるいぞ!」
レイとじゅんが消えていったリフトとは反対方向に滑り出す晴子たち。スキーシーズンが中盤に差し掛かる一月中旬。残るシーズンへの期待とこの後に待っている誰かの奢りで飲めるジュースのため、三人は笑顔で滑り出していた。
スキーボードと言うギヤが繋いだ二人と三人の儚い縁。しかしこの出会いがレイとじゅん、そして晴子たちの今後を大きく動かすことになるのはまだ暫く先のことであった。
お読み頂きましてありがとうございました。
誤字脱字等は適宜修正していきますのでご容赦ください。
※ビンディング
スキー板とスキーブーツを固定する金具。従来のスキーには解放式ビンディングが採用されており、転倒等である程度の外的負荷がかかると外れるようになっている。一方スキーボードに採用されている非解放式ビンディングはその名の通り解放動作を行わないと解放されることはない。その代わり機構が簡素化されている分軽量であり、特徴的には一長一短である。
※リーシュコード
スノーボード等で主に用いられる板の流れ止めの総称。板の金具部分と足を紐等で結びつけることにより、万が一滑走中に板が外れても板だけが流れて行ってしまうことを防ぐために用いられる。足に巻き付けるベルトタイプやブーツ等の金具に取り付けるカラビナタイプなどさまざまなものがある。