9 一ノ瀬千里のバイト3
証拠品として預けてもらった犯人からの手紙は1ヶ月前から始まっていて、その数は20通になる。
かつて毎日2、3通送りつけたストーカーもいるのでそれに比べたら少ないが、いずれも熱烈すぎる恋文だ。しかし現実において品川さんからの聞き取りでは、過去の恋人とも円満に別れており、かつ現在アプローチを受けているような相手も全くいないそうだ。
「読み終わった? 手紙ってどんな内容なの? 私にも見せて」
「やめた方がいいぞ」
「いいから、見せて。唯一の犯人の証拠でしょう」
「わかったわかった」
俺に突きつけるように手を出してくるので、仕方なく渡す。見ていて気持ちのいい内容ではないし、むしろ気持ち悪いので見せたくなかったが、まあ本人が言うなら仕方ないか。
「どれどれ」
手紙はストーカーからの恋文とすれば一般的で、過剰な愛情と思い込みの激しい押し付けであふれて、かつ品川さんの日々の服装にまで言及した非常に気持ちの悪い文章だ。
「うわぁ……この言い回し、まるでリンデン博士みたいね」
「ん? なんだ、そのリンデン博士ってのは」
女学生が把握しているような、そんな有名なストーカー犯が過去にいただろうか。ストーカー犯なんてあふれるほどいるし、中には凶悪犯として話題になったやつもいたが、リンデン博士なんていたか?
「知らない? 最近話題の探偵小説にでてくる登場人物よ。三巻で登場した犯人役」
「小説か。知らんな。本自体は結構読むが、そういや探偵小説は殆ど読まないな」
後、保安官小説もな。何となく身近だから、なかなかそういう気持ちにならない。ついでに言えば最近は忙しいのもあって、読書自体がご無沙汰だが。
「あら、佐藤弘次、読書なんてするのね。意外だわ」
「そうか?」
「ええ、本読んだらすぐ眠くなる、とか言いそうだもの」
「馬鹿にしてるよな」
「ただの印象の話よ」
そのリンデン博士に似ているかどうかはわからんが、今回は関係ないだろう。とりあえず一ノ瀬の中で前例がある分、抵抗なく読めたなら何よりだ。
「ふーん、でも、この言い方、なんだか変な感じがするのよね。何というか、わざと気持ち悪く書いてるみたいな。詳しすぎるというか」
「わざとって、例えば?」
一ノ瀬は複数の手紙から、一枚を抜き出して俺に示した。
「これなんか、香水のメーカーまで指摘してるわ。そんなのちょっとかいだだけで、男性にわかる? そりゃ特徴的なのもあるけど、少なくともこれは有名なものでもないわ」
「普通はわからないだろうが、ストーカーだしなぁ」
今までにも……いや、あれは確かゴミを漁っていたからか。なら確かに、よっぽど近くで匂いをかぎながら、商品をかぎ比べるくらいでないとわからないと思うが。しかし物凄く鼻がいい可能性もある。
「わかったとして、わざわざ書く必要ある?」
「そりゃ、これだけわかってる、あなたを知ってるアピールだろ?」
「そうだけど、犯人、身近な存在だと思わない? 香水のメーカーは本人から聞いたとか」
「いや、それなら品川さんもすぐに犯人わかるだろう。香水を聞いてくる男がストーカー以外に何人もいたりしないだろ」
「ええ、それなんだけど……犯人女性ってことはない?」
「は……」
いや、待てよ。そう言われて見れば、違和感を感じなくはない。あまりにねちっこいというか、一ノ瀬のいうように細かいとは思っていた。
女性なら香水のメーカーを聞いても違和感はないし、自分も使っていればわかるだろう。
「ほら、これも。口紅をオレンジ系からピンク系に変えたのですね。でも僕は前のオレンジパールの方が似合ってたと思います。あなたにはパウダーピンクがいまいちと言うことももちろんありますが、僕の恋人として認められるには……この辺はともかく。どう!?」
「どうって、気持ち悪いな」
「じゃなくて! あなた口紅の色見てわかる!? というか、色白ならピンク系で正解でしょ!?」
「知らんがな」
「とにかく、通りすがりに見てるだけなら絶対わからないと思うわ。直線回収車に渡してるってことだから、ゴミは確実に漁ってないのよね? だったら会社が同じか、ポーチの中を見れるくらいには近いはずよ。女性ならお手洗い室での化粧直し中に警戒されずにチェックできるわ」
はー……なるほど、全くわからん。詳しすぎるとは思ったが、俺自身化粧なんて全くわからんからなぁ。でも確かに、服なら全く同じものを探すことは遠目に写真でもとればできるが、化粧だと難しい。色しかわからないからな。
「まあでも、そこまで言われたら確かにな。でも仮にそうだとすると、嫌がらせ目的のストーカーになるな」
そう言う目線で見てみれば、文章は物凄く相手を否定しにかかっている。ダメ出しのオンパレードだ。すでに恋人気取りで相手への支配欲求から自分好みになれと言うのはよくあるが、全ての手紙で一カ所は否定的になってる。
「でしょ? 絶対そうよ」
「……よし、会社の男性も探るが、ひとまず女性の線で調査してみるか」
一ノ瀬は実に嬉しそうに、得意げに笑った。まるで100点とって親に報告してる子供みたいで微笑ましい。
「ふふん。ね、佐藤浩次、私、役にたつでしょ」
「たったたった。いやー、一ノ瀬さんさすがだなー」
「ふふ」
頭でも撫でてやろうかと思ったが、さすがに怒るだろうし遠慮した。こいついつも髪留めできっちりしているからな。
「じゃあ、今の話を文章にまとめてくれ」
「はーい、了解です」
○
それから一週間。ある程度犯人の目星はついた。毎日会う人はいないという友人関係はひとまず置いて、身体接触的には一番近い会社関係から調べることにした。
男性に関しては同じフロアには2人しかいないが、この2人共が既婚者なのでひとまず除外。基本的に女性が多く営業や事務、開発など部署を問わず九割女性だそうだ。言葉を交わしたことがある人を全員でお願いしたが、挨拶以上に世間話すらその2人以外では殆どないとのこと。一方的なものなのでストーカーではないとは言い切れないが、少なくとも化粧品を調べられる距離感ではないそうなので、こちらもひとまず除外する。
そこで今度は女性で聞いてみたが、今度はこちらは殆どの女性と会えば世間話程度はしているそうだ。その女性のうち、犯行が可能そうな人間を確認する。特に消印がばらばらで平日もあるので、基本的に会社から出ない人は覗くと毎日のように外出する営業担当の三人が残る。
その女性について話した内容などを全てメモして行くと、状況証拠ではあるが概ね一人に絞られた。
「どうしますか? まだ確実な証拠とは言えません。完全に尻尾を出すか手紙がなくなるまでは、護衛のみで待ちに入るというのも手ですが」
「そうですね……」
一ノ瀬の問いかけに品川さんは神妙な顔で頬に中指を当てて、考え込むように視線を宙にさまよわせた。
通信機では色々と話を聞いていたが一週間ぶりの対面での打ち合わせでは、品川さんは顔色もずっとよくなっていて明らかに覇気があった。
いわく、手紙が来る以上読まずにはいられないがそれが苦痛で、かついつ何があるかと不安で不眠になっていたそうだ。
この一週間に届いたものは手紙は読まずにこちらで預かり、要約した内容だけ伝えていた。それと送り迎えのおかげで、気持ちが楽になったとのこと。役にたっているなら何よりだ。こうして目に見えると仕事への充足感を感じる。
「正直、彼女が犯人とは思いたくないですね。山田さんとは話をしたりはしますが、特別親しくもありませんし、恨まれるほどの付き合いではありません」
容疑者となる山田弘恵さんは営業で外回りが多く、品川さんは商品デザインがメインのため基本的に外に出ない。
「そうですね。もしかしたら違うかも知れません。まだ外部の人間については調べていませんから。ですが調べたところ少なくとも会社、自宅に盗聴器や盗撮機はなかったのですから、犯行可能性でいえば彼女である確率は高いと考えられます」
「そう、ですよね……ちなみに今後の方針としてはどういうものがあるんですか?」
品川さんの質問に一ノ瀬はちらりと俺を一別しつつも答える。二回目とは思えないほど堂には入っている。準備は万全だったとは言え、今日は俺殆ど話してないな。
「いくつか、考えられる方法はありますが。あまり時間をかけても、金銭的に品川さんに負担になりますからね。個人的には少し犯人を挑発していきたいと思います。もちろんその分、品川さんにも危険がありますので気をつけていただかないといけませんが」
「と言っても、外ではちゃんと守っていただけるんですよね? なら危ないのは社内だけですから、そのくらいなら、大丈夫です。私もできるだけ早く解決したいですから」
さすがに社内で突然刃物を振り回したりと言ったことはないだろうし、慎重な人間であれば社内でなにかすれば疑われるので避けるだろう。
しかし今までがそうだったからと言って、必ずしもこれからもそうだとは限らない。距離をとり挑発しすぎないよう、少しだけ苛立たせる程度がいい。人目を避けさせれば、自宅はマンションの5階なので戸締まりをきちんとしていれば基本的に深夜に外から侵入はないと見ていいだろうし、そうなれば会社と家を除く外だけなので対処は可能だ。
「わかりました。と言っても過激なことをするつもりはありません。仮に、山田弘恵さんがそうだと仮定しましょう。あなたへの嫉妬心か、理由はわかりませんが嫌がらせ目的でストーカーをしているとするなら、相手はあなたがストーカー被害でつらい顔をすることで喜んでいます。つまり、あなたが幸せであればあるほど腹を立て、もっと嫌がらせをしてくるでしょう。怒りにまかせた行動には必ずボロがでます」
「幸せ……ですか。幸せと言うと、やっぱり、デザインの賞をとったときが一番幸せでした…あれがきっかけで、前の会社の管理職じゃ満足できなくて……」
「いやいや、あの、そう言うすぐバレる嘘ではなくてですね」
品川さんとの打ち合わせは、結局俺はほぼ口出しすることなく終了した。
まずは品川さんに新しい恋人ができたことにしてもらう。そうして幸せボケしているくらいに幸せを装ってもらう。それで効果がなければ次にいくが、まず一週間はそれで様子を見ることになった。
「でも恋人がいるふりをするのって、何だか虚しくないかしら」
「まあ気持ちはわかりますけど、自衛の為ですから。どんなタイプにしますか? それによって小道具とか、何かエピソードとかつくっておいた方がいいんですけど」
「うーん、難しいですね。一ノ瀬さんの好みでいいですよ」
「えっ、わ、私ですか?」
「うんうん。一ノ瀬さんって可愛いですよね。今年入ったとこじゃない? 初々しいなー」
「そ、そんな……えと、リアリティを出すためにも、品川さんの理想で、かつ羨ましがられるような感じにしましょう」
「そうねぇ……私、あんまり一般的なイケメンってタイプじゃないんです。というか、あんまり熱烈に恋したこともありませんし」
「じゃあ、前彼さんとも告白されてって感じですか?」
「そうね」
「じゃあ、そうしましょう」
「ん?」
恋人の設定は品川さんの好みではないが世間的に見てイケメンで、品川さんは乗り気ではないがイケメンからのアプローチで付き合うことになった設定に決まった。いや、もっと人格面とかの方がリアリティがあるのでは……というか、
「一ノ瀬、品川さん、もっとどうやってより効果的に山田さんにさりげなくアピールできるか、も話し合ってくださいよ」
予定の時間を1時間延長して、目一杯打ち合わせが行われた。
○