7 一ノ瀬千里のバイト
「君ぃ、最近調子にのってないかね」
「……何のことでしょう」
ぺちぺちと俺の頬に30センチ定規の先が当てられた。
いつものように会社のドアを開けた途端、社長に強制的にソファに正座させられていた。さすがに見下ろされて頬を叩かれるのは非常に屈辱的だが、とりあえず理由を聞こう。
「弘次君、君、うちの可愛い千里ちゃんと連絡をとってるようじゃないか。しかも頻繁に」
「一ノ瀬、失礼。一ノ瀬さんが面白がって通信文を送ってくるだけですよ。まだ学生ですから、回りで通信文機能付携帯通信機を持ってる知人がいませんから」
一ノ瀬のように、自宅用に固定式通信機があるのは一般的だし、通信文機能がついているのも珍しくない。しかし学生で毎日顔を合わせる間柄ではそうそうやり取りをしない。連絡の必要があったとして、通信話で十分だ。
「ほほぉ、うちの千里ちゃんが可愛くないと」
「いや、何でですか。そうは言ってません」
「んだとこらぁ! やっぱてめぇ千里ちゃん狙ってんのかロリコン!」
「何でだよ! ……はぁ、社長、改めて言うものでもないけど、俺は、年上が好きです。というか、一ノ瀬さんは可愛いと思いますけど、子供ですから」
「うんうん、千里ちゃん可愛いよねー」
「情緒不安定か」
「冗談だ。さすがに。あ、でも千里ちゃんに手をだしたら男性シンボルもいじゃうってのはほんとーだよ」
「可愛く言わないでください。ていうか、さっきそんなこと言ってなかったじゃないですか」
「えー、言ったもん。心の中で言ったもん」
「もんて…」
来年には四捨五入したら40歳になるくせに、なんで社長の方が一ノ瀬より女学生みたいな話し方してるんだよ。
うちの如月探偵事務所の社長、如月春樹は俺の元上司であり現社長だ。見た目は小柄で一ノ瀬より小さい女性だ。正面から見ればさすがに子供には見えないが、後ろ姿から子供と勘違いされて補導されかける程度には小さい。
傍若無人で俺より5歳上に思えないくらい落ち着きがないが、何だかんだで凄い人なのは確かだ。何が凄いかと聞かれても言葉では説明できないが。
「ま、千里ちゃんのこと女として見ていないならいいや。弘次、君に新たな任務を言い渡す!」
社長は機嫌良さげに高らかに、俺に指差して言った。
「これから1ヶ月、千里ちゃんのフォローしろ」
「……は?」
○
社長はろくな説明をしなかったので、その後夕方になってやってきた一ノ瀬から話を聞くことになった。
どうやら1ヶ月後の母親へのプレゼントのため、社長に相談した結果うちでバイトすることになったらしい。それはいいが社長は一ノ瀬に、一体何の仕事をやらせるつもりだ?
頭はいいそうだが、じゃあ書類仕事とはいかない。守秘義務とかは身元はしっかりしているし無視したとしても、いくらなんでも学生にそうそう任せられない。
「社長から仕事内容はどう聞いてるんだ?」
「え? ハルさんからは、あなたに従うようにと聞いたけれど。助手みたいな感じって」
「……」
すでに出かけている社長に電話をするため携帯通信機をポケットからとりだすと、通信文がきていたので選択する。
社長からで、一ノ瀬には今忙しいんだから助手として適当に仕事をさせろとあった。テキトーすぎだろう。俺に全投げじゃないか。
確かにメールにあるように俺は今2つの依頼を掛け持ちしているから、一ノ瀬に付き合って他の仕事をするとなると他の人に頼まなきゃいけなくなるが、それならそれで説明していけ! さっき伸二さんに相談してしまったじゃないか!
あー、全く。まあ、社長のいい加減さも今に始まったことじゃない。仕方ないか。
今担当しているのは、ストーカーと人捜しだ。人捜しはひとまず依頼人からの情報を整理してもらっているところなので、ストーカーからだ。明日依頼人と話すことになっている。
相手は女性なので、話をするのをしてもらうか。うん、それでいい。きちんとした格好をすれば成人の18にも見えるだろう。
「ちなみに週にどのくらい入るつもりなんだ? それにもよるんだが」
「とりあえず、仕事があるなら毎日でも来るつもりよ。こういうものって、お客様は待ってくれないでしょう?」
「良い心がけだ」
基本的にシフト制ではあるが、担当案件によって休日は変動するので、そういうつもりでいてくれるなら仕事もさせやすい。いくらなんでも、全く何もやらせないと言うわけにもいかないからな。
クライアントの対応以外にも、後は聞き込みはできるだろうし、とにかくなんでもやらせてみるか。そもそも俺も体力仕事を専門に担当しているからな。
「じゃあ、今日のところは説明と、後俺に付いて来て、雰囲気に馴染んでくれ」
「はーい、かしこまりました、先輩」
「やめてくれ。普通でいい」
「佐藤弘次はわがままね」
「悪かったな、諦めろ」
変にかしこまられると、社長に見られたら面倒だ。というか一ノ瀬は俺の中でどう扱うべきか迷う。クライアントもどきから知り合いの子供で、今は一応後輩か? しかし仕事で保安官関係以外の人間とは接したことがないので、敬語を使わせるべきわからん。何のしがらみもなくバイトが初対面なら迷わず敬語でいいんだが。……まぁ、特別扱いでもいいか。他に社長の身内が来ることはないんだから。
「というか敬語はいいが、いい加減そのフルネーム呼びは何とかならないのか?」
「あら、前にいいって言ったじゃない」
「消去法だ」
「じゃあ佐藤さん?」
「うーん」
保安官では基本的に下の名前で呼び合うのが、規則ではないが習慣だった。なのでこの事務所の人間もみんな名前でよんでいる。慣れないので弘次でいいんだが、しかしそうすると一ノ瀬も下の名前で呼ぶことになるのでそれは避けたい。
「まあ、いいか。やっぱ好きによんでくれ。佐藤弘次でいい」
「訳のわからない人ね。じゃあ、佐藤弘次と呼ぶわね」
社長のことがあるので付き合いはそれなりに長くなりそうだし、好きにさせておこう。それよりは、今日の仕事の方が大事だ。
人捜しについては伸二さんと協力しているし、一ノ瀬に一通り説明したら話をしにいこう。あと紹介もしないとな。
○
浅倉伸二さんは定年後の手慰みとして働いている多くの人の内の一人だ。伸二さんは61歳。保安官の定年は60歳なので、探偵事務所に入ったのは俺が先輩だったりする。もちろん経験も何もかもかなわないが。いや、若さと体力は別か。
「弘次君、これにまとめておいたから目を通してくれ」
「ありがとうございます。伸二さんの書類って、いつも凄く見やすいんですよね」
「はは、ただの年の功だよ」
「でも四郎さんのは見にくいですよ」
「彼はねぇ。字が汚いからねぇ。ああ、千里ちゃん、遠慮せずに食べなさいね」
「は、はい。ありがとうございます」
伸二さんは俺が午前から15時まで外回りで手に入れた情報を渡し、一ノ瀬に説明なんかをしている間に整理してくれた。割合として俺たち若いもんがより多く外回りを担当する分、伸二さんたちは事務方の仕事を多く担当してくれる。
3日前に持ち込まれたお貴族様からの依頼で初恋の君とやらを探している。ちなみに使用人が依頼をしにきていて、依頼人は匿名だ。それ自体は珍しいことではないが使用人まで顔を隠す念の入れようは珍しい。
「へぇ、何だかロマンチックな話ですね」
「千里ちゃんも、好きな子とかいるのかい? おじさんが紹介してあげようか」
「いえ、結構です」
「残念だ。ところで弘」
「何度も言いますが、俺はまだ若いので結構です」
「若くはないでしょ」
「うるさい」
「そうそう、弘次君も若くないんだから。結婚もいいものだよぅ」
伸二さんは人当たりもよく話し方も柔和で有能で尊敬するが、このやたら見合いを進めてくるのだけはやめてほしい。あと俺は若いし、若くないとしたら伸二さんもおじさんじゃなくておじいさんだから。
「その話は結構です」
お貴族様の初恋の相手は10年前、お屋敷を抜け出して街の南区で出会った女の子。
あだ名は花ちゃん。髪色は赤く、健康的な肌にそばかすがあってチャーミング。明るい緑の瞳が輝いていて、はにかむ笑顔が最高に可愛い。とのこと。
名前不明。家不明。特徴は10年前。手がかりはないない尽くしだが、髪色と瞳はやや特徴的だ。大人になった今では色は多少変わってもおかしくないが、少なくとも子供のころは目立ったはずだ。本名くらいはわかるだろう。
そう思って探したが、南区は特に移民が多い地区だ。カラフルな髪の色は珍しくなかった。何とか1日使って、元友人から名字がハミルトンと言うこと、両親が料理店をしていた情報を手に入れた。
その情報を元に伸二さんが調べてまとめた結果によると、確かに10年前に南区のアルガイ街の二番通りにハミルトン夫妻が料理店の申請をしていたことがわかっている。しかし7年前に終了手続き及び転居手続きがされている。手紙などの転送の為の新規住所登録手続きはされていない。
地区ごとに管轄が別れているので、今も王都の別の地区にいるのか、または別の地域へ行っているのかは不明だ。
「伸二さん、出都手続きの履歴は?」
「一応確認しているけど、出都だけなら手続きはうるさくないからねぇ。数も多いし。転居手続きしたすぐ後の時期だけは見たけどなかったよ」
「うーん」
「あの、とりあえず7年前の時点では出ていないとし、他の地区で探すのはどうでしょう」
「そうだなぁ。まぁ、とりあえずそうするしかないか」
「そうだね。明日は僕が、七年前に申請かまたは転居手続きで入居の履歴がないかを見ておくよ」
「お願いします」
「いいよ。君明日はストーカーの依頼人との対面でしょ。机に書類を置いておくから」
つまり明後日は伸二さんは休みらしい。
うちの社員の半数以上をしめる定年後の先輩方は俺のように最低週5働く正規社員ではない。時間給で依頼があるだけ入って、ないときは週単位で休みになったりする時間制不定型社員だ。若くても事情から不定方のやつもいるし、実質うちで正規社員なのは数えるくらいだ。
「一ノ瀬、明日の対面にはお前も出てもらうから、概要見ておいてくれ」
「出てって、あの、それってただ横にいるだけよね?」
「いや、場合によってはお前にメインで話してもらう。女同士の方がいいだろ?」
「……わかったわ」
一ノ瀬は神妙な顔で頷いた。緊張しているようだ。話を聞くだけだし俺もいると言え、最初だしな。緊張するなと言うのも難しいだろう。
「そうそう、一ノ瀬、明日はもっと大人っぽい服着てこいよ。子供と思われていたら、依頼人が安心できないからな」
「え、それはわかるけど……どんな服だといいの? スーツとか? この普段着も、別に子供っぽいつもりはないのだけど」
「……自分で考えてくれ」
言われて見ればなんとなく子供だなと感じているだけで、じゃあどこがと言われると困る。女の服なんて知らん。
「ええ、そんな、無責任な。スーツでいいわよね?」
「うーん、無理やりスーツきてもあんまりなぁ」
あからさまに着られてる感じでも困るし。
「弘次君、今日はもうないだろう。千里ちゃんの服、見てきてあげたら?」
「ええぇ……」
面倒だなと思うと同時に携帯通信機が音をたてた。嫌な予感とともに取り出し、通信文を開いた。
『言い忘れてたけど、明日からのために千里ちゃんの仕事着買ってあげてね。ちゃんと経費で半分落としてあげるから安心しな!』
くそ社長が……。
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