6 鎌倉椎名との仕事3
先輩は一気に飲み干した。いつ見ても気持ちいい飲みっぷりだ。私は半分ほどでカップを置いた。
「椎名はいつも一口に飲めないな。喉が細いのか?」
「先輩、私も女であることを考慮していただきたい」
確かに背は男顔負けに高いとは言われるし、髪も動きやすいように短くしている。男っぽいことも自覚しているので普段誰かに言われる分には流せるが、先輩に言われるとむっとする。
私とて、生まれ持った性別は間違いなく女であるし、何より女であることを捨てた覚えはない。仕事中ならまだしも、プライベートな時間では特にだ。
「そうか……そうだな、椎名は首が細いからな」
「先輩、もう酔ってますか?」
「違う。女だから首が綺麗だなってことだ」
……。全く、これだから、先輩は困る。首なんて意識していないのに見ないでくれ。恥ずかしくなる。
「で、椎名。お前あれ、いつから企んでいた?」
「企むとは人聞きが悪い。私は先輩の為にもなると思っていたのに」
「いやまぁ……なんだ。感謝はしてる。ありがとうな」
先輩は少し照れたように笑いながら、私をまっすぐ見つめてお礼の言葉を口にする。そんな笑顔を向けられたら、もうそれだけで、今までのことが報われた気がした。
正直に言えば、姫と先輩を会わせるのは簡単なことではなかったし、かなりの労力を要した。だけどそんなことはどうでもいい。心から良かったと思える。あちこちに作った借りを返していくことを思って少し憂鬱な気持ちもあったけど、この先輩の笑顔があれば頑張れるだろう。
「どう致しまして。先輩の為なら、どうということはありません」
「はっ…お前みたいに先輩思いの後輩を持てて、俺は果報者だな」
それから私たちはずいぶんと久しぶりに、昔話に花を咲かせた。とても楽しくて、永劫に続けばいいと思えるほど至福の時間だった。ずっとこうして、昔話をしたいと思っていた。
○
俺が椎名と出会ったのは俺がまだ21歳で椎名が18歳の、今から8年前のことだ。
「おい、弘次。喜べ! お前の部下を連れてきてやったぞ!」
「……あの、俺、夜勤明けで、あがりなんですけど」
「可愛い後輩だ。可愛がってやれ!」
5つ上の型破りな上司は実に型破りなことに当時すでに隊長のくせに一番下っ端な役しかない俺しか部下がいなかった。おかげでことあるごとに俺を振り回していたが、当時すでに三年も下に付いていれたので慣れてきていた。
俺は欠伸をかみ殺しながら後輩だと言う新入隊員に向き直る。これから俺の後輩、つまり破天荒上司の部下になることを思い、可哀想にと同情していた。今思えば無用な感情だが。
「俺は佐藤弘次だ。弘次先輩でいいぞ。困ったことがあれば何でも言え」
「私は鎌倉椎名です。鎌倉でいいです」
正直に言うと少し面倒だなと思った。椎名が女だったからだ。上司が上司なので部下に連れてくることに疑問はないが、俺が教育をすることを思うと勝手がつかめないだろうと思った。以前にも後輩の教育係をしたが、男だったからだ。
だが俺の心配は杞憂だった。というか、男とか女とか関係なくただただ椎名自体が手の掛かる面倒なやつだった。
「んじゃ、まず仕事の説明でも」
「いえ、必要ありません。全て頭に入っています。佐藤先輩はどうぞ、お帰りください」
椎名は俺に対してつっけんどんだった。いや、俺だけじゃない。椎名は誰に対しても冷たかった。馴れ合いを嫌う手負いの獣のようなやつだった。
仕事上必要最低限のことしか話さないし、話しかけても私語は慎めなんて言ってくる生意気なやつだった。俺はどうにも見ていられなくてあの手この手で話しかけたがうまくいかない。食事に誘っても断られるし、無理にスケジュールをあわせて訓練に押しかけても梨のつぶてだった。
そんな折、事件が起こった。このあたりはそれほど事件ばかりが起こる無法地帯と言う訳じゃない。王住まう都として相応しく保安官の数も多い。だがそれと比例して人口がとても多い。その為、事件の数だけで言えばやはり他の街より多くなる。余所では稀にしかないような凶悪事件も年に一度は起こる。
その年は連続猟奇殺人事件が起こっていた。俺と椎名は当然ペアとして警邏をしていた。そこから詳しくは椎名の名誉のため省くが、犯人と出くわして捕まえた。椎名が腰を抜かしたのでおぶって帰って、その貸しを返せと強引に食事に誘って腹を割って話して打ち解けた。
「弘次先輩、その、これから、よろしくお願いします」
と言う流れで俺と椎名は親しくなった。
それから今に至るわけだ。今では俺より立派な保安官なわけで、嬉しいような寂しいような気持ちだ。って俺は保護者か。普通に羨ましい気持ちもあるが、本人の努力はわかってるから嫉妬もない。むしろ尊敬する。
今の自分を否定するつもりはないが、一度逃げた俺をいつまでも先輩と慕う椎名には少し悪い気さえする。それくらい椎名は立派になった。
しかしその立派な地位にいるにはやはり苦労も耐えないらしい。
「うー、先輩ぃ……」
椎名は酒に強いと言うわけでもない。特別弱くもなく、ごく普通だ。引き際もわきまえていて、椎名と呑むのは珍しくないが醜態をさらしたところは見たことがない。
だと言うのに珍しく、今日はずいぶんと酔っ払ってしまったらしい。いつもより頬が赤く、口調が緩慢で動作が乱雑だ。
「どうした、大丈夫か? 椎名」
「大丈夫ですけどぉ、大丈夫じゃありません」
「酔っ払っいめ」
「酔ってません。私はいつも通りです」
そう言いながら椎名はふぅとため息をついた。珍しい酔っ払い姿の椎名は暑いらしく汗ばんでいて、その様子には少しドキリとした。
椎名は自分が女らしくないと思いこんでいるらしく、俺の前ではすぐに気を抜いて隙を見せるし、薄着にもなる。だが正直、俺じゃなかったら今頃何度も大変なことになってるぞと言いたいくらい無防備すぎる。いや、強いから問題ないだろうが。それにしたって、丸きりモデル体型でスタイルがいいことを少しは自覚してほしいものだ。
「わかったわかった。お前は頑張ってるよ、偉い偉い」
机に肘をついて前屈みになっている椎名の頭を撫でて誤魔化す。こうすればいつも椎名は子供扱いするなと言うので、少しは冷静になってもらおう。
「…もっと」
「ん?」
「もっと、撫でてください」
「………わかったよ」
どうやら本当に疲れているらしい。今日の姫の件でも色々とあっただろうし、そうでなくても大変なのだろう。俺では力にはなれないが、こうして息抜きにくらい協力するくらいならおやすいご用だ。
「よしよし、いい子いい子。椎名はいい子だなぁ」
「………」
無言でされるがままの椎名。もしかして寝ているのか?と疑う程度に時間がたってから、椎名は顔をあげた。
「ありがとうございます。少し酔ってました」
「だろうな。気にするな。誰にでもあることだ」
だから誰かに言うこともないし、恥に思うこともない。そう言外に込めて、水を入れたグラスを渡すと椎名は一気に飲み干した。
「おお、いい飲みっぷりだな」
椎名の一気飲みは初めて見た。いつもちょびちょび飲んでちょびちょび食べているから、新鮮だ。常日頃からハメを外させてやろうと思っているので、望外だが成功したので儲けものだ。
その後はほどほどになるよう飲み、満足するまで楽しんでから解散した。椎名はもう酔いも冷めていたようだったが、それでも少し顔が赤い。
「椎名、家まで送ろうか?」
「いえ、必要ありません。大丈夫です」
「そうは言っても、お前も女だしな」
「先輩……普段は全然送ろうとしないのは、どういうことでしょうね」
「はいはい。珍しく酔ったから心配しました。いつもは強いから心配してません」
女だからで強引に送ろうとしたが、逆に気分を害したらしい。面倒なやつ。やっぱり酔ってるだろ。
「本当に大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。だから……必要ありません」
「そうか。わかったよ。せめて表通りまで送る。それでいいだろ」
「……ふぅ、わかりました。それで先輩の気が済むなら、私を見送ることを許可します」
「はいはい、ありがとうございます」
椎名を途中まで送って大通りで別れた。心持ち椎名の家よりに行ったが文句は言われなかった。
家に帰り、ソファに体を預けた。煙草に火をつける。最近はどこもかしこも禁煙だ。そろそろ禁煙の時期かも知れない。事務所か家でしか吸えないし、最近は1日に数本だ。
「ふぅー……」
それでもこうして、寝る前に一本吸うことは止められそうにない。
吐き出した煙は目の前を漂って消える。その煙を眺めていると頭の中がクリアになっていくのを感じる。
財布と一緒に携帯通信機をポケットから出すと、携帯通信機のランプが点滅していた。音を切っていたので気づかなかったらしい。
通信文が二件きていた。一つは妹からだった。内容は今までと変わらない、俺の生活を心配するものだった。お袋の代わりに通信文を送ってきているのはわかるが、自分の体を心配してほしいものだ。次の休みには様子を見に行くか。
もう一つは一ノ瀬からだった。可哀想なことにあいつは友人が少ないらしく、自宅の通信機を使えるのが楽しいのかちょくちょく通信文を送ってくる。送る自体が楽しいらしく、返信するほどでもないことが多い。
『学校近くに出来た新しいヒーラバス菓子店に行きました』
友達と行ってオススメを分け合ったとか、そんなたわいないことが書かれていた。
「ふっ……」
思わず笑いがもれる。けして馬鹿にしたわけじゃない。微笑ましいのだ。平和で無邪気で、子供らしいこういう文を見ると嬉しくなる。仕事にやる気も出るというものだ。
今日は実にいい日だった。明日も頑張るとしよう。
○
あまりにも楽しくて、飲みすぎてしまった。そう思ったときには少し遅かった。目の前がゆっくり揺れている。麻酔をかいだときのように、ふわふわとして安定感がない。とりあえず飲むのをやめる。
こうして考えることはできるのに薄い膜でつつまれているような、フィルターがかけられたかのような感覚で、体の制御がぶれている。
カップを置くときもやや乱暴で、カツンと音がなってしまった。言葉も間延びしてしまう。
それを把握できているのに、いつも通りにするのが難しい。水の中にいるみたいだ。いつも酔わないようにしていた。
「偉い偉い」
今日は駄目だ。酔っ払ってるんだ。それは先輩もわかってるだろう。なら、少しだけ。
「…もっと」
「ん?」
「もっと、撫でてください」
言ってから、酔いではなく羞恥で体温があがるのを自覚する。恥ずかしすぎて酔いがさめてきた。何を言ってるんだ私は。
「……わかったよ」
なのに先輩は私の要望通りに頭を撫でてくれる。その大きくて不器用で優しい手は、あんまりに温かいから、私は恥ずかしさが限界にくるぎりぎりまで頭を撫でてもらうことにした。
顔をあげて恥ずかしさを誤魔化すのに水を飲み干すと、その冷たさですっと気持ちが落ち着いた。
それからはお酒は控えて、先輩とほどほどに楽しんだ。それでも別れ際、いつもより離れがたく感じたのは、きっとまだ酔っていたのだろう。
○