3 一ノ瀬千里の相談3
「……一ノ瀬、猫被りすぎだろ」
「失礼ね。淑女としてわきまえることは当たり前のことでしょう。まして、相手が相手なのだから」
一ノ瀬が相談に来てからきっちり2週間後、一ノ瀬は再びうちの事務所に着ていた。うちは社長の方針で通常の探偵事務所では受け付けないようなことでも受け付ける、何でも屋のような存在としてそれなりに頼みやすいお手軽な位置付けにある。
だが学生がほいほい来るようなものでもない。一応立地だってビルが立ち並ぶビジネス街の一角だ。端っこで繁華街に近い位置ではあるが、そもそも社長という接点がないのによく物怖じせずに来れるものだ。そういう大胆さは確かに容貌と癖をを除いても似ていると言える。
「ま、そうだな。でも別に、不測の事態が起こったわけでもなし、わざわざ報告に来なくてもいいんだぞ?」
二週間の間には逐一報告と指示はで通信でやりとりしていた。なので大体の経緯はわかっているが、一ノ瀬が改まって報告するので時間をあけろと言うので、こうして顔を付き合わせている。
王子に意味ありげな手紙を見せてから2日たった昨日の時点で接触は0だ。レギアス王子は挫折も知らなさそうだし、もうまとわりつく心配はないと考えていいだろう。また始まったとしても、それから対処すれば問題ない。少なくとも現時点ではこちらからこれ以上することはない。
だからわざわざ報告してもらう必要はない。もしやこいつ、社長にバレていて提出書を作成していることをすでに知っているんじゃなかろうか。その為にあえて伝えてくれているのだとしたら、大したたまだ。
なんせ、どう見てもただ他の人に言えない愚痴をお喋りして鬱憤を晴らしたいだけにしか見えないのだから。
「なによ、この私がわざわざ報告してあげているのに、文句があるわけ?」
まあ、いいか。わざわざ声真似までして再現してくれているんだ。午前中いっぱいはあけているし、何よりこのお嬢さんに付き合っている間は社長黙認なんだから、BGM付きの休憩時間だと思うか。
「わーったよ。んじゃ、続きも詳細に教えてくれ」
「いいわよ。あ、コーヒーお代わりちょうだい」
「…へいへい。お嬢さまの仰せのままに。ミルクと砂糖もいれておくぞ」
「2杯よ」
「わーってるって」
○
「待て、このっ」
意味がないとはわかっているが、声をあげずにはいられない。俺の手をするりと抜け出した洋子は意味ありげな視線をよこして、鼻を鳴らして走り出した。
「洋子っ」
俺と洋子はもはや顔見知りを超えて、互いに好敵手と言った関係になりつつある。洋子は白地にどこか間の抜けた配置で濃い茶色のぶち模様がされた猫である。しょっちゅう家出を繰り返し、その度にうちへ依頼をされる困ったお転婆なお嬢様だ。
体力勝負の仕事は基本的に俺に回ってくる。これでもう30回は洋子と追いかけっこをしてるだろう。実に面倒だが、金払いはいいのでやらざるを得ない。しかし洋子も学習しているらしく、回を重ねるごとに見つけた後の追いかけっこの時間は長引いている。
「にゃーん」
洋子のせいで猫が嫌いになりそうだ。俺、可愛いものは嫌いじゃなかったんだけどな。
「あら、佐藤さん」
「悪い、今急いでるんだ」
途中で面識のある人間から声をかけられたが足は緩めない。今日はすでに一度見失っている。依頼を受けてから三日目だ。そろそろ捕まえなければいけない。
「洋子っ、いい加減に待てっ」
角を曲がって、屋根に上がる洋子を先回りして、角の家まで追い詰めた。追い詰めたはいいが、なかなか降りてこない。
「うにゃー」
鳴き声はするが、下から見えない位置でゴロゴロし始めたらしい。塀ぐらいならともかくさすがに、他人様の屋根に上がり込むわけにはいかない。
しばらく休憩だ。しかしいつ動き出すかはわからない。俺は息を整えながら近くの自動飲料販売機から水を買い、屋根を見上げられる位置の塀へ背を預けた。
屋根が安全地帯であることは洋子はすでに理解している。きっとあいつ自身もすでに相当消耗しているのだろう。下に降りてきた時が勝負だ。歯でビンの王冠を抜いて一口飲む。冷たい。
自動飲料販売機なんてほんの十年前にはなかった。どこでもいつでも冷たい飲み物がのめるとは、便利な世の中になったものだ。
「さっ、さとっ! 佐藤!」
「ん? どうした、一ノ瀬」
俺が走ってきた方向から一ノ瀬が走ってきた。本人曰わく淑女然とした猫被りがかなり剥がれている。どうしたのだろう。外で会った時はいつも気持ち悪いくらいの態度だったのに。今日は珍しいな。
「佐藤、さん、が、はぁ、無視、するから、」
「ああ、さっきか。いや、無視はしていないだろう。急いでたんだ」
「あのねぇ、こほっ、はぁ」
「まあ落ち着け。水飲むか?」
「い、いただくわ」
ビンを渡すと一ノ瀬は勢い良く飲み干した。おい。……まあ、いいんだが。
「ありがとう。佐藤さん、さて、では説明していただきたいのですが、今ならお時間よろしいでしょうか?」
「もう半分とれかけてるし、どうせ人もいないんだ。普通に話せよ」
「……あのね、そういう言い方されたらまるで私の性格が悪いみたいじゃない」
「違ったか?」
「ちょっと!」
「冗談だ」
一ノ瀬は自覚があるのかわからないが、ふとした雰囲気が実に社長に似ている。だが社長と違って年相応に怒ったり拗ねたりと、すぐ反応する。それが何だか面白くて、ついからかってしまう。すまんな。恨むなら社長を恨めよ。
「…で? 何してるのよ」
「見てわからないか? 洋子、迷子の猫探しだ。今屋根の上にいる」
「……なるほど。わかったわ」
「理解が早くて助かるよ」
「あなたが言うと、どんな言葉も嫌みっぽいわね」
「悪かったな。お前、暇なのか?」
「暇じゃないわよ。忙しくて仕方ないわ」
「そうか。じゃあちょっと、時間潰しに話でも付き合ってくれ」
「暇じゃないわよっ。まぁ、仕方ないから、話くらいしてあげるけど」
「ああ、頼む」
何だかんだで、一ノ瀬はすれていないしいい子だ。十年前は俺もこんな感じだったんだろうか。社長から見た俺は、こんな感じだったのだろうか。何故だか少し、一ノ瀬が眩しく感じられた。
「一ノ瀬は猫は好きか?」
「好きよ。基本的に動物は何でも好きよ。可愛いもの」
「そうか。俺もだ」
「えっ……そう。ペットとか飼っているの?」
「いや、不規則な生活をしているからな。無責任なことはできない。一ノ瀬こそ、飼っていないのか?」
「うーん、私も、子供のころは飼いたいって思ってたわ。でも母が毛のある動物全般にアレルギーを持っているから。軽いものだけどね」
「そうか。残念だな」
「そうね。洋子ちゃんってどんな子なの?」
「洋子は茶ぶちだ。顔は可愛い」
「へぇ、猫相手には素直なのね」
「あほか。俺はいつでも素直だろうが」
特に何があるわけでもない雑談だが、俺は意外に思われるが人と話すことが嫌いではない。
そうして会話をしていると、洋子が動く気配がした。そろそろか。
「一ノ瀬、洋子が動く」
「そう。手伝うわ」
「助かるがいいのか?」
「お喋りに付き合わせておいて今更ね。それに私、動物には好かれるタイプなの。向こうに回るわ。二手に別れましょう」
洋子自身もわきまえているので、今までの経験からくる感覚としてはもう少し走れば満足して捕まってくれるだろう。所詮本気の家出ではない。
「頼んだ」
しかし捕まえるに越したことはない。きちんと捕まえればそれはそれで洋子は大人しくなる。爪をたてたり、事務所まで帰って油断させてから逃げる、というようなことは今までない。
一ノ瀬は小走りに俺がいた場所から家を挟む位置になるよう移動した。
「! 一ノ瀬! そっちに行ったぞ!」
その一ノ瀬の背中を追うように、洋子が屋根から飛び降りて走り出した。俺の声に立ち止まって振り向いた一ノ瀬の横を洋子はすり抜けた。俺もそれを追いかける。
「洋子ちゃん、おいで」
「なっ」
全力で走り出したが、一ノ瀬の呼びかけに何故か洋子は振り向いた。そして腕を広げた一ノ瀬に向かって飛びかかる。
「よしよーし、可愛いわねぇ」
一ノ瀬の腕に抱かれた洋子はごろごろと喉をならしている。実に可愛い。
「……お前さん、洋子と知り合いだったのか?」
「まさか。でも、動物には好かれやすい方よ」
一度逃げ出した洋子は飼い主が呼んでも戻ってこない。途中で疲れて帰ろうかと考えても、戻ってくるのではなく立ち止まって俺に迎えに来させるような態度だ。なのに一ノ瀬には呼ばれただけで飛び込むだと? 好かれやすいって問題か?
「はい、洋子ちゃ……あら」
「すまんが、事務所まで来てもらってもいいか? 礼はする」
「いいわよ、別に。コーヒー一杯で手をうつわ」
一ノ瀬が俺に渡そうとすると洋子は嫌々と頭をふるので、一ノ瀬には悪いが事務所まで付き合ってもらうことした。
歩きながらも時間つぶしに話をふる。
「こいつ、いつもは呼んでも振り返るだけで来やしないんだがな。よっぽど一ノ瀬が気に入ったらしい」
「いつもって、そんなに頻繁に家出してるの? 洋子ちゃんは悪い子ねぇ」
「にゃーん」
「月に一回くらいだな。ないときは2、3ヶ月ないが、多い時は毎週逃げたりしてる」
「ま、そんなに。じゃあ、また今度逃げた時は、手が空いてたら手伝ってあげるわ」
「いいのか? 金は出さんぞ?」
小遣い程度あげてもいいが、さすがに直接現生を渡すのは抵抗がある。それに俺は仕事一回ずつで金をもらってるわけじゃないからな。
「ハルさんのお手伝いでもあるもの。お金はいいわ。飲み物くらい奢ってくれれば」
確かに、早く終わればその分他の仕事ができ、ひいては社長の為になる。本当に社長に懐いているらしい。社長は一体何をやったんだ。
「それくらいなら。んじゃ、また次があって、たまたま見かけたら声かけてくれると助かる」
「休日なら、電信文くれれば来るわよ」
「……お前、よっぽど暇なのか?」
「失礼ね。暇じゃないわよ」
さすがに今回はガチすぎて、友達いないのかとは聞けなかった。俺が学生のころは、休日は疲れてひたすら寝るか、連れと飲み歩くばかりだった。でもバイトもしていたので、いくら自習をする優等生でも多少の時間は余っているか。
「んじゃ、捕まりそうもなかったらな。そういや一ノ瀬、あれから王子はどうだ?」
「ん、そうね。顔を合わせたら挨拶はするし、そうそう、先一昨日には、勉強を見てあげたけど、特に問題なかったと思うわ」
「そうか。よかったな」
「ええ、改めてありがとう。助かったわ」
「どういたしまして」
「本当にお金はいいの? 何もしないって言うのはさすがに気になるわ」
「馬鹿言うな。子供からお金をもらうわけにはいかないだろ」
まして社長の姪だしな。知られたらどんな目に合うか。元々子供からもらうつもりはなく、無償のつもりだった。こうして手助けしてくれるようなやつならなおさらだ。
「子供じゃないわ……それに、タダの方が気になるわ。言うじゃない。タダより高いものはないって」
むくれる一ノ瀬だが、確かにそれも一理ある。子供と言っても幼いってほどじゃない。借りをつくったと考えても仕方ない。しかしじゃあちょっと払ってもらう、というのも具合が悪い。なんとか納得してもらうか。
「ふむ……じゃあこうしよう」
「なに?」
「現役女学生の連絡先や伝手を手に入れた。これはいくら払ってもそうそう手に入るものじゃない。どうだ?」
「……おじさんくさいわ」
「うるせーよ。俺はまだ若い」
「えー、私より12も上じゃない」
「お前16か。わっかいなぁ」
そのくらいだとは思ってたが、言葉に出されると本当に子供だなぁ。若い若い。羨ましいくらいだ。まあ、だからって戻りたいとは思わないけどな。
「そうよ、おじさん」
「おい、いくらなんでもその呼び方はやめろ。フルネーム呼び捨ての方がマシだ」
「じゃあ、パパ?」
「…勘弁してくれ」
それじゃまるきり怪しい関係に聞こえるだろうが。というか、俺はまだ若い。
○