2 一ノ瀬千里の相談2
「なんでよ。恋人がいるって言えば諦めてくれるでしょう?」
恋人のふりは安易で簡単だし、効果がわかりやすい。だがそうして嘘をついてしまえば、バレた時に面倒だ。元々友達の同級生ならともかく俺では、まさか帰るまで恋人ごっこをするわけにもいかない。というか勘弁してくれ。
「そもそも人は自分の信じたいものを信じるものだ。都合の悪いことは、本人から直接言われてもなかなか信じないものだ」
「む……確かに、そう言うこともあるかも知れないわ。でも、じゃあどうするのよ」
「どんなに都合が悪くていっそ本人に否定されても、自分で出した答えというのは何故か一番真実味があると思い込んでしまうものだ。特に子供はな」
「……つまり、それっぽく見せて王子に勘違いさせるってこと?」
「そうだ。もし直接聞かれたなら、頬の一つでも染めながら否定しろ」
そうすればこいつは嘘をついていないのだから、後々文句を言われても大丈夫だ。王子をたばかったとなれば問題だからな。
「……わかったわ。具体的にどうすればいいの?」
「そうだな」
今までに担当したストーカー案件とも違う。相手が相手なので片思い相手がいると知っても逆上する心配もない。ある程度あからさまにしたほうがいい。
「まず友人に協力は頼めるか? 口裏を合わせてもらうだけだが」
「それくらいならもちろん。私の友人はみんな口が堅いわ」
「そうか。なかったらなかったでいいが、変に王子の味方をされては困るからな」
「私の友達は、友人思いだからそんなことしません」
「そうむくれるなよ」
さすがに今日明日では何ともならないだろうが、これは別に今すぐ解決しなくても命の危険があるわけでもない。二週間くらいかければ十分だろう。
「まず設定を綿密にしよう。ボロがでないようにな」
そうだな。学内で会わない人間なのは当然として、釣り合うような人間の方がいいか。となると、年上の元先輩で国勤めあたりが打倒か。とりあえず、一ノ瀬の希望も盛り込もう。現実的な方がいい。
「一ノ瀬、お前の男のタイプは?」
「え、そうね…あなたと正反対とか?」
人が真面目に聞いているのに、全く。
○
「レギアス王子? どうかされましたか?」
「しっ、なんでもありません」
声をかけてきた先輩を追い払う。いつもここにいるので、いい加減千里先輩以外にはバレているだろうが、目立たないようにしているのは明白だろう。声をかけるというような、人の目を引くことはやめてほしいものだ。
放課後、千里先輩にいつものようにお声をおかけしようと教室の前でタイミングを計っているのだが、今日は中々出てこない。友人の先輩と別れる声も聞いているし、見逃したと言うこともないはずだ。
だから普段はこんな、覗きのようなデリカシーのないことはしないのだが、つい中を覗いてしまった。
他に生徒のいなくなった教室で、千里先輩は席に着いたまま何かを書いておられた。勉強だろうか。
千里先輩は勉強熱心だ。成績は入学してから常にトップだと聞くし会話をしてもその博識さには驚くばかりだ。
それにしても、真剣な表情の千里先輩は魅力的だ。千里先輩とは留学初日に先生の言いつけで案内してくれてからの付き合いだ。
女の人と言うのは姉上を除いてみんな恋愛沙汰しか頭になく化粧臭くて、うるさくてまとまりついてくるうっとうしい馬鹿ばかりだと思っていたから、千里先輩と会って衝撃を受けた。とは言えその後はこの学園では千里先輩と同じように勉学に励み、けばけばしくない女の人も珍しくないと知ったが。
しかしそれでも、千里先輩ほど優秀で、そして綺麗な人はいなかった。
そう、僕は千里先輩に恋をしていた。
一緒にいる時間を増やし、さりげなく僕のことをアピールしている。お嫁さんになってくれないだろうかと思っている。
「……はぁ」
「?」
千里先輩がため息をついたのが聞こえた。何か、悩んでおられるのだろうか。力になりたい。出会って間もない僕だから千里先輩も相談してくれないのだろうか。
アプローチをする上で迷惑にならないよう千里先輩の教室に入らないと決めているが、今は非常時としてよいのではないだろうか。
「……さて」
先輩は筆記用具を片付け始めた。む、終わりか。よし、話してもらえるようにさりげなく聞き出すか。
先輩が片付けて教室を出てくるのを待って声をかける。
「千里先輩、こんな時間に会うなんて奇遇ですね。お帰りになられるところでしょうか?」
「まあ、レギアス王子。本当に、奇遇ですね。はい、そうです」
「では門までご一緒してもよろしいでしょうか?」
「はい。お願いします」
よしよし、いつも通りさりげなく誘えたぞ。
並んで歩き出しながら私は悩みを聞き出すために、さて何から聞けば自然にできるか。
「千里先輩、何かお悩みごとはありませんか? いえ、何となく困ったような顔をされているもので」
よし、これで完璧だ。
「まあ、ご心配おかけして申し訳ございません。ですがお気遣いなく。特に困ったこともありませんわ」
「え、えっと、ですが、えっと……」
真っ向から否定されるとは!? ううむ。何と言うべきか。
「えーっと、ちなみに千里先輩はこんな時間まで教室で何を?」
「ああ…………何でもありませんわ。ただ少し、自習していただけです」
何故か直感的に嘘だと思った。根拠はないが、目をそらしているし、千里先輩らしくない間が空いた。
「……先輩、僕は」
何を言おう。何を言えばいいのかわからない。何もわからない。
「レギアス王子こそ、今まで何を?」
「えっ、あっ」
今まで聞かれなかったから忘れてた! な、なんと言おう。
○
その日を境に、いや、実際にはもっと前からそうだったのかも知れないけれど、少なくとも僕にはそう見えた。
あれから千里先輩を悩みがあることを前提に見つめると、少しずつおかしなことがあることに気づいた。
例えば図書館での自習中、本を探しに行く先輩をいつもはしていないがこっそり様子を伺うと、生徒手帳をじっと見ていた。しばらく見てから本を取ったので、単にタイトルをメモしていただけなのかも知れないが、何となく気になった。
例えば先輩はたまに窓から外を見たりしているが、よくよく見ると考え事をしているように見える。
例えば食事中も、小食なだけかと思っていたが、悩みがあって食欲がないような素振りだ。
例えば普通に話をしているときも、時々返事まで時間があく。それは単に聡明な先輩だから安易に脊髄反射的に返事をするのではなく、きちんと考えて返事をされているのかと思っていた。だがよくよく考えてみれば、先輩ほどの人がそうそう返事に困るはずがない。
以上のことを総合して考えてみると、やはり千里先輩は何か悩み事があるのだろう。
何とか相談してほしい。それによって信頼を得たいと言う下心もあるが、それ以上に千里先輩には憂いて欲しくない。
先輩の為ならどんな事をしてでもその悩みを取り払うのに。先輩が一声かけてくだされば、理由だって言わなくていい。僕は何だってするのに。
僕はどう聞けばわからなくて、だせも放課後のある日についに我慢できなくて、千里先輩に改めて尋ねた。
「先輩、あの、何か、悩みがあるなら、仰っていただけませんか? 僕にできることならしますから」
「え……ありがとうございます。でもどうしてそう思われるのですか? 私は何も、思い悩むことなんてありませんよ」
嘘だ。嘘に決まってる。だけどその理由はどう言えばいいんだ。特別目立つ信号を出してくれているわけではない。言うなれば僕が千里先輩を愛しているから、ずっと見ているからわかる違和感のような、曖昧な感覚によるものだ。
それを理由として話すことはできない。でも絶対だ。僕のこの直感が間違いであるはずがない。間違いないんだ。なのにどうして話してくれないんだ。そんなに僕は頼りないのか。
僕が年下なことも、会ってまだそれほど時間がたっていないこともわかっている。だから僕のこの憤りに似た屈辱感も、見当違いなものだってわかっている。わかっているけど、たまらない。
ああ、先輩。千里先輩。麗しいあなた。僕は、僕はあなたのことを知りたい。
「先輩、僕はっ!」
「きゃっ」
興奮した僕は思わず、先輩の腕を引っ張って僕に向かせてしまう。こんな、女性を力付くでだなんて、いけない。
僕は我に返って慌てて手を離して、それと一緒に僕のせいで先輩の手から滑り落ちた教科書やノート、筆記具を拾い集める。
「あっ」
その中の一つ、冊子と冊子に挟まっていた一枚の紙を拾うと先輩が声をあげた。思わず、これもまた紳士のやることではないのはわかっていたが、紙に視線を落としてしまう。
愛しの千里へ。挨拶は失礼するよ。早速だが本題に入らせてもらう。僕らの婚姻について
「レギアス王子!」
千里先輩が彼女らしくない大声で僕の名前を呼びながら、紙を取り上げた。振り向くと先輩はその、手紙のような何かを胸に抱くように持っていた。
「拾っていただいていることは感謝致しますが、読まれては困ります」
「……恋人からの、手紙ですか?」
「違います。そんな人じゃありません」
きっぱりと千里先輩は否定した。だけどそんなの、嘘に決まってる! だって先輩は、見たこともないくらい真っ赤になっていて、有り得ないくらい可愛らしくて、どう見たって、関係ない人からの手紙ではない。
「……婚約者、ですか?」
「ですから、違います。もう、このお話はやめましょう。悩みだってありません」
悩みを話してくれないはずだ。物思いに耽るのも、ため息をつくのも、恋の病だったのだから。生徒手帳もきっと、愛しの人からの手紙を呼んでいたのだろう。
なんてことだ。なんて、滑稽なんだ。気づきもしないで、馬鹿みたいに。いや、馬鹿だ。
「レギアス王子?」
「……すみません、失礼しました」
僕は居たたまれなくて、どんな顔を千里先輩に向ければいいのかわからなくて、その場を逃げ出した。
○
頬を染めろなんて言われて、絶対無理だと思っていたけどなんてことはない。恋人がいたことなんて一度もないのに、自分で自分あてに筆跡まで変えて書いた恋文を見られたのだ。恥ずかしくないわけがない。意図する必要もなく私の体温は勝手に上昇した。
レギアス王子は思惑通りに勘違いしてくれたようだ。立ち去った瞬間、泣いていたように見えて少し可哀想だった気もする。
だけど仕方ない。レギアス王子はさすがに気を使うし、無碍にはできない。それでいてあそこまで付きまとわれては息が詰まって仕方ない。レギアス王子がきてから小試験で10点中9点をとり、初めて満点を逃してしまった。それほど影響がでていたのだから、慌てて対処せざるを得なかった。
すぐ思い浮かんだのはハルさんだけど、さすがに王子となれば迷惑だろうし、破れかぶれで彼に相談したけどなんとかなって本当によかった。少なくとも今のところ順調だ。レギアス王子の反応を待とう。
それにしても、手紙はどこまで見られたのだろう。見てすぐにわかるようにあえて挨拶もはぶき、文頭から意味深な単語を散りばめた。今見ても恥ずかしい。
早く帰って、誰にも見られないように処分しなければ。
○