14 佐藤弘次の日常2
「よう、一ノ瀬、おはよ、う…………お前、体調悪いのか?」
土曜日、朝からやってきた一ノ瀬は顔色が悪かった。
「別に」
「別にってレベルじゃないだろう。こっちこい!」
一ノ瀬を引っ張って事務所の奥の仮眠スペースにいれた。といっても物置の棚まみれの部屋の中に、眠る用のクッションとタオルケットとソファーがあるだけだが。一応部屋も違うので、眠る分には支障がない程度には静かだ。
「ほら、ちょっと寝てろ」
「眠くないわよ」
「なんだ、子守歌が必要か?」
「子供扱いしないで。大丈夫よ」
無理やり寝かせた。力があまり入らないようで、簡単だった。それほどなのに一ノ瀬は寝ようとしない。
「何か困ってるのか? 俺でよければ話を聞くし、俺が嫌なら、社長を連れてくるぞ?」
「……誰のせいだと、思ってるのよ」
「はい?」
「あなたが二股かけてるから悩んでるんじゃない!?」
「……は?」
「しかも片方は妊婦さんなんて、最低よ!」
「お、落ち着け。話し合おう」
何かとてつもない誤解があるようだ。
誤解も六階もあるかと怒鳴りそうな一ノ瀬を何とか落ち着かせ、話を聞き出すに、先日由香里と俺を見かけていたらしい。そして事務所近くの花屋で別の人といたのを見て、仲むつまじい様子だったので最低と。よし、とりあえず落ち着け。
「俺は誰とも付き合っていない」
妹と後輩であることをこんこんと説明したが、納得しないようだ。
仕方なく暇で仕方ないだろう妹に通信を繋げて説明したが、次は椎名だ。椎名はそうそう電話にでれないからな。
というか、何故だ。確かに妹とは手を繋いでいたし、ふざけていたので誤解される要素はあったかも知れないが、しかし椎名は別にいつも通りだ。誤解されるほど接触したりしていなかったはずだが。
「確か椎名は制服だったし、勘違いしようがないだろう?」
「だって……名前を呼び捨てしていて、距離も近かったもの。まぁ、由香里さんが妹さんなのはわかったから、少なくとも二股ではないのはわかったから、それは安心だけど」
安心と言いながらもまだ不満そうだ。良いからさっさと一度寝させてしまおう。俺が悪い奴だと勘違いして心配させたのは悪かったが、もういいだろ。いいから寝て精神を落ち着かせろ。
「距離もだが、呼び捨てとかそんなもの、保安官なら当然だ。特に同じ班なら先輩は後輩を呼び捨てが基本だ」
「………確かに、みなさんも私のこと名前でよぶけど」
「そうだろ?」
「でも、あなたは一ノ瀬じゃない」
「じゃあ千里って呼ぶから。な? それならもう変な心配いらんだろ?」
「………うん」
「なら、もう寝ろ。さっきからちょっと揺れてるぞ。な? お前さんはまだ子供なんだから、きちんと寝なさい」
「子供じゃないもん」
「わかったわかった。お休み」
「…おやすみなさい」
何とか一ノ瀬を寝かしつけた。
全く、仮に本当に俺の二股現場を見たとしても、そんなに気になるならさっさと通信文なりで聞いてこいっての。
まあ、真面目な一ノ瀬のことだ。俺に対してどう接するべきかわからなかったんだろう。午後まで寝かせてやろう。
「あの、おはよう、ございます」
そろそろ起こしに行ってやろうかと考えていると、一ノ瀬が自分から起きてきて、気まずそうに挨拶をした。
「おう。落ち着いたか?」
「ええ……その、変なことになって、ごめんなさい」
「いいさ」
この程度なら早とちりも可愛いもんだ。もっと突っ走って社長に相談し足りして、万が一本気にされたりしたらとんでもないからな。
「一ノ瀬、ちょっとこれ」
「千里」
「ん?」
「千里って、呼ぶって言ったじゃない…」
照れたように頬を赤らめながらも一ノ瀬はそう言った。ふむ。まあ確かに全員が下の名前で呼んでいて、俺もみんな下の名前なんだから、一ノ瀬だけいつまでも一ノ瀬なのもおかしいか。
「ああ、悪い。千里な、千里。千里にこれ、プレゼントだ」
「えっ、これ、私に? な、何よ、急に」
水につけてた切り口を拭いて、まだまだ元気な花束を渡してやると千里は目を白黒させた。
「親孝行のアドバイスのお礼と、あとこないだ元気なかったからな。ま、俺のせいだが」
「そう……まあ、その、実際あなたが紛らわしいシスコンだったせいだし。受け取るわ。ありがとう」
「どういたしまして」
「それにしても、さらっと花束とか、あなたキザね」
「そうか? 昔から、女には花って相場が決まってるだろ。俺の姉妹も花が好きだったし」
「そうだけど、まあ、いいわ」
千里は匂いをかいでご満悦だ。うんうん。やっぱり女には花で間違いないな。
「そうそう、この間の椎名もそれ選ぶのを手伝ってくれたんだ。ちょうど通りかかってな」
「…そうなんですか」
「ああ。まあ、結局俺の好みになったが、いくつかアドバイスはもらったぞ。大きさとかな」
「ふぅん。そう、通りで素敵な花束だと思った」
千里なぁ、そう言うことは思っても口にするなよ。
○
「社長、明日こと忘れてませんよね?」
「ほえー? なんのことー?」
「気持ち悪っ」
「んだとこら。まあ、自覚してるけど」
「ならやめてください。明日、椎名が千里と社長の顔見に遊びに来るっつってたでしょう」
「ああ、覚えてる覚えてる。問題ないって、ちゃんとお昼はあけてる。ひさしぶりだなー、ひさしぶりに高い高いしてやろうかな」
「何で親戚の赤ん坊みたいな対応なんですか。ていうかしたことあるんですか?」
「あるよ」
どうやってだよ。嘘か本当かわからない冗談は放置するとして、なら問題ないな。千里も相手が部隊長様の椎名とあってちょっと緊張してたが、社長がいれば問題ない。
「てかさー、さりげにこないだから千里ちゃんのこと呼び捨てにしてるよね?」
「はい。というか、もうみんなそうですし。俺だけ名字もおかしいでしょう」
「そりゃ、千里ちゃんがいいならいいんだけどね……いや、でもなぁ。うーん、よし、仕方ないなぁ、弘次君は」
「いや、なんなんですか。どれだけ溺愛してるんですか」
名前ぐらいでどんだけ許可に躊躇ってるんですか。というか、俺にどれだけ厳しいんですか。俺そんなに女遊びとかしないし、むしろ一途だし。社長が一番わかってるだろうに。
「当然、ちょー愛してるし」
「はいはい」
とにかく社長もばっちりだ。後は明日を待つばかりだ。ということで今日はごく普通に働いた。そうだ、せっかく明日椎名来るんだし、何か手伝わせるか。
そうしてその日は終わり、翌日の11時25分。きっかり約束5分前に椎名はやってきた。相変わらずだ。それにしても、どうやってそんなに毎度ぴったりになるのか不思議なくらいだ。
「お久しぶりです、春樹さん」
「よっすー。椎名っち、ひさしぶりぶり」
「……初めまして、君のことは聞いているよ。一ノ瀬千里さんだね。私は春樹さんの元部下の鎌倉椎名だ。椎名と呼んでくれ。以後よろしく頼むよ」
「あっ、ちょっと椎名っち。今私のことひいたでしょ。ねぇ」
「あなた私のことそんな呼び方したことないでしょう。千里さんが勘違いしたらどうするんですか」
「これから呼べば良いじゃん」
「無視します」
「ひっど。弘次君、この元部下の生意気っぷりどうよー」
「社長の元上司の傍若無人っぷりもどうかと思いますよ」
「…初めまして、椎名さん。一ノ瀬千里です。こちらこそ、よろしくお願いします」
社長が入ってるせいで微妙な感じになったが、元々2人とも生真面目なたちだ。すぐに馴染むだろう。
「……」
「……」
と思ったがよく考えたら椎名はあんまり積極的に人付き合いするタイプじゃないし、千里からしたら年上だし話しかけにくいか。
「椎名、そうぼけっと突っ立ってないでこっち来て座れよ。ほら、千里も」
「ん、ああ。そうだな」
「私、お茶をいれるわ」
とりあえず以前に来ていた時にもしていたように椎名を打ち合わせ用ソファに案内する。
椎名を座らせ、俺もその隣に座る。社長は向かいに座った。千里がお茶をいれに行ってくれている間に、椎名には最近の近況を聞く。
「あれから太郎丸は?」
「先輩、私は何も暇ではないのだがね。そりゃ、彼は問題児として名高いし、私の部隊内の人間でもあるが………やれやれ、そんな目で見ないでくれないか」
「どんな目だよ」
椎名の話では太郎丸は順調に交際しているそうだ。あー、腹が立つ。あんな馬鹿に春が来るなんて。今までは何とも思っていなかったが、急に恋人が欲しくなった。思えば長く独り身だ。いい加減踏ん切りをつけないとな。
「にしてもあの馬鹿丸がなぁ。意外よね。私、珍しく椎名が冗談言ったのかと思ったもん」
「そんな意味のない嘘はつきませんよ」
「お待たせしました」
「おう、お?」
戻ってきた千里は椎名、俺、社長、そして何故か俺の隣にさらにカップを置いて、お尻で俺を押すようにして無理やり隣に座ってきた。
「おい、何だよ。あっちに座れよ」
「あー、何だか私足疲れたー」
「ちょっと社長、靴を脱いでください」
「いや先輩、つっこむところはそこか?」
突然ソファを独り占めするように、頭と足を腕おきに置いて寝転がる社長に思わず注意したが椎名の言葉にはっとした。俺、社長に毒されてるな。
「ハルさんには注意なんてするだけ無駄よ」
「それもそうだな。仕方ない。椎名、ちょっとつめてくれ」
「あ、ああ」
仕方ないので椎名をちょっと奥へ行かせて座る。元々俺と椎名の距離は近くて普通に座って五センチくらいだったが、ぴったりとくっついている。
厚着なのでよかったが、薄着だと少し気まずいな。まあ、千里とくっつくよりはマシか。
「っておい。近いぞ」
「何よ。何か文句があるの?」
「いや…文句はないが」
何でお前ちょっと喧嘩腰なの? 何をお前までくっついて座ってるの? お前さん、細っこいんだから三センチくらいは間あけられるだろ。
「椎名っちー、お腹減った」
「だからその呼び方やめてください。次は本当に無視しますよ」
「椎名、何買ってきたんだ?」
「ハンバーガーだ」
「ふっ」
思わず笑ってしまってちょっと睨まれた。許せのつもりで軽く肩を叩く。
元々は昼休みに制服のまま店に入るのがはばかられるというお堅い椎名に奢ってやったんだが、お嬢様な椎名は思いの外そのジャンクな味が気に入って、たまにこうして食べている。そのくせ俺が奢ると言うと、最初のように貧乏臭いだのと言ってくるんだから、本当に素直じゃないと笑ってしまった。
でも別に馬鹿にしたわけじゃない。何だか微笑ましいような、そういう種類の笑いだ。
「おっ、これ期間限定じゃーん」
「はい。春樹さんは期間限定好きですよね」
思わずお前も好きだろと言いかけたが自重する。千里もいるのに、あんまりからかってやるのも可哀想だ。「千里はどれがいい?」
「私は…ベーコンレタスバーガーをいただいてもいいですか?」
「ああ、どうぞ。ポテトも。食べ盛りだろう?」
「あ、ありがとうございます」
椎名に渡されて千里は引き気味にお礼を言っている。何だか椎名に萎縮しているような。
うーむ。椎名も案外親しみやすいやつなんだが、やはり学生からすればちょっと縁遠い存在だからな。遠慮気味だな。
「残ったのは期間限定のゴールデンバーガーとマヨチキンバーガーか」
「私は残った方でいいから、先輩は好きな方を選んでくれ」
「ふむ」
と言ってもな。マヨチキンバーガーはこいつのお気に入りだ。しかし期間限定も気になってるだろう。この店はどれも大きいのが特徴で、一つでもサイドをプラスすれば十分だ。選びきれなかったに違いない。
「んじゃ、どっちも。期間限定も気になるしな。半分ずつにするか」
「我が儘だなぁ。しかし先輩がそういうなら仕方ない。ナイフをとってくる」
椎名は勝手知ったるとばかりに(というか実際千里より長いが)キッチンスペースへ向かった。
「ちょっと、佐藤弘次」
「なんだ?」
「その……私のも一口食べていいわよ」
どう反応すりゃいいんだ。困って社長を見るが、社長はすでに一人、いただきますと元気よく食べ出した。
「うーむ、うまい。いやー、このくどい味がたまんないね」
「社長」
「うん? うん、仕方ないなぁ。私はね、君のこと好きだよ」
「は?」
「千里ちゃんはもちろん大好きだけど、君や椎名も、もちろん太郎丸も。私の部下はみな、私は大切だ。好きだ。だから、うむ。存分に青春をしなさい」
「……鼻にソース付けながら、いいこと言ったとどや顔するのやめてください」
「む」
要するに、千里に絡まれてるのも両手に花だろと言って助け船をだす気がないということだ。椎名と千里に挟まれてはいるが、これ両手に花ではないだろ。……ああ、そう言うことか。つまり、俺の花は一つじゃないんだから、仲間外れにするなってことね。
「先輩、待たせたな」
「おー、腹が減った。後、一ノ瀬も混ざりたいってよ。これも切ってくれ」
「そうなのか?」
「…はい。その、お願いします」
「よし。任された」
全く。俺を挟まずに会話できるように、さっさと仲良くなってほしいものだ。……いや、あんまり仲良くなられても面倒か。
「あの、椎名さん」
ハンバーガーを食べ出してしばらくすると千里が思い切ったように椎名に声をかけた。椎名は微笑んで応える。
「うん、なんだ?」
「その……部隊長さんなんですよね? お仕事のこととか…お伺いしてもいいですか?」
「もちろん。それと、そんなに堅い話し方じゃなくても構わん。楽にしてくれ」
「はい……」
もじもじする千里に、椎名もいつにない表情をしている。椎名も社長好きだからなぁ。何にせよ、特にこれ以上俺が何かする必要はなさそうだ。
ハンバーガーをかじりながら社長に目をやると、にこにこと嬉しそうに、だけどいつもと違う慈愛に満ちた表情をしていた。
俺が恋人をつくるには、まだまだ時間がかかるかも知れない。それでも、こんな時間を過ごすのは結構好きだし、それでいいのかも知れない。無理をして焦っても仕方ない。
まだまだ俺の日常は続いていくのだから。
○