11 一ノ瀬千里のバイト5
さて、誰に声をかけようかときょろきょろしていると、通り一本向こうの広場に、遠目に赤い髪の女性が横切るのが見えた。帽子を被っているけど、一瞬見えた前髪は間違いなく赤!
のはず! 多分!
私は慌てて追いかけた。女性は思いの外足が早くて、仕方ないので声をかける。
「あのっ」
「!? あ、な、なんですか?」
驚いた女性は一歩後ずさりながら振り向、私の姿を見て何故かほっとしたように向き直った。
まだ時間のおかげで歩いている人は少なくないが、日が暮れかけてきているので警戒したのだろう。佐藤弘次の言う通りか。
振り向いた女性の前髪はやはり赤で、濃い緑の瞳が印象的だ。この人に違いないと思いながら確認する。
「あの、もしかして、直子・ハミルトンさんですか?」
「……そうですけど、どこかでお会いしたことありますか?」
「あ、いえ」
思わずガッツポーズしそうになるのを抑えて、私はすぐに料理店のことを口にする。
「昔、ダドリー・ハミルトンさんが料理店されてたでしょう? 私、」
「こらーーー!」
「え?」
突然怒鳴り声がした。振り向いた瞬間突き飛ばされ、尻餅をついた。
「ぐはっ」
頭上から呻き声がして目を開けて顔をあげると、佐藤弘次が宙に浮いていた。
「え!?」
「この変態野郎がっ! 大人しくお縄に……あれ? 先輩?」
「このっ、馬鹿……っ」
大男に首を掴んで持ち上げられていた佐藤弘次はぼとりと落ちてきた。
「ちょっと、大丈……大丈夫じゃない!?」
佐藤弘次は気を失っていた。
○
広場に入ったところで一ノ瀬が誰かに話しかけているのが見えた。それに声をかけようとした瞬間、雄叫びをあげて一ノ瀬へ向かって走り出した巨漢がいた。
そいつが馬鹿力で思い込みが激しく足が早くてとんでも無い阿呆なのはよくわかっているので、確実に何らかの誤解をして一ノ瀬を叩きのめすはずだ。
思いっきり走って何とか馬鹿より先に一ノ瀬の前に立ったが、そのまま首を掴まれ持ち上げられた。勢いのまま一ノ瀬を突き飛ばしたが許せ。
それはいいんだが、手加減なく首を絞めてきたので俺は気を失ってしまった。太郎丸はとにかく馬鹿力だ。模擬練習で勝つことは珍しくないが、こいつの怪力は一度捕まればあらがうことができないので仕方ない。けして俺が弱くなったのではない。
「だからすみませんってば、先輩。許してくださいよ」
「あのなぁ、俺だったから良いものの、一ノ瀬相手だったらお前殺されてたんだぞ?」
「はい、ほんと感謝してるっすよ。先輩は命の恩人です。神様仏様弘次様」
「よかろう。晩飯二回は奢れよ」
「うっす」
保安庁の医療室の隣にある仮眠室で目を覚ました。この馬鹿は元俺の後輩の一人、通り魔でも暴行犯でもなく正真正銘の保安官だ。
俺達が探し求めていた直子・ハミルトン嬢だが、実はつい最近に違法な金融機関から誘拐されそうになったそうだ。そもそも最初の引っ越しが違法金融機関から逃げる為で、半年前の二回目は見つかって借金の形だと言って金融機関直営の風俗に引きずり込まれそうになった。
その時に馬鹿保安官、木下太郎丸と出会ったそうだ。同時にダドリー・ハミルトンさんの古くからの知り合いである一ノ瀬が聞き込みをした爺さんとも知り合っていた。爺さんは一ノ瀬が探偵と言うことでもしや金融機関じゃね?と思ってこいつに通報した。すぐやってきたこいつは、男物のコートを来てる一ノ瀬を勘違いしてとりあえず捕まえようとした。
以上が今回の経緯だ。
「つーか、早くその金融機関潰せよ」
「わかってますって。今ちゃんと準備してるっす」
「失礼。先輩方、いいかな」
ノックがされて仮眠室のドアが開けられた。
「おっと、これはこれは椎名部隊長殿。お久しぶりですな」
「太郎丸先輩、前に言ったがムリに丁寧な敬語を使おうとしなくても結構だ。弘次先輩のように普通の敬語でいい」
「そっすか」
「ああ。それで弘次先輩は、元気そうでなによりだな………ぷっ」
「おい」
「いや、すまない。先輩がストーカーに間違われて太郎丸先輩に気絶させられるとは、さすがに、笑えてしまって」
「全くフォローになってませんが」
「相変わらず弘次先輩と椎名部隊長は仲がいいっすねぇ」
椎名は今日執務室で普通に働いていたが、食堂で噂を聞きつけてわざわざ着たらしい。お偉いさんは棟まで違うのにわざわざ来るとか暇人か。
しかしこうして三人で顔を合わすのは本当に久しぶりだ。太郎丸は俺の一人目の後輩で、椎名が入ったときには別の後輩がいたが顔をよくあわしていた。
それから20分ほど雑談してから椎名は戻っていった。
「さて、んじゃ先輩も大丈夫そうだし。俺も行きますわ。始末書書かなきゃいけないっすから」
「おう。俺ももう帰るわ」
太郎丸が出て行ってから、俺もベッドから出た。ベッド脇の籠から荷物をだし、通信機をとりだす。
一ノ瀬から通信文がきていた。太郎丸の話では一ノ瀬から話を聞いて、ちゃんとハミルトン嬢にも本当に探偵だったととりなしてくれたらしいが、いやお前が邪魔しただけだろ。というか建て前の依頼内容そのまま信じたのかよ。とツッコミどころはあったが言わずにおいた。
一ノ瀬には俺は気絶してるだけだし知り合いだと説明してから、ちゃんと社長にも連絡して帰したらしい。そこはよくやった。付いてきたりして遅くまで引き止めたとなればどやされるからな。
一ノ瀬からの通信文では今回の説明と謝罪があった。いつもより形式ばった固い文面だ。落ち込んでいるらしい。
次のバイトの日は慰めてやるか。
○
「おはようさん」
「おはようございます」
「…一ノ瀬?」
「……なによ?」
ふむ……なんで機嫌悪そうなんだ?
翌日もバイトにやってきた一ノ瀬は何故かとても固かった。なんだ? ハードボイルドなのか?とか言ったらやっぱり怒るか。
「いや、昨日のハミルトンさん捜索の依頼人には午前中のうちに報告した。その結果はまとめてるから、お前さんも目を通しておけよ」
「……ええ」
完了報告書を渡すと一ノ瀬はソファに座って読み出した。一ノ瀬が読み終われば本件は一応終わりだ。提出すれば一件落着。後はストーカーだけだから、新規依頼の担当になるまでは他の人の担当分のヘルプにまわる。
提出と一緒に事務員に申告しないと。今日の事務担当は誰だったか。
「……ねぇ、怒らないの?」
「ん? どうした?」
「……」
一ノ瀬は黙って座ったまま、手元の紙に視線を落としているが、いつもならもう読み終わっても良い頃だ。
俺は息をついてから、一ノ瀬の隣に座った。
「気にしてんのか?」
「そりゃ、そうに決まってるわ。だって、私のせいで、あんなことになって。それに直子さんには建て前で説明したけど、納得しきれていない感じだったし。私、もしかしたら、慌てて変なこと言ったかも知れないわ」
「どんなことだよ」
「それは、覚えてないけど。でももしかしたら、依頼人が話しかけたらこれだってバレたり…」
「大丈夫だって。それは依頼人がうまくやるだけだ。最初の段階で、場合によってはバレる可能性があるってことは伝えてる。今回のことも全部報告して、納得してるんだ」
「そう書いてはあるけど……、ほんとに怒ったりしてなかった?」
ようやく顔を少し上げて、俺を見上げてきた一ノ瀬の瞳は不安そうに揺れていた。やっぱり気にしていたのか。さっきのは大方、俺に怒られるだろうと緊張していたのだろう。
「本当だ。むしろ、すぐに会いに行かねばってな感じで、途中で通信切っちまった。代理人も大丈夫って言ってたし、受領サインももらってる」
「………ありがとう。ごめんなさい、その、役に立たなくて」
「ばーか」
頭を軽く上から押すように叩いてなる。きゃっと小さく声をあげて一ノ瀬はむくれて頭を両手で押さえた。
「何するのよ」
「お前は十分役に立ったよ。そもそもあの街にいるのがわかったのも爺さんからお前が聞き込みしたからだろ?」
「そうだけど、おじいさんに怪しまれたから」
「考えてみろ。探偵だって言っただけで疑われたんだ。俺だったら声かけても絶対話してくれなかったろうさ。お前さんみたいな、真面目そうな女の子だから話してくれたんだ」
「……ほんとに? ほんとに、役にたってるって、思ってる?」
「当たり前だ。嘘は言わん」
だいたい別に今回のことは一ノ瀬のミスってほどでもない。むしろ俺がコートを貸したから、あの馬鹿が勘違いしたって要素もある。一ノ瀬を助ける形になったから気になるのはわかるが、そんなのは当たり前のことだ。
「誰にでも得手不得手はある。お前さんより俺が強い。なら、体はるのも当たり前だ。当たり前のことでいちいち気にすんな。悪かったと思うなら、仕事で頑張れ」
「……ありがとう。わかったわ。私、がんばるわ」
「おお、その息だ」
何とか慰めることに成功した。よしよし。
○
ストーカーへの恋人偽装作戦は功をそうした。手紙ではその事に触れていて浮気扱いで大激怒している。会社の人に対してだけしてもらっているので、まず犯人は間違いないだろう。
「品川さん、お願いします」
「はい。確認します」
前回の打ち合わせから一週間。いちいち会っているともし怪しまれたら困ると言うことで本人の希望で手紙はポストから抜き取ってこちらで管理していた。今日は品川さんの提案で手紙の文章を改めて見てもらうことなっている。
「この辺りとか、文章の調子が変わってますので、本人の書き癖がでてるのかも知れません」
「え、あー、そう言われてみると。……うーん、でもどうなのかしら」
容疑者とあえてたくさん話しかけて反応を見てきた。話し方も覚えたので文章を見てみたい。とのことだったが、筆跡ならともかく印刷で意図的に文章を作ってるものは話し方と比べてどうこうと言うものでもないと思うが。
「すみません、よくわかりませんね。とりあえず山田さんにしか言ってないことが書いてありますので、間違いないと思いますけど」
「そうですか。では、どうしますか? 当初の最終目的はやめさせればいいとのことでしたが」
「そう、ですね……ほんとうに、もうしないって約束してくれるなら、私はそれでいいんですけど。元々、仕事上ではそんなに接点ありませんし」
品川さんは実に優しい。それはいいことだ。だが実際問題、そううまくいくだろうか。元々相手は品川さんを妬み恨みを持っている。それがバレたから警察には言わないからやめろと言われて、そりゃやめるだろう。だがやめて、その後じゃあ全く忘れて暮らせるかと言えばそうではない。自分を惨めに思い、より逆恨みするだろう。そうなれば、いつ爆発するかわかったものではない。
小説や漫画みたいに、仲直りしてめでたしめでたしとはいかないのが現実だ。一ノ瀬にもそのことは話してある。困ったように一ノ瀬は俺を見る。
だがそれでも、依頼人の希望だ。まだ不可能と決まったわけでもない。可能な限り希望に応えるのが、うちの方針だ。
一ノ瀬に対して品川さんにオーケーを出すよう、頷いてみせた。一ノ瀬はまばたきで応えて品川さんに向き合う。
「……では、山田さんと話し合いの場を設けましょうか」
「はい。お願いします」
しかし今日俺、品川さんにおはようございますしか言ってないな。立派になったと喜びたいが、もうこれ俺いらなくね?
○