1 一ノ瀬千里の相談
会社につくと社長は居なかった。いつも無駄に上等な革張りの柔らかそうな椅子にふんぞり返っている社長は、だけど3日に1日はいないので珍しいことじゃない。
珍しいのはその椅子に、見知らぬ少女が腰掛けていることだ。
「あなたが佐藤弘次?」
何かの書類を見ていた少女は顔を上げ、不躾にそう言った。その鋭い瞳は否が応でもよく知る人物を思い起こさせる。
「ああ、そうだ。お前さんは?」
「わからない?」
少女は挑発的な色を乗せて頬杖をついた。ますます誰かさんにそっくりだ。俺は肩をすくめて、仕方ないので妄想を語ることにする。
「社長の身内だろう?」
「それだけ?」
「…お前さんは社長の家に頻繁に出入りできるほどの近い、四親等以内の親族だ。家は裕福だが両親は厳しく、自由になる金が少ない学生だな。そして、社長に言えない悩みがあってここに来た。その悩みは……そうだな、ガキの悩みだ」
少女はあからさまにむっとしたように顔をしかめた。表情があからさまなところがますます子供だ。最初は17くらいかと思ったが、案外14くらいかも知れないな。子供の年はよくわからん。
「ふん、それだけなの。あなたって、聞いていた通り冴えない人ね」
「そうかい、そりゃ悪かったな」
鍵を開けて中にいる以上、社長の家から鍵を借りてきたと考えられる。姪っ子がいると聞いたことがあるので、恐らくそれだろう。髪飾りは質素で爪も短くそろえられていて、書類を持った手にペンダコも見えた。服はしっかりしているし肌艶もよく、富裕層の学生なのは一目瞭然だ。そしてここにいるのは社長に相談できないことを依頼しに来た。社長に知られたくないが、報酬がない以上選択肢もなかったと言うことになる。
内容となると完全に想像でしかないが、どうせ社長に言えば一発で解決するようなことだろう。全く。何で俺が朝から子供に付き合って、こんなごっこ遊びをしなきゃいけないんだ。
「今あなたが言ったことくらい、誰だってわかることだわ。でもいいわ、あなたに決めるわ」
「何だって言うんだ」
社長の身内じゃなければすぐに追い出すが、あの身内に甘い社長の耳に入ってはたまらない。とにかく話くらいは聞いてやろう。
「鈍い人ね。あなたを恋人にしてあげるって言ってるの」
「……は?」
「何変な顔してるのよ。もちろん、仮のよ」
俺はコートを脱いで、いつも会社に来て一番最初にするようにコーヒーをいれることにした。数分の立ち話で納得してくれる相手ではなさそうだ。
○
少女、一ノ瀬千里はやはり社長の姪だった。証明だと学生証を見せてくれたが、俺は姪の名前も知らなかったのだから意味ない。というかその目つきや仕草こそ娘だと言われても不思議ではないから、最初から親族であることは疑っていないが。
しかし一ノ瀬の依頼内容は、全く社長では考えられない、血縁関係を疑うくらいにくだらないものだった。
「あのなぁ、よく知らない男から付きまとわれてるから恋人のふりなんて、んなことは友達にでも頼めよ」
どう考えても、余所から大人を引っ張り出してくるものじゃない。そんなことくらい、社長の姪なら頭を使ってくれと言いたい。
「そんなこと頼めないわ」
「友達がいないのか?」
「………違うわよ」
目をそらすなよ、俺が悪かった。頭悪そうとは思ったがまさか友人の一人もいないなんて考えないだろう。軽々しく発言したことは悪かったから、泣くなよ?
「なによ、あなた失礼なこと考えてるわね」
「いんや。で、頼めない理由は? なんならそんな搦め手はやめて、教員にでも相談しろよ」
「それもできないわ」
「先生にきー」
「嫌われてるからじゃないわよ。本当にあなたって失礼ね」
ふむ。しかしそれだと尚更理由がわからない。一ノ瀬の通う学び舎はここで最も大きく歴史もあり、公平公明で庶民でも能力さえあれば入れ差別されることもないという、エリートに憧れる若人はこぞって行きたがる国立校だ。当然、教員も人格的に優れた人間が多いという噂だ。噂でしか知らないが、教員という立場で内容も内容だ。注意くらいはするだろう。
「じゃあなんだ」
「ふん、教えてあげましょう」
何故かどや顔で一ノ瀬は答える。
「私に言い寄る相手が、王子様だからよ」
こいつは本気で頭がおかしいんじゃなかろうか。本当は社長の血縁でもなんでもなく、どこかから逃げてきた気狂い女じゃないのか。と考えてからそう言えばと思い出す。
そう言えば、今年の春に隣国の王子が留学しに来たと聞いたことがあるな。一年という話だし、まだ10ヶ月はいるはずだ。
「本気か?」
「当たり前でしょ。というか、そうじゃなかったら困らないわよ」
それは確かに、困ったな。下手なことをすれば国際問題になりかねない。まして隣国、ヒーラバス国とは3年前にも色々あって、関係が若干ぎくしゃくしているからな。
「玉の輿だぞ、よかったな」
「ふざけないで。迷惑してるんだから」
「具体的には?」
そりゃ、王子と言えど親しくない知らないやつから付きまとわれていい気はしない。しかし留学しているレギアス王子はストーカーのような性根が腐ったことをする奴でもないだろう。
「ストーカーされてるの」
「まさか。王子が? 今も付いてきてるって言うのか?」
「今はいないけど……学校の中だけなのよ。それに、こそこそするんじゃなくて堂々と声をかけてくるから、尚更先生方も注意もしにくいのよ」
「別に、学校の中で声をかけられるくらいいいだろう。というかそれくらいでストーカーは言いすぎだろう」
気になる相手に声をかけるのは当然だ。嫌がっているのに触ってくるとか、嫌がらせをしてくるならともかく、声をかけるくらい許してやれよ。
「それともセクハラされたり、無理強いされてるのか?」
「いえ、王子は私に指一本触れないわ」
「…お前が自意識過剰なだけじゃないのか?」
「失礼ね!」
「ああ、悪かった悪かった。だがな、じゃあお前さんは、具体的に何をされてるんだよ」
改めて聞き直すと一ノ瀬は嫌そうなしかめっ面のまま、さっき入れてやったコーヒーを一口含んでから話し始めた。
「朝、学校の門であからさまに待ち伏せされて、奇遇だなと朝の挨拶をされて、私の教室の前まで付いてきて話し続けるわ」
本当に具体的だな。そしてその言いぐさ、まさか毎日か? さすがに毎朝それだと嫌になるな。
「お昼休み、私が教室から出るのを待ち伏せて、奇遇だなと昼食をともにとることを強要されるわ。ちなみに私が学食でもお弁当でも外に食べにいくのでも、友人と一緒でもおかまいなしよ」
連れがいてもおかまいなしか。確かにうざいな。というか朝はまだわかるが、どうやって毎日昼に待ち伏せられるんだ。授業が長引いたりしないのか。
「そして放課後、学校を出るまで付きまとわれるわ。おちおち図書室で勉強もできやしない」
「図書室でも話しかけてくるのか?」
「……図書室でなくても、本を読んでいたりすれば話しかけてこないわ。でもね、佐藤弘次、あなたじーーっと、こうじーーっと穴が開くほど見られて、集中できるって言うの!?」
「落ち着けよ」
興奮して立ち上がって机に手をついて身を乗り出してくる一ノ瀬に片手で落ち着くよう示す。一ノ瀬はため息をついて座り直し、じとりとした目を俺に向ける。
「わかった? 私がストーカーされていること」
「わかったよ、嫌ってほどな」
嘘ではないだろう。少なくとも付きまとわれていることは。相手が王子かは確証がないが、嘘をつく意味もない。一旦信じたとして話を進めよう。
「じゃあ、なんとかして。お金なら払うわ。確かにお母様は厳しいけど、貯金があるわ」
相手が王子様なんて、最悪の時のリスクを考えればいくら積まれてもごめんだ。受けると言う奴がいれば、そいつは金のためなら見境がないくらい追いつめられているか、そもそも達成するつもりがないか、だろう。
悪いが、俺も王子様と関わるなんてまっぴらごめんだ。すがるように不安そうにこちらを見てくる姿は同情を誘われるし、社長の身内なんだから多少のことなら無償でやってやる気持ちはある。だがこれは無理だ。
「一ノ」
断ろうと口を開いた瞬間、ジリジリジリとしびれるようなベル音が俺のポケットから鳴った。
「……」
「……出て良いわよ」
一ノ瀬は気楽に言ってくれるが、俺は嫌な予感がしてすぐにでる気持ちにはなれなかった。液晶画面を見なくても誰からか予想がつく。しばらくそのまま固まっているとベル音は止まった。
「いいの?」
「…ああ、もちろんだとも。お前さんの話を聞く方が大事に決まっ」
ピコン、とポケットから音がする。ピコンピコンと断続的に。
「電信文でしょ? 見なさいよ。急ぎの用ならいいわよ」
「……失礼」
ポケットから携帯通信機を取り出す。落ち着くんだ、俺。もしかしたら本当に、俺の家族が救急で運び込まれて病院からの電話でないとも限らない。
液晶画面に映る電信文5を選択すると最新の電信文のみ表示される。いずれも差出人は『社長』と表示されている。やっぱりか。これだから勘というものはあなどれない。いや、この場合は勘ではなく、条件反射のようなものか。これだから携帯通信機なんて持ちたくないんだ。
中を開くと、散々俺への皮肉の後に一ノ瀬千里の依頼を受けろと指示されていた。他の受諾中の依頼はそのままだが、代わりに新規依頼はなしにするとのこと。それで喜んで受けると思ってるのか。というか、一ノ瀬から相談されずに隠されてようが完璧に把握しているんだから、あんたが自分でやれよ。
ぴこん、と音がしてさらに新たな電信文が表示される。
『やらないと給料カットだ。後、私に知られていることは千里にバラすなよ』
はいはい。全く、都合が悪いときにはすぐに権力を振りかざそうとするのは社長の悪癖の一つだが、それらはいずれの場合も感情的になった時にのみ発動する。大方、姪から自分が頼られなかったことを拗ねているのだろう。
仕方ない。一ノ瀬にとっては厄介極まりないだろうが、12才の子供をごまかしてやるくらいなら、他の仕事の片手間でもできるだろう。
「大丈夫なの?」
「問題ない。社長からの仕事の指示だ。午後からの予定だ」
「……わかってると思うけど、ハルさんには言わないでよね」
「お前さんの態度から十分わかってるさ」
ハルさんとは、これまた可愛らしい呼び方だ。社長には似合わない。
「一ノ瀬、お前を助ける上で条件が2つある」
「えっ、な、なに!?」
依頼を受ける前提の俺の言葉に一ノ瀬は目を輝かせて、再び身を乗り出す。必死だな。よほど王子のアタックに堪えているらしい。
「1つは俺の指示には従うこと」
「……関係ない変なことは言わないでしょうね」
「アホか」
「わかったわよ。従うわよ」
「もう1つは、俺の名前をださないことだ」
「はぁ? ……わかったわ。お願いするわ。じゃあ、とりあえずさっそく週明けの放課後、恋人として迎えに来て。王子に見せるから」
「アホ。俺は助けると言ったんだ。恋人ごっこに付き合うとは言ってない」
手を貸すのはいいが、それだけは却下だ。
○