636 こうしてオトナになっていく…?
Xの形をした台の上に、俺は手足を拘束され寝かされていた。
そのかたわらには、いつもの服の上から白衣を着たアルヴィちゃんと、やはりメイド服に白衣をまとったマリエルさんが立っている。
真っ暗な部屋の中で、聖母様のメガネのレンズが白く光っている。
「んっふっふ……さあマリエルよ、存分にやり返すが良いぞ」
「はい、博士♪」
いつもの爽やかな笑みを浮かべ、マリエルさんは両手の指を怪しくわきわきさせながらゆーっくりと迫ってきた。
表情と両手とのギャップがスゴすぎて、余計に怖い。
「いや、ちょ……」
な、なんだこれ! 俺、改造でもされるのか!?
やめろー、やめるんだー! 触手出すぞ――って、なんで出ない!?
「ジャス様、大丈夫ですからね……くすくす」
「ぎゃあああああああーーーーっ!」
『――お兄ちゃん?』
「あああーーーー……あ?」
ふと聞こえてきた鈴を転がすような声に、世界が暗転した。
首から下を包むのは、とても柔らかくて温かい布団。 その俺のおなかの上あたりに、久し振りで心地のよい重みを感じる……。
どうやら、珍しく夢を見ていたらしい。
今考えてみるとマリエルさんは明らかにいつもと違っていたのだが、あいつのマッドサイエンティストっぷりがあまりに似合いすぎていて、まったく夢だと気づけなかった……。
『お兄ちゃん、だいじょうぶ?』
「あ、ああ」
目を閉じているくらいで分からないハズもなく、俺は救いの妹様に返事をしてまぶたを持ち上げた。 まだ薄暗い部屋の中は暖かく、よーく見慣れた天井と、どれだけ見つめても飽きることのない美少女フェイスが目に入る。
蒼い瞳が、まるで古代からある地底湖のように澄んでいる。
「おはよ、セーレちゃん」
「うん……本当にだいじょうぶ?」
「ああ、ちょっと改造されかかっただけ」
「うゅ?」
可愛らしく小首を傾けるハニーに、思わず笑みがこぼれる。 そして、ほっぺでもなでてあげようと思ったが、残念ながら両腕も身体と一緒に挟んで跨がれているため動かせない。
かといって、触手を使うとマッサージになってしまうしな……。
みの虫状態で悩んでいると、セーレちゃんは安心したように微笑み、逆に俺の頬へ両手を伸ばしてきた。
「……おはよ、お兄ちゃん」
「ん」
こうして今日もまた、新しい一日が始まった。
「――だんだん寒くなってきたわね~」
「そうだねー」
後ろからお袋に話しかけられ、俺は上半身を軽く捻りお袋の顔を見ながら答えた。 一方の下半身は、一定のリズムを刻み音もなく石畳を蹴り続けている。
かすかに息が白くなる早朝。 外に出た瞬間に回れ右をしたくなる肌寒さだったが、いったん走り始めると気持ちのいい涼しさへと変わる。
俺の隣には、滑るように走るハニーの姿があり、その小さな頭の上には我が娘が乗っかっている。
無論、ブラザーとは違ってミューティレーションされているのではない。 セーレたんの走りっぷりが、本当に軽やかなだけである。
「おはようございます~♪」
ようやく明るくなり始めた道を掃除している主婦さんに、マイシスターの方から元気よく挨拶をする。
俺とお袋も続いて挨拶をすると、ちょっとミドルなマダムは箒で掃くのを止めて「おはよう、今日も元気ねえ」と微笑んでくれた。
「明日は、雨か雪かぁ」
「山の方は雪かもって言ってたねー」
十字路を右に曲がりながら呟くと、ニアちゃんが応えてくれた。 形のいいセーレたんの頭にお腹を乗せ、両手両足を広げて上手いことバランスを取って遊んでいる。
そんな体勢でも落ちないくらい、マイシスターの走り方が安定しているってコトでもあるのだが。
ちなみに、いつものお姉さんの天気予報は俺も聞いていた。 ついこの前、成層圏を飛んでいたら隕石が飛んできて怖かったかも~? って言ってたな。
時速で数万~十万kmにもなる隕石を避けるとか……お天気お姉さんって、俺の想像していた以上に高位の精霊かもしれない。
しばらく雑談やご近所さんと挨拶を交わしながらジョギングを続けていると、いくつ目かの十字路の角に道場が見えてきた。
基本的に王都はどこも碁盤の目状になっているんだけど、日本の新興住宅地のようによく似た家ばかりが並んでいるワケではないので、意外と迷いにくい。 国から借りている家なのに、増改築どころか建て替えでさえもわりと自由なおかげ……だろうか?
「あら、今日は皆さんお揃いで」
道場を通り過ぎると、やはり外を掃除していた近所の奥さんにまた出会う。 時間が遅くなると人通りが多くなるので、掃除は早朝の間に終わらせておくのが半ば常識である。
その時間帯には、掃除のためじゃなく通学する子供達を見守るために道端に立ってくれる人もいるけどな。
「ええ~、おはようございます~」
お袋が挨拶をしながら俺の背中をタッチしたので、セーレたんと一緒に立ち止まる。 もうすぐ折り返す予定だったので、ちょっとココで休憩を入れようという合図だ。
「今日は雨が降るのかしらねえ」
「あっ! あのねー!」
手のひらを空に向けて顔を上げた奥さんへ、ニアちゃんが待ってましたとばかりに身を乗り出して天気予報を話し始めた。
お役立ち情報が多く聞ける精霊ネットワークだが、残念なことに人間のリスナーは非常に少ない。 おかげで我が娘は、ご近所さんにとっても重宝されているのだ。
「ニアちゃん、ありがとうございます」
「にゅふー!」
ちゃん付けなのに丁寧語な奥さんに、我が娘はセーレたんの頭の上で平らな胸を張った。
ウチの子はフランクに話しかけてもらうのが好みなので、それでも「精霊様」として接してしまう人はこういう言葉遣いになってしまうことが少なくない。 だから、誰も気にしない。
「ああ……そういえばセフィアさん、お聞きになりまして?」
「何をでしょう~?」
奥さんの視線がお袋に向くと、なにやら井戸端っぽい話が始まった。
俺なんかよりもお袋の方がよっぽど道場に来る頻度が高いし、なにより年齢的・立場的にも大人である。 なので、こっちでのご近所付き合いもお袋やメイドちゃんズがメインになっている。
俺もなるべくジョギングついでにこっちに足を運んで、挨拶くらいはするようにしているけどな。
「それはすごいですわね~♪」
胸の前でぱふっと両手を合わせながら、お袋から俺達にアイコンタクトが飛んできた。 先に帰っていていいわよ、という意味だ。
これがバトルマンガだったら死亡フラグになるところだが、もちろんそんなコトはない。
俺とセーレたん、そしてニアちゃんとでうなずき合い、ぺこりと会釈をしてジョギングを再開したのであった。
「ふ~ん、ふふ~ん♪」
朝食を食べ終わり、ハニーがお出かけの準備をしている。 今日はこの子とお袋とで、道場の掃除をしてくれる日である。 クラスの女の子も口ずさんでいた、最近ちょっと流行りの歌をハミングしながら、櫛で自分の髪を梳かしている。
絨毯の上に横座りになって、たまに手鏡で確認しながら髪を梳かしている後姿は、まだまだ幼いながらも既に立派な女の子であった。
空が曇っているから外からの光は弱いものの、それでもセーレちゃんの周りはなんだかキラキラして見える。
「……」
俺は俺で出かける準備をしながら、そんな姿をぽけーっと眺めていた。
それでも手が止まらないのは並列思考のおかげである。
俺よりも早く――夜明け前に目を覚まし、部屋を暖めて朝食の支度を手伝っていたセーレちゃん。 更に俺の着替えまでほんのりと温かくなっていたのは、最近となってはもういつものことであった。
ジョギングから帰ってからもすぐに配膳を手伝い、まだ帰ってきていなかったお袋と、親父も「だったら俺も後で食べるよ」と言っていたので、俺達とメイドちゃんズとでお先にいただいた。 お袋の優しいアイコンタクトには、そういう意味も含まれていたから。
ちなみにお袋は俺達が食べ終わった頃に帰ってきて、今は親父と二人で食後のお茶を楽しんでいる。 親父もせっかくの休日だし、たまには夫婦水入らずもいいだろう。
「……うんっ」
セーレたんが手鏡で自分のあちこちを確認し、満足そうにうなずいた。
それから振り返り、俺にも意見を聞いてくる。
「どう? お兄ちゃん」
「うん、完璧だ。 すごく可愛いよ」
「えへへっ♪」
そう答えると、ちょっと照れたようにはにかむ。
俺の目から見ても、ふわりと波打つ金色の髪はバッチリと決まっている。
「……」
だんだんと自分でできることが増えて、逆に俺のことを手伝ってくれるようになったセーレちゃん。
俺の知らないことも増えてきて、ここのところずーっと頑張っている編み物も、何を編んでいるのかと聞いても教えてくれない。 この部屋にも置いていないという徹底振りだ。
まあ、あったとしても俺の方から暴き立てるようなマネをするつもりはないが……。
手がかからなくなってきたことに嬉しさを覚えつつも……ちょっと寂しい気分にもなってくるな。
「……はは」
まったく、今からそんな気持ちでどーするんだよ……。
己のダメ兄貴っぷりに漏れた声を押し殺し、俺は布のカバンにせっせと紙の束を詰め込んでいた。
お袋ハンドメイドのマフラーで首元を温かくし、俺は一人でてくてくと幼児園に向かった。
マールちゃんは休みだし、お袋にも今日は親父とのんびり過ごしてもらうことにした。 なお、我が娘もお出かけ中である。 パパとおにーさんと三人で遊ぶんだって。
……一体どんな「遊び」をするのか、想像もつかん。
「たのもー」
「あっ、ジャス君先生!」
園児やお母さん方に挨拶しながら中に入ると、受付のカウンターにヴェオラ園長さんがいた。
ゆるく編んだ紫の髪を後ろに流し、旦那さんがくれたというストールを羽織って、今日も優しく微笑んでくれる。
「元気そうでよかったわ」
「ヴェオラさんこそ。 園の子達は……」
「ええ」
俺がハッキリ口に出す前に、園長さんから苦笑いが漏れた。 来た時点で気づいていたけど、明らかに人気が少ないもんなあ。
まだまだ免疫も体力も弱い時期の子供達ばっかりだから、ちょっとでも風邪が流行ると来なくなる子が増える。
国が運営している保育所だとお医者さんがいるところも多いらしいから、そっちは逆に増えるって話を聞いたことがあるけど。
「さ、中へ入って」
「はーい」
ヴェオラさんに促されるままカウンターの横を通り抜け、奥にある応接スペースへ。 事務所内ではメイド服を着たドロシー先生が机に向かって黙々と仕事をしていたが、俺に気づくとすぐに立ち上がって静かに頭を下げ、そのまま小さな台所のある方へと歩いていった。
赤いベリーショートの髪がワインレッドのメイド服によく合い、ピンと伸ばした背筋と凛とした歩き方も、背が高いからなおさら格好良く見える。
なんか……先生らしさよりも、ますますメイドさんらしさの方に磨きがかかってきたような気がする。
そんな後姿を少し眺め、園長さんに勧められたソファーに腰掛ける。
「私はすぐに治ったのだけれど、彼の方はまだなのよ」
「あらら」
どうやら、園長さんもちょっと前まで風邪気味だったらしい。 一方で、旦那さんは本格的に引いてしまって寝込んでいるとのこと。
それで旦那さんを見かけなかったのか。
「お待たせしました」
俺も苦笑していると、つい立ての向こうからドロシーさんがお茶を持ってきてくれた。
ハスキーな声の大きさを絞ってしゃべってくれるけど、それでも声に力がある。 さすが舞台女優さんである。
今は、どこからどー見てもメイドさんだが。
「あ、ありがと」
目の前の小さなテーブルにカップが置かれ、とてもいい香りが辺りに漂う。
「……あの、ドロシーさん?」
「なんでしょう」
「ご自分のお茶は?」
「いえ、結構です」
「じゃあ、座りましょうよ」
「よろしいんですか?」
「いや……」
よろしいも何も、これからいろいろと話を聞きたいんですが……。 お茶を淹れ終わったメイドさんは、今も向かい側にいる園長さんの隣にたたずんでいる。
俺が来たのは、ここでの授業で使う台本の新作を見せたり、同じく使ってくれている俺の参考書の評判や意見などを聞いたりするためだ。
「むしろ座ってください」
でないと、こっちが困る。
「ご命令とあらば」
「……」
いや、命令ってほどじゃ……。
そう言おうとしたが、なんか面倒なことになりそうな予感がしたので口を閉じる。
「ドロシー、自分のカップも持ってきなさいね」
「はっ!」
さっきとは違う意味で苦笑していたヴェオラさんに言われ、ドロシーさんは張りのある声で応えた。 体育会系なだけに、気持ちのいい返事である。
それから一旦カップをとりに戻り、ようやく空いているソファーへと腰を下ろしてくれた。
「――これは面白いですね」
「よかった」
新しい台本を読んだドロシー先生が、カッコよく微笑む。
今回俺が用意したのは、社会の授業で使うものだ。 小さな園児には分かりにくい社会の仕組みを、ちょっとした討論形式にして理解しやすいようにしてある。
それを、子供達自身に演じてもらうことで理解を深めてもらおうという魂胆である。
「な、なんだってー」というセリフがやたら頻繁に出てくるが、まー気にしない。
「後ほど、ヴェオラ様にもご覧いただきましょう」
「そうですねー」
ヴェオラさんはまたすぐに誰かに呼ばれて受付に戻ってしまったので、落ち着いてから見てもらうことにした。
授業については、今やほぼすべてをドロシーさんに一任しているらしく、園長さんは軽く見せてもらうだけでいいと言っていた。 だから、参考書の使い勝手についてもほとんどドロシーさんから聞いた。
楽しく勉強できるようにと、そういった要素をかなり多く入れたのは園児にもお母さん方にも好評らしいんだけど……その楽しい方ばかりに興味が行きすぎて、肝心の勉強部分が身につかない子もたまーにいる、というのは貴重な意見だったな。
うーむ、なかなか難しい……。
「ジャスパー様。 実は、授業の準備がもう少し残っているのですが……」
「ああ、どうぞどうぞ」
申し訳なさそうな顔をするドロシーさんに手のひらを向けて、どうぞお構いなくとジェスチャーを示す。
ついでに、台本を直接俺が園長さんに見せましょう、と言って渡した台本を再び受け取り、ソファーから立ち上がって応接スペースを出た。
「あら、お話は終わったの?」
「はい」
受付カウンターに戻ると、園長さんはその真裏にある、来客側から見えないように一段低くなっているテーブルでお金を数えているところだった。
玄関前には人気がなく、奥の教室の方から子供達のワイワイとした声が少しだけ聞こえてくる。 ……やっぱり、普段より来ている子は少ないみたいだな。
隣にイスがもうひとつあったので、ヴェオラさんに確認を取ってからそのイスに飛び乗るようにして座らせてもらう。
「ドロシーはなんて言っていたの?」
俺が持っている紙の束にちらりと目をやり、園長さんが尋ねてくる。
「ええ、面白いって。 今度使ってくれるって言ってました」
「そう」
お金を数えて帳簿に記入していく合間に、俺の顔を見てにっこりと笑いかけてくれた。
仕事中なのは明らかなので、すぐに台本を見てくれとは言わない。 最悪、また今度来たときに感想を聞いてもいいしな。
「ごめんなさいね? これが終わったら見せてもらうから」
「あ……。 はい」
おおっと、言わなかったせいで逆に気を使わせちゃったか?
先に謝られてしまったので、俺は微笑み返すだけにして紙の束をテーブルに置いた。
「そういえば、今日はリリちゃんは……」
「まだ来ていないわね。 もしかすると、来ないかも」
「そっかー」
今日は火の日だから、リリちゃんが来るハズだったんだけど……風邪をもらわないように大事を取ったかな? 今流行っている風邪が兎人族にも感染るとは聞いてないが、そうなったら大変だもんなあ。
いっぱいなでなでしてあげようと楽しみにしていたんだけど、仕方がない。
「……その代わり、別のお客様が年少組の方に来ているわよ?」
「え?」
サラサラッと綺麗な字を書いていたペンを止め、ヴェオラさんが柔らかい微笑みを向けてくれる。
お客様? 俺に言うってことは、俺の知っている人かな?
誰だろう……。
首をかしげていると、園長さんの口元がますます緩む。
「ジャス君先生と、同じクラスの子よ」
「……ほう?」
パッと候補を三人ほど思い浮かべていたのが、そのヒントで一気に絞り込まれた。
「ふふっ、分かったみたいね」
「はい。 じゃあ、ちょっと行ってきます」
となれば、ここはひとつ挨拶に行かねばなるまい。
楽しそうに微笑む園長さんに軽く手を振り、俺は大人用の背の高いイスから飛び降りた。
――まっすぐ奥まで伸びる廊下の、いちばん手前にある大部屋。 いちばん幼くてフリーダムなクラスだけに、扉越しに聞こえてくる声は少ないにも関わらずいちばん騒がしい。
リリちゃんが年中さんに上がってからはとんと足が遠のいていたので、かなり久し振りだ。
俺のことを知らない子や保護者さんもいると思うので、ちゃんとノックをしてからゆっくりと引き戸を開ける。
すると、絨毯の敷き詰められた広い部屋の中に、さっそくその「お客様」を見つけた。
「へんっだ! これはオイラんだーい!」
「ふぇえええ~……!」
大きなボールを脇に抱えている、ちょっと太った男の子。 三、四歳の年少クラスの子にしては身体が大きい。
その横で、長い髪を三つ編みにしている小さな女の子が、両手で顔を覆ってめそめそと泣いている。 ボールの取り合いでもしたんだろうか……。
そして「お客様」はそんな二人の間に入ってひざをついて座り、仲裁しようとしているようだ。
ちょっと離れたところに設けられている保護者席で立ち上がろうとしているお母さんがいたが、黒いワンピースを身にまとった「彼女」はそれを微笑んで制した。
……その「お客様」とは、マーヤお姉さんであった。
上は艶やかな烏の濡れ羽色の髪、下はうっすらと透けて見える肌色がセクシーな黒タイツ。 齢十にして、既にうら若き未亡人のような背徳的な色気を漂わせている。
マーヤさんは、そんなゾクリとするような笑みを、まずは男の子の方へと向けた。
「ふふふ……あなたは、とても格好良い男の子ね?」
「ふぇいッ!?」
頬がぷっくりと膨れた男の子は、上目遣いをしてくるマーヤさんの魅力に全身を震わせている。
「……でも。
もっと格好良くて素敵な男の子は、女の子に優しくするものよ」
「ふぁっ!?」
更にマーヤさんの白魚のような指先が、たぷんと段を作っているあごの下をつつっと撫でる。
すると、男の子は顔を真っ赤にしてのけ反り、ぶるぶると震えながら顔中に汗をかき始め……持っていたボールをお姉さんに差し出す。
「どっ!? どどっど……どーじょおっ!」
「ふふっ、いい子ね」
「……」
うわあー。
いかにもガキ大将っぽい男の子から、いともカンタンにボールを取っちゃったよ……。
トドメにマーヤさんが「ありがとう」と言って微笑むと、男の子は耐え切れずに走り去っていった。
それから、その様子を見て泣くのも忘れ、ぽかーんとしている女の子へと視線を向ける。
「さあ……それ以上泣いていると、せっかくの美人が台無しよ?」
「ひゃ、ひゃい……♪」
柔らかい表情を見せ、マーヤさんは女の子の赤い顔に残っていた涙の筋を、指でそっと拭ってあげる。
女の子の瞳は、もはやさっきまでとは違う理由で潤んでいるような気がする。
「それに、ね」
そんな女の子の瞳をまっすぐ見つめ、マーヤさんは目の前にゆっくりとボールを差し出す。
で、赤く濡れた唇から、とびっきりアダルトな一言を放った。
「――女の涙は、ここぞと言う時に使いなさい?」
『……』
俺はもちろん、子供の様子を見守っていたお母さん方も目を丸くして口を半開きにしている。
それ……絶対に三、四歳の子供に聞かせるセリフじゃないよな?
ところが、女の子は何かを理解したのか、潤んだ瞳の中に強い光を宿してしっかりとうなずいた。
「う、うん! そうするっ!」
「……」
目を瞬かせる俺に対し、お母さん方は何やら感心したように、しきりに首を縦に振り始めた。
女の子も、お母さん達も。 男の俺にはサッパリ理解のできない何かに、深く共感を覚えたらしい――。
「ふふふ……ジャス君も来ていたのね」
「う、うん」
教室を覆っていたアダルトな空気が和らぎ、俺はマーヤさんと一緒に保護者席のソファーに並んで座っていた。 目の前にあるテーブルには、保護者のお姉さん達からもらったお茶と、お菓子がてんこ盛りになっている。
俺がマーヤさんと友達だと話したら、俺までVIPのような待遇を受けてしまったのだ。 そして今は、興味深そうに俺達のことをじーっと見つめている。
ちなみに、さっきまでケンカをしていた男の子と女の子は、二人で仲よくボールを転がし合って遊んでいる。
「風邪はもう治ったんだね」
「ええ、薬を飲んだらすっかりね」
さすがマーヤさん。 ココにいる時点で分かっていたが、もう治してしまったらしい。
そして、このお姉さんがここにいる理由も聞かずとも解っている。 自分で孤児院を経営したいという夢のため、学校のない日にいろんな幼児園や孤児院を回っているという話は聞いているからな。
「今日は一人で?」
「母は別の孤児院に慰問中よ。 ……安心した?」
「い、いや……」
からかうように目を細めるマーヤお姉さんに、俺は小刻みに首を振る。
この人のお母さん――ショタお姉さんが、実はすごくいい人だということは知っている。
……俺の臀部さえ狙わなければ、な。
「そ、それにしても、さっきのはビックリしたよ」
「ふふふ」
そのことを娘である彼女に言っても仕方がないので、俺はあからさまに話題を変えた。
っていうか……このお姉さんもときどき、後ろから抱き着いてきたりオシリを触ってきたりするからな。
そんなところは、やっぱり親娘である。
「あなたなら知っていると思うけれど。
あのくらいの歳の子って、大人が思っている以上に理解力があるのよ」
「まあ……」
俺自身は除くとして。 昔のセーレたんやエミーちゃん……それから今のリソ君も、ちゃんと順序立てて分かりやすく説明してあげれば、けっこう難しいことでも意外と理解してくれることが多い。
それを「まだ小さいから」と適当にはぐらかしたり、「とにかくそうなんだ!」と強制しようとすると、納得のできない子供はなかなか言うことを聞いてくれない。
俺も、実際の経験からそのことを学んだ。
まあ……いくら説明を尽くしても、分かってくれないときは分かってくれないが。
周りのお母さん達もうんうんと同意を示している中、マーヤさんは更に言葉を続けた。
「だからこそ、今の内にしっかりと教えてあげないといけないのよ」
「なるほどー」
ビミョーに何か引っかかるモノを感じるけど、このお姉さんの言うことはもっともだと思う。
さすがはマーヤさんだと、俺もしみじみと首を縦に振ったのであった。




