531 だって、いちばん大切だから
「また、幼児園で『先生』をしてもらえないかな?」
雨音のほとんど聞こえない部屋の中、ヴェオラ園長さんの声がストレートに俺の耳へ届く。
園長さんは俺の目をまっすぐに見つめ、俺の隣にいるセーレたんもキラキラした目を向けてきた。
「えっと。 ツェリさんは――あ」
言いかけてすぐに気づく。
るー君とリリちゃんが共に街めぐりをするというなら、あの人がついて行かないワケがない。 もちろん、エルリアさんもエーデルさんもだ。 エルネちゃんだって、るー君とこの家が空くって言ってたし。
俺が言わんとしたことに気づいたらしいヴェオラさんが、その先の疑問も含めてハッキリと答える。
「ええ、ツェリ先生もお休みだから。 ドロシーには大体のことは教えた、とはおっしゃっていたのだけど……」
「ん?」
知らない人の名前が出てきて首をかしげると、園長さんがすぐに補足を入れてくれる。
「ああ、覚えてないかな? うちに新しく来てもらっている――」
「……あーっ、はいはい! あの、役者さんをしているという」
「そうそう、その子」
園長さんがパンパンと手を叩く。
確か、ツェリさんが連れてきたという見習いメイド――じゃない、先生さん。 ものすっごくお腹から声の出ていたお姉さんだ。
「その子も、ある程度はひとりで『授業』ができるようになってきたんだけど……まだ少し、不安なところがあってね?
それでツェリ先生に相談したら、秋休みだったらジャス君先生にも多少は時間があるはずだからって」
「な、なるほどー」
あの人、カンペキに俺のことを予測しきっているな……。 さすがだ。
俺の頭の中で、「恐れ入ります」と銀色の長い髪のメイドさんが深々と頭を下げた。
「もちろん、正式なお仕事としてお給料は出すわよ? ……あまり多くは出せないけれど」
そう言って、困った笑みを見せる園長さん。 そして「お仕事」というフレーズに、セーレたんが「ふわあ~」と溜め息を漏らしていっそう輝きの増した瞳を向けてくる。
給料とかはまあ、別にいいんだけど。
「僕……教えるのはともかく、お芝居の方はサッパリですよ?」
問題はそこなのだ。 ま、問題は俺が書いてるんだけどさ。
俺の芝居なんてたぶん、かいわれ大根もいいところだぞ? なりきり執事なら多少マシかもしれないけど。
「それはあの子に任せればいいのよ。 ジャス君先生は、前みたいにみんなの勉強を見てくれればいいから」
だったら大丈夫か? 俺とそのお姉さん――その、ドロシーさんだったか? どちらがメインになってアシスタントになるかは、話し合って決めればいいし。
家の手伝いは、天井とかの掃除を除けば俺の出番なんてまったくないからなあ。 代わりに家の外で人の役に立つことができるなら、時間の使い方としても有意義だ。
それに……妹にはセラさんとこに行かせておいて、この兄は何もしないのか? と気に病んでいたのだ。
「はい、そういうことでしたら喜んで」
俺がOKすると、ヴェオラさんはほっと息をついて文字通りに胸をなで下ろし、マイシスターはぱふぱふと音のない拍手をして喜んでくれた。
「はあ~。 よかったわー♪」
「また、お兄ちゃん先生なの~!」
「あははは。 先生、復活だな」
こうして、俺はまた幼児園時代と同じく、火の日と風の日に先生をしに行くことになったのだった。
――ようやく雨も小降りになった、その夜。
夕食の席で先生アゲインのことをお袋達に話し、全会一致の賛成を受けて部屋に戻ってきたからのこと。
「お兄ちゃん、行ってくるね」
「ん、行ってらっしゃい」
「らっしゃーい」
お袋と一緒にお風呂に入るというセーレたんを、ニアちゃんと一緒に手を振って見送る。 ちなみに今日はお袋にマッサージをする日なのだが、親父が午後に帰ってきたので今回は後でオド飴を持って行くことになっている。
でも、触手デザートだったら親父の目の前で食べても大丈夫だろうとさり気なく提案してみたのだが、女神様スマイルでやんわりと、しかし断固拒否されてしまった。
あの笑顔……セーレたんが頑として譲らないときと、まったく同じだったな。
「……さて」
ぱたんとドアが閉まるのを見届けると、俺は絨毯の上を這いつくばってベッドの下に手を入れた。 前回の記憶と寸分違わぬ場所で指先に硬い感触を得、それを掴んで外に引っ張り出す。
明かりの下に晒されたそれは、そこそこの大きさと重さのある箱であった。 ニアちゃんだったら、十人くらいは横になって入るだろうサイズだ。
……セーレたんには、親父から借りてきた魔法陣関係の本をしまってあるから触らないようにと言ってあったモノである。
両手でパカリと上のフタを持ち上げて開けると、足元にいるニアちゃんが中身を覗き込む。
「いっぱいあるよねー」
「まあね」
箱の中身は大量の紙の束。 しかし、魔法陣など一つも書かれていない。
当然、ハダカの女の子の絵が描かれているワケでもない。
「もうすぐ、終わりだからな」
「そなんだー」
裏には一から順番に数字が振られている。 数字ではなく、文が書かれているものもある。
俺はその中からいちばん上の紙を手に取り、筆記用具を用意してあるテーブルの上へと置いた。 そしてペンを握る。
我が娘は背中から半透明の鳥の羽を出して軽く跳び、テーブルの上に着地するとじーっとペン先の走る紙上を碧色の瞳で追いかけ始めた。
「『これを読む頃、果たして君は』――」
これは、向こうにセーレちゃんが到着したときや、その次の日、それからまた次の日。
あるいは、何か嬉しいことがあったときや……寂しくて寂しくて、仕方のなくなったとき。
などなど。
――そんなときに読んでもらおうと、こっそり用意している大量の手紙である。
「『待ってるからね』……と」
セーレちゃんが向こうでセラさんにどんなことを教えてもらうのか、何をしてもらうのか。 だいたいのことは既に打ち合わせてある。
今の時点でも楽々こなせることもあるし、かなりハードルが高いかも、と心配していていることもある。
そもそも、俺のいない環境で一月半、ちゃんとやっていけるのだろうか……?
当然セラさんと師匠にはお願いしてあるし、いざというときには俺自身が飛んで駆けつける手はずも整えてある。
そこまでやるか、と自分でもあまりの兄バカっぷりに苦笑を禁じ得ないところではあるが……。
でも、あの子が無事に事を成し遂げられるようできるだけのしてあげたいと、セラさんに様子を見て一通ずつ渡すようにお願いしてある手紙の数々なのだ。
「……ふーっ」
最後の一通を書き上げ、俺は肩を回しながらペンを置いた。 やっと終わった。
実は説得を始めた頃から書き始めていたけど……。 あの子に見つからないように時間の合間を見てコツコツ書き続け、途中で説得できないかなあと思って中断したりした時期もあったので、本当にギリギリになってしまった。
「ママ、おつかれー!」
「ありがとな~」
書き終えた手紙を箱に戻し、フタを閉めてまたベッドの下に隠す。
部屋の掃除をしたらバレちゃう場所ではあるけど、描かれている魔法陣が反応すると危ないからと言えば、セーレちゃんは絶対に触らない。 それに、お袋達には本当のことを話してあるので問題ない。 ……恥ずかしかったけど。
ちなみに、エミーちゃんに言うのはさすがに恥ずかしすぎたので同じウソをついたが、エルネちゃんには話した。
ものすごく大人びた微笑みを浮かべて「うん、絶対に言わないよ」と言ってくれた。
「はぁ、なんとか間に合ったよ……」
あとはコレを、明日の朝イチで郵便屋さんに持って行くだけだ。 ちょうど描陣の資格更新で役所に行かないといけないから、その前に寄ればいい。
速達にすれば、たぶんあの子よりも先に向こうへ届くだろう。
「ねーママー」
「ん?」
セーレたんが帰ってくる前に筆記用具を片づけようかと思っていたら、我が娘が消しゴムを持って話しかけてきた。
合宿から帰ってきてからというもの、ニアちゃんは家での会話をなるべく生身の声を使ってするようになった。 テレパシーも悪くないが、やっぱり鼓膜で聞く我が娘の声もイイものだ。
「それ、ホントにセーレちゃんより先に届くのー?」
「……た、たぶん」
それが問題なんだよなー。 遅れて届くのも困るが、届いたその場をセーレたんに見つかるのがイチバン困る……。
「だったら、精霊便で送ればいいんだよー」
「あ……それもそうだな」
手紙だから郵便だと思い込んでいたが、そういや精霊便の方が断然早いよな。 直接飛んでいってくれるんだし。
もしかしたら明日の朝にお袋も同じことを言ってくれるかもしれないけど、先に俺が気づくに越したことはない。
「いやいや、ニアちゃんのおかげで助かったよ」
「にゅふー♪」
真上にぴょこーんと伸びるアンテナっ毛の上から、三頭身の頭をなでなで。 我が娘は嬉しそうな顔をして目を細め、俺のされるがままになっている。
とっても可愛い。
「じゃあじゃあ、今からニアが呼んであげるよー?」
「……え? 今から?」
「うん」
なで終わって手を離すと、ニアちゃんから思いがけない提案が。
確かに、精霊便は一日中いつでも受付してくれるらしいけど……ああ、テレパシーで呼んでくれるってことか。 精霊どうしならネットワークで連絡が取れるもんな。
緊急だったり公共サービスへ連絡をつけたいときなどは、たとえ見ず知らずの精霊さんでもバトンリレーで声を繋いでくれるらしい。
「じゃ、お願いしようかな」
「おっけー!」
元気に片手を上げ、お返事する。
それからニアちゃんは胸元で両手を握ると、窓の方に身体を向けてアンテナを震わせ始めた。 俺にもほんのかすかにだけど、《誰かー! 精霊便のヒトにねー!》という我が娘の声が聞こえる。
邪魔をすると悪いので、俺は静かに通信を見守ることにする。
待つことしばらく、アンテナの震えが止まった我が娘が俺の方に振り返った。
「あのねー、もうすぐ来るって」
「そっか、ありがとなー」
よくできました、ともう一度なでなでしてあげる。 ニアちゃんはえらいな~。
身長よりも少し長い碧の髪を、子供が滑り台で遊ぶように何度も手を滑らせる。 ……と、窓をノックする音が聞こえてきた。
思ったよりも早かったな。
「はーい、今開け――」
顔を上げて外を見るなり、俺は固まった。
ほとんど雨のやみかけていた、暗い外。
そんな更った暗闇よりも更に昏き、巨大なるモノが窓の向こうに立ち塞がって――。
「――お呼びでしょうか、義母上」
「おにーさん、やっほー♪」
なぜか、我が国の精霊様ナンバーツーがやってきた。
「ニアちゃん……やっほー」
「……」
どうやら、たまたま上空を飛んでいたトゥキさんを捕まえたらしい。




