449 闇の整体師・ブラックジャス
薄いカーテン越しに、明るい光が入る寝室。 俺の後ろにはベッドに腰掛けているセラさんが柔らかく微笑み、その横でクラリスさんは少し不安そうな顔で立っている。
かかっていた布団をどけてもらい、俺はもうひとつのベッドに仰向けになっているロザリーさんを間近に見た。
「……」
薄い碧の瞳を閉じて優しい笑みを浮かべ、女性としても小柄だろう身体の力を抜いている。 前に見たとき、後ろにまとめてお団子にしていた髪は、今は枕の下に敷かれて軽く左右に広がっていた。 セラさんとほぼ同じ、背中の真ん中くらいまでの長さだ。
少しくすんだ感じのあまりツヤのない銀髪は、光が直接当たっていないと灰色にも見える。 でも、確かに俺や親父と同系統の色である。
ああ、俺はこの人の血を引いているんだな……そう強く感じた。
「……ジャスちゃん。 気を遣わないで、思うようにしてくれればいいのよ……」
「あ、うん」
俺が遠慮していると思ったんだろう。 顔に薄くできているしわを持ち上げ、おばあちゃんが笑みを深めた。
日本人の常識から見れば、この人の歳なら普通かなーと思える肌。 しばらく伏せっていたせいもあるのだろう、血色はあまりいいようには見えない。
寝間着の上から骨盤のあたりに置いている俺の手からは、やや低い体温を感じる。
「……じゃあ、始めるね」
「ええ……」
手のひらをピタリとくっつけ、全体から染み出すようにオドを出す。 いつもお袋達にやっているみたいにオドで全身を包み込むのではなく、薬用のクリームを薄く広げて塗り込むような感じ。
……いや。 手は動かさないから、手に化粧水をつけて顔につけるような感じ、と言った方が近いか。
俺のオドは万能なんかじゃないけど、少しでもロザリーおばあちゃんが元気になれば。 想いを込めて、生地のすき間からオドを染み込ませる。
「ん……っ」
ロザリーさんの肌の表面で留まっていたオドが、わずかに染み込んだ。 ぴくりと全身が動く。
辛くないかと顔を見て見ると、わずかに眉をしかめていた。
「大丈夫……?」
「ええ。 少し、くすぐったかっただけよ……んっ。
ジャスちゃんの手、急に温かくなったわねぇ」
「そっか」
特に痛いとか、そういうわけではないようだ。 ひと安心。
わずかに手を動かし、少し骨の出ている骨盤付近をさするようにしてオドを染み込ませていく。
「あっ! ……ふうぅぅん」
『お、お母さん……?』
ぶるりと震えたロザリーさんを見て、後ろからクラリスさんが戸惑い混じりの声をかけてくる。 ……その隣で、セラさんがふふっと小さく笑った声も聞こえた。
「んふ……あぁぁ……!」
ロザリーさんは、全身を小刻みに震わせながら少し低い……そして、艶めかしい声を漏らしている。 まあ、クラリスお姉さんが戸惑う気持ちは理解できる。
肩を揉まれて気持ちがいいというならともかく、俺の手は「撫でる」とも呼べないような、とてもゆっくりとした動きなのだ。
「はああぁぁ……温かいわ……ああっ♪」
俺の手のひらからも、ロザリーさんの体温が少し高くなったのが分かる。 俺のオドが、だんだん馴染んできたようだな。 ずっと身体がぴくぴくと震えているけど、それで腰を痛くしている様子もない。
もう少しオドの量を増やすと、ロザリーさんの声がちょっと高くなった。 予想以上のセクシーボイスだけど……まあ、その手の声には慣れている。 軽くドキッとした程度だ。
顔色を見てみると、ほんのりと頬に赤みが差していた。 血行も良くなってきているようだ。
「ふあぁぁ……恥ずかしい……ぁぁぁぁぁ」
見ながら施術を続けていると、薄目を開けたロザリーさんと目が合い、片方の腕で顔を隠されてしまった。
ちなみにもう片方の腕は俺がベッドの上であぐらをかいているすぐ足元にあるので、腰に添えている俺の手に当たって動かせなかった。 その手は再びベッドの上に落ち、シーツに指を立てて震えている。
『え? お、お母さん? ちょっと……』
『ふふふっ。 クラちゃん、アレはあの子のオドを送り込んでいるだけだから、心配しなくても大丈夫よ』
『え、で、でも……』
『ほーら。 もう少しかかると思うから、あなたもこっちに座りなさい』
『きゃっ』
クラリスさんからすれば、自分の母親が孫に身体を触られて色っぽい声を上げるなんて想像もつかなかっただろう。
戸惑いっぱなしの様子に、セラさんがちょっと笑いながらクラリスさんの手を引いて自分の隣に座らせたようだ。 背後で「ばふっ」と、クラリスさんがベッドの上に座らされたらしい音が聞こえた。
「あぁ……熱いぃ! お腹が、きゅんとするわぁ……!」
顔色は窺えなくなったが、俺の足元で震えている手にも赤みが差してきているのが見て分かるし、ロザリーさんのオドの表面の動きが活発になってきているのも触れている手から感じられる。
手応えを感じた俺は、少し身を乗り出して向こう側の骨盤に片方の手を滑らせた。
そして、腰の左右へ同時にオドを擦り込む。
「ああっ!? ふああああああああーーーーーーっ♪」
その途端、腰が声のトーンと共に浮きあがるくらいに跳ね上がってビックリした。
が、すぐに落ち着いてまた小刻みに全身を震わせ始めた。
『ちょっ!? お母――』
『大丈夫だってば。 あの子のオドがキいてる証拠だから』
『で、でも……!』
クラリスさんの声と一緒に、ギシッと後ろからベッドのきしむ音が聞こえた。
いくら治療行為とはいえ、こんな艶めかしい空気になってしまっていることについては……心の中でお詫びしておく。 そしてもう少しオドの量を絞り、ロザリーさんがあまりセクシーな声を出さないように気をつける。
「ふああぁぁぁぁ……♪」
オドの擦り込みはしばらく続き――。
時間をかけて十分な量を送ったのを確認してから、俺はロザリーさんの身体からゆっくりと両手を離した。
「……ふぅ。 はい、おしまい」
「はあぁ……はあぁ……はあぁぁぁ……」
ロザリーさんは片腕で顔の鼻から上を隠したまま、赤みの増した唇を開けて深い深呼吸を繰り返している。 身体はまだ、かすかに震えていた。
使ったオドはそれ程多くはなかったものの、繊細なコントロールを要求された俺もけっこうキツかった。 ずっと力を入れていたせいで、指先から肩にかけての全体がだるくなってしまった。
俺にとっては、にょろーんと適当に放り出している方がずっと楽だからなぁ。
「はあ……終わりましたよ」
自分で自分の肩を揉みながら、俺は振り返ってセラさんとクラリスさんにも報告する。
「お疲れ様♪」
《ママ、お疲れーっ! けっこうタイヘンだったみたいだねー》
セラさんは優しく……でも、ちょっとだけニヤニヤ気味の笑顔で労をねぎらってくれた。 ちょっとだけ頬が赤いように見えるけど、気のせいかな?
俺のお腹の中からも、ニアちゃんがねぎらいの言葉をくれた。 インストール中なだけに、俺の大変さを解ってくれているようだ。
そして。
「え、えっと……お、お疲れさま、です?」
口元を手で隠しているクラリスさんは、顔を真っ赤にして少しうつむいていた。 ホント、すみません。
……でも、なんで敬語?
「それでジャス君、彼女はどうなの?」
隣で赤くなっているクラリスさんを見て、ネコのような形の口をさせてニヤニヤしていたセラさんが聞いてくる。 ついでに俺の両肩も揉んでくれて、ちょっと気持ちイイ。
オドについてはさっきセラさんがクラリスさんに言っていたから……詳しく話しても大丈夫だろう。
「うん。 ゆっくりだったけど僕のオドはちゃんと浸透していたから、少し元気になるくらいの効果はあると思う。
ぎっくり腰にまで効果があるかは……判らないけど」
「そっ」
またネコ笑いをしているセラさん。 俺自身は半信半疑だというのに、この人は効果を疑っていないように見える。
なんでそんなに……と考えていると、セラさんはすっくと立ち上がり震えのおさまってきたロザリーさんに声をかけた。 顔はまだ隠している。
「ローザさん、落ち着いてきた?」
「はぁ……え、ええ……」
「じゃ、身体を起こしてみましょうか」
「え?」「へっ」
驚きの声を上げたのは、クラリスさんと俺である。
はいはいごめんねーと優しくベッドから追い出され、仕方なく靴を履いた。 大丈夫なのかな……。
いろいろと初めてづくしだったため、ロザリーさんに擦り込んだオドの量は、推定だけど腹八分目よりもちょっと下くらい。 乱れた呼吸が落ち着けば、普通に身体を起こせる程度には回復しているハズではある。
腰さえ問題がなければ、だけど。
「さあ、起こすわよー」
「えぇ……」
まだぼーっとしているのか、ロザリーさんは疑問の声さえ上げずに隠していない方の手を差し出す。
セラさんは片方だけ靴を脱いでベッドにひざを乗せ、その手を取ってもう片手はロザリーさんの肩に添えた。
で――。
「はい! いっち、にーの……さん!」
――まるでスプーン曲げのように、えいやっとロザリーさんの上半身を起こした。
「うおっ!?」
「う、うそ……!」
《うわあーい! やったねー♪》
それはムチャだろ、という思い切りの良さに俺も驚いたが、すんなりと起き上がってしまった結果に言葉が出ない。
ニアちゃんは俺の中で無邪気にバンザイしているけど、クラリスさんは目を丸くして呆然と呟いている。
「――え?」
というか……起こされた本人も、何が起こったのか解っていないような顔だ。
焦点の合っていない目を、ぼーっと前の方へと向けている。
「どう? 気分は?」
「え、ええ。 先程までは少しだるかったのだけれど、今は驚くくらいに軽くなったわ……?」
セラさんに尋ねられ、起き上がったロザリーさんは顔を声のした方に向けて碧の瞳の焦点を合わせる。
その両手は、力なくだらりと垂れ下がっていた。
「腰はどう?」
「……な、何ともないわ……」
「そ、そんな……」
不思議そうに目を瞬かせる自分の母親を見て、クラリスさんは茶色い瞳をより大きく見開く。
というか、俺も開いた口が塞がらない。 いや、まったく予想していなかったかと言えばウソになるが――。
なんと。
ロザリーさんの顔から、小じわが消えていた。
「すごい……。 まったく、痛みがないわ」
いや、完全には消えていないようだ。 でもほとんど目立たなくなっている。 それに……なんだか、声まで若くなったような気がする。
起き上がった上半身に外からの光が当たる。 まだほんのりと桃色の残る顔は白く、健康的な色になった。 くすんで見えていた髪も、銀糸の輝きを放っている。
「ほ、本当に、お母……さん、なの?」
「……?」
セラさんが手を離し、自分自身の力で背筋を伸ばしているロザリーさんが、娘の顔を見て首をかしげている。 ちょっと、可愛らしいなと思ってしまった。
だが、施術した俺だってビックリしているのだから、クラリスさんが驚かないワケがなかった。
脱いだ靴を履いてロザリーさんからは見えない斜め後ろに立ち、笑いを堪えているセラさんがオカシイのだ。
「ぷっ……くふふふふ……っ♪」
全然、堪えきれていないが。 ニアちゃんは若返ったロザリーさんを見て「おおーっ」と喜びながら、俺の中で拍手している。
セラさんは口を押さえて震えながら寝室の中を見回し、見つけた手鏡を素早く取るとロザリーさんの肩を叩いた。
「ぷっ、ふふふふ……はい」
「え? ええ」
手鏡を渡されたロザリーさんは、きょとんとしたままそれを覗き込んで――固まった。
「ほえ……?」
「ぶふっ!!」
セラさん、笑いすぎ……。
俺も、ちょっとだけ噴き出したけどさ。
「あれ、私……えっ……ええ?」
「……」
戸惑いながらもだんだんと口元が緩んでいくロザリーさんと、開いた口が塞がらない感じのクラリスさん。
そして、セラさんはロザリーさんの肩を叩きながら笑い続けている。
「ぷっふっふっふ……! ビックリするでしょ? 私も同じだったから、よーく分かるわ」
「……あなたも?」
「ええ♪」
手鏡の中の自分を見て笑っていたロザリーさんが、セラさんを見つめる。 セラさんは、えっへん! と得意げに左右の腰に手を当てて胸を張った。
クラリスさんもその様子を見て、はっと何かに気づいたような顔をした。
「まさか……セラさんも」
「ふふーん♪ ……ええ、この子のおかげよ」
「ジャス君って、一体……」
呆然とした目で見つめられ、俺は苦笑いになってしまう。 そりゃまあ、そんなリアクションになっちゃうよね……。
気味悪がられないだけ、ありがたいよ。
俺から説明しようと口を開こうとしたが、セラさんが続けてフォローしてくれた。
「そのために今日は来たんだけどね。 ……でも、腰痛も治って本当に良かったわ。
あの人が亡くなってから……エド君はともかく、ジェド君とクラちゃんを女手ひとつで、体を壊すほど頑張って育てたんだもの」
ロザリーさんの背中を優しくさすりながら、セラさんが語る。
大工だった親父のお父さん――つまりは俺のお祖父さんが仕事中の事故で亡くなって、長男のエドガーさんは初学校を出てすぐに家具職人のところへ弟子入りしたのだという。 当時、親父はまだ小さくて、クラリスさんはまだお腹の中だったらしい。
それで親父も、早く自分で稼げるようになるため必死に剣を振っていたって。
『俺は兄貴と違って不器用だったし、お前みたいに頭も良くなかったしなぁ』
って、親父は笑ってたけど。
「だからね……ローザさんにはもっと報われてほしいって、ずっと思っていたのよ」
「セラ、さん……」
慈しむような目差しで話すセラさんに、ロザリーさんが涙ぐむ。 クラリスさんも、もらい涙にハンカチを出してそっと目頭を押さえているし……俺も目の奥がちょっと熱くなった。
ひょっとして、セラさんが俺にスライムマッサージを強く推してきたのって、そのため……?
「ありがとう……セラさん。 ジャスちゃんも、ありがとうね……」
「セラさん……ジャス君……」
ロザリーさんはセラさんと抱き合い、泣きながら何度もありがとうと繰り返す。
クラリスさんも俺の手を引き、ベッドに俺を座らせるとぎゅっと抱きしめてきた。 そして、同じようにありがとうって何度も言われた。
来てみたらロザリーさんは伏せってるし、スライム使えって言われるし、一時はどうなるかと思ったけど……本当によかったよ。
《……ねー》
明るく暖かい部屋の中で感動に包まれていると、俺の中から声が聞こえてきた。
もちろん、そんなコトができる子は他にはいない。
《ニア、いつになったら出ていいのかなー?》
「あ」
ど、どうしよう。 せっかくの感動シーンだけど、確実にムード壊れちゃうよねぇ……?
だけど、俺の能力についてもちゃんと説明しないとダメだろうし、もちろんニアちゃんの紹介もしなくっちゃだし。
……うん、仕方ないよな。
これから起こるだろうカオスっぷりを想像して、俺はクラリスさんの温かい胸の中で苦笑いを浮かべるのだった。




