339 妹を千尋の谷(溝)へと突き落とし
やけに久し振りのような気がする学校。 建物の合間から顔を出した太陽が、空を明るくしながら少しずつ高度を上げていく。
多くの窓が開け放たれていて、まだ少しひんやりとした空気が入ってくる。
「おはよー」「おはよう!」
教室の中は、子供達の高い声で今日も賑わっていた。
カードゲームで盛り上がる男子もいれば、お互いの服をチェックしてほめ合っている女子もいる。 席の後ろの方でふざけて関節技をかけ合っている連中もいれば、カーテンに巻きついて遊んでいる子を外からぽかぽか叩いている子もいたりする。
しかし、その傍らで。
「……」
黙々と本を読んでいる子もいれば……。
「だから、カッコをついてる方を先に――」
「衛星都市のできた順番って、たしか――」
かなり真剣に勉強をしている子も少なくない。
見覚えのない子は、きっと他のクラスから補習に来ているんだろう。 その多くは、身体の大きさからして既に留年を経験している子なんだろうと思う。
このあたりは、前世の小学校の記憶と違うところだ。 ……まあ、それも学校や年代とかにもよるんだろうけどさ。
隣の席で同性の友達とお喋りしていたセーレたんも、話の流れからなのか教科書を出して勉強の話をし始めた。
そういえばセーレたんって、あまり服の好みとか言わないな……。 お袋達のセンスがいいからかもしれないが、いつも言われたままの服を着ている。
だけど確かにとっても似合っていて、ときには可愛らしく、またときにはちょっぴりエレガントな妹様に、俺のほめる言葉が尽きることはない。
そのたびにハニーは照れてはにかみ、メイドちゃんズ達は満足そうな笑顔を見せてくれる。 ……自然と言葉も湧いてくるというものだ。
ちなみに今日は、下にスパッツを穿くことを前提にしたミニスカート姿でセラさんのチョイスである。
「ところで、マーヤさんは勉強しなくていいの?」
前を向くと後頭部に思いっきり視線を感じるので、最近はずっと後ろ向きになるのがクセになってしまった俺。
本気出す! と言っていたわりにはあまり学校で勉強しているそぶりのないお姉さんに聞いてみる。 いや、他の子から質問されて答えているのはよく見るけど、それ以上に勉強以外の相談を受けているのをよく見かけるんだよね。
……まるで、小さな飲み屋のママである。
「ふふふ、いいのよ。 こうして人間関係を築くのも、学校での大切な経験だと思っているから」
「……」
クセのない、キレイな黒髪を朝日に輝かせて微笑むお姉さん。 つい先程も、初恋に悩む同級生にアドバイスをしたばかりである。
この人、本当にまだ十歳になってないのか?
母親であるショタお姉さん、もといエリカさんも妙に悟ったようなところがあったけど……マーヤさんもそれは同じだった。
願わくば、性癖方面で悟りを開きませんように……。
「そういうジャス君は勉強をしないのかしら?」
「……まあ、その分は家でしてるからね」
俺がやっているのは高校の勉強だけどな。
それと、親父の書斎から借りてきた、ちょいと軍事寄りな魔法などの専門書だが。
「私もそう」
「そ、そっか」
マーヤさんは机に両手で頬杖をつき、じーっと俺の目を覗き込むようにして見つめてくる。 なんか……勘違いしそうになってくるな。
わりと冷静なサブ思考で、お姉さんの言う「勉強」が本当に初学校レベルのものなんだろうか? という疑問を抱きつつ、俺は斜め横に視線を逸らした。
すると、周囲から浮きまくっているとあるクラスメートに目が止まった。
「……チッ」
後ろの窓側に近い席で、舌打ちしながら不機嫌そうに顔をしかめて外を見ているロン毛のイケメン。 子供と呼びづらいほどの立派な長身と、なかなかに高そうな仕立ての服の上からでも分かる引き締まった身体、そしてハデな青い髪が嫌味なまでに似合っている。
少女マンガに出てきそうな、ちょいワル系のイケメン……という例えがまさにピッタリだ。
目に見えるほどの不機嫌オーラもそうだけど、そんな少年が初学校の教室にいること自体が浮きまくっている。
俺の視線の先に気づいたお姉さんが、頬杖を片手にして斜め後ろを向いた。
「ああ、ヴォルフォロエメフ君? 彼、最近特に機嫌が悪いわよね」
「あー……うん」
たしか、そんな名前だったなぁ。 ボロボロ……あれ、なんだっけ?
特に絡まれたことはないが、入学以来ずっと俺やセーレたんのことを気に入らなさそうな目で睨んでくる奴だ。
完璧な人間なんていないんだから、俺だって誰にでも好かれるとは思ってないけど……それでもやっぱり、あんまり気分のいいものじゃない。
でもお姉さんの言う通り、特に最近になってから一層雰囲気が悪くなっている。 もともと友達の多いタイプじゃなさそうだけど、その友達さえあまり近づかなくなったような気がする。
「彼も私と同じ二回留年で後がないけれど……。 代々の騎士家系で、その上歳の離れたお兄さんとお姉さんが優秀らしくて、精神的な圧力がものすごいみたいね」
「そ、そうなんだ」
よく知ってるよなと思いつつ、奴の境遇を聞いてチクリと胸に刺さるものを感じる。
セーレたんはもちろんのこと、俺も世間的に見れば優秀だと言われる側の人間だという自覚はある。 ……そして俺達には、リソ君という歳の離れた弟がいる。
だけどまあ、あの子は兄弟でも俺とは違って金髪を受け継ぐ「黄金の一族」だし、弱かった身体も強くなってきたからポテンシャルは相当なものじゃないかなーと俺は思ってるんだけど。 感じる魔力量も十分だし。
お袋やセーレたんをはじめ、みんながいろんなことを教えているので教育環境も最高だ。
しかし、だからといって花が咲く保証はどこにもないし、あの子がどんなつぼみを持っているのかもまだ分からない。
ま、俺は心配してないけどな!
リソ君は、あのオリオール家で生まれたのだ。 あの家族に囲まれていい子に育たないワケがないし。
万一ひん曲がりそうになっても、俺が兄貴としてぶん殴ってでも真っ直ぐにしてやるさ。
「……」
……逆にボコボコにされないかな、俺? なんか不安になってきた!
別に好きこのんで兄弟ゲンカをする気はないが、前世では兄弟がいなかっただけに、あこがれみたいなものがないワケじゃない。
そのためにも、俺はもっと頑張らないとダメだな。
「ふふふふっ」
うっかり両方の思考ともあっちの世界に行っていると、お姉さんがすっごく優しい目差しで俺を見つめているのに気がついた。
もしかして俺、また変な顔でもしてた?
「いいえ? とても素敵な目をしていたわよ?」
「そ、そう……」
吸い込まれそうな瑠璃色の瞳に、俺は言葉を返すことができなかった。
生活の授業では、シャルちゃん先生から抜き打ちテストの地獄を味わった……一部のクラスメート達が。
「ご、ごめんね……?」
嫌そうな声が教室中で起こる中、先生はリス耳を横に倒して申し訳なさそうに問題を配っていたけど、仕方ないよねぇ。
教壇の横にある先生用の席でアズミーリ先生が小さくうなずきながら見ていたから、これも後輩と教え子達への愛のムチなんだろう。
そのわりに女史の口の端が吊り上がっていたことには気づかなかったことにして、俺はとっとと問題を片づけた。
――で、その次の武術の授業に至る。
「チッ」
「よ、よろしくお願いします~」
今日も試合形式が続く、俺達資格持ちグループの授業。
細剣だけでなく馬用のムチなんかも似合いそうなポニーテールの女史は、よりにもよってセーレたんの相手に例のイケメンを指名した。
今日の対戦は得物の違いすぎる意外なものが多かったが、この組み合わせにはみんなが戸惑いの声を上げた。 今も小さなざわめきが、地下体育館にいつまでも響いて耳につく。
あからさまにイライラした視線をぶつけられ、セーレたんは両手の大きなグローブで身体をかばうようにしながらおずおずと頭を下げている。
「ヴォルフォロエメフ、礼をしろ」
「……」
先生に鋭い目を向けられ、イケメンはハニーを見ずに形だけ頭を下げる。
それでも騎士家系というだけあって、形だけはそれなりだった。
「だ、大丈夫かなセーレちゃん……」
俺の近くでフローリングに座っていた、セーレたんと仲のいい子が不安そうな声で呟くのが聞こえてくる。
他の子達も不安げだ。
「セーレちゃん、怯えているわね」
「うん……」
真後ろから俺の右肩にあごを乗せるように顔を出し、マーヤさんが小声で話しかけてくる。
いきなりの出現とふわりと漂ってきたジャスミンのような香りにドキッとしながらも、俺の心のほとんどはセーレちゃんの方に向いている。
大剣型の長大なソフト剣を振り上げて構えるボロボロに対し、ハニーの小さな身体は縮こまったままだ。 稽古でも相手の気迫自体は受けることはよくあるけど、こんな嫌悪じみた感情を受けたことはない。
「くっ」
万人に好かれる人間などいない、それは俺自身の言葉。 これだって将来のことを考えれば経験としては決して悪くはない、という冷静な思考もあるにはあるけど……。
二人の間に先生が立っていなければ、すぐにでも飛び込んでいきたいくらいだ。
「……」
すると、マーヤさんが無言のまま俺の左肩に優しく手を置き、背中に身体をくっつけてきた。 その温かさに、少しだけ落ち着きが戻る。
左側の唇を噛んで見えないようにしてたけど……全身に力が入っていたらバレバレだよな。 あー、強く握っていた両手がだるい。
お姉さんは左肩を何度かぽんぽんと軽く叩くと、すぐに身体を離して俺の視界から完全に消えた。 後ろで普通に座り直したらしい。
「うぅぅ……」
セーレちゃんが怯えた瞳で俺をチラリと見る。 反射的に尻が浮きそうになるが、ここはグッと押さえつけて視線でエールを送った。
――助けてあげたいけど、ここはセーレちゃんがひとりで踏ん張るところだよ。
お兄ちゃんはここでちゃんと見ているから、勇気を出して頑張れ!
そうすれば、大丈夫だから。
なーに。 万が一のことがあっても、その前にお兄ちゃんが絶対助けるからさ!
最後は半分格好をつけてニヤリと笑いながら――同時に、自分自身を落ち着かせながら視線に想いを乗せて送る。
脚を内股気味にして、よく見るとかすかに震えてさえいたセーレちゃん。
だけど彼女は、胸の前で重ねていたグローブに顔を隠すと……ピタリと身体の震えが止まり、真っ直ぐに背筋を伸ばした。
そして、両手を自然に下ろして現れた顔には。
「……ふふふっ♪」
彼女が寝起きに見せるような、安心しきった笑顔を浮かべていた。
『すごい、わね……』
後ろから、マーヤさんのささやくような声が聞こえてきた。
途端に、周囲のわざめきが再び耳に入ってくるようになる。 それは最初のとは違い、心配や不安ではなく驚きの色が多分に混じっていた。
というか、そういえば周囲の声なんて途中から全然聞こえてなかったな。
セーレちゃんが、真っ直ぐに対戦相手に目を向けたところで……。
「フッ、上出来だ。 ……よし!」
アズミーリ先生は穏やかに目を細めると、振り上げた手を勢いよく振り下ろした。
「始め!」




