219 長い1日の終わりに…
太陽も高くなり、明るい光と温かさに包まれている教室。 時計の針は、いつの間にか四の字を大きく通り過ぎていた。
身体測定も終わって全員がそろい、今日一日の締めくくりとしてアズミーリ女史によって帰りのホームルームが行われていた。
「早速、明日から授業が始まる。 時間割は今からベルトラン先生に配って頂くので確認するように」
「はーい。 一枚取ったら残りは後ろの子に回してくださいねー」
紙の束を持ったシャルちゃん先生が、窓際から順番に枚数を数えて最前列の俺達に手渡していく。 うわー、前世の学生時代を思い出すなぁ。
言われた通り、俺は受け取った中から自分のを取って残りを後ろの女の子に渡す……うっ、微妙に遠い。
なんとか腕を伸ばし、重みで垂れ下がった紙束を渡すことに成功すると、女の子に「ふふっ、ありがと♪」とにっこり微笑まれた。 こんなことでお礼を言われると、なんかちょっと照れくさい……。
慌てて前を向いて、俺は時間割表に目を通す――って。
「多っ!?」
授業は基本的に四限までだ。 それが週二回だから、時間割は二×四で合計八個のマス目に区切って教科が書かれている。 それが、一組から四組まで全部載っていた。
いや、それだけならまだいいんだ! 肝心なのは、むしろここからなんだ……。
俺達のクラスは二年二組。 ただし、そこには「水土・午前の」という言葉が付く。
今になって気がついたが、「午後の部」にも別の『二年二組』が存在し、「火風」の曜日にも「午前」「午後」にそれぞれ異なる『二年二組』が存在するのだ。
……ご丁寧なことに、俺達の「水土・午前の」『二年二組』のところには、手書きの赤ペンで分かりやすく囲ってくれてある。
で、それが四クラス分――いいや。 「火風」の部に至っては、なんと「午前」「午後」共に五組まである!
要するに、だ。
二年だけで、なんと十八クラスもあるんですよ。
――しかし、惨劇はそれだけでは終わらなかった。
「はーい、また一枚ずつ取ってくださいねー」
「なんだとおおおおーーーーーっ!?」
「ひゃいんっ!?」
戦慄のあまり、叫んでシャルちゃんを驚かせてしまった。 ごめんなさいと頭を下げると、ぷるぷると耳を震わせながらも先生は笑って許してくれた。
俺は震える手で更にもらった紙を一枚引き抜いて、くすくすと笑っている後ろの女の子に、精いっぱい腕を伸ばして残りを手渡した。
「ま、まさか」
既に視界の隅に捉えてはいたのだが、敢えて知らない振りをしていた俺。
夢であってくれ、と半ば祈りながら改めて目を落としてみるが……現実は非情であった。
「い、一年の時間割ぃぃぃぃぃ……っ!」
そこには、すべての部が四組まである、合計十六クラス分の時間割表がビッシリと書かれていた……。
「な、なな、ななな」
紙面を見つめながらカタカタと震える。 校舎はそんなに大きくないクセに、なんつーマンモス学園なんだよ!
ざっと見積もっても、全校生徒って軽く千人超えてるんじゃないの……?
「知っているとは思うが、既に単位を取っている教科の授業は受ける必要はない。 また、このクラス以外で授業を受けるのも自由だ。 ……席が空いていれば、だが。
もし空いておらず、かつそれでも質問等があるのなら、一階の自習室か空き教室で受け付けているのでそこへ行くように」
『はーーーーーーーーーいっ!』
みんなの元気な返事が遠くに聞こえる……。
「ジャス君、大丈夫?」
「え? あ……はい」
呆然としていたら、またシャルちゃんに心配されてしまった。 我に返って返事をすると、先生は俺の頭をひとなでして再び席と席の間を回り始めた。
背中にくっつくようにして揺れている薄紫色の大きなしっぽを見送ってから、俺は教壇のアズミーリ女史の話に耳を傾ける。
「――休憩室と購買も明日から利用できる。 だが今日は午後も入学式があるので、これが終わったら全員すぐに帰るように」
『はーーーーーーーーーい!』
そう。 初学校って給食がない代わりに、食堂を兼ねた休憩室と購買があるんだよなー。
受験とかで来たときにチラッとだけ見たことがある。
「よし。 ……ああ、最後にオリオール兄妹は、学生証の配布や学校案内があるので残るようにな。
では、解散!」
『せんせー、さよーならーーーー!!』
先生は俺とセーレたんに向かって少し小さな声でそう言うと、他のみんなには解散を告げてホームルームを終了した。
――端から順番に、生徒たちの声が遠のいていく放課後。 いろいろあって小腹は空いているものの、お昼はまだ先だ。
半日……は経っていないが、再び飛び級メンバー達がこの教室に集まって来た。 教室を出て行こうとしていた先生ズに、なぜ一組の教室ではないのかと聞いてみると、そっちにはとある理由で眠っている男女の生徒がまだ何人もいるのだ、という答えが返ってきた。
ところでハカセ君の姿が見えないけど、その理由もまあ、そういうことなんだろう。 いい夢見ろよ……って、言われるまでもないか。
さぞみんな、幸せそうな寝顔をしているんだろう。
「がるるー!」
「る?」
まるで俺にくっつくセーレたんのように、一組の三つ編み子ちゃんはるー君の左腕を抱きしめながらやってきた。 二人ともカバンを持っており、いつでも帰れる準備ができている。
というか編み子ちゃん、ちょっと顔色が悪いような気が……? いや、でもすっごい笑顔だしなぁ。
で、二人はさっそく仲良くなったんだなーと思い、俺も妹様をくっつけたまま声をかけたら――コレである。
「お兄、ちゃん?」
「……」
いや、るー君もセーレたんも、俺に疑問の視線を送ってこられても困るんだが……。
むしろ俺の方が聞きたいよ。
「えっと――」
「しゃーーーーっ!!」
「うわっ!?」
手を伸ばそうとすると、彼女は左手の爪を立てて猫パンチを繰り出してきた。 危ない危ない。
……君のあだ名は、ニャル子ちゃんで決定だ。
「ニャルちゃん、ジャス君を攻撃したらダメだよ」
「で、でもっ……!?」
というか、既にそれに決まっていたようだ。
両目を半月にして俺を威嚇していたニャル子ちゃんは、るー君に諫められた途端、怯える子猫のような目になって背の低いるー君を見つめた。
「ダメ」
「うぅ……はい」
更に諫められると、ニャル子ちゃんはしゅんと肩を落として大人しくなった。 見た目は彼女の方が断然お姉さんっぽいんだが、立場はまったくの反対らしい。
俺としてもその方が精神的に楽なので、反対で賛成なのだ。
「ところ――」
「きっ!」
「ニャルちゃん?」
「はぅ……」
「――で、るーちゃん? 早速やったらしいね……」
また話しかけようとしたら威嚇されちゃったが、るー君が押さえてくれたのでそのまま会話を続ける。
これはもう、時間をかけて誤解を解くしかない。 ……何をどう誤解されてるのか、サッパリなんだけど。
「むふっ。 ……コンプリート♪」
色っぽい流し目と共に、右手でサムズアップするうさ姫様。
むぅ。 まだユニセックスな格好なのに、もう支配しちゃったのか……。 これで女装したら、一組はどうなってしまうんだ?
「まあ、なんだ……ほどほどにな?」
「ふふふっ。 分かって、るぅ~♪」
「ほっ……ホントかよ」
朱い目を光らせて、妖艶な小悪魔スマイルを浮かべるお姫様。 言葉の最後で尖らせた唇が一層妖しげだ。 背筋を甘い痺れが駆け上る。
……セーレたんがお嬢様モードを発動させて俺に身体を密着してくれていなかったら、ちょっと危なかった。
「くっ!? う、うぅ……ま、負けてたまる、もんかあっ……!」
そしてニャル子ちゃんは、セーレ様のオーラに汗をかいてのけ反りながらも、かろうじて踏ん張って俺を睨みつけていた。 いやだから、なんで俺なのよ?
それからセーレたんも、あんまり彼女に微笑みかけないように。 目が笑っていませんよ?
「ま、まあ。 とにかく座ろうぜ? ……セーレちゃん」
「そうだね……ニャルちゃん?」
「はいなの」「え、ええ」
俺の提案にるー君も同意してくれた。
お互いの相棒に声をかけると、セーレたんは健康診断の間に用意しくれたらしい、周りよりも小さい自分の席に腰を下ろす。 そしてるー君は俺の後ろの席に……後ろ向きにジャンプしてイスに乗って、ニャル子ちゃんは――。
「なんでそっち? セーレちゃんの後ろに座ろうよ」
「えぅ……はい」
るー君の右隣に座ろうとしたのをるー君に止められて、にこにこと彼女を見つめ続ける妹様の後ろに、身体を小さくして座った。
「わたし、セーレっていうの♪ ……お兄ちゃんをいじめたら、いやだよ?」
「ひうっ!? ひゃ、ひゃいぃ……」
プリンセススマイルを浮かべながら、ちょこんと首をかしげるセーレ様。
見た目はとっても可憐なのに、俺の前髪がめくれ上がるかと錯覚してしまうくらい、魔力のプレッシャーが恐ろしい。 その感じ……お袋が怒ったときにソックリだよ。
我がお姫様は、相当にご立腹だったらしい。
「こーら、一緒に飛び級した仲間なんだから、仲良くしなきゃダメだぞー?」
俺は自分の席に座らずにセーレたんに近づくと、イスの背もたれに対して横に座っている彼女の正面に立って、かしげて露わになっている白い首の横に沿って手を差し込む。
そしてその細い首筋と、奥に隠れる小さな耳を同時にくすぐった。
「きゃふんぅっ♪ ひゃああああんっ♪」
「ほらほらー、仲直りするのだー」
「はあうん! ……しゅるのっ! しゅるにょお~んっ♪」
「よしよし」
「ひゃう……ごめんなひゃい……」
「え、ええ……」
毒気ごと身体の力が抜けてふにゃふにゃと謝るセーレたんに、ニャルちゃんも顔を引き攣らせながらも笑みを浮かべて許してくれた。
それから俺と目が合うと……ビクッと身体を竦ませて横を向いてしまった。 あれ?
「ジャスぅー♪」
自分の席に戻って首をかしげていると、ホームルームの終わったらしい三組からわん子ちゃんがカバンを手に飛び込んできた。
するすると他の席の間を駆け抜けて横から俺に抱きつくと、ふぁさり、ふぁさりと大きなしっぽを振って俺の頭に頬ずりを始めた。 うん、くりむちゃんって背が高いから、座ってるとこの娘の胸の位置に俺の頭が来るんだよね……。
当然まだ起伏はないんだけど……それでも柔らかい感触と高めの体温、そしてアンズのようなほんのり甘酸っぱいような香りに包まれると、いささか心臓によろしくない。
「やあやあー、みんなそろってるねー!」
わん子ちゃんの腕と胸の中に半分埋まりながら彼女の背中をなでていると、入口の方から妙に偉そうなニコの声が聞こえてきた。
くりむちゃんの身体で実際には見えないけど、思いっきり胸を張ってのっしのっしと歩いている様子がハッキリとイメージできる。 ……一体、何があったんだ?
「はぁ……やっと、終わったわ」
そして、最後に溜息をついて疲れたきったような声を出すエミーちゃんが入ってきた、らしい。 見えないけど。
いつもは弱ってるところを見せたがらない彼女なのに、珍しい。 ……なんか、かなり大変な目に遭ったようだ。
「ああ、エミーふぁん、おふかれー」
わん子ちゃんに抱かれてて微妙に声がこもってるけど、なんとかエミーちゃんにねぎらいの言葉をかける。
ホント。 君がいるからこそ、安心して二人のことを任せられるんだよ。
「もう、くりむったら、席に座りなさいって……ふぅ」
「わぅっ……わかった」
ちょっと強引に俺から引き離されたくりむちゃんは、残念そうにしながらも大人しく俺の右の席に腰掛けた。 ……さすがわん子ちゃん、イスの高さはピッタリらしい。
そういえばニコは……と思って見回すと、高笑いしながらニャル子ちゃんの後ろに座ろうとしていた。 彼女は三つ編みを逆立てんばかりに「フーッ、フーッ!」と威嚇しているのだが、なぜか増長しているヤツは意にも介さずにちょっかいをかける……あ、手を引っ掻かれた。
「はぁ……」
「エミーちゃん、何があったの?」
俺の机に手をついて、がくりと項垂れているエミーちゃん。 横の妹様からも心配そうな声がかかるが、顔を上げずに頭を縦に振るばかりだ。
そんな彼女に鞭打つようで申し訳ないが、その理由を聞いてみる。
「うん。 ジャス、聞いてよ――」
すがるような瞳で俺に顔を近づけて、訴えかけてくるエミーちゃん。
切なそうな表情に少しドキッとしながらも、愚痴が半分以上の内容を簡潔にまとめてみると、こんな感じだった。
――妙な自信にあふれ、何をしでかすか分からないニコ。
足が竦んで、なかなか動かないくりむちゃん。
この二人を言葉で、ときに力で押さえたり鼓舞したりしながらなんとか自己紹介を乗り切ると……なぜかクラス中から、エミーちゃんとわん子ちゃんが二人ともニコの彼女だと思われてしまったらしい。
当然エミーちゃんは必死になって否定するけど、ニコはますます調子に乗るし、みんなはからかい半分で更にはやし立てるばかり。
先生の注意もあって最終的に誤解は解けたものの、いい加減に女子にウザがられ始めたニコを慰めたりツッコミを入れたり、不安そうに瞳を潤ませるわん子ちゃんにハートを撃ち抜かれたお兄様お姉様達に気を配ったり心癒されたりしながら……。
自分の周りにも集まってきたクラスメート達の相手もしていたらしい。
「なんとまあ……よく頑張ったね」
「うぅ……ありがとぉ!」
遂には抱きついてきたエミーちゃんを受け止めて、少し髪の乱れた後頭部を……なでる前に断ってから、俺がプレゼントしたクリップをパチリと外して、束ねていた長い髪を解放してあげた。
必ずではないけど、気を張っているときにポニーテールにしていることが多いエミーちゃん。 それで気持ちが更に楽になったのか、完全に体重を預けてくる彼女のしっとりとした後ろ髪を、クリップを机に置いてから何度も優しく梳いてあげた。
「まあ、なんだ。 困ったことがあったら、何でも相談に乗るからね?」
「うんっ。 ありがとう……♪」
左が固定位置のセーレたんに対して、よく俺の右側にいるエミーちゃん。 俺付きのメイドさんになったマールちゃんを別とすれば、友達としては彼女はまさしく俺の右腕的な存在なのだ。
いつも俺のフォローをしてくれるそんな娘が困っているというのなら、俺はいくらでも喜んで力になるさ。
「……さて、集まったようだな」
「ごめんなさい、遅くなりましたねー!」
落ち着いたエミーちゃんが赤い顔をしてくりむちゃんの後ろに座った直後、我らが二組の先生コンビが教室に帰ってきた。
自然と背筋が伸びる俺達に、教壇に立ったアズミーリ女史はハスキーボイスで俺達に言った。
「では。 これから君らに学生証を配って、その後はざっと校内を案内しよう」




