148 ひと月おくれの天気雨
六月。 庭の緑がどんどん深くなり、日中は涼しい日よりも少し暑いと感じる日が増えてきた。
王都の家だったら色とりどりの花が見られるんだけど、ここは運動に使うのがメインだからか芝のような草を特に多く敷き詰めている。 それはそれで、寝転ぶと気持ちがいいんだけど。
そんな庭も今は夜の闇に包まれ、空には宝石箱をひっくり返したような星々が煌めいている。 開けた窓からは、草の匂いをほのかに含んだ涼しい空気が入ってくる。
「――よし、これくらいにしよっか」
「ふはぁ~」「……ふぅ」
俺が本を閉じて勉強終了を告げると、パジャマ姿のセーレたんもエミーちゃんもあからさまに安堵のため息をついた。
絨毯に大の字になるかテーブルに突っ伏すような、はしたないことは二人ともしないけど……心境としてはそうしたいところだろう。 俺だったら、きっとそうしてる。
「二人ともごくろーさん。 はい、これ飲みな」
セラさんが差し入れてくれたピッチャーからコップに冷たい水を注ぎ、お疲れの二人の前に置いてあげる。 コイツも魔導具で、俺がキンキンに冷やしておいた。
美幼女たちはすぐに手に取ってゆっくりと、だけどつけた口を一度も離さずに飲み干していく。 そして、ぷはぁ~っとまた大きく息を吐いた。 イイ飲みっぷりだねー。
最近、二人に勉強させている科目は社会だ。 要するに丸暗記科目。
しかも物語の類と違って小難しい単語の羅列だし、図鑑みたいに絵がいっぱい載っているわけでもないのだから、五歳児にとっては辛いだろう。 ……俺みたいに、興味があれば別だろうけど。
だけど、初学校では社会の占めるウェイトがけっこう大きいのだ。 飛び級や留年を考えなければ二年で一般常識レベルの社会知識を詰め込むので、俺から見てもなかなかハードだと思う。
今までは面白くないだろうと思ってたから国語と算数に重点を置いてたけど、そろそろ他の教科にも手をつけていかないとな。
「よく頑張ったねー」
昼間の魔法――というかオド感知の練習もあって特に疲れているエミーちゃんの後ろに回って、肩を揉みほぐしつつ首のツボを押してあげる。
妹様がうらやましそうに見てるけど、もうちょっと待っててね。
「ん……うぅ……ああああぁーー」
なかなか幼女らしからぬ、大人っぽさを通り越してもはやオバサンに近いようなうめき声をだすエミーちゃん。 目に見えないスライムは怖いらしいけど、ここへ来るときにやってあげたマッサージは気に入ってくれたらしい。
それにしても、相当疲れているようだ。
「あああああ~~~~、んんん~~~~~~っ」
こめかみや目の周りも押してあげると「効く~っ」と言わんばかりの声を上げた。
あとは肩甲骨や背骨辺りのツボを押してあげてマッサージ終了。
「はい、おしまい」
「ふぅぅぅ……ありがとう」
身体のこわばりがほぐれて眠くなったらしいエミーちゃんは、そのままお休みの挨拶をしてふらふらと隣の部屋に帰っていった。
そしてこの部屋には、俺と目をうるうるさせているセーレたんが残る。
「……はい、もう『いいよ』」
「ほにょぉ~~~~~っ」
頭をなでてあげると、絨毯に座りっぱなしだったマイシスターは謎のセリフと共に、立っている俺の腰にしがみついて溶けたスライムのようにもたれかかってきた。
察するに、「おにぃ」と「へにょ~」の合わせ技かと思われる。
「はいはい、頑張ったねー」
「やうやうやうやう~~~っ」
俺のおへそのちょい下の、かなりギリギリな部分に顔を擦りつけてくるセーレたん。 というか、アゴの位置がアウトです……。
座ることも引き剥がすこともできず、俺は触手の力を借りて妹様の身体を引っ張り上げた。 すりすりの位置が鎖骨になる。
それから触手で自分ごとベッドへ移動させ、布団と交換された毛布をかぶせて甘えん坊タイムに突入。 この辺りはもう、いつものパターンだ。
「なでなでしてぇ~っ♪」
「ん、よしよし」
「んふふふふふ~っ……やぁん♪」
俺の上に乗っかって抱きつき、脚まで絡めて完璧なホールド状態で頬ずりしてくる。
それに対して俺も抱き返し、頭から背中までなでさすり、ときどき脇腹などを軽くくすぐってあげた。 普通になでるよりも、こうした方が喜ぶのだ。
「おりゃおりゃおりゃー」
「ひゃう、ふぁうっ、あむぅ~っ!?」
そして、ちょっと乱暴にも身体やほっぺたなどをもみくちゃにしてやった。
「どうだー、まいったかーっ」
「いやああ~~~~~~ん!」
否定的なことを言いながら身をよじるセーレたんだけど、暴れて紅潮した顔は笑顔に輝いている。
毛布の中はだんだん蒸してきたけど、布団に比べれば全然熱くない。 熱気と一緒にシャンプーや石けん、それからかすかにセーレたん自身の甘いにおいがベッドの中に立ちこめる。
「ほい、お食べー」
「はむっ……ぺろぺろ」
落ち着いてきたので、最後に食後ならぬ就寝前の触手を食べさせてあげる。 寝ながら食べるのは行儀が悪いけど、このひとときだけの特別だ。
「おいしい?」
「ん~♪」
触手が柔らかいとどんどん食べてしまうので、カチンコチンに凍ったアイスクリームくらいに固くする。
そうして妹様が少しずつぺろぺろしている間に、俺は窓の戸締まりと部屋の明かりを落として、オド球に力を注ぎ込んだ。 真っ暗な部屋を照らすのは、淡い星明かりとオド球だけになる。
セーレたんが口を離したので触手を引っ込めると、お休みの挨拶を交わして寝かしつけた。
「す~、す~……」
「……」
……落ち着いたか。
たまにドキッとするようなことをしてくるときもあるけど、最近のセーレたんの甘え方はおおむね幼児っぽいというか、親に対して見せるような感じになっている気がする。
親父にはもともとあまり甘えない上に機会も少ないし、お袋は弟くんにかかりっきりで同様に機会がかなり減ったから尚更そう思う。
だとすると、ここで突き放さずに逆に思いっきり甘えさせてあげれば、いずれ満足して「親離れ」するんじゃないかなーというのが俺の考えだ。 ……兄なのに親とはこれいかに?
いつまでも甘えているわけにもいかないんだから、この時期くらいまでは……な。
うん。 俺も「子離れ」が必要なのかもしれん。
――翌日も晴天なり。 少し湿度が高いけど。
六月といえば、春の使節祭の時期だ。 使節団そのものは王都にしか来ないが、祭りの影響は衛星都市にも波及する。
主に、人が減るという形で。
月も後半になると、祭りで仕入れたインダルフィアの工芸品などを商人が売りに来たりするらしいけど、前半は王都への観光で人が流れるために街がやや静かになるのだ。 こういったところも王都とは違うな。
「今日は新しい魔術を教えるわね」
師匠は朝イチから出勤らしいので、お姉様の魔術講座とあいなった。
申し訳ないけど家事はチャロちゃんにお任せして、師匠を送り出した俺達はリビングに集合。 エミーちゃんは見学ということで、セラさんの横に座っている。
今日のセラさんは、後ろ髪を三つ編みで一つに束ねてる。 初めて見た。
「……といっても、本当は魔術じゃないんだけどね」
「あ」
「んにゃ?」
それでピンと来た俺。 幼女コンビは首をかしげているけど、それは仕方のないことだろう。
ちなみに、二人もセラさん命令で髪をくくっている。 セーレたんはいつものツインテールで、エミーちゃんはポニーテール。
「エミーちゃん、魔術を使うために必要なものって、分かる?」
「……オド」
オドの感知が難航してる最中だもん、まあそう答えるよね。
苦い表情で答えたエミーちゃんの頭をなでながら、いつもより更に若く見えるセラお姉さんは人差し指を立てる。
「うーん。 間違いじゃないけど、正確にはオドから精製した魔力ね。
あともう一つは……セーレちゃん、分かる?」
「まどうぐ~!」
「それも間違いじゃないんだけど……もっと細かく」
「ませき……あっ、まほうじん?」
「そう! 魔術というのは簡単に言うと、魔法陣に魔力を通せば使えるの。
まあ、魔法陣の描き方にはまたいろいろあるし、魔力も必要な色を精製しないとダメだけどね」
セラさんは隣の中指も立ててピースサインを作った。
そう、この世界の魔法に必要なのはそれだけ。 戦闘では長ったらしい詠唱も、ルビのついた魔法名も叫ぶ必要はない。
じゃんけんに例えるなら、それは「チョキー!」って宣言してからピースした手を出すようなもんだ。 それを聞いたら相手はグーを出すに決まっている。 当然、無言でな。
漢のロマンとやらを優先して、殴られてりゃ世話はない……言いたいことが言えない世の中なのである。
だけど事前に分かっちゃうという意味では魔法陣も同じハズなんだけど、大抵は魔導具に内蔵するか取り付けた小さな魔石に陣を刻んであるから、戦闘中にそれを覗き見ることは困難だ。 ……しかも、同じ効果の魔術でも異なる魔法陣が多数あるらしい。
戦闘の真っ最中に精密な魔法陣を描き描きしている暇なんて通常はあり得ないから、手持ちのカードをどれだけ持っていて、それをどんなタイミングで切るかがポイントになるワケだ。
「でも、今から教えるものは魔法陣を使いません!」
「おお~っ」「ええっ?」
立てた二本の指をくっつけて、ちっちっと左右に振るお姉様。 幼女たちのビックリするリアクションを見て満足そうな笑みを浮かべている。
なんか通販番組みたいだな。 ミキサーとかの。
「体の中には、赤い血が流れているわよね? それと同じように、オドを体の中でぐるぐる回すと『活性化』というものが起こるの」
「ぐるぐる~」「まわすの?」
セラさんが指をくるくる回すのを目で追って、二人も首を回しているのが可愛らしい。 子猫だーっ!
思わず萌えてしまったが……血流に沿うようにしてオド、正確にはオドの中の魔力粒子を一定以上の速度で循環させると、特定の魔力粒子が身体能力を飛躍的に上昇させる効果を生み出す。 これが活性化だ。
ほとんどの魔獣が使うのを人間がマネしたのが始まりで、魔獣が恐れられているゆえんでもある。
ただでさえ人間をはるかに上回る身体能力が倍率ドン、更に倍! だもんな……悪夢以外の何物でもない。
「使える人が少ないのと魔力が減るのがすごく早いのが欠点だけど、使えれば切り札に……って言葉が難しいかしら。
ものすごく早く動けたり力持ちになったりして、とっても便利なのよ♪」
「おお~っ!」「……はぁ」
なんとなく効果が分かったらしいセーレたんは蒼い目をキラキラさせているけど、エミーちゃんは逆に肩を落としてしまった。
感知できないオドを回せって言われても……ね。
「エミーちゃん?」
だが、お姉様はエミーちゃんの肩を叩いて微笑みかけると、続いてご自分のスカートに覆われた太ももをぺしぺしを叩いた。
「?」
「ほら、こっちいらっしゃーい」
目をパチクリさせるエミーちゃんを、セラさんは立たせて自分の太ももの上に座らせる。 そして、後ろから腕を回して抱きしめた。
「今から私が活性化をやって見せるから、二人とも、魔力の気配を感じてね?
それからエミーちゃんは目を閉じて気を落ち着けて、私の身体を感じてね……分かった?」
「は~いっ♪」「わ、わかった」
手を挙げてお返事する妹様と、神妙にうなずくエミーちゃん。 俺と目が合った瞬間にお姉様がニヤリと笑うのを見て、俺はその意図に気づいた!
これは、俺とセーレたんに活性化を教えるだけでなく、活性化したオドや魔力をエミーちゃんに感じ取らせようということなんだな!?
俺がハッとするのを見たお姉様は、口元を更に上げる。 何という策士……姉御と呼んでいいですかい?
「まあ、オド感知を教える時に、たまに使われる手らしいんだけどね♪」
……と思ったら、赤い舌をぺろっと出された。 うぬぅ。
そんなお茶目なお姉さんは、エミーちゃんが目を閉じて集中し始めたのを横から見て確認すると、口パクで「いくわよ?」と合図を送ってきた。
直後、セラさんの全身からいつも出ている魔力の量が急激に増え始めた!
「ふぇ?」「っ!?」
ビクリと身体が跳ねるセーレたんの横で、俺も魔力の変化を感じ取った。
普段はあまり意識しないマナさえも分かるレベルで注視すると、セラさんの身体から出てくる魔力が線香の煙のように渦を巻きながら立ち上っているのが見えるようになった。
しかも次の瞬間、その煙に火がつくようにして黄色っぽいオーラに変化した! 周囲のマナ粒子も上昇気流に乗って、床の下から天井へ流れていく。
「ひゃん!?」「うわっ!?」
窓は開けてるけど、室内で大した風もないのにセラさんの前髪が揺れている。 いや、ブラウスの半袖もだ。
もしも三つ編みにしていなければ、後ろ髪も舞い上がっていたのかもしれない。
「どう、感じた? 髪が動くからそれでも分かるけど……特に魔力に敏感だと、私の身体の周りがゆらゆらしているのが見えるかもしれないわね」
ゆらゆらどころか、どこぞの超戦士を目の当たりにしております……。
ん? そういえば昔に、オヤジも同じようになってなかったっけ? あれって、硬化魔術だけじゃなくて活性化も併用してたのかな。
「なに……これ」
あの時のオヤジってどんなんだったかなーと思い出そうとしていたら、正面から呟き声が?
見てみると、エミーちゃんはどこを見ているか分からないまま、その目をいっぱいに見開いていた。
ま、まさか?
「エミーちゃん、気づいた?」
「う、うん……なんか、ぐるぐるぐるって。 ぶわーって……」
「そう。 それが、オドの流れと魔力よ♪」
「……ぁ」
セラさんから教えられて、エミーちゃんの目の焦点が俺の足元の絨毯あたりに定められ、瞳に光が宿った。
そして、その光が流れる川のように揺れ始めて……。
「……ぅ。 や、やっと……ぐすっ。 やっと……わがっ、たぁ……!
やっと……!!」
そのままうつむいて、光の五月雨を降らせ始めた。
「よかったわね、エミーちゃん」
「エミーちゃん、よかったの~!」
「……おめでとう、エミーちゃん」
「うんっ……ひっく。 ありが……ありが、とぉ……!」
その日の午後。
エミーちゃんは太陽さえも霞む眩しい笑顔で、赤い目のまま木刀を振るっていた。




