145 分かってはいても、ねえ?
雨雲が通り過ぎ、青い空と太陽が顔を出した翌日。
土や草木がしっとりと濡れている庭で剣の稽古をしている間に、セラさんが受験の申し込みに行ってくれた。
ゴムつきボールで自主練しているセーレたんの脱力系の掛け声と、俺とエミーちゃんが二人がかりで師匠と打ち合う木刀の音。 そして、かすかに蒸すような草の匂いが庭を覆っていた。
「行ってくるわね~ん♪」
ちょっとそこまで行くだけなのに、セラさんは妙に綺麗で若々しい服を着て出かけていった。
そして昼前に師匠が仕事に行くらしいので、早めに切り上げてリビングでおやつタイムに入っていると、ご出勤の師匠と入れ替わるように帰ってきた。
文字通り、ゆで卵のようにツヤッツヤな美肌になったセラさんはその格好も相まって、三十路前だと十歳以上サバを読んでも違和感がないほどの明るさと美貌である。 俺も頑張らされた甲斐があったというものだ。
綺麗なお姉様は、好きですか? 嫌いなわけがありません。
「たっだいまー!」
「セラさま、お帰りなさいー」
「お帰りー」「おかえりなさ~い♪」「おかえりなさい」
宙に浮いてそうな足取りで、順番に俺達に頬ずりをしてくるお姉様。 特に俺にだけは、時間が倍くらい長かった。
「そうそう、ジャス君とセーレちゃんの受験日なんだけどね……はむっ」
席に着き、チャロちゃんがクッキーとミルクティーを置くと、お姉様はさっそくクッキーを手に取った。
「……」
その場の全員が注目する中、セラさんがミルクティーを飲んでカップを置くのを待つ。
「明日になったから♪」
……はい?
そして次の日。
教科書のおさらいを急いで終わらせた俺と妹様は、今日もまたナウでヤングなお姉様に連れられて石畳を歩いていた。
フリル付きのトップスに、膝丈のペプラムキュロット――キュロットスカートの上に少し短めのプリーツスカートを重ねたものを身につけ、俺達と手を繋いでいる姿はどう見ても親子としか思えないだろう。 ……でも、孫とおばあちゃんなんだぜ?
セーレたんも実技試験に備えてキュロットを穿いて似たようなファッションなので、そっくりな姿はますますをもって親子っぽい。
ちなみに、エミーちゃんはチャロちゃんと一緒にお留守番である。 師匠も今日は休みなので、きっと稽古をしていることだろう。
「~♪~~♪」
俺と妹様に挟まれて、俺の知らない歌を口ずさんでいるお姉様。 軽快なメロディで、一部分だけしか歌詞を知らないのかたまに「ぶっ殺せぇ~♪」とか言い出すのでビックリする。
物騒な歌だなおい。 楽しげな様子にセーレたんも釣られてマネし始めたので、できれば歌詞だけでもやめてほしいんだけど……。
木造は少なく、石やレンガ、コンクリートなどが多い貴人区の道を三人で歩き、最寄りの初等学校――少し略して「初学校」へ向かう。
今から受けに行く認定試験は、名前は長ったらしいので省くが、精製のいらない「補助つき」と一般に呼ばれるものと自力精製が必要な補助なしの二つで、どっちもいちばん下の級だ。
どちらも生活に密着している一般の魔導具の所有などに必要な資格で、初学校で習う範囲をマスターすれば取れる。 精霊の日の初学校は図書室も一般開放され、生徒以外の人も混じってそこそこ賑わうらしい。
「ふふっ……ジャス君、大丈夫? そんな緊張しなくても、キミ達だったら余裕で通るわよ~」
俺と繋いでいる右手が汗ばんでいるのにも気にする様子なく、セラさんが微笑みかけれくれる。
「うん。 分かってはいるんだけどねー」
俺自身はけっこう前に教科書の内容も覚えてるし、マイシスターも昨日確認してバッチリだ。 実技は疑う余地もないとお墨付きをもらっている。
……とはいっても、この世界で生まれて初めての「受験」なのだ。
「お兄ちゃん、だいじょうぶ……?」
「うんっ、大丈夫だよー」
セーレたんにも心配され、なんとか笑顔で返す俺。 だけど、どうしても緊張してしまって顔が硬くなっているのが自分でも分かる。
片や妹様はいつも通り……兄として情けないぞ、俺!
「もう、ジャス君ってば……おまじないでもしてあげよっか?」
左側を見上げてみれば、お姉様が何やら意味ありげに口を尖らせていた。
「い、いいです……」
「ええーっ」
天下の往来では憚られるまじないとお見受けした故、謹んでお断り申し上げ候。
「――さあ、着いたわよ」
繰り返される物騒ソングにも慣れると二人の楽しげな様子にむしろ緊張をほぐされるようになってきた頃、高いコンクリートの長い壁が右側の視界をふさいだ。 開放された正面入口には、ぽつぽつと大人や子供が出入りしているのが見える。
「ここが初等学校……」
「お兄ちゃん、すごく大きいね~」
初めて見たこの世界の学校は、前世と比べてもあまり代わり映えしない雰囲気の、コンクリート三階建てだった。 セーレたんは感心しているけど、俺から見れば全体的にコンパクトな印象の学校だ。
直線で一〇〇メートル走はできそうだけどサッカーは二試合同時にはできなさそうなグラウンドに、二学年であることを考えてもあまりクラス数は多くなさそうな大きさの校舎は、良く言えば実用的、悪く言えば面白味のない四角いデザインだ。 三階の位置には大きくて丸い、針が一本だけの時計もある。
ただ、体育館らしいものが見えないんだけど……。
「さあ、早く入って手続きしましょうか」
「はーい」「はいなの~」
時計の針は三と四の間くらい。 予定通りの時間に着いた俺達は、初めて見る校舎に向かって再び歩き始めた。
「すみませーん」
平日はぽっかりと開いているんだろう、今は何枚もの木の扉が閉まっている昇降口の横にある、一般家庭に比べればそれでも倍以上に大きい来客用玄関。
解放されているそこに入って、セラさんは受付カウンターの職員の人に話しかけた。 いかにも事務員っぽい男の人が隣で別の人に対応しているが、セラさんの前にいるのは若い女の人だ。 けど、セラさんと並ぶと年齢差が分からない……。
「はい、いらっしゃいませ」
「この子達の、魔術認定試験を受けに来たんだけど」
「はい……あらまあ。 うふふ、少々お待ちください」
お姉さんと目が合ったので、セーレたんと一緒に手を振ってみた。 すると真面目そうに見えたお姉さんは驚いたような表情を見せた後、優しい笑顔で小さく手を振り返してくれた。
それからカウンターの下にあるらしい書類か何かに目を落とす。
「――はい。 ではこちらの許可証を持って、右の廊下の突き当たりに担当者がいますので、そちらへどうぞ」
確認やら受験料らしい支払いやらの手続きを済ませると、お姉さんから首からかけられるようにヒモのついた入館許可用らしい人数分のカードと、それとはまた異なるカードを、こちらは二枚渡された。 セラさんから妹様とそれぞれ受け取って見てみたら、受験票だった。 受験者名と年齢性別、受験番号、それから受験する試験が書いてあった。 裏にも何やら記入欄があるが、今は空白だ。
俺達は首から入館証をかけて、お姉さんにもう一度手を振ってから奥へ進んだ。 子供部屋などの例外を除けば、室内で靴を脱ぐ習慣はないので靴箱やスリッパはない。
外観とは違って内部にはけっこう木材を使っているようで……窓からは朝の光が差し、少しノスタルジックにも思える雰囲気の木の廊下をセラさんの後ろについて歩く。 どこからか人のざわざわした声はかすかに聞こえてくるけど、辺りはおおむね静かだ。
「……すーはー」
だが、廊下に立っている担当者らしい男の人に近づくにつれ、また緊張がぶり返してきた。
すぐに左にやってきて手を繋いでいるセーレたんに気づかれないよう、静かに深呼吸する。
「お兄ちゃん……」
小さな声で、心配そうに俺を見つめるセーレたん。 バレバレだった。
「ん、大丈夫」
「……えへへ」
なでるとふにゃーと笑顔になる。 それを見ると、なんだか俺も心が落ち着いてきた。
間もなく、セラさんが担当の人に話しかける。
「すみません、この子達の受験に来たんだけど」
「はい、では受験票を」
セーレたんと一緒に直接カードを手渡す。 四角い黒縁メガネにオールバック……しかも「案内係」という腕章つき。 まるで役所の人だよな。
突き当たりになっている廊下の窓側には、どこかの教室から持って来たような学生用っぽいイスが十脚くらい並んでいて、大人の人が三人座っていた。 子供の付き添いで来た親御さんかな?
そんなことを考えていると、役所さん(仮名)に話しかけられた。
「それでは、ジャスパー君にセレスティアさん、ですね……私に着いてきてください。 お母さんはこちらでお待ちください」
「ふふふ……はい。
じゃあ、落ち着いて頑張ってきてね」
「うん」「はいなの」
お母さんと呼ばれて嬉しそうなセラさん。 励ましの言葉と共に俺達の頭をなでると、やはり廊下のイスの方へ。 そして俺達は、役所さんに促されて突き当たりの教室の引き戸へ足を進めた。
扉の向こうは、静まりかえっている。 対照的に俺の心臓の鼓動は大きくなっていく。
「ここからは静かにしてくださいね」
そう言うと、役所さんはノックをして扉のくぼみに手をかけた。
木のレールを擦って、扉が開かれていく。
――緊張の中、初めての受験が始まる。




