141 くっちゃべ、ねむもみ
緑豊かな草原や畑の上を、爽やかな風が草の波紋を描いて走り抜けていく。
遠くには小さな森が、そのずっと向こうには緑に覆われた山々も見える。 標高はよく分からないが、頂上に茶色が見えるほどではないということは明らかだ。
バスのように長い馬車が、フレス川に沿って延びる石畳の街道をゴトゴト音を立てながら進んでいく。
ハイキングにはうってつけのように見える景色。 だが、決して安全というわけではない。
前方には軍事用の馬車が二台先行しているし、後方にも宅配便用の大きな荷馬車の他に、やはり護衛の軍用馬車がついてきている。
去年同じ景色を見て後で調べたけど、これだけ穏やかなのは、王都を囲む四つの衛星都市が危険な動物や魔獣の侵入をシャットアウトしているからだ。
それでも王都には年に数回、陸海空のいずれからの襲撃があるらしい。 ……知らなかった。
窓の下にできている影の角度から、たぶんいつもと同じくらいだろう時間に目が覚めると、今度は俺を膝枕しているセーレたんが眠そうにしていた。
「あぁ……おはよ~おにちゃ~……ふぁ」
既に焦点がブレてきている細い目を擦りながら、頑張って起きていたようだ。 俺を膝に乗せたままじゃ寝られなかったのかな?
「ぼくばっかり寝ちゃってごめん」
「ん~ん」
縦長に細い窓から差す光を乱反射させながら、小さく首を振る。
俺はスカートの上にヨダレが垂れていないか一応確認しながら、ゆっくりと身体を起こす。
「ほら、セーレちゃんも眠りな」
「うんっ」
お返しにと俺も膝を叩き、肩を抱き寄せるとぽふっと倒れてきた。 遅れて長い髪もソファーに覆い被さる。
「お昼になったら起こしてあげるよ。 おやすみ」
「うん……おやすみぃ……」
頭をなでてあげると、目を閉じた妹様からはすぐに落ち着いた寝息が聞こえ始めた。
「――おはようございます、ジャスさま」
通路の向こうから、チャロちゃんが背もたれの傾いた座席から起き上がって挨拶をしてくれた。
その奥には、身体を寝かせているエミーちゃんの上半身が見える。 窓側を向いていていて顔は見えないけど、どうやら眠っているようだ。
「うん、おはよう……エミーちゃんも寝てるんだ?」
「はい、ついさっき」
そう言って微笑むチャロちゃん。 だけど、わずかに表情にかげりが……ひょっとしてあまり調子が良くない?
「チャロちゃん、大丈夫なの?」
「あー、バレちゃいました? 実はわたし、ちょっと酔いやすくて……。
でも酔い止めのハーブ水を飲んでますから、それほどでもないですよ」
へえ、そういう効果のあるハーブがあるんだ。
それから、俺だけまだだったので朝食のホットドッグ風のパンをもらって、そのハーブ水もついでに少しだけ飲んでみた。 ミント系で、すーっと鼻に抜ける刺激が残っていた眠気を俺の中から押し流してくれた。 ……かなり濃くて、子供の味覚だと舌がちょっと痛かったけど。
食べ終わって一息つくと、水筒のコップを返して代わりに旅のお供にはちょうどいい大きさの本を受け取る。 チャロちゃんも眠そうだったので寝たらどうかと言いうと、再び背もたれに身体を預けて目を瞑った。
みんな寝てしまって、聞こえるのは車輪の音と他の乗客の小さな話し声と、セーレたんの小さな寝息だけだ。
「……さて、てきとうに時間をつぶすか」
本のタイトルは『悪魔夫人』。
「……」
俺、こんな本入れてって言った覚えないんですけど!?
……って言おうとしたんだけど、リラックスして眠り始めたチャロちゃんの顔を見たら、何も言えなくなった。
この『悪魔夫人』という本、読んでみたらサスペンス小説でした。
なかなか読み応えのあるこれを読み耽っていると、通路のある右側から声をかけられた。
『――あらボク、難しい本を読んでるわね』
「ん?」
右を向いて顔を上げると、軍服を着たお姉さんが本を覗き込むようにして立っていた。
丈夫そうな上着の生地だったが、とある膨らみのせいでピッチピチになっている。 少し屈んでいるので迫力倍増。
「うわー、文字がびっしり」
「あ、うん」
「その女の子、もしかしてボクの恋人?」
「へ?」
下を指差して聞いてくるお姉さん。 一瞬なんのことか分からなかったけど……セーレたんか。
「ううん、妹だよ」
「え? でも、ボクと同じくらいじゃない」
「双子なんだ」
「ああっ、なーるほど」
この世界の人って、兄弟姉妹でも似てないことがけっこう多い。 俺とハニーがその典型。
エミーちゃんとエルネちゃんみたいに、そっくりな場合もあるけど。
「ふーん、お兄ちゃんと妹かぁ……私は反対にお姉さんなんだけどね」
「そうなの?」
「うん」
大人っぽいのに、まだかすかにあどけなさを残しているお姉さんが、どうだとばかりに胸を張って言う。 すごいです。
「まあ、私の場合は親同士の再婚だから、血は繋がってないんだけどね……って、言っても分かんないよね」
「ううん、分かるよ」
「……さっすが、難しい本を読んでるだけのことはあるわね」
「あはは……」
なんだか雑談の雰囲気になってきたので、俺はしおりを挟んで本を脇に置いた。
少し腰をひねった拍子に眠り姫が声を漏らしたので、頭をなでてあげる。 すると「んふ~♪」と笑った。
「あはっ、カワイイー♪ 仲いいのね」
「うん」
「そっかそっかー」
嬉しそうなセーレたんの寝顔を見て、お姉さんもにこにこしている。
「私も弟とは仲いいんだけどねー……というかラブなんだけど。 プロポーズしちゃったくらいだし」
「え、ほんとに?」
義理の姉弟で恋愛とか、どこかのマンガみたいだな。 そんな話をリアルで聞くとは思わなかった。
「うん。 だけど、弟には幼馴染がいてね……その子も彼が好きだったみたいで」
「うへー」
三角関係かっ! ますます少女マンガっぽいな……ん?
「しかも、その子も結婚するとか言ってたみたいで……って、ごめん。 これはさすがに、ボクに話す事じゃなかったわね」
なーんか、どこかで聞いたことあるような気がするんですけど。
「あの、お姉さん」
「なに?」
「……なんでもない」
ここで掘り下げたら、いろいろややこしいことになりそうな気がする。
「そう? ボク達は、セスルームへ行くのは初めて?」
「ううん、二回目だよー」
俺の知らないところで展開していた修羅場は知らなかったことにして。
俺はお姉さんと、楽しい楽しい雑談で盛り上がった。
――昼の停車休憩が近づいたのでお姉さんとの雑談は終了。
みんなを起こして、しばし振動から開放された車内でおやつを食べた。 柑橘系風味のしっとりシフォンケーキ……今日の食べる分は全部マールちゃんが作ったらしいけど、これも手が込んでて美味しかった。
その後は勉強代わりのしりとり大会をして、夕方は一口サイズのパン。 俺達の胃袋具合を計算し尽くしたチョイスだった。
それから妹様とチャロちゃんに頼まれたので、二人で一緒に座ってもらって毛布で脚を隠し、膝から下だけのスライムマッサージで足のむくみを解消。
二人はそのまま眠ってしまったので、俺はエミーちゃんの横で寝ることにした。
「エミーちゃん、疲れてない?」
「うん……ずっとすわってるの、つかれる」
「だろうねー」
辛抱強いエミーちゃんだから口には出さないけど『ああー退屈、もうやだー!』という本心が思いっきり顔に出ていた。
客室の後ろにあるトイレに立つくらいで、それ以外はずっと座りっぱなしだもんねぇ。 肉体的にも精神的にもきつい。
「エミーちゃんも、マッサージしてあげようか?」
「…………いい」
幸せそうに身体を寄せ合って眠る二人を見て、ずいぶんな間を開けてから首を横に振る。
「そっか。 ……んじゃ、これは?」
「ふえっ……あうっ」
両手を肩の上から首の横に差し入れて、後ろ髪に隠れた肩や首の後ろのあたりとか、こめかみや頭頂部を痛い一歩手前くらいの力で押したりしてあげる。
見えないせいか触手マッサージを嫌がる彼女だけど、直接押してあげれば大丈夫だろう。 最初は驚いてたけど、ほぐしているとだんだん気持ちよさそうな顔になってきた。
「どう、痛くない?」
「だ、だいじょう……う……あぁ」
子供の身体に過度のマッサージはよくないので、エミーちゃんが完全にリラックスして少ししたところでおしまい。
「ちょっとはマシになった?」
「うん? あれ……らくになった」
「よかった。 んじゃ、少し寝るといいよ。 ぼくも寝るし」
「うん……おやすみ」
「おやすみー」
エミーちゃんが俺の右肩に寄りかかったのを見ながら、俺も目を瞑った。
できれば、夜に到着した時に起きてセラさんや師匠の顔を見たかったけど……今朝の二の舞になりそうだったので断念しよう。
次に起きた時は、きっとベッドの上だろうね。




