95 たとえあなたがいなくても
■その一.エミーの場合
「――ぼく、再来週になったら、ママのいなかに行くんだ」
「いくの~」
五月に入ってすぐの精霊の日の夕方、いつものように彼の部屋で彼の妹と三人で遊んでいたエミーリアは、彼からそんなセリフを聞かされた。
その言葉に続く彼の妹は、定位置である彼の左側にくっついている。
「え? ……さらい、しゅう? いなか?」
そう言うエミー自身も、彼の正面ではなく右側にくっついているのだが。
「うん。 ぼくのママがいたお家なんだけど、遠いところにあるんだー。 そこに行くの」
「とおいところに、いくの?」
「うん、帰ってくるのは、かなり先かな」
「かなり、さき……」
幼児園では、活発に動き回る様子がよく目立つ彼女。 しかし、同年齢の子供達と一線を画す知能を持つ双子と、一番接しているのは彼女だ。
当然彼らと同じように勉強する機会も多い彼女は、日頃見かける大人達の難しい話にも周りが思っている以上に耳を傾け、理解できている。
「しばらく、いっしょに遊べなくなるけど……ごめんね、エミーたん」
「……」
エミーは返事の代わりに、彼の腕に絡めた自分の腕に力を込めた。
帰ってきてからの、約束の意味も込めて。
「……ちょ! い、痛いって!」
「あっ、ごめん」
――彼らと会えなくなって、月が変わったとある日の夜。
姉と一緒に夕食の片づけを手伝った後、エミーは姉の部屋の敷物の上に靴を脱いで座り、低いテーブルの上に本を広げて読んでいた。
「まじゅーをたおして、まちのひとは……ひとは……」
ガシガシと頭をかきながら言葉に詰まっていると、テーブルの向かい側の姉からフォローが入る。
「『救われました』ね」
顔を上げて目が合った部屋の主は、自分の倍以上の数の本をテーブルの上に広げていた。
「すくわれ……ました」
「ん。 よく読めたわねエミー。 ……それ、初等一年の教科書なんだけどなぁ」
握っていた鉛筆をノートの上に転がすと、姉はぽりぽりと人差し指で頭をかいて溜息をつきながら苦い笑顔を浮かべた。
初めのうちは、内心イヤイヤながら双子の勉強に付き合っていたエミーだったが、だんだん内容が分かるようになってくると楽しくなってきて、家で一番本を持っている姉から借りて読むことが増えた。
それで覚えた知識を周囲の人――特に双子の兄に披露して驚かせ、ほめてもらえるのが嬉しかった。
「あー……っと。 ほらまた、そんなに頭を強くかいちゃダメだってー」
妹の乱れた髪を見て、姉は膝立ちになりテーブル越しに髪をすいて整えた。
頭に触れる指がなでてもらっているみたいで心地良く、エミーは目を細める。
「んーっ♪」
「はい、キレイになったよっ」
毛先に軽くウェーブが入って、動きのあるミディアムボブになってきた妹の茶色い髪を見て、私に似てきたなーと呟き満足げにうなずく姉。
目を開けたエミーは、近頃急激に大人っぽくなってきたように思うロングヘアの姉を見上げて、そんな彼女に似ていると言われて胸が弾む。
「……うん」
再び鉛筆を手に取ってノートに走らせる姉を見て、自分も頑張ろうと決意を新たに、次のページをめくるのだった。
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■その二.リュシアンの場合
いつもの幼児園の新しい部屋。 通っている面々も、すっかり馴染んだ様子を見せている。
最近人気のお店屋さんの制服だという、自分のメイド達が一押ししてくれたフリフリのドレスを選んで着せてもらい、リュシアンはいつもの場所に一人座って周囲を見回す。
見飽きた絨毯の表面など気にしないで顔を上げ、走り回っているいろんな子を見ているだけでも楽しいのだと、彼はあることをきっかけにそれを知った。
「……ふふ」
「ぎゃばっ!?」
「じばっ!」
「しゃりばわーっ!?」
部屋の真ん中で、ロープで作った輪で「列車ごっこ」をしている三人組の男の子。 たまたま目が合ったので笑いかけると、つんのめって将棋倒しになった。
三人折り重なった上にロープが絡み、ジタバタしている様子は非常におもしろい。
あのときの、彼らの言葉をふと思い出す。
「……ふふ♪」
《おっす、るーちゃん。 ……ほら、下なんか見ててもたのしくないよー?》
《る~ちゃん、こんにちは~!》
今度は首を横に向ける。 女の子が二人がかりで大きなぬいぐるみをの手足を持って、ガチャガチャ動かしながらぬいぐるみに何やら話しかけている様子が見える。
以前だったら特に気にも留めないことだったが、彼の朱い瞳の輝きが増した。 彼はスカートを踏んで転ばないように気をつけて立ち上がると、歩み寄って後ろから声をかけた。
「……なに、してるの?」
「えっ……ふみゃっ!?」
「わわわっ! ……お、お、おおオおかあさん、ごっこ」
振り返ると、彼の顔を見た途端に背筋を伸ばして正座になってしまった女の子達。
彼に話しかけられると、大抵の子は棒のようになったり後ろに倒れたり土下座を始めたりする。 最初はそれにも興味を示していたが、だんだんパターン化してきて気にしなくなった。
なにより、気にしていると話が一向に進まないのである。
「る……ボクも、まぜて?」
『どーぞどーぞ!!』
女の子達は一瞬のうちに左右に分かれると、真ん中に置かれたぬいぐるみを両手で指し示した。
そのセリフといい動作といい、見事なシンクロっぷりである。
「ありが、と」
『いえいえ!?』
「……うん」
だけど、彼はぬいぐるみの目の前ではなく女の子達よりも手前に座り、二人に対してそれぞれ片手ずつを差し出す。
彼女達は一様に困惑顔だ。
「え?」「な、なに?」
「て。 つなぐ」
「は、はははいっ!?」「わかったのっ」
意図を聞かされた彼女達は弾かれたように姿勢を正し、彼の手を震える両手でこわごわと握る。
「……ちがう。 ぬいぐるみも、つなぐ」
「え……あ」
「わわ、わかた!」
女の子達は慎重に片手を引き剥がすと、ぬいぐるみの腕を両方から掴んだ。 すると、三人と一匹の輪ができる。
「るっ。 ……じゃ、いくの。
ぼんそわーる」
「……え?」「へっ」
「いって。 ぼんそわーる」
「ぼ、ぼんそわーる?」
「ぼんそ……?」
いきなりの『儀式』に目が点になる二人だったが、参加を促すと頭にハテナマークを浮かべながらも従った。
しかしその儀式が脱力効果をもたらしたようで、彼女達の強ばっている肩がふっと下がって、彼の手を握っている力も抜けてきたのが分かる。
「めんたまー」
「めんたまーっ」「めんたまー?」
「……ふふ♪」
それは、初めての人とでも仲良くなれる、魔法の儀式。
みんなで遊ぶための、始まりの合図。
《とりあえず、アレやるおー!》
《る~ちゃ~ん! あそぼ~っ♪》
――今日も、楽しいことがいっぱいだ。
花が咲いたような笑顔に、女の子達は心を奪われた。
**********
ちょうどその頃、遠い街でその双子の片方は――。
「ひゃ……あ……お、おにぃい……っ♪」
「あああっ♪ 久しぶりっ! 久しぶりの……はああぁぁぁぁぁん♪」
「な、何っ!? この、プルプル感はっ!! こんなの……こんなの、想像い、じょ……ふわああああああっ♪」
「ああああ……どこへ行っても、こうなるのか……」
新しい一体が加わった、合計三体のスライムに囲まれて。
己の運命に絶望していた。