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 ──二ヶ月前。


 無表情という表情は存在しないらしい。

 専門家曰く、一見何もない表情だとしても、そこには微かな表情、すなわち微表情なるものが存在して、そこから相手の感情が読めるのだという。

 あのときテレビでご高説を垂れ流していた学者先生をここにつれてきて、僕の目の前でぶっそうなものを握っている男が何を考えているのか、ぜひぜひご教示頂きたい。

 彼は今、怒っているのか、悲しんでいるのか。それとも笑っているのか。

 炎に包囲されたビルの一室。死ぬためにここにやってきた僕。床にはうつぶせの少女が数人。一人は泣いている。残りは気絶でもしているのか動かない。そして刃物を持つ男。

 困ったな。まともなやつが一人もいない。

「何だよお前」男が喋った。「こんなところで何してる」

 セリフを奪われた気がした。

「……いや、あの」

 お前こそ何をしているんだ。相手が武器を手にしていなければ、そうぶつけていたと思う。

「まったく、どいつもこいつも」

 表情のない男は、抑揚のない声を吐いた。

 気味が悪い。

 なぜこの男はこんなにも不気味なんだろう。中肉中背で顔も服装も普通。刃物の存在を無視すれば、外見に異常は見当たらない。それなのに、なぜこの男はこんなにも僕を不安にさせてくるのだろう。

 バチンっと炎の中で何かが弾けた。

 同時に男は僕を見た。コンクリートの壁みたいな表情で。

「そうか……お前があいつなのか」

「──は?」

「お前がサユリをたぶらかしたのかって訊いてんだよ」

 まな板みたいに平坦な声でそう言うと、何がしたいのか男は素早く片手を上に持ちあげた。

 同時に僕の右腕に激痛が走る。

 見ると、鮮やかな切り口から自分の血液が、周囲の炎を映しながらやけに綺麗に流れていた。

 掲げられた男の手の先には鈍い光を放つ鋭利な刃物。あれで斬りつけられたことは考えるまでもないだろう。

「答えろ。お前がサユリをだましたのか」

 男は腕を振り下ろす。僕はそれを大きくかわした。

「逃げるなよ」と男はぼやく。

 頼むから、殺意があるならもっと凶暴な声で襲いかかってきてほしい。のろまな声で襲われるのは、なぜか怒鳴られるよりも恐怖を煽られる。

「逃げるな、逃げるな、逃げるな……ちくしょう、どうして、どいつもこいつも俺から離れていくんだよ……俺が何したっていうんだよ」

 男は無表情な顔と声で、デタラメに腕を振り回してくる。僕はとにかく逃げる。

 しかし、その追いかけっこは長くつづかなかった。

 重い衝撃が背中に衝突して、僕は床に倒れた。背中を蹴られたらしい。間髪入れず横腹を蹴られて仰向けになる。そこへ男が馬乗りになってきた。容赦のない行動に僕は(うめ)く。

「やっとつかまえたぞ、この浮気野郎が」

 さっきから何を言ってるんだ、こいつ。僕を誰と間違えてるんだ。

「お前が、お前さえいなければ、俺とサユリは幸せだったのに……それなのにお前は……」

 男は魂を吐き出すように、ぶつぶつと言葉をもらしている。

 気づいたことが一つある。こいつ、僕を見ていない。それどころか、どこも見ていない。

 やっとわかった。この男の不気味の正体が。

 こいつはもう、生きてない。

 こいつはもう死んでいる。少なくともその魂は。だからこんなに無表情で、恐ろしいんだ。

 その動くしかばねは今、僕の体の自由を奪い、頭上でナイフを構えている。

 ──嫌だ。僕は現状を拒絶した。

 嫌だ? どうして? これは僕が望んだことだろ。死ぬためにここにきたんだろ。そうしたら、そこに処刑人がいたんだ。願ったり叶ったりじゃないか。喜べよ自分。

 ──嫌だ。僕は感情を拒否した。

 男は糸を垂らすように、じわじわとナイフをおろしてくる。ゆっくり時間をかけて殺すつもりなのだろうか。

 嫌だ──嫌だ。

 ナイフの先が僕の首にふれた。

 誓います。

 もしこの場から無事に生還することができたら、清く正しく生きると誓います。

 二度とバカなことは考えません。親の言うことは聞いて、学校にも遅刻しないし、月に一度は神社か教会に足を運びます。

 誓います。

 だから、助けて下さい。

 なんてことだ。無神論者の自分がさっきから誰に向かって祈っているのか自分でもわからない。だけど、どうやら僕は生きたいらしい。

 男のナイフが喉に突き刺さったその瞬間、僕の右手が床に転がっていた何かを掴んだ。

 細い金属のような感触、それ以外はわからない。とにかく僕は僕に馬乗りになっている男の脚にそれを突き刺した。

 貫く感触。つづく男の悲鳴。何だ、感情のこもった声も出せるんじゃないか。

 男の体が僕から離れて、僕は立ち上がる。

 男は刺された箇所を手でおさえながら、陸にあがった魚みたいにじたばたしている。

 体が熱い。それはたぶん、炎のせいだけじゃない。

 もがいてる男のそばで、さっきまで彼が握っていたナイフが転がっていた。僕はそれを拾う。ブレードが長く分厚くて、ハンドルは硬いゴムのような素材で仕上げられている。こんなのどこで売ってるんだ。僕が知らないだけで、世の中には武器屋がちゃんと存在しているのかもしれない。

「てめえ、何するんだよ」

 起き上がった男が殺意を(まと)って、僕に襲いかかってきた。

 まるでモンスターだ。

 手に入れた道具は、ちゃんと装備しないと意味がないよ。

 頭の中でそんなメッセージが再生された。

 わかってる。

 恐怖か熱さで感覚が麻痺していたのか、あるいは毎日ゲームばかりしていた成果なのか、僕の行動は極めて冷静だった。

 僕はナイフを構えた。

『たたかう』

 僕はナイフをモンスターの目に刺した。モンスターは雄叫びをあげた。

『たたかう』

 僕はナイフをモンスターの首にさした。モンスターは倒れた。しかしまだ生きている。

『たたかう』

 僕はモンスターに馬乗りになってナイフで刺した。

『たたかう』

 僕は刺した。何度も刺した。モンスターの体から毒々しい液体が飛び散る。

『たたかう』

 た……すけ……。

 モンスターは呪文の詠唱をはじめた。

『たたかう』

 僕はモンスターの口にナイフを突き刺してそれを阻止した。

 モンスターは沈黙した。

 戦いに勝利した。

 ファンファーレは鳴らない。

「…………」

 現実にもゲームにも、それぞれの利点がある。

 現実ではゲームみたいに律儀に攻撃の順番を守らないで一方的に攻めることが可能だ。そしてゲームの素晴らしいところは、倒した相手がその場で消滅してくれることだろう。

 僕は男の口からナイフを抜き取った。ぐずり、と肉を()く嫌な感触が伝わってくる。それが気持ち悪くて僕はナイフを投げ捨てた。乾いた音の後で少女の悲鳴が小さく響く。

 振り向くと、ナイフのそばで女の子が固まっていた。すっかり存在を忘れていた。力の加減を間違えていたら、あの子に刺さっていたかもしれない。

「あ……ごめん」

 僕は少女に近づいて、ナイフを遠くに蹴り飛ばす。

 とにかくこの子を安全な場所につれていかないと。他の子はまだ生きているのだろうか。

「……いません……」

 今にも泣き出しそうな震える声で少女はつぶやいた。

「え? なに?」

「……いません」そこで少女は声を破裂させた。「いいません! ぜったいにいいません! ぜったいぜったい、いいません! たすけてください!」

 その言葉の意味を理解するのに、決して長くはないけれど短くもない時間を要した。

 つまり、この女の子はこう言っているのだ。

 今お前がやったことは黙っておいてやるから、さっさと助けろ、と。

「…………」

 そもそも、この子たちはここで何をしていたのだろうか。まさか僕と同じく死に場所を求めてきたというわけでもなだろう。

 きっと生きたいはずだ。それなのに、この子はどうしてそんなに怯えた目で僕を見ているのだろう。僕はきみを救ってあげたはずなのに、そんな目で見なくてもいいじゃないか。

 襲いかかってきた男を退治する僕の姿は、幼い少女の瞳にどう映っていたのだろうか。

 あのとき、僕は一体──。

 壁の側にあった棚が炎に崩され黒煙が舞う。煙に喉を刺激され、大きくむせる。それが僕の思考を現実に向けさせた。いつまでものんびりしているわけにはいかない。

 僕は女の子の手を握って立ち上がらせようとした。女の子は暴れて抵抗する。

 この子は助かりたいのか助かりたくないのか、どっちなんだ。

「やめなさい!」と保護者のように叱咤する。

 真剣さが伝わったのか恐怖に屈したのかはわからないけど、女の子は立ち上がってくれた。

 床に倒れている残り四人の少女は意識を失っているだけで、息はあった。

 嫌な汗が垂れる。

 できるだろうか。

 バキバキと不吉な音をたてながら炎が周囲を崩しはじめる。考えている暇はない。

 意識のある少女を背中にしがみつかせ、僕は左右の腕に二人ずつ女の子を抱えた。重いけど持てないことはない。離すわけにはいかない、命の重み。

 生きることだけに集中して、僕は炎の中を駆けた。


 一週間後、僕は英雄となっていた。

 賞賛される日々の中で、徐々にあの日の記憶がよみがえり、不安が襲ってきた。

 結局、あの男は何者だったのか、彼の死はどう処理されたのか。

 眠れない夜も何度か経験した。しかし、いつまで経ってもそのことについて誰かが何か言ってくる様子もなく、きっと炎が全てをうまい具合に燃やし尽くしてくれたのだろうと油断していたある日、審判は訪れる。

「ちょっと、お話しをしませんか?」

 日曜日の夕方、コンビニからの帰り道。振り向くと、品のいい白髪の男性がそこにいた。

 笹野とかいう名前の刑事だ。

 僕たちは近くの公園のベンチに腰をおろした。

「どうしたんですか?」

 もう警察に話すことは何もないはずだ。

「今日はきみにプレゼントとお別れを持ってやってきました」

「……?」

 プレゼントといっても笹野さんは手になにも持ってない。それにお別れとは何のことだろう。

「順番がおかしいかもしれませんが、先にお別れを言わせて下さい。金輪際、私がきみの前に現れることはありません。今までご協力ありがとうございました。警察として個人として、きみの勇敢な行動に敬意を表します」

「……どうも」

 警察署内で大勢の人から同じような言葉を何度ももらっている。

「そして、これがプレゼントです」

 そう言うと笹野さんは腕を伸ばして、僕の背中をぽんぽんと、二度叩いた。

「……えっと?」

 まさか肩たたき券をプレゼントというわけでもないだろう。

 深く優しい目で笹野さんは口を開く。

「もし、きみが余計なものを背負って困っているようだったら、その心配はないと伝えにきました。それが私からのプレゼントです」

「はい?」

 たぶん僕は今、怪訝な顔つきになっていることだろう。

 笹野さんは優しい目のまま静かにつづけた。

「現場検証をすれば、あの場所で何が起きたのか、大体のことはわかります」

「…………」

 たぶん僕の表情は今、凍りついていることだろう。

「それに、小さな女の子がいつまでも怖い約束を守るのは難しい」

「…………」

 その言葉で十分理解できた。

 あの事故以来、テレビでは僕に命を救われた少女たちがよくインタビューを受けていた。

 その中で、あのとき意識のあった女の子は、ちょっと怖いくらいの勢いで僕を讃えてくれていた。それは世間に僕のすばらしさを伝えたかったからではない。

 自分は決して裏切らないという忠誠心をテレビを通して僕に見せていたのだ。僕にはそれがよくわかった。

 どうやら、僕の青春はここで幕を閉じるらしい。

「勘違いしないで下さい。私はきみをどうにかするためにここにきたわけではありません。最初に言ったとおり、きみの不安を取り除くためにきたのです」

「どういうことです?」

 笹野さんは視線を前に向けた。小さな男の子がボールを持って走っている。その後ろを同い年くらいの女の子が嬉しそうに追いかけていた。

「あの場所にいた男は前田といって、私の部下でした。とても真面目で正義感の強い男でした。少なくとも私はそう思っていました。ただ、彼の心の弱さに気づくことができませんでした」

 僕は黙って笹野さんの声に耳を傾ける。

「学生時代から付き合って結婚まで考えていた女性に裏切られたショックを克服できず、彼女の職場に火を放って無理心中を図るなんて……バカですね。どうして私に相談してくれなかったんでしょうか。少しは私に心を開いてくれていると感じていたのですが、私のうぬぼれだったようです。彼にとって、私はただの上司でしかなかった」

「…………」

「まもなくニュースなどで流れるでしょう。あの場所に一人の警察官が恋人を助けるために飛び込んだこと。でもそれは悲しい結果に終わってしまったこと。しかし、きみという存在が幼い命を救うことに成功した」笹野さんはゆっくりと呼吸をした。「という真実が」

 なんか、ずるいですね。そんな言葉が浮かんでくる。

 笹野さんは僕と目を合わせてうなずいた。

「はい。大人はずるいんです」と言った。

 謝ってから肯定するなんて、もっとずるいじゃないか。

「さてと」笹野さんはベンチから立ち上がった。「ファンの方がお見えのようなので、年寄りは退散します」

 ファン? 首をかしげて周囲に目をやると、公園の入り口から二人の女の子が好意的な気配を漂わせながら僕に近づいてきた。

「申し訳ありません」と笹野さんは言う。「きみに余計なものは背負わせないと言っておきながら、大きなものを背負わせてしまっていますね」

「どういうことです?」

「それは──」

「あの、すみません」瑞々(みずみず)しい声が割り込んできた。「あの、ビルの火災の人ですよね?」

 相手は中学生くらいの女の子だった。言いたいことはわかるけど、それじゃまるで僕が放火魔みたいだ。

「握手してもらっていいですか?」

 返事を待たずに手を握られた。

「あ、あと一緒に写真撮って下さい」

 うんともすんとも言ってないのに、僕の隣に並んで携帯電話のレンズを向けられた。

 パシャンと女の子の携帯から撮影完了のジングルが鳴る。

「本物に会えるなんて感激です」

 何かご利益でもあると思われているのか、女の子はべたべたと僕の体にさわってくる。

 いつの間にか笹野さんの背中は遠く小さくなっていた。

「あの、すみません」

 代わりに別の女の子が小走りで近づいてくる。

 しばらく僕はその場所で、英雄であることを強いられつづけた。


 翌日、職員室に呼ばれてスピーチの依頼を受けた。

 すでに用意されていた原稿用紙には宝石のようにきらびやかな言葉がきらきら輝いていた。

 その文字の一つ一つが(いばら)のように僕の目に突き刺さる。

 この嘘つきめ、お前はこんな綺麗な人間じゃないだろう、と。

 試しに読んでみろと言われて声に出してみるも、口を開くことすら困難だった。

 だって言えるわけないだろ、こんな(いつわ)りばかり。

 僕の朗読能力の低さに周囲の大人たちは失望した様子だった。それから小さく笑って特訓することを提案してきた。それは極めて当然の判断で、僕もしかたなくうなずいてみせた。

 期待してるからな、と学年主任がぽんと僕の肩に手のひらをのせた。

 たわいないその手のひらの軽さは、なぜか僕に重く重くのしかかっていた。


『こうして なんの さいのう も ない へいぼん な しょうねん は あるひ せかいじゅうから きたい と えいこう を せおわされて ゆうしゃ に なった』

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