カムナ 2
カムナは生まれて初めて見る海の外の世界に、とても感動しました。頭上に広がる輝く星空や、岸の向こうに微かに見える人間の暮らす街並みなど、もっともっと近くで見てみたいという気持ちになりましたが、カムナにもそれは決して叶わないことだということが分かっていました。
カムナが暫く夜空を眺めていると、遠くから何か大きなものが近付いてくるのが分かりました。カムナがその方向に目を向けると、遠くの方から一隻の大きな船がこちらに近づいてくるのが見えました。
「船だわ!」
カムナは喜びのあまり、思わずそう叫びました。カムナは人間の船が大好きでした。海の底に沈んだ難破船は、カムナにとって一番のお気に入りの場所で、海の仲間たちとの遊び場であり、また隠れ家でもありました。カムナは実際に動く船を見て、本当にあんなにも大きなものを人間は自由に動かすことが出来るのかと、とても驚きました。
船が近づいてくるにつれて、その船に乗っている人間たちの姿もはっきりと見えるようになりました。けれどもカムナは心の中でもう何度も『あともう少しだけ、あともう少しだけ』と唱えながら、なかなか海の中へと戻ろうとはしませんでした。
ウェオレトは初めて見る海というものに、最初はただただ驚きました。海はウェオレトが知っている川とは比べものにならないほど大きなもので、その水は川とは違って舐めるとしょっぱい味がしました。ウェオレトは船に乗り込んだ後も、飽きもせずに一日中ずっと海を眺めていました。
ウェオレトが船の甲板で海を眺めていると、不意にぽつりと何かが自分の体に当たったような気がしました。気のせいだろうかとウェオレトが考えていると、続いてぽつりぽつりと先程よりもたくさんウェオレトの体に何かが当たりました。そこでウェオレトが頭上の空を見上げてみると、空から小さな雨粒が降って来ているのが分かりました。
雨は次第に激しいものになり、ウェオレトは慌てて船内へと戻りました。ウェオレトが船内に入ると、大勢の人たちがそれぞれ身を寄せ合い、誰もが不安げな顔をしていました。ひどい雨が降り続ける中、船員たちは慌ただしく船の上を駆け回っていましたが、状況は一向によくなりませんでした。
やがてぐらりぐらりと船が大きく揺れるようになり、誰かが「嵐だ!」と叫ぶと、船内はたちまち混乱しました。誰もが何かを叫びながら、逃げ場所を求めて船内を駆け回っていました。そんな状況の中、ウェオレトは人波に押し潰されないように、隅の方にある柱にしっかりとしがみつきながら、こっそりと身を潜めました。
一体どうなってしまうんだろう、とウェオレトが考えていると、突然みしみしと何かが軋むような音が響き、そして次の瞬間、あっという間に船は壊れてしまいました。
先程まで目の前にあった大きな船が、突然の嵐によってほんの一瞬にして壊れていく様を、カムナはただ呆然と見ていることしか出来ませんでした。嵐はますますひどくなるばかりで、このままでは自分も危険だと思い、カムナは後ろめたさを感じながらも海の奥底へと戻ろうとしました。するとちょうどその時、激しい音を立てる波間を縫うかのようにして、懸命に泳ぐウェオレトの姿がカムナの目に飛び込んできました。
こんなにもひどく荒れた海の中を、人間が無事に岸まで泳ぎ切れるはずがない、とカムナはウェオレトを助けに行こうとしましたが、激しい波でウェオレトの姿はあっという間に見えなくなってしまいました。カムナはそれでも周囲を見渡して必死にウェオレトの姿を探しましたが、やはり見つけることが出来ず、仕方なくそのまま海の奥底へと戻って行きました。
海はとても大きくて綺麗だけれども、もう二度とあんな嵐には遭いたくないな、とウェオレトは荷馬車に揺られながら思いました。そして、海よりも小さいけれども、幼い頃からよく魚を取りに通ったあの町にある川の方が好きだな、とふと思いました。