ウェオレト
ある国のとある城下町に、ウェオレトという少年がいました。
ウェオレトは自分の親を知りませんでした。ウェオレトは自分の兄弟も、年齢も、生まれた日も、知りませんでした。けれど、ウェオレトはそれがちっとも気になりませんでした。
ウェオレトという自分の名前と、男だという自分の性別さえ分かっていれば、それで十分だと思っていました。名前があることで自分は確かに存在していることが分かるし、性別が分かっていれば自分の中にどんな本能が備わっているのかを大体知ることが出来ると思っていたからです。
ある日、ウェオレトは1人の少女に呼び止められました。
「ねぇ、今日はまだ貴方から薔薇の花を1本も貰っていないのだけれど?」
「僕は君に薔薇の花をこれまであげたことはないし、これからだってあげるつもりはないよ」
ウェオレトはうんざりとした顔をして答えました。ウェオレトはこの少女のことが嫌いでした。
けれども少女はそれに全く気付いた様子もなく、「可哀そうに。貴方はこれまで常識を知らずに生きてきたのね」と言ってウェオレトに心底同情するかのような眼差しを向けながら、「よく覚えておくといいわ。好きな女の子には真っ赤な薔薇の花を贈るものなのよ」と言いました。
ウェオレトは毎日繰り返される少女との会話が嫌で仕方がありませんでした。少女に会わないように避け続けた日もありました。それでもウェオレトは毎日少女に出会い、似たような会話をするのでした。
「僕、旅に出ることにしたんだ」
ウェオレトは唐突にそう言いました。
その言葉とともに少女の表情がたちまち強張っていく様子を見て、ウェオレトは少し気分が良くなりました。そして何も言わずにじっとこちらを見る少女に、ウェオレトは続けて「僕は、実はこの国の22番目の王子様なんだ」と言いました。
ウェオレトは権力というものをよく分かっていました。
この地の領主の娘である少女を完全に拒絶すれば、ただの孤児でしかない自分がどうなってしまうのかをよく分かっていました。それでもどうしても少女から逃げ出したかったウェオレトが考えついたのが、『22番目の王子様』というものでした。
ウェオレトは自分の親を知りませんでしたが、それは他の人にとっても同じでした。もちろん、この地の領主でさえも知りませんでした。そして、そのことがウェオレトにとっての唯一の強みとなりました。
「僕は、本当はこの国の22番目の王子様なんだけど、22番目にまでなるともう王子様としての役割はないって言われて、22番目の王子様として認めてもらえなかったんだ。王子様として認めてもらえなかった僕は、母親にも見捨てられてこんなところに置き去りにされてしまったけれど、それでも僕は、本当はこの国の22番目の王子様なんだ。だから僕はお姫様を探しに行かなきゃならないんだ」
「そのために旅に出ることにしたんだ」とウェオレトが言い終えると、目の前の少女の目はまるで野兎のように真っ赤に染まっていました。
「…………薔薇の花じゃなくったっていいのよ。その辺に咲いてる何でもない花だって、何だったらその辺に生い茂ってる草でもいいわ」
少女は言葉を途切れ途切れにさせながらも、まるで挑むかのように言いました。いつもと少し様子の違う少女に、ウェオレトは初めて少女のことが気になりました。
「今日の君は何だか変だよ。草でもいいだなんて。君がいつも欲しがっていたのは真っ赤な薔薇の花でしょう?」
「目が真っ赤だし、熱でもあるんじゃないの?」と少し心配そうに少女の顔色を窺いながらそう続けると、もはや耐えきれないといったかのように「もう、いいわ。どこへなりとも行けばいいじゃない!」と言って、少女はその場を走り去ってしまいました。
呆然と走り去っていく少女を見送ったウェオレトは暫くして「結局は単なる癇癪か。心配して損したな」と呟くと、早速旅支度をするべく家路を急ぎました。