09
「ただいま!」
玄関を開き靴を脱ぐとルンルンとリビングへと向かう。
「ああ、そうだ。先に話しておかなきゃ。」
黄汰は鞄をソファの上に置くとそのまま携帯電話を取り出し洗面所へと向かう。
携帯電話の画面に何度か触れ、耳と肩の間に挟み手を洗う。
「……もしもし、俺だけど。今いい?」
黄汰は濡れた手をタオルで拭き携帯電話を手に持つとそのままキッチンへと向かい冷蔵庫から飲み物を取り出す。
「うちのマネージャーが警戒しててさぁ。
そうそう、あの事件のことでね。
ま、俺は関係無いと思われているというか実際あの事件には関係していないんだけど、せきくんと関わってしまうんじゃないか?ってのも心配して……違うよ、辞めてよ。
うちのマネージャーは本当に良い人で大好きなんだ。
そうやってすぐに消そうとしないで。」
黄汰はペットボトルの蓋を開けるとゴクゴクと水を飲む。
「俺はこれからもせきくんとの関わりがバレないように立ち回るから、そっちも俺の事がバレないように徹底してほしいって話。
ふふ、そうだね。バレると俺はもうこの業界からは追放されてしまうからね。
そっち側と関わりがあるってだけで全てが白紙になるんだから、そりゃ気を張るよ。
ただの先輩と後輩なのに、ね?」
黄汰はペットボトルをテーブルの上に置くと寝室へと向かった。
「ああ、それは有難う。
別に支払っても良かったんだけどね?愛する人の為だし。」
寝室のドアを開くとベッドの上でスヤスヤと眠る杏子が目に入る。
黄汰は愛おしそうに杏子を見つめ扉を閉めると、静かに杏子の隣に腰をかけた。
「俺から話したいことはこれで終わりかな。」
黄汰が杏子の髪に触れると目を覚ました杏子は朦朧とした瞳で黄汰を見つめた。
「うん、じゃあね。」
黄汰は通話を終えると杏子の上に覆いかぶさり「ただいま。」と軽く唇を重ねる。
二度、三度と重ねたあと「おかえりなさい。」と掠れた声で言う杏子を強く抱き締めた。
「可愛い、可愛い。本当に可愛いね。」
黄汰は杏子の首、肩、鎖骨と上から順にキスをする。
杏子は黙ってそれを受け止め、黄汰は満足気な顔をしながら布団を剥ぎ取った。
「今日もいい子にしてた?
……とりあえず先に綺麗にしようか。」
黄汰はベッドから降りるとクローゼットを開き中から大人用オムツを取り出す。
「ああ、また少し暴れた?手首に傷が増えてるよ。
駄目って言ってるでしょ?」
黄汰はおしり拭きとオムツを片手に杏子の手を握る。
杏子の両手首には手錠が嵌められており、それはベッドの足へと繋がっていた。
衣類は身に付けておらずオムツ一枚だけの杏子は、黄汰に足を持ち上げられると素直にそれに従う。
「あーあー、今日はちょっと時間がかかっちゃったから。
ごめんね、少しかぶれているね。お薬塗ろうね。」
オムツを外しおしり拭きで丁寧に拭いたあと、黄汰は塗り薬を取り出すと丁寧に塗布する。
「ふふ、擽ったかった?」
身体をビクビクと跳ねさせる杏子を見て黄汰は嬉しそうに笑うと、新しいオムツを優しく履かせた。
おしり拭きや塗り薬をしまった黄汰は杏子の隣に寝転び、優しく抱き寄せる。
「今日は何を食べようか?その後はお風呂に入ろうか?ご飯の前に入りたい?
ご飯とお風呂を済ませたら何をしたい?」
「…………これ、外して?」
弱々しい声で話す杏子は黄汰に手錠を外すように頼む。
「うーん。そろそろ良いかなとも思ったんだけど、外してもらう為に従順な演技をしている可能性がまだあるからね。
それにほら、またこうして傷を増やしているでしょう?
これが無くなったらまた考えてあげるよ。」
黄汰が杏子の手を掴み手首を舐めると杏子は顔を歪める。
「はあ、本当に可愛いね。
……あれ、そう言えば……。」
黄汰の声色が変わると杏子は怯えた表情を見せる。
「どうして急に外してなんて言い出したの?
もしかしてまだ他の男と関係を持ちたいなんて思っている?」
「思ってない。思ってないです。
ただ……。」
「ただ、何?」
杏子は顎を掴まれ強制的に目を合わせてくる黄汰に対し、涙を堪えながら訴える。
「トイレには、自由に行きたい……です。」
「オムツが嫌なの?」
杏子は、当たり前だろうと言いたい気持ちを押し殺し黙って頷くと黄汰は杏子から手を離しうーんと考え始める。
「じゃあ片手だけ繋いだままで、鎖を伸ばそうか。
寝室からトイレに行けるだけの長さがあれば良いでしょう?
……そうだよねぇ、今日みたいにまたかぶれたら痒いだろうし痛いだろうし、そうなると俺と愛を育むのも苦痛に感じてしまうかもしれないよね。
ごめんね、気付けなくて。」
黄汰はまた優しい声でそう言うと杏子をぎゅっと抱きしめ頭部にキスをする。
「可愛い。可愛い。」と呟きながら何度も何度も重ねるキスには杏子も慣れており、それを黙って受け入れる。
暫くすると黄汰は気が済んだのか寝室から出ていき、少し経つとジャラジャラと音を立て戻ってきた。
ベッドの足に持ってきた新たな鎖を取り付けると、そのまま杏子の左腕を持ち上げる。
「これで足りるかな。」
黄汰は新しく嵌めた手錠を眺めると、元から嵌めていた手錠を外す。
杏子は数日ぶりに自由になった右手をプラプラと動かすと、黄汰はにこりと微笑んだ。
「悪足掻きはしないでね。
片手が自由になったところで、ここから逃げ出すことは出来ないから。
トイレに行く時以外は今まで通りベッドの上にいるんだよ?」
杏子が頷くと黄汰は外した鎖を持ってまた寝室を後にする。
杏子は身体を起こし新たに繋がれた鎖を踏まないようにベッドから下りるとふかふかの絨毯の上をヨロヨロと歩く。
少し開いたままのドアに手をかけ開き、廊下へと出る。
自分の意思で寝室から出たのはここに来てから初めての事だった。
リビングに繋がる扉が開き黄汰と目が合う。
叱られる?と一歩下がると「トイレの方まで歩いてごらん。」と優しく言われ、杏子はビクビクとしながらそれに従った。
トイレの前に立ち扉を開き中に入る。
鎖が邪魔をして扉は完全には閉まらないものの、用を足すにはまだ鎖に余裕があった。
「大丈夫そう?」扉の向こう側から黄汰の声がする。
杏子はトイレから出て頷くと、黄汰は「良かった!」とまた笑顔を見せる。
「じゃあ部屋に戻ろうか。」
黄汰は杏子をお姫様抱っこすると寝室へと向かった。
ジャラジャラと床を擦る鎖の音が耳に響く。
この鎖は誰かから譲り受けたのだろう。
きっと、さっき電話をしていた男から。
あの日から二日程経ち、まだこの状況に反抗心を出していた杏子は、借金の取り立てをしていた男が死んだと黄汰から笑顔で報告され、この人に逆らってはいけないのだと悟った。
たまたま別の件で始末をされたとは考え難かったからである。
黄汰が男に誰かの名前を言うと、男の表情は誰が見ても分かるほどに怯えきっていた。
黄汰はその名の人物を過保護だと言っていた。
これはあくまで杏子の想像でしかないが、黄汰に害を加える人間はその誰かの手によって簡単に消されてしまうのだろう。
関係性は知らないし、この世界で煌びやかな生活を送る黄汰がそんな人と関わるなんて事はあってはならない事だが、きっと黄汰は関わりがある事を悪だとは思っていないのだろう。
従わなければ待つのは死のみ。
このままこの生活を続ける方が辛いのかもしれない。
でも、いつか気が変わって自由を与えられるかもしれない。
それに、普通とは言えないが愛情を受け続け多少心を許してしまっているのも事実。
ハグやキスといったスキンシップは多いものの、それ以上は無理にしようとはせず、いつも可愛い可愛いと甘い声で囁いてくれる。
杏子が黄汰の気に障る発言をすれば冷たい瞳で見つめられ、淡々と冷たい言葉を放たれるが、それでも少し経てばまた、可愛い。好きだよ。と愛を注いでくれるのだ。
心を壊すのも、それを修復するのも黄汰だけ。
粉々になった心が元に戻ることは無い。
だが、黄汰は必死に戻そうとしてくれる。
自分で壊して自分で戻すなんて傍から見れば間抜けな行為だろう。
それでも杏子は、壊したままにせず時には涙を流しながら謝り必死に戻そうとする黄汰に胸がときめいてしまっているのだ。
洗脳されている。と言われればそうかもしれない。
判断能力が低下している事は自覚している。
身を守る為に無理矢理勘違いをして自我を保とうとしているのかもしれない。
それでも今こうしておかなければ、すぐ側にある地獄へ突き落とされてしまう。
結局、自分の事だけを考えているのは黄汰だけではなく杏子もなのだと思う。




