07
「予約していた風林です。」
「いらっしゃいませ。
風林様……有難うございます。確認が取れました。」
いくつかの椅子に数人の男がばらけて座っている。
受け付けの男性の声と、雑誌をめくる音だけが響く。
「ではりうむちゃんの用意が完了するまでおかけになってお待ちください。」
黄汰は軽く頭を下げると空いている椅子に腰をかけた。
初めて来た大人のお店に黄汰は少しばかり緊張していた。
数箇所にあるサイドテーブルの上には何冊かの雑誌と小物入れが置いてある。
小物入れの中には爪切りとヤスリが入っており、サイドテーブルの下にはゴミ箱が置かれていた。
爪が長い人や切り忘れた人は待ち時間の間にここで処理をするのだろう。
黄汰より前に来ていた男性達が次々と名を呼ばれスタッフに連れられ奥の廊下へと姿を消していく。
一人、また一人と呼ばれあっという間に黄汰の番となった。
「風林様。」
「はい。」
名を呼ばれた黄汰はスタッフに付いて行き、廊下に並ぶいくつかの部屋の前を通り過ぎると一番奥の部屋の前で立ち止まる。
「こちらになります。」
ニコリと笑うスタッフの目は笑ってはいない。
「有難うございます。」
黄汰がそう言うとスタッフがドアをノックする。
5秒も経たず扉が開くとスタッフは黄汰に頭を下げ受け付けの方へと帰っていった。
「初めまして、風林さん。
りうむを選んでくれて有難う!」
語尾にハートマークが付いているのでは?と思えるほどに猫撫で声で甘えるように腕に抱きつくりうむは、黄汰を部屋の中へ招き入れると静かに扉を閉めた。
「どうぞ。」
りうむはスリッパを並べる。
黄汰が何も言わず靴を脱ぎスリッパを履くとりうむは再び黄汰の腕に抱き付きもう一つの扉を開けた。
部屋の真ん中に少し大きめのベッドがあり、ベッドの手前には二人掛け用のソファとテーブルが並ぶ。
「すぐにお風呂に入る?」
りうむの問いかけに黄汰は答えずソファに腰をおろす。
りうむは気まずそうな顔をしながら黄汰の隣に座ると肩に頭を乗せた。
「ねえ、風林さん。どうして私を選んだの?」
「…………。」
返事をしない黄汰にりうむは眉を下げ顔を覗き込んでみた。
だが深々と被る帽子とサングラスで目を見ることは出来ない。
「風林さんとお話したいなぁ。」
甘えるように話すりうむは腕に強い痛みを覚える。
「えっ……?」
ガシッと掴まれた細い腕。
「か、風林さん?」
異様な空気を感じ取ったりうむは掴まれていない方の手をスタッフに繋がるボタンへと伸ばす。
「風林じゃないよ。」
黄汰の声を聞いたりうむは体を強ばらせた。
「隠れんぼはこれでお終い。」
黄汰が帽子とサングラスを取るとりうむは目を潤ませた。
「思ったより時間がかかっちゃった。ごめんね。」
そう言って微笑む黄汰。
体が上手く動かないりうむ。
「ねえ、杏子。」
黄汰は腕を引き寄せ優しく抱きしめる。
「りうむなんて名前じゃないでしょ?」
背中をツゥっと撫でられた杏子は鳥肌を立てる。
「こんな事してないで俺の家で働いた方が良いと思うよ?」
「どうして……ここが?」
杏子は声を震わせた。
「んー?なんでだろうね?愛の力かな。」
黄汰がヘラヘラと笑い答えると杏子は黄汰の胸を押す。
が、黄汰は離れることを許さなかった。
「駄目だよ。もう離さないよ。」
「いや……離してください。」
「駄目だって。」
もう一度離れようと試みる杏子に笑顔を見せる黄汰。
まるで玩具を与えられた子供のように純粋で嬉しそうな表情だった。
「お金はいいので……帰ってください。お願いします。」
「どうしてそんなに俺を否定するの?」
俯く杏子と楽しげな黄汰。
「だって、ここまで探してくるなんて怖いじゃないですか……。
怒っているんでしょう?勝手に帰ったことは謝ります。」
「……うーん。」
黄汰は少し考える素振りを見せる。
「怒っていないと言えば嘘にはなるけど、それとこれとは別。
俺は杏子に会いたくて探したの。
言ったじゃん、好きだって。」
「体の関係を求めているということ?」
杏子が恐る恐る尋ねると黄汰は眉間に皺を寄せた。
「どうしてそうなるかな?
ああ、こういう仕事をしているとそう考えちゃうものなのかな?
もう辞めたら?この仕事。」
「それは無理です。
それに私がなんの仕事してようと黄汰さんには関係無──」
話す途中押し倒され見下ろす黄汰と目が合った。
冷ややかな瞳は杏子から言葉を奪う。
両腕を押さえ付けられ痛みを感じる。
それでも恐怖に支配された杏子は声が出せない。
「関係無いって言おうとした?
はははっ、好きな人が他の男と肉体関係を持つ仕事をしていたら誰でも嫌だと思うよ?
借金の返済の為だけなら俺が返してあげる。
だから、この仕事は辞めて俺の所に居なよ。ね?」
再びにこりと微笑む黄汰。
だがそこに優しさを感じられない。
「どうして借金の事まで……私の事をどこまで調べたんですか?」
呼吸を整え勇気を出して発した杏子の質問に対し黄汰は悪戯に笑った。
「さぁ?」
「……親の借金は私が返します。仕事も辞めません。黄汰さんがした事も誰にも話しません。だから…」
「俺がした事?どうして話さないの?どうしてそれを条件として提示するわけ?
俺、悪いことしてないよね?」
「…………。」
杏子は再び言葉を失う。
人の事を調べ職場まで会いに来るのを悪い事では無いと言い切る黄汰を理解出来なかったからだ。
何を言っているんだろう?と疑問に思うが、価値観の違いという大まかな括りにして納得せざるを得ない。
スタッフさえ呼ぶ事が出来ればすぐに離れる事は出来るが、待ち伏せをされないとは言いきれない。
それに家を知られているかもしれない。
そもそもスタッフを呼ぶ為のボタンまで手が届かないのだ。
ここで黄汰を刺激し続けると何をされるか分からない。
かといって黄汰の言うことを聞く訳にもいかない。
有名人だから大事にはしたくは無いはず。
だけど何故だろう、俺は別にどうなろうと構わないと思っているのでは?と思わされるのである。
それがどうしてなのかは分からない。
「ねえ、帰ろうよ。」
黄汰は顔を杏子の首元に擦り寄せ優しい声で話しかける。
「仕事が……」
「辞めていいよ。安心して。俺が養うよ。大丈夫、何も不安がらなくていいよ。」
「…………。」
ああ、この人は話が通じないんだ。と杏子が諦めた時、黄汰が杏子の耳元で囁いた。
「そんなに他の男に抱かれたい?」
「違う。そんなんじゃ…」
「じゃあどうして俺の言うことが聞けないの?何が嫌なの?借金も返す、安定した居住地に食にも困らせない。
ただ一つ我慢してもらわなきゃいけないのは俺が仕事で家を空ける時間が多いことくらい。
好条件だと思わない?」
「それは……好きな人となら良い条件かもしれないけど……。」
杏子の言葉を聞いた黄汰はゆっくりと顔を上げるとじっと杏子の目を見つめる。
「これから好きになってくれればいいよ。
俺もこんな短時間でここまで好きになるのは初めてだからもしかしたら空回っているかもしれない。
でも、もし杏子がそばにいてくれるって言うなら俺も振り向いてもらえるように頑張るよ。
……杏子が一人で苦しんでいるのに助けられないのは辛いんだよ。」
杏子の目を見つめる黄汰は寂しそうな瞳をしていた。
杏子は改めて黄汰の気持ちを言葉で聞いたのと、今の状況から来る緊張感と、少しでも楽になれるのならという揺らぎから正常な判断がどれなのか分からなくなっていた。
「……。」
黄汰は杏子の返事を待たず立ち上がるとサングラスを掛けドアの方へと向かう。
杏子は横たわったまま天井を見つめ、今どうすべきかをグルグルと考えていた。
「すみませーん!」
ドアを開け黄汰が叫ぶとスタッフが慌てて駆け寄ってくる。
「りうむちゃん体調悪いみたいで。
俺はもう帰るので、りうむちゃんもこのまま病院に行くか帰るかさせてあげてくれませんか?」
「え?」
スタッフは黄汰の言葉を聞くとすみませんと部屋の中へ入り、横たわりぼぉっとする杏子を見ると黄汰へ頭を下げる。
「申し訳ございません。代金の方は──」
「返さなくていいですよ。りうむちゃんに渡してください。
会えただけで嬉しいので。」
黄汰はニコニコと笑いながら部屋に戻り帽子を手に取ると「じゃあまたね、りうむちゃん。」と杏子に声を掛けた。
スタッフは靴を履き外へと向かう黄汰を追いかけ謝り続ける。
ガチャンと音を立て閉まる扉。
一人残された杏子は揺らぎ続けた。
一人で返すには多額すぎる。
この仕事をいつまで続ければ良いのか分からない。
そもそもこの仕事をしたきっかけは借金取りに連れてこられたからだ。
給料として支払われる額の半分以上は借金返済として抜かれていた。
スタッフも向こう側の人間だ。
ここで辞めれば負担は減るが、本当に返済をしてくれるのかは分からない。
もし本当に返済されたとして、その後は黄汰に従い続けなければならなくなるのだろう。
それならば自分で返した方が良い。
だが、杏子の心も身体も既にボロボロ状態である。
客の全てが良い客な訳では無い。
痛い思いや苦しい思いを沢山した。
辞めてという言葉は客を興奮させる材料の一つにしかならなかった。
スタッフを呼べば客は連れ出され二度と会うことは無かった。
それでも恐怖心が無くなる訳ではなく、新しい人が来る度にこの人は私に何をするんだろう?と身体が震えた。
素っ気ない態度を取ればスタッフから叱られ、きちんとした接客をしなければまた叱られる。
怖い男が返済分を取りに来た時、もう少し頑張れないか?と笑いながら言われた。
スタッフから悪い客の話を聞かされた怖い男は、だから何?とまた笑う。
ここにいる全ての人が敵なのだと逃げ出したあの日、黄汰と出会った。
ウチに来る?と言われ何故かついて行ってしまった。
助けてほしかった。
シャワーを終えた黄汰を見てやっと白風黄汰だと気付いた。
こんな有名な人が私みたいな女といてはいけない。そう思った。
好きだと言われた時、嬉しかった。
だけど、その言葉を鵜呑みにはできず、疑ってしまった。
黄汰の寝顔を見て思ったことがある。
とても疲れているのだろうということと、この人を巻き込んではいけないということである。
そもそも不釣り合いなのだから、もっと可愛くて輝いている人と一緒になるべきだ。なんて黄汰から、余計なお世話。と言われそうな事を考えていた。
私は一人で乗り越えるべきだ。
そう思って離れたのに。
なのにどうして探し出すの?
黄汰には関係の無いお店でしょう?
それなのにどうして?
私は一体どうするべきなんだろう。
杏子は気付かぬ間に涙を流していた。
部屋に戻ったスタッフはそんな杏子を見てハァっとため息をつくと、「今日はもう帰りな。」と冷たく言い放ち扉を閉めた。
杏子はゆっくりと身体を起こし乱れた髪を整える。
黄汰に掴まれた部分を優しくさする。
「……不器用なだけ……なのかな。」




