08
赤夜の家から一時間ほどの距離の場所に建つ戸建ての前で深呼吸をする。
早く終わらせて帰ろう。
また夜に出歩いていた事が赤夜にバレれば叱られる。
叱られることは良いが、理由を聞かれると答えにくい。
愛久はインターホンを鳴らす前に元客に電話をかけると、数コール鳴ったあと妻が電話に出た。
「はい?」
「着きました。」
「…………。」
返事も無く電話を切られた愛久。
態度の悪さにだんだん腹が立ってくる。
暫くすると玄関が開き、姿を現した女性は愛久を見ると驚いた顔をしたかと思えば憎悪に満ちた目で睨みつけてきた。
「外では人の目もあるから中に入って下さい。」
落ち着いた口調で話す女性。
だが声から怒りが伝わる。
愛久は渋々家の中に入り、女性と共にリビングへと向かう。
「わざわざごめんね。」
リビングにいた元客が立ち上がり愛久に頭を下げると、妻はガタガタとわざと?と聞きたくなるほど大きな音を立て元客の隣の椅子に腰をかけた。
「どうぞ。」
愛久は妻に言われるがまま対面の席に座る。
少しの間沈黙が流れ空気が重い。
赤夜は少し顔を出しただけで帰ってくる日もある。
その時間帯は大体今から一時間経つか経たないかくらいなので、愛久はなるべく早く帰りたかった。
「電話でもお伝えしましたが、私は不倫などしていません。」
愛久は妻の目をジッと見つめ真剣に答える。
そんな愛久の態度に妻は少し怯んだように見えたが、すぐに睨み付けてきた。
「ほら、美人さんだろ?俺なんかを相手にするわけが……。」
妻に対して他の女性を美人だなんて言うのは良くない。
愛久がそう思った時にはもう妻の顔が真っ赤に染まり眉がつり上がっていた。
「どうせ私は美人じゃないわよ!あんたなんかを相手にするような不細工なおばさんよ!だから若くて美人な人の所に行ったんでしょう!?」
「そういう事じゃなくて。」
「じゃあどういう事よ!?」
ヒートアップした妻はテーブルをバンッと叩く。
ビクリと驚いた愛久は鞄の中から伝わる振動に心臓が大きく跳ね上がった。
恐る恐る鞄の中から携帯電話を取り出すと画面には赤夜の名が映っていた。
「あ、あの。」
「なんですか!?」
「すみません。少し電話に出てもよろしいでしょうか?」
「電話ぁ!?……いいですけど、ここで出てくださいね。」
「ここで、ですか?」
愛久は離れた場所で話したかったが、そろそろ電話が切られると思い仕方なくその場で通話ボタンを押した。
「もしもし。」
「風呂でも入ってた?」
「ううん、違うよ。どうしたの?」
「今から帰るわ。なんかいるもんある?」
「え!?今から?今日はいつもより早いね?」
「おぉ、たいしてやること無かったし暇やったから。」
「そ、そうなんだ。じゃああと三十分とかで着くの?」
「なんもいらんねやったらもうちょい早いかも。」
「えー、じゃあなにかお願いしようかな?」
「なんやねん、帰ってきてほしくないんか。」
「そういう訳じゃないけど。」
どうしよう?と悩んでいると、運悪く元客が咳き込みそれは赤夜の耳にも届いてしまった。
「……誰がおるん?」
「え!?て、テレビじゃない?」
「テレビ?ああ、そう。」
愛久が慌てて話す様子を見ていた妻はわざとらしく大きな声で話し始める。
「で、あなたはこの人と不倫したんでしょ?早く認めて慰謝料払ってよね。」
愛久は目を大きくし咄嗟に電話を切ろうとしたが、「あ?」という今まで聞いたことがないような威圧的な声を耳にし固まってしまった。
「お前それテレビなん?」
「うん……そう。」
「へぇ。…………ほんで?今どこにおんの?」
「え?」
「家ちゃうやろ。」
これ以上黙っていてもバレると悟った愛久は、小さな声で住所を伝えた。
元客と妻は「不倫だ」「違う」と言い合っており、愛久の声は聞こえていない様子だ。
「……ああ、あっこらへんか。
迎えに行ったるわ。いい子にしときや。」
「待って、赤夜くん。」
「何?」
「怒ってる……よね?」
「……さぁ?」
ブッと一方的に通話が切られると愛久の目から涙が溢れ出し、それを見た妻はニヤリと笑った。
「今の彼氏?旦那さん?貴女が不倫なんてするから泣くことになるのよ。」
「いい加減にしないか!不倫なんてしていないと言ってるだろう!?」
愛久にとってこの二人の言葉はもうどうでも良く、赤夜の冷たい声が首を絞めあげ、気持ちが離れてしまったのでは?という不安が押し寄せる。
赤夜にどんな顔をして会えばいいんだろう?
なんて言えばいいんだろう?
赤夜はなんて言ってくるんだろう?
迎えに来る?それなら外に出なくちゃ。
愛久は暫くの間放心状態で座っていたが、ふらりと立ち上がると鞄を手に持ち玄関へと向かう。
「ちょっと!急に何!?話はまだ終わってないわよ!!」
愛久の後を追う妻の怒りは冷めることはなく、玄関を開け外に出た愛久の肩を掴んだ。
愛久の肩に食い込む爪。
愛久はそれに怯んだり痛みを感じる訳でもなく、「すみません、離してください。」とだけ伝えた。
それがまた妻を刺激し「この泥棒!!」と手を振り上げるとパチパチパチと拍手が聞こえてきた。
愛久と妻が玄関先の方へ視線をやると赤夜が拍手をしながら立っていた。
「いやぁ、これはドロドロの昼ドラの再現かなんかか?はっはは、しょーもな。」
「誰よ?」
「いやぁ、申し遅れました。私、墨河と申します。」
「墨河さん?あの、一体なんの用……。」
赤夜はにこやかな顔のまま門扉を開き愛久達の方へ向かってくる。
家の中から顔を出した元客が赤夜を目にし警戒していると、赤夜は妻の手を握り「彼女を迎えに来ました。」と笑顔を見せた。
「いっ!」
手を握られた妻が顔を顰めると「すみません。ちょっと力入っちゃいましたね。」と全く悪びれる様子もなく謝る赤夜。
「あ、貴方が愛久ちゃんの彼氏……?」
「はい。」
「愛久ちゃん、なにか脅されているとかじゃなくて?本当に?」
愛久が頷くと信じられないと言ったような顔をする元客と、そんな姿を見てやはり不倫をしているのだと言い始める妻。
「不倫?愛久が?このおっさんと?」
キョトンとした顔で話していた赤夜は、ははは、有り得へん。と笑い始める。
「はよ帰ろや。腹減ったわ。」
赤夜は愛久の手を引きギュッと抱きしめると、愛久は赤夜に抱きつき声を上げて泣き始める。
「なーに?なんでそんな泣いてんの?」
「も、赤夜くんにっ……嫌われたと、思ってぇ。」
「なんで?不倫したん?」
「してないぃ!!」
「せやろ?どうせ風俗時代の客でその嫁はんが勝手に勘違いしたんやろ?
よぉあってたまるかって感じやけど、まぁあるあるやな。
放っといたら良かったのに。」
「だって、どうしたらいいか、わかんなくなっちゃったんだもん。」
「おー、はは。俺に言ったらよかったやん。」
「叱られると思って、うぅ。」
「連絡は返してた?」
「返してないぃ!」
「まぁ拒否れやとは思うけど。
……これ見てもまだ不倫云々言います?
申し訳ないけどこいつ見ての通り俺の事大好きなんで、あんたの冴えへん旦那相手にする暇無いんですよ。」
にこやかに話す赤夜に悔しそうな顔をする妻。
「あんまそうやってキィキィ言っとったらほんまに別の女行かれてまうで。人間なんか裏切る生き物なんやから。
ほな、俺らはこの辺で。」
赤夜はそう言うと愛久を連れて玄関前に停車している車に乗り込む。
「ちょ、ちょっと!話はまだ─────」
愛久を車に乗せドアを閉め振り返った赤夜を見て元客と妻は硬直する。
これ以上引き止めてはいけない。
本能的にそう感じ取った妻は口を閉じた。
「今後一切こいつに関わるな。次は無い。」
赤夜は運転席に乗り込み車を走らせる。
妻は腰を抜かし、元客はその場で愛久の連絡先を削除した。




