03
家に帰った黄汰はソファの上に寝転んだ。
「プロなんかなれるわけないじゃん。」
黄汰は大きく息を吐き出すとポケットから高平の名刺を取り出し、俺には無理だ。と決めつけ名刺をテーブルの上に置きボーッと天井を眺めた。
歌うのは楽しい。
作詞や作曲をするのも楽しい。
人から褒められると嬉しい。
感動したと言われるのも嬉しい。
だけど、世界だとか大きな話にはついていけない。
小さな世界で無理のない範囲で自由にやれるから楽しいのだ。
大きな世界となれば自由は失われるだろうし、無理もしなくちゃいけないだろう。
そんなことは望んでいない。
それに、今の生活に不満があるわけでも不自由を感じている訳でもない。
だからこのままでいい。
黄汰は再び大きく息を吐き出した。
でも少しだけ興味はある。
先輩が言うように一度だけチャレンジしてみてもいいかもなんてほんの少し思ったのは事実。
無理だとは分かっているが、好奇心が勝っている。
黄汰の心は波に揺られるように右へ左へとゆるやかに揺れ動く。
「……気を紛らわせるか。」
黄汰は携帯電話を手に取るとSNSを開いた。
見知らぬ人々が好き勝手投稿している。
芸能人のゴシップに鼻息を荒くする人や、恋人との惚気を投稿する人、それに対してチクチクと攻撃する人や、共感する人。
特に興味を引く内容は無いなと流し見していると黄汰はとある投稿で指をとめた。
「路上ライブで立ち止まったの初めて!
この人のアカウント知りたいから知っている人がいたら教えてください!!」
その投稿と共に貼り付けられていた写真はモザイク処理がされていたが自分だとすぐに気が付いた。
「え、俺?」
黄汰は体を起こしてその投稿に対する返信を目を細めて見てみた。
「私も聞いてました!めっちゃ良かったですよね。」
「終わった後スーツの人に声をかけられてたからスカウトされてたんじゃない?」
「あれ自作の歌だよね?もう一回聞きたい。」
「私もアカウント知りたい!」
「俺ももう一回聞きたいわ。聞きやすい声で感情もしっかり乗ってて不覚にも泣きそうになったわ。」
好反応が多く黄汰はつい頬が緩む。
それからいくつかのコメントを見た黄汰はもう一度考えてみることにした。
本当はどうしたいのか、を。
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「もしもし。高平です。」
「あ……あの、白風です。」
「ああ!黄汰?こんにちは。」
高平と出会ってから数日経った夕方。
黄汰は意を決して電話をかけた。
「こんにちは。忙しい時にすみません。」
「全然大丈夫。どうしたの?」
「あの……前に話した事なんですけど。」
「話した事?……もしかして俺と一緒に来てくれる気になった?」
「上手く出来るかは分からないんですけど……やってみたいなと思って。」
「おお!いいね。
上手くできるかどうかなんて考えなくていいよ。
じゃあ黄汰の気が変わらないうちに一度顔を合わせて話そうか。
いつ頃なら都合がいいかな?」
「いつでも大丈夫です。合わせます。」
「はは、有難いね。
じゃあ早速なんだけど……そうだな、三時間後に路上ライブをしていた所で待ち合わせはどうかな?」
「はい、大丈夫です。」
「OK。じゃあ三時間後。楽しみにしてるよ。」
「あ、あの、何か持っていくものとかってありますか?」
「ううん。今日はとりあえず話すだけ。
契約するかどうかはその後でいいよ。
熱心に誘っておいてなんだ?と思うかもしれないけれど、まずは事務所の話とか、活動するにあたっての話をしなきゃならないからね。」
「分かりました。」
「うん、じゃあ三時間後ね。
もし気が変わっちゃったり、急用で行けなくなった時は電話をかけてくれると助かるよ。」
「はい!」
「じゃあ、またあとで。連絡くれて有難うね。」
高平との電話が切れると黄汰はベッドに寝転がる。
「緊張した……。」
小刻みに震える手を押さえつけるようにして目を閉じると、脳内に新たなメロディーが流れ出す。
「代わり映えの無い……退屈な日常に……いや、違うな。」
溢れ出すメロディーに言葉を乗せてみるがしっくりこず、何度も何度も新たな言葉を紡ぎ乗せてみる。
体を起こしギターを手に取り思い浮かんだ音色を奏でる。
それに合わせて言葉を乗せると最初から出来上がっていたかのように次から次へと新たな詩が溢れ出る。
夢中になって歌っていた黄汰はふと時計を見てその手を止めた。
「うわ、もうこんな時間。行かなきゃ。」
高平との約束の三十分前になっている事に気付いた黄汰の顔には焦りが見える。
ギターを優しく置くと財布と携帯電話を手に取り家を出た。
これが新たな光と、隠された闇への一歩であった。
走って待ち合わせ場所へと向かうと既に高平が到着しており、息を上げたまま謝罪をする黄汰。
そんな黄汰を見て高平はニコニコとしながら近くの喫茶店へ行くことを提案した。
「好きな物頼んでいいよ。俺の奢り。」
「いや、そんな悪いですよ。」
「はは、何言ってんの。
俺の話を聞いてもらうんだからそれくらい出させてよ。」
高平はメニュー表を手に取ると黄汰の前に置く。
黄汰は、すみません。と言いながらメニュー表を開き、「じゃあこれでお願いします。」とアイスココアを指さした。
「OK。アイスココアね。」
高平は店員さんを呼ぶとブラック珈琲とアイスココアを注文し、鞄の中から何枚かの紙を取り出す。
電話で話したように事務所の事や活動のこと、そして契約の話を聞いた黄汰は今まで自分とは無関係だと思っていたことに直面し期待を膨らませていた。
「何か質問はある?」
一通り説明を終えた高平は珈琲を啜る。
「いえ、今の所無いです。」
「そっか。じゃあ良かった。
後からでも聞きたい事があればなんでも聞いてよ。
黄汰は実家暮らしだっけ?
ああ、それ遠慮せずに飲んでね。」
「はい。実家暮らしです。」
黄汰はココアを口に含んだ。
「じゃあご両親にも話した方がいいね。
急な話で反対されるかもしれないけれど、それでもやりたいと言うなら俺から話をしに行くよ。」
「そこは大丈夫かなと思います。」
「そうなの?理解があるんだね。」
「俺が歌うことが好きだって知っているからっていうなんの根拠もない自信なんですけど。」
黄汰が気まずそうに笑うと高平は優しく微笑む。
「ま、今日はこれで終わりかな。
後は黄汰のタイミングで連絡をくれれば。
契約となると事務所に来てもらわないといけないから、その時は俺が送迎するよ。
やっぱり見送るって言うならそれはそれでいいし。」
「はい、有難うございます。」
「うんうん、いいねその笑顔。
なんて言うんだろう、自信が溢れ出てきてるような希望に満ちた笑顔というか。
とにかく今の黄汰は前以上に輝いて見えるよ。」
「へへ……有難うございます。」
黄汰が照れ笑いをすると高平は嬉しそうに笑みを浮かべた。
愛しい我が子を見守る親のような優しい瞳は黄汰に安心感を与える。
高平が会計を済ますと黄汰は頭を下げた。
頭なんて下げなくていいよと高平が肩をポンと叩くと黄汰は顔を上げる。
黄汰から見た高平は明るく優しいお兄さんであり、この短時間で心を開いても良い人だと判断したのだ。
家まで送ろうか?と言う高平の言葉に甘え黄汰は高平の車に乗りこみ家までの道順を伝える。
高平は聞いただけでなんとなく場所の把握が出来たのかカーナビを入れるでもなく車を発進させた。
車内では好きな音楽の話で盛り上がった。
話せば話すほど気が合う事を知った黄汰は嬉しく思い、家に着く頃には畏まった口調では無くなるほどであった。
「じゃあまた連絡して。」
「うん!今日は有難う。」
「こちらこそ有難う。風邪ひかないようにね。」
「高平さんもね。」
「はは、うん。有難う。じゃあまたね。」
高平が手を振り車を発進させると黄汰は車が見えなくなるまで手を振った。
「楽しかったなぁ。」
しんと静まり返る中黄汰は満足気に家の中へと入った。
部屋に戻りベッドに寝転ぶとそのまま深い眠りにつく。
まるで遠足から帰ってきた子供のような顔をしながら。




