01
「もう二度と余所見すんなや。」
「うん、うん、分かった。分かったから───」
マンションの一室で頬を押え涙ぐみ男を見上げると、その男から浴びせられる冷たい視線に足が震える。
この痛みは彼なりの愛なんだ。
不器用なだけなんだ。
彼の愛を蔑ろにした自分が悪いんだ。
そう自分に言い聞かせた女性は、ごめんなさい。と続けた。
女性の言葉を耳にした男は呆れたように椅子に座ると煙草を取りだし火をつける。
もくもくと空を彷徨う煙が女性にまとわりつき息苦しさを覚えた。
ケホケホと咳き込むも男は気に止める様子はなく、何かを考えるように煙を吐き出し続ける。
薄白い煙が空気を淀ませ、秒針が鼓動のようにも感じ始める。
灰皿に押し付けられる煙草。
立ち上がる男。
男の一挙一動に自然と反応してしまう。
そんな女性を横目に男は黙って部屋を出て行った。
バタンと音を立て閉まる扉。
体の力が抜け、その時初めて緊張していたのだと気付いた。
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「墨河ぁ……お前もう少し大人しくできないか?」
「いやぁ、これでもだいぶ辛抱してる方やと思ってるんですけどね。」
「どこがだよ。」
賑やかな繁華街の路地裏で話し込む男が二人。
一人は面倒くさそうに壁にもたれかかり、もう一人は呆れた顔をしている。
「警察全員がお前の味方なわけじゃない。」
「分かってますよ。はよ捕まえて手柄にしたいと思ってるアホの方が多い事くらい。」
「……分かっているならどうして自ら捕まりにいくような真似ばかりするんだ?
挑発した所でお前になんのメリットがあるんだよ?」
「メリット?無いですよそんなもん。」
「じゃあどうして……。最近おこったあの事件もこの事件もどうせお前の仕業だろう?」
「……さぁ?」
墨河がケタケタと笑うと男は大きなため息をつき頭を搔いた。
「悪いことは言わない。当分の間は大人しくしておけ。」
「はいはい。
まぁ暫くはなんの予定も無いし騒ぎにしたりしませんよ。
……そっちこそ、俺と関わりがあるって事が世間にバレんように上手いこと立ち回ってくださいね。
俺はええけどそっちは良くないでしょ?」
「余計なお世話だよ。」
男は墨河の肩をポンと叩くと背を向け多くの人の中へと溶け込んでいく。
男が見えなくなると墨河は怠そうに逆方面へと歩いて行った。
進む程に人気は無くなり、不気味な程に静まり返る。
ごみが散乱しそれを漁る鼠は墨河の足音に気付くと素早く逃げ出す。
汚れ破れた衣類を身にまとい項垂れるように座り込む人は顔を上げると虚しそうに再び俯く。
チカチカと不定期に光る街灯に照らされる度に墨河の目から光が消えていく。
着崩した黒いスーツは誠実さを感じさせず、艶やかな黒い髪が靡く度に惹き付けられるような匂いが漂う。
光を失った目が捉えるビルはお世辞にも綺麗とは言い難く近寄り難いものであった。
墨河がビルの扉を開くと中に居た男が立ち上がり頭を下げる。
「おかえりなさい。」
「ただいま。」
返事を返した墨河は少し段の高い階段を上り始める。
四階の明かりが灯る扉を開くと少しボロくもふかふかとした椅子に腰をかけた。
「……はぁ。」
デスクの上に足を置き手で目を覆うようにして息を吐き出した。
「赤夜さん。」
「あー?」
扉が開き声を掛けられ怠そうに返事を返しながらその人物を視界に捉えた。
「お疲れのところ申し訳ないのですが……。」
「あー、女?」
「はい。」
「分かった分かった、すぐに行くから待ってて。」
「はい、すみません。失礼します。」
部下が部屋を後にすると面倒くさそうに立ち上がり、部下が待つ部屋へと向かった。
重い扉を開くと女性がギャアギャアと甲高い声で騒いでおり眉間に皺を寄せる。
「あ、赤夜さん!もうどうにかしてくださいよこの女。」
騒ぐ女性の前に立ちしどろもどろな状態の男性と、新たな人間が部屋に入ってきたことにすら気付いていない様子の女性を見て大きなため息をついた。
「この女はなんやねん?」
「前にうちから売り出した女なんすけど、客の財布から抜き取ったみたいで店長から連絡がきたんすよ。
客が言うにはトイレに行ってる間に抜かれたって話です。」
「だから!抜き取ってないっていってるじゃん!あのジジィが嘘ついてるの!」
赤夜に説明する男性に今にも噛みつきそうな勢いで騒ぐ女性。
「まぁ落ち着けや。お前は抜いてへんねんな?」
「だからそうって言って……。」
赤夜の方を見た女性は見つめたまま何も話さなくなった。
「なんやねん?」
突然勢いを失い大人しくなった女性を不気味がる赤夜と部下たち。
「え、貴方は誰なの?」
「誰って俺たちのボスだよ。」
部下の言葉を聞いた女性は一歩赤夜に近寄ると目をキラキラとさせた。
「かっこいい。」
「…………は?」
女性の頬は徐々に赤く染まっていき目の輝きが増す。
「名前はなんて言うの?年齢は?
私は小崎 愛久、二十四歳!」
「……おお。」
赤夜は少し引いた様子で一歩下がる。
「で、貴方の名前は?」
「墨河。」
「下のお名前は何?」
「赤夜。」
「赤夜くん!私の事は愛久でいいよ。何歳なの?」
「二十七。」
「え、え、年上?凄い好きなんだけど!」
「……おい、どうにかせぇよこの女。」
赤夜が部下に声をかけると、部下達は無理ですとでも言いたげな顔を向ける。
「ねぇねぇ赤夜くん!今からご飯にでも行かない?お金は私が出すし行こうよ!」
「お前自分の立場分かってへんのか?」
「ん?」
愛久の瞳に映る赤夜の顔は呆れきっており、話にならないと奥の椅子に腰をかけるとそれに愛久が付いてきて隣に立つ。
「……お前は向こうや。」
赤夜はデスクを挟んだ部下側を指差すが愛久は赤夜の隣にいたいと駄々をこねる。
「赤夜さん、気に入られちゃいましたね。」
「気に入られちゃいましたねちゃうねん。
お前らは何をボーッと突っ立って見とんねん。」
苛立った声を出す赤夜に怯えた部下達が愛久を動かそうと肩に触れると、「気安く触ってんじゃねぇよ!」と怒鳴る愛久。
先程までの可愛らしい声とは違いドスが効いた声に赤夜も思わず取り出した煙草を落としてしまった。
「私に触れていいのは赤夜くんだけなの。
あんた達みたいな害虫が私に触らないでくれる?」
「おい、そいつらは俺の大事な部下やねん。害虫とか言うなゴミ。」
「えっ!ごめんなさい。害虫は言い過ぎちゃったかも。」
鬼の血相からまた目をキラキラとさせた乙女のような顔になり、可愛らしい声で赤夜に話しかける愛久を見た部下達が「お似合いかもしれない。」と呟くとそれに愛久は喜び、赤夜は黙って睨み付けた。




