05
星那はブツブツと呟き続ける桃次郎から視線を逸らさないようにしてテーブルの上に置いてある自分の携帯電話を手に取った。
警察に電話を……と画面を触るが、震えて上手く操作が出来ない。
このままでは殺される。そう思うと怖くて怖くて堪らないのだ。
今までニコニコと柔らかな笑顔で接してくれていた桃次郎の豹変ぶりに驚きを隠せない。
自分に好意を寄せていてくれた事にさえ気付いていれば……とも思うが、今更そんな事を考えてもこの状況から逃れることは出来ないのだ。
そんな相手に対し、しかも弱っている時に結婚をするなんて話したことを後悔する。
きっとこれが桃次郎を変えたキッカケなのだろう。
どうすれば桃次郎の手から包丁を奪い返せるだろう?
このまま放っておいたら死んでしまうのではないだろうか?
警察を呼べたとして、その後桃次郎はどうなるのだろう?
警察が到着するまでの間に桃次郎が正気を取り戻したら?
桃次郎がこうなってしまったのは、私のせいなんじゃないか?
そもそもどうして家を知っているのだろう?
どうして彼の名前も何も話していないのにあの被害者が彼だと分かったのだろう?
そういえば、事件後に何回か電話がかかってきていたな。
メッセージも届いていたはず。
後で返そう、落ち着いたら返そう。
そう思ったまま放置していた。
星那は画面に触れ桃次郎から届いたメッセージに目を通す。
「こんにちは。星那さんが好きそうな商品が入荷されましたよ。」
メッセージとともに送られていた画像には、星那好みの服が数着写っていた。
「こんにちは。追っての連絡すみません。
星那さんが既読を付けないのが珍しく思えて。お忙しいですか?」
「こんにちは。
体調を崩されたりはしていませんか?大丈夫ですか?心配です。」
「こんばんは。
何度もすみません。何かありましたか?」
「おはようございます。
星那さん、何かあったんじゃないですか?
無事なら既読だけでもいいんで付けてください。」
「星那さん、電話に出てください。」
「星那さん。俺に出来ることはありますか?」
「星那さん大丈夫ですか?」
「星那さん。家にいますか?」
「ちゃんとご飯は食べていますか?」
「俺が何か持っていきましょうか?」
「持っていきますね。待っててください。」
メッセージを見終えた星那はそっと画面を閉じ視線を上げた。
「ご飯、持ってくるの忘れちゃいました。」
「ひっ」
いつの間にか目の前に立っていた桃次郎は覇気のない声で呟く程度の大きさでそう言うと、ヘラッと笑ってみせた。
「桃次郎くん。」
「……はい。」
「桃次郎くんは何がしたいの?」
星那の問いかけに桃次郎はまっすぐ目を見て答える。
「星那さんの一番になりたい。星那さんを独り占めしたい。それだけです。」
「……それなら、こんなやり方は間違っているとは思わない?」
「間違ってる?
俺はただ星那さんを心配して来ただけですよ。
少し嫉妬心から荒れてしまいましたけど、これも立派な愛情表現。
何も間違ってはいないと思います。」
「本気で言ってるの?」
「はい。」
目を逸らしたくなるほどの冷たい視線。
星那は、今の桃次郎に何を言っても意味が無いのだと悟ると小さく下がる。
「とりあえず一回家から出て行ってもらえるかな?」
「どうしてですか?」
「どうしてって……こんな状況のままここで何をしようって言うの?
お互い一回頭を冷やして冷静になってから───」
「俺は冷静ですよ。落ち着いてます。
それに、別に何をしようって訳でも無いです。
ただ俺は星那さんと一緒にいたいだけ。
それとも、星那さんは俺と一緒にいたくないですか?」
勿論答えはイエスなのだが、そのまま答えると殺されるかもしれない。
かといってノーだと答えれば桃次郎がここから出ていく事は無いだろう。
星那はどう返事をするべきか悩む。
「ああ、これが怖くて普通に話せませんか?」
桃次郎はキッチンへと向かうと包丁をシンクに置き、手に何も持っていないことを示すため両手を少し上にあげプラプラとしながら星那の方へと向かう。
包丁を手放したことを知った星那は安堵し「今は一緒に居たくない。」と素直に答える。
「へぇ、そっか。嫌われちゃったかな。」
桃次郎はそう言うとベランダの方へ歩いていき、カーテンを開き眩しそうに空を眺めた。
「嫌いとかそういう事じゃなくて、その、急すぎて理解が追い付いていないというか……私の心の整理が付いていな……何をしているの?」
少し目を逸らし言葉を選びながら話していた星那は、ふと視線を戻すと靡くカーテンが目に入った。
桃次郎はこちらを向いた状態で手摺に腰をかけていた。
少し押せば落ちてしまうような不安定な桃次郎を見て星那は慌てて駆け寄るが、「それ以上近付いたら手を離す。」と言われ立ち止まる。
「星那さんは俺の事眼中に無いですよね。」
「そ、そんな事無いよ!ただ今は少し整理がついていなくて、その……。」
「いいですよ、無理しなくて。
はっはは、星那さんと一緒になれると思ったのになぁ。」
「でも私、その、結婚するって言ったよね?
どうしてそれでも一緒になれると思うの?」
「気が変わるかもしれないでしょ?
婚約したら気が変わらない?結婚したら生涯その人だけ?違うよね?
もしそうならこの世から不倫だ離婚だって話題は無くなるでしょ?
でもさ、毎日のように誰かが不倫をしていたり、離婚してるわけじゃん。
婚約破棄だって珍しい話じゃないよ。」
「……そんなことを考えていたの?」
「最低。そう言いたい?」
「…………。」
星那が黙って下を向くと桃次郎は楽しそうに笑う。
「言えばいいじゃん。最低だと思ったんでしょ?
俺はそれでもいいよ。最低な人間として記憶に残り続けるなら。」
「私の中で桃次郎くんは笑顔が素敵で優しい店員さん。ちゃんと良い印象で残ってる。」
「その記憶は死ぬまで残り続ける?
薄まることも無く鮮明なまま残り続ける?
片時も俺のことを忘れない、そう言える?」
「それは……片時もというのは難しいけれど、残り続けるよ。当たり前でしょ?」
「へぇ。そっか。
でも俺は、星那さんが寝ている間も、食事をしている時も、入浴中も排泄中も仕事中も友達と遊んでる時も、誰かに抱かれている時も俺の事を忘れないでほしい。」
ビュッと風が吹くと桃次郎の体が揺れる。
「桃次郎くん、危ないからこっちに来て!」
「忘れないと言ってくれるなら考えるよ。」
「忘れない、忘れないからお願い!」
「星那さんの中で俺が一番になる日はくる?」
手を伸ばす星那に問いかけた桃次郎。
「一番……一番ってどういう……。」
星那は目の前で起きている状況に混乱し中々答えを出せないでいた。
「常に俺が最優先。俺のことを忘れない。俺だけを思う。俺がいないと生きていけない。
星那さんが楽しいと思うのも、嬉しいと思うのもそのきっかけは俺でありたい。
それと同時に、星那さんが泣く理由や悲しむ理由、苦しむ理由も俺でありたい。
だけど今、俺が星那さんに与えられるのは恐怖心だけなんだろうね。それと不信感や嫌悪感と言った所?
悲しい、苦しい、そう思うのは彼氏が理由でしょ?
それじゃ俺はまだ一番じゃないから、そこも俺色に染めなきゃいけない。
そう思わない?」
淡々と話す桃次郎の言葉が耳をすり抜ける。
「何……を、言っているの……?」
「星那さんを独り占めしたい。
星那さんの身も心も俺だけのものにしたい。
星那さんの感情を動かせるのは俺だけでいい。」
「桃次郎くん……いいから早くこっちに来て。ねぇ、手摺から手を離さないで。お願いだからこっちに────」
両手を離し笑顔を向けた桃次郎。
その笑顔は今まで見てきた中で一番優しい表情をしていた。
「ごめんね、星那さん。
これで上書きできるかな?俺は貴女の一番になれるかな?」




