03
「……………。」
見覚えのある天井。
視線をずらすと見覚えのあるテレビにテーブル。
自分の家だ。
桃次郎がゆっくり体を起こすとキッチンに立つ星那が視界に入る。
「星那さん?」
桃次郎が声をかけると星那は驚いた顔をして振り向いたかと思えば慌てて桃次郎に駆け寄った。
「もう大丈夫なの?」
「……はい。どうしてここに?」
不安そうな顔をする星那を見てまた胸がチクリと痛む。
「ベルトを取りに行った時に桃次郎くんが倒れてるって店長さんが叫んでね。
対応してくれたスタッフさんと一緒に様子を見に行ったら苦しそうな桃次郎くんがいて。
救急車を呼ぼうとしたんだけど別のスタッフさんが桃次郎くんの様子を見て、過呼吸だって言って対処してくれて、落ち着いてから店長さんの車で家まで送ってきたの。
店長さんも忙しいだろうから私が様子を見ますって言って残ったの。
ごめんね、店長さんには勝手に友達って言っちゃった。」
「それはいいですけど……すみません、ご迷惑をおかけして。
もう大丈夫なんで帰ってください。」
桃次郎は自分でも驚く程に星那に対して冷たい態度をとっていた。
取ろうと思っている訳ではなく、自然とそうなってしまうのだ。
「あ、そうだよね。ゆっくりしたいよね。ごめんね。
でも少し待ってくれる?」
「……?」
「ちょっと待っててね!」
星那はそう言うと鞄を手に持ち慌ただしく家を出ていった。
「なんだ?」
桃次郎がふと視線を逸らすとそこには桃次郎が働く店の袋が置かれていた。
「また忘れてる。」
袋を手に取り中に入っているベルトを手に取る桃次郎。
「ベルト……。」
桃次郎はベルトをまじまじと見つめ何かを思いついた表情をするが首を横に振り袋の中に戻すとそっと床に置いた。
「駄目だ。駄目だよ。」
暫く経つとガサガサと袋の音を立て少し息を切らし部屋に入ってくる星那。
「お腹すいてない?」
桃次郎に向け笑顔でそう言う星那は桃次郎の返事を待たずキッチンへと直行した。
「あ、あの……。」
桃次郎が立ち上がるとそれに気付いた星那は振り返り「座ってなさい!」と力強く言う。
座る以外の選択肢は無く桃次郎がその場に座ると星那は満足そうにまた笑顔を向けた。
「軽く作って保存しておくから今食べれなくても後で食べてよ。」
星那は手を洗うと手馴れた様子で料理を始める。
「いや、そんな悪いし。」
「もう買ってきちゃったもん。」
心地よい音と良い匂いが部屋を包み込む。
まるで新婚のようだと思うとまた胸が痛み始める。
また息が出来なくなるのでは?と思うと怖くて堪らない。
あの時死んでも良いとさえ思えた。
だが今こうして自分の家に星那がいるのに、すぐそばに居るのに……。
今死ぬわけにはいかない。
桃次郎が隠すように苦しんでいると背中に温かみを感じた。
「大丈夫?まだ辛い?」
近くで聞こえる愛しい声。
背を摩る愛しい手。
自分だけに向けられた心配。
「大丈夫、です。」
桃次郎は息を整えようと呼吸の仕方を思い出す。
その間も星那はずっと背を摩ってくれている。
ああ、なんだろう。痛みが軽減する。幸せだと思える。
ずっとこうして自分だけに優しくしてほしい。
その笑顔も声も優しさも全てを独り占めしたい。
落ち着きを取り戻した桃次郎を見た星那は心配そうにキッチンへと戻る。
「横になっててね。」
料理を再開しながら桃次郎に声をかける星那。
「はい。すみません。」
桃次郎は申し訳なさそうにそう言うとゴロンと横になる。
目を閉じると星那の顔ばかりが思い浮かぶ。
笑顔であったり、少し困ったような顔や、心配する顔。
そして、自分では無い他の誰かと楽しそうに笑う顔。
ドクン ドクンと波打つ鼓動を抑えようと深呼吸をする。
あの男性は恋人?
もしかしたら友達かも?
でも、あんなに仲良さそうに……どこで出会ったんだ?
あの家は星那さんの家?それともあの人の家?
まさか同棲なんてしてないよな?
付き合っているならいつから?
星那さんはあの人のどこが好き?
あの人は星那さんのどこが好きなんだ?
俺の知らない表情を知っていたりするのか?
疑問が浮かべば浮かぶほどに息苦しくなる桃次郎は、「今食べる?」という声にハッとする。
目を開けるとまた心配そうに顔を覗き込む星那と目が合った。
「食べられなさそう?」
「……少しだけなら。」
「そう?大丈夫?」
「はい。」
桃次郎の返事を聞くと星那は立ち上がりキッチンへと向かって行った。
あの男性にもこうやって看病をしたことがあるのかな?
星那が用意した料理を口に運び「美味しい。」と言うと星那は得意気な顔をする。
「料理は作るのも食べるのも好きだから自信があるんだよね。」
ドヤと言わんばかりの顔をする星那を見て、可愛い。と思う桃次郎。
「良いお嫁さんになりそうです。」
誰でもなく自分のお嫁さんになって欲しいという言葉は料理と共に飲み込んだ。
「本当?嬉しい。
あのね、桃次郎くん。」
「はい?」
手を止めた桃次郎は顔を赤らめる星那を見てまたドクンと大きな音を立てる。
「桃次郎くんがこんな時に言うのも違うかなと思ったんだけど、今日はベルトを取りに行くついで……と言ったらちょっと違うけど報告したいことがあって行ったんだよね。」
「報告……ですか?」
ドクン ドクン ドクン ドクンと大きく速く波打つ。
「あのね、実は私」
嫌だ。聞きたくない。辞めてくれ。
「結婚することになったんだよね。」
バリンと音を立て心が粉々になる。
「結婚……。」
「はは、いや桃次郎くんからしたら全然興味無いと思うんだけど。
ごめんね、でもどうしても伝えておきたくて。
よければ結婚式にも招待したいなぁなんて思ってたり。」
星那は申し訳なさそうな顔をするが幸せなオーラが隠しきれていない。
「結婚式……。もう式場も決まってるんですか?」
「え?いやまだ決定はしてないよ。
ただ、ここがいいなっていう候補はいくつかあるけど。」
「そうなんですね。
はは、突然で驚いちゃって。……ご結婚おめでとうございます。」
「ふふ、有難う。ごめんねこんな時に。」
「いえ。」
先程まで浮かび続けていた疑問が全て泡となり消えてゆく。
「あ、何品か冷蔵庫にいれてあるからまた食べられそうな時に食べて。
ごめんね勝手に色々使っちゃって。」
「いえ、有難うございます。助かりました。」
「じゃあ私はそろそろ。
店長さんにはもう連絡入れておいたけど、桃次郎くんが落ち着いたらまた連絡してあげてね。凄く心配しているから。」
「はい。有難うございます。」
星那は鞄と袋を手に取ると「じゃあまたね。」と桃次郎に声をかけ家を出た。
しんと静まる部屋に一人残された桃次郎は携帯電話を手に取り発信ボタンを押す。
「……もしもし。久しぶりだね。元気?」
「相談したいことがあって。今大丈夫?」
「あのさ、おーちゃん。」
桃次郎の瞳は暗く光を通さない。
僅かに震える声と薄らと浮かぶ笑み。
「おーちゃんって今恋人がいるの?」
「……そうなんだ。
実は俺も恋をしててさ。……星那さんって覚えてる?」
「いや、無理だよ。
だってさ、星那さん結婚するんだって。」
「ん?いや、知らない。
一回たまたま見かけたことがあるけど。」
「え?無理だって。俺じゃ不釣り合いなんだよきっと。」
「ううん、ちょっと辛くて話したかっただけだよ。急にごめんね。」
「有難うおーちゃん。
あ、そうだ。新曲聞いたよ。うん、良かったよ。」
「分かった、じゃあまたね。次は久しぶりにご飯でも行こうよ。
うん、有難う。じゃあ、お願いします。またね。」
桃次郎は電話を切るとゴロンと寝転んだ。
暗闇のような瞳は弧を描き口元が緩む。
「やっぱり俺とおーちゃんは気が合うんだな。」




