02
それから変わらぬ日々を過ごしていたある日。
「紫扇さんどうしよう。」
バイトの女性が困ったように桃次郎に声をかける。
「どうしたの?」
「これ入れるの忘れちゃって。」
そう言う女性の手に持たれていたのはベルトだった。
「お客さんが買った商品?」
「そうなんです。袋に入れたと思ってたのに。」
今にも泣き出しそうな女性。
「えー、どうしよう。店長に話さなきゃ。」
「あの、紫扇さんがいつも話してる常連の女性なんですけど、連絡先とかは……知らないですか?」
「常連?もしかして星那さん?」
「多分。私は名前までは知らなくて……。」
「星那さんなら連絡先知ってるから俺から言っておくよ。
いやあ、良かった。知ってる人で。次からは気を付けてね。
じゃあちょっと連絡しに裏に行くから少しの間任せるね。」
笑顔で話す桃次郎に女性は何度も頭を下げた。
スタッフルームへ入り携帯電話を取り出した桃次郎は星那へと電話をかける。
「……あ、もしもし。桃次郎ですけど。」
「もしもし。どうしたの?」
「あの、ベルトを購入されたと思うんですけどスタッフが袋に入れ忘れちゃって。」
「んー?ちょっと待ってね。」
ガサガサと袋が擦れる音がする。
「あ、本当だ。
どうしようかな、今から予定があって取りに行けないんだよね。」
「俺あと三時間位で終わるんで持って行きましょうか?」
「えー、悪いからまた取りに行くよ。置いておいてもらえるかな?」
星那は急いでいるのかパタパタと小走りしている様子だった。
「分かりました。折角足を運んでもらったのにすみません。」
「いえいえ!
あの子新人ちゃんじゃない?私で良かったね。」
嫌味は全く無い感じでケラケラと笑う星那につられて桃次郎もクスリと笑った。
「じゃあまた行く時に連絡するね。」
「はい。お待ちしております。」
通話が切れると桃次郎は女性の元へ行きベルトを預かる。
前は月に一度顔を出していたが、ここ最近は二、三ヶ月に一度顔を出す程度になった星那。
桃次郎は、黄汰がいなくなったせいか?彼氏でも出来たのか?と思っていたが、単純に仕事が忙しいだけのようだ。
これは黄汰にも知られていないと思うが、桃次郎は密かに星那に対して想いを寄せていた。
だが、星那は黄汰にも桃次郎にもそういった感情を持ち合わせていない事は最初から分かっていた。
行きつけの店の店員から弟のように思える男になったのは桃次郎にとっては嬉しい出来事だった。
黄汰と二人仕事を終え食事をしに行った時たまたまその場に星那がいた。
複数人で楽しそうに話す星那が輝いて見えた。
友人といるからと声をかけずにいたが黄汰と桃次郎に気付いた星那から声を掛けてくれた。
星那の友人達に呼ばれ一緒に食事をすることになったのは驚いたが、まだ知らぬ星那の事を色々聞けて嬉しかった。
そして流れで連絡先を交換したのだ。
だが別に頻繁にやり取りを行うわけでもなく、基本的には星那が好きそうな商品入荷のお知らせや、在庫確認の連絡が来るくらい。
弟のように…なんて言っても結局は店員と客という関係からは離れられないまま今に至るのだ。
仕事を終え家に向かう途中桃次郎の目に映ったのは星那の姿だった。
「星那さん!」
桃次郎の声は星那には届かなかった。
「今帰りなのかな。……あ、そうだ。」
桃次郎はスタスタと歩く星那の背中を追った。
何度か声をかけようかと思ったが周りに人が多くまた掻き消されるだろうと思い小走りで追いかけた。
だが、人の波に飲まれなかなか追いつけないまま一軒の家の前まで辿り着いてしまう。
「はぁ……はぁ……ここが……星那さんの家……。」
息を切らしながら見上げた家は古くも新しくもないマンションだった。
膝に手を付き息を整える桃次郎は携帯電話を取り出し星那の番号を表示する。
「……今電話を掛けて家の前にいるなんて言ったら怖がらせちゃうか。」
発信ボタンを押そうと待機していた指は止まったまま動かない。
「ベルトのお詫びをしようと思ったけど冷静になってみればこんなの気持ち悪いよな。」
桃次郎は携帯電話をポケットへ突っ込み帰宅しようと背を向けた時、背後から楽しそうな笑い声が聞こえ咄嗟に近くの木の裏へ隠れる。
「……ああ、そうか。そりゃいるよな。」
こっそりと顔を出し覗くとそこには腕を組み楽しそうな顔をする星那と見知らぬ男性。
桃次郎は知りたくなかった現実を目の当たりにし二人から隠れるように走り出した。
鼓動が速いのは走っているせいだろう。
息が荒いのも走っているせいだろう。
鉄臭がするのも不快な味が広がるのも全部走っているせいだ。
桃次郎は溢れ出る涙を拭い必死に走る。
早く帰りたい。早く。早く。早く。
あれから数日後星那から連絡が来た。
昼過ぎにベルトを取りに行くという内容だった。
それに対し桃次郎は「お待ちしております。」とだけ返事をするとバイトの女性にその旨を伝える。
桃次郎は昼過ぎになると裏で作業をするからと伝えた。
星那の顔を見たくない、声を聞きたくないという気持ちが強いのだ。
「体調悪いんですか?」
心配そうな顔をする女性に桃次郎は笑顔で「大丈夫だよ。あとはよろしくね。」と伝える。
大丈夫では無い。
あの日から不調が続いている。
決して咳が出るだとか喉が痛いだとか頭が痛いだとかそういった不調では無く、心が痛むのだ。
勝手に期待をしていた。そんな事は分かりきっている。
星那が悪い訳では無い。
勝手に思いを寄せ勝手に期待していた自分が悪い。
頭では分かっているが心がそれを理解するのに時間がかかってしまっているのだ。
ズキズキと痛む。
苦しい。痛い。苦しい。痛い。苦しい。苦しい。
どれだけ撫でようと治まらない。
深呼吸しようと眠ろうと何をしようと治まらない。
むしろ日が経つ度にその痛みは増していく一方である。
桃次郎は黄汰の歌を思い出す。
‘’愛しい人よ。消えないで。
キミがいないと寂しくて。
粉々に砕けた心は戻らなくて 哀しくて。
こんな思いをするならば 強くその手を掴んでいよう。
繋がれた鎖は僕とキミの赤い糸。
愛しい人よ。そばにいて。‘’
今の自分にピッタリだと共感しまた胸の痛みに顔を歪ませる。
「ああ……そうか……。」
桃次郎は自分が思っていた以上に星那の事を愛していたのだと気付く。
もっと早く気付いていれば、もっと早く自分からアプローチをしていれば、もっと早く早く早く伝えていれば。
隣に立つ男は自分だったのかもしれない。
一人頭を抱え苦しむ桃次郎の背後から愛しい声が聞こえた。
「桃次郎くんに連絡した華園です。」
「華園様、いらっしゃいませ。
この度は私の不手際で……申し訳ありません。」
「大丈夫ですよ。急ぎじゃなかったし。
……あれ、桃次郎くんはいないんですか?」
「紫扇は今別作業をしております。お呼びしましょうか?」
「いいえ、お仕事中に悪いのでまた日を改めます。」
声を聞くだけで今星那がどんな表情をしているのか容易く想像ができる。
きっと優しい笑みを浮かべているにちがいない。
いつもその笑顔に癒されていたんだ。
優しい声と笑顔に救われてきたんだ。
それを自分だけに向けてくれる日を夢見ていたんだ。
桃次郎は耳を塞ぎ目を閉じる。
苦しい。辛い。嫌だ。痛い。助けて。
桃次郎はハァハァと息を荒くしその場に座り込む。
息が上手くできない。どうしてだろう。苦しい。
上手く吸えない。苦しい。苦しい。
あれ?呼吸はどうやってするんだっけ?
苦しい。苦しい。苦しい。
嫌だ。嫌だ。嫌だよ星那さん。
離れないで。行かないで。苦しい。
「紫扇くん!」
駆け寄る足音。ぼんやりと浮かぶ店長の顔。
返事をしたくても出来ない。
手足が痺れる感覚だ。動かせない。
店長が何かを叫んでいる。
人が集まり覗き込む。
ああ、もう死ぬんだ。ここで苦しみながら死ぬんだな。
「桃次郎くん!!」
はは、星那さんだ。
どうして泣きそうな顔をしているの?
どうして?貴女には大切な男性がいるだろう?
他の男にそんな顔をしちゃいけないよ。駄目だよ。
桃次郎は笑みを浮かべるとそのまま意識を手放した。




