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幕間:担任教師桐野美弥の独白

 

 窓の外、崩れかけた街並みが広がっている。

 遠くでゾンビのうめき声が響き、胸が締め付けられる。

 桐野美弥、34歳。この学園で教員として10年目を迎える今、目の前の地獄のような状況に立ち尽くしながら、過去の穏やかな日々を思い出す。

 私のクラス、山野菫と宇佐見理沙。二人の生徒は、一年生の頃から三年生に進級した今まで、私の担任としての日々に鮮やかな色を添えてきた。

 あの頃の彼女たちの姿が、今もまぶたに焼き付いている。ゾンビパニックが起きる前の、笑顔に満ちた教室を。

 

 まず、宇佐見理沙のこと。彼女は勉強が少し苦手だった。テストの点数は平均を少し下回るくらいで、いつも菫に教えてもらう姿が教室の片隅で見られた。

 でも、勉強以外では、理沙はクラスの中心にいた。明るい笑顔、裏表のない性格。

 誰に対しても分け隔てなく接するその人柄は、クラスメイトを自然と引きつけた。お調子者で、冗談を飛ばして皆を笑わせることも多かった。彼女の笑い声は、教室に活気をもたらした。

 

 理沙の背景を知ったのは、担任に就任したばかりの頃。

 彼女は幼少期に、幼馴染の菫のご両親と同じ事故で、自身の両親を亡くしていた。学園長の日比野さんに引き取られ、寮で菫と一緒に暮らしている。

 辛い過去を背負いながら、理沙はいつも前向きだ。担任の私にさえ気を使ってくれる。

「先生、疲れてないですか?」と声をかけ、授業の後片付けを手伝ってくれる。

 もっとわがままを言ってもいいのに、と思う。あんな辛い目に遭った子が、こんなに健気でいい子でいるなんて、どこか不公平だ。

 

 ただ、理沙には時々、違和感を感じることがあった。特に体育の授業だ。彼女の身体能力は、中学生離れしていた。走るスピード、ジャンプの高さ、反射神経――どれをとっても、高校生の男子でも敵わないほどだ。

 サッカーの授業では、ドリブルで相手を軽々と抜き去り、クラスメイトが目を丸くする。バスケットボールでは、まるでプロ選手のような動きを見せた。

 

 それ以上に驚くべきは、菫との関係だ。

 集団スポーツやペアのゲームで二人が組むと、異様な強さを発揮する。

 サッカーでは、理沙がゴール下へ全力でパスを出すのに、菫の方を全く見ていない。

 それなのに、菫はパスをぴたりと受け止める。バスケットボールでも同じだ。理沙のノールックパスを、菫がまるで予知したようにキャッチし、シュートを決める。心が通じ合っているかのような、完璧なコンビネーション。

 クラスメイトは「運がいいね」と笑うが、私は何度も見て、偶然とは思えなかった。

 

 理沙に尋ねたことがある。「どうしてそんなタイミングが合うの?」って。彼女はにこにこ笑って、「菫は物凄く勘がいいんですよ! 幼馴染のコンビネーションは年季が違います!」と答えた。

 二人は幼稚園からの付き合いだ。双子の姉妹のように育ったという。それでも、あの息の合い方は、ただの絆では説明しきれない気がした。

 

 そして、山野菫。彼女は理沙とは対照的に、大人しく気弱な性格だ。純真無垢で、心優しい。小柄で華奢な体躯に、茶色の髪が背中に優しくかかる姿は、まるで絵本のお姫様。

 クラスメイトからはマスコットやアイドル扱いされ、皆が彼女を囲んで笑顔になる光景は、いつも微笑ましかった。

 菫が本を読んでいる横で、友達が輪になっておしゃべりしたり、肩に寄りかかったり。

 勉強は学年トップクラスで、理沙の勉強の面倒をよく見ていた。寮で一緒に暮らしているから、夜遅くまで教え合っているんだろうな、と思っていた。

 

 でも、菫には不思議な点があった。時々、彼女には特別な力があるんじゃないかと思う瞬間があった。超能力、なんて馬鹿げた考えかもしれないけど。

 

 一番印象的だったのは、体育の授業中の出来事だ。隣のコートで初等部の子供たちがドッジボールをしていて、一人の生徒が暴投してしまった。

 ボールが勢いよく菫の背後から飛んできた。彼女は気づくはずもなく、当たると思った。

 クラスメイトたちも息をのんだ。でも、菫は後ろを見ることなく、まるでわかっていたかのように体をずらして避けた。ボールは彼女の横をすり抜け、地面に落ちた。

 

 皆が驚いて、「どうして避けられたの?」と聞いた。菫は照れくさそうな顔をすると。

 

「たまたま運が良かったんです……」

 

 と答えた。でも、私は疑った。あの動きは、運じゃない。まるで周囲をすべて把握しているような、異常な反応だった。

 

 他にも、バスケットやサッカーで、理沙の全力パスをノールックで受け取る光景を何度も見た。菫がゴール下へ走り、理沙がパスを出す。菫は振り返らずに手を伸ばし、ぴたりとボールを受け止める。本当に運が良いだけ? 理沙の答えはいつも同じだったけど、私は信じきれなかった。

 

 さらに、クラスメイトの無くしもののエピソード。ある子が筆箱を失くして探していると、菫がロッカーを指差して、「そこにあるよ」と言った。半信半疑で中を探すと、本当に筆箱が出てきた。菫は「勘です」と笑うだけ。他にも、別の子がなくしたキーホルダーを、菫が「机の下の左端」とピンポイントで言い当てたこともあった。

 

 小学校の担任からの引き継ぎメモには、もっと不思議なことが書かれていた。

 菫がかくれんぼの鬼役になると、異様に強い。

 どんなに上手く隠れても、必ず全員を見つけ出してしまう。子供たちの遊びの中で、そんなことが何度もあったそうだ。

 メモには、「まるで隠れている場所がわかっているよう」と書かれていた。

 

 もしかして、菫は本物の魔法使いか、超能力者なのかもしれない。そんな想像を、私は密かに抱いていた。理沙の異常な身体能力と、菫の不思議な勘。二人が一緒にいると、それが倍増する。双子の絆以上の何かがあるんじゃないか。

 

 そして、今、このゾンビパニックの中で、彼女たちのもう一つの驚くべき一面を目の当たりにした。学園は広い。学園長室は敷地の奥、校舎から遠く離れた場所にある。私はたまたま用務員室で籠城していた時、校舎の外はすでにゾンビで溢れていた。あの混乱の中で、菫と理沙が無傷で用務員室まで辿り着いたのだ。

 

 ゾンビで埋め尽くされた中庭や廊下を抜け、敷地の端にある用務員室まで、どうやって来たのか。

 

 後で理沙に聞いた。

 

「どうやってここまで来たの? 無傷で?」

「菫の勘と私のバットがあれば、なんとかなりますよ!」

 

 理沙さんは笑顔を浮かべながら言っただけ。でも、菫が小さく頷く。

 

「理沙が守ってくれたから」

 

 と呟いたのが印象的だった。確かに、理沙の持つステンレス製の棘つきバットは、異常な重さなのに、彼女は軽々と振るう。

 あのバットでゾンビを倒しながら進んだのだろう。だが、菫の役割も大きかったはずだ。

 彼女の「勘」――おそらく、あの不思議な力――が、ゾンビの位置や動きを捉え、道を切り開いたのだと思う。

 

 あの広い学園の敷地を、ゾンビの群れを縫うようにして無傷で辿り着くなんて、並大抵のサバイバル能力ではない。

 菫の異常な感知力と、理沙の身体能力が合わさった結果だ。まるで、二人で一つの完璧なユニットみたいだ。

 

 今、目の前の地獄のような状況で、そんな回想に浸っている自分が情けない。菫と理沙を、病院まで無事に連れて行かなければ。

 菫の「力」が本物なら、きっとこの危機を乗り越えられる。理沙の強さも、頼りになる。日比野学園長の元へ、必ずたどり着く。

 

 あの穏やかな教室の日々――菫が本を読み、理沙が笑い、クラスメイトが笑顔で囲む光景――が、戻ってきてほしい。彼女たちの未来を守るため、私は教師として、最後まで戦うよ。

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