第19話 戦の影と婚約者候補の涙
宴から一夜。
領主館の廊下には、鎧の擦れる音と、兵士たちの慌ただしい掛け声が響いていた。
「弓隊を訓練場へ! 補給物資は三日以内に整えろ!」
隣領フェルディナント侯の仕業と断定され、戦支度は一気に加速していた。
もちろん俺は関係ない。はずだった。
「悠真殿! 我らが守る!」
「英雄よ、どうか領の未来を!」
「いやいやいや! 俺は戦とか関わらないから! そもそも脇役だから!」
必死に否定する俺の声は、誰にも届かなかった。
そんな混乱の中。
領主の娘――クリスティア嬢が俺の部屋を訪ねてきた。
「悠真様……」
金髪が揺れ、透き通るような碧眼が俺を真っ直ぐに射抜く。
その瞳は、潤んでいた。
「戦が始まれば……私は政略の道具になります。父は、貴方を“婚約者候補”にと仰った……でも、それは……」
彼女は唇を震わせ、涙をこぼした。
「……ただの政略の一部に、なってしまうのです」
その姿を前に、俺は言葉を失った。
(いや、待て。俺は脇役だ。ヒロインの涙を受け止める立場じゃ……でも、目の前で泣かれたらどうすりゃいいんだよ……!)
「……クリスティア嬢。俺は……」
俺の声はかすれて、言葉にならなかった。
そこへ、ドアが勢いよく開く。
「悠真さん!」リサが飛び込み――クリスティア嬢の涙を見て固まった。
「な、なに泣かせてるんですか!」
セレナも眉を寄せる。
「英雄を気取るのは勝手だけど……女性を泣かせるなんて最低よ」
さらにミリアが冷ややかに一言。
「……やっぱり女関係でトラブル呼ぶ体質ね」
「いや違うからな!? 俺なにもしてないからな!? 泣かせたんじゃなくて、勝手に泣かれたんだからな!?」
俺の必死の弁明も、見事にスルーされた。
やがて領主ガルド卿からの召喚が届く。
広間に集められた俺たちの前で、領主は険しい顔をして言い放った。
「隣領との戦は避けられぬ。しかし……悠真殿、そなたの存在が和平の鍵になるやもしれぬ」
「……え?」
「“英雄が仲介した和平”は、民衆に大きな説得力を持つ。そなたを婚約者候補とすることも含め……交渉の切り札とする」
「いやいやいやいや! 俺、戦も交渉もしたくないんだって!」
俺の悲鳴が虚しく広間に響いた。
一方その頃。
奥の回廊で、ルーク公子とアルベルトが密談していた。
「婚約者候補……か。娘も涙を流すとは、案外本気かもしれんな」
「ええ。しかし“脇役”は自覚しないまま舞台に立ち続ける。――それが、最も都合がよろしい」
二人の目は、獲物を追う猛禽のように鋭く光っていた。
夜。
自室に戻った俺は、ベッドに腰を下ろし天井を睨んだ。
「戦だの和平だの、婚約だの……全部、主役がやるべきことだろ」
でも。
あの涙を思い出すと、胸の奥が妙にざわついた。
「……脇役でも、せめて“泣いてる人”ぐらいは放っておけないよな」
俺はため息をつき、枕を抱きしめた。
(うん。関わらないって決めてたのに、もうズブズブじゃねぇか……!)
その夜、森の奥。
暗殺者の影が再び立ち上がり、静かに呟いた。
「英雄か、脇役か……いずれにせよ、駒が揃いつつある。舞台は整った」
月光に照らされたその瞳は、冷たく妖しく輝いていた。




