鴨、網にかかる
壬生寺──。京都の壬生村と呼ばれる場所に存在する大きな寺だ。この村は、大昔から農業が盛んな地域で壬生菜と呼ばれる作物が特に有名らしい。
なんて、前にやったゲームでそんな解説を聞いた気がする。歩いて行けるくらいの距離に二条城がある事も特徴だ。故に、朝廷の権力が強い京都の中でも将軍家の影響が強い方なのもこの村の特徴の一つである。
そんな壬生寺の中を少し進んでいくと、正面には壬生浪士組の隊士達が今日も稽古に励んで……
「……って、あれ?」
おかしいな。誰もいない。妙だ。俺のゲーム知識によれば、新撰組は厳しい稽古を日が登ってから落ちるまで四六時中やっていたと記録しているのだが……。
誰もいない……。先程の沖田総司といい、俺の知っている新撰組像と違う点は多いなぁ。土方は、やっぱり鬼みたいだったけど。
と、壬生寺のあちこちを歩いて回っていると、その時だった。
「おっ、芹沢殿!」
「……ん?」
背丈は、普通だった。なのに、その男には妙な迫力があって、手に持つ木刀までもが不思議と強力な武器に見える。
男は、土方と同様に後ろで髪を結んだ似非ちょんまげ。がっしりとした体を持ち、姿勢はまさに武士のそれだった。
何処かで見た事あるような……。
しかし、芹沢鴨を知っているという事は、おそらく壬生浪士組の隊士の1人である事は間違いない。
「……あぁ、その……」
何を言うか困っていると男は、告げた。
「芹沢殿も稽古で汗をかきたくなったのですかな?良ければ、この私がお相手いたしましょうか?」
「いや、それは良いです!」
いくら今の俺が芹沢鴨とはいえ、この時代のリアル武士と戦ったりなんかしたら、それこそどうなるか……。
「そ、そうですか。……でしたら何用で?」
男は心底疑問に感じている様子でそう尋ねてくる。
なるほど。この芹沢鴨という男が如何に士道という所において適当だったかが伺える。
しかし、この者も壬生浪士組の隊士の1人。ならば、きっと奴の居所も……。
「土方歳三を探しているんですが、どちらで?」
すると、男は更に不思議な様子で俺を見て言ってきた。
「……ほぉ、あの芹沢殿が」
なんだ。この反応……いや、これを見るにマジで仲悪かったんだろうな。鴨とトシは……。
男は、顎に手を置いてヒソヒソと考え事でも囁いていたのだが、しばらく経ってから頷いた。
良いでしょう。私としてもお2人には、もっと互いを知ってもらいたい! ちょうど私も彼に会いたいと思っていた所です。参りましょう」
そう言って、男は俺を連れて壬生寺の奥へと俺を連れて行った。
男は、奥へ……更に奥へと俺を連れていく。とうとう、寺の裏側の木々が立ち並ぶ小さな雑木林のようになっている所へやって来てしまう。
「あ、あの……本当にこんな所に土方さ……じゃなくて土方殿は……」
すると、男は大きな声で笑って告げた。
「はっはっはっ! 一見すると、確かに何処にもいなさそうに思えますな! もうそろそろ見えてくる頃かと思いますぞ!」
「見えてくる……?」
こんな辺り一面、木木木……草草草の場所に本当に土方さんがいるのか? なんだか、足元を蚊に刺されている気もするし……早くここから出たいな……。
と、すると……。
「……ほれ、見えてきましたぞ」
茂みの前で止まってしゃがんだ後、男が指を指したその先には……。
「……土方……殿?」
後姿だけが見える。土方歳三は、どうも何かを縦長の紙に書いている様子で、ぼんやり上を見上げていた。
……なんか、ボソボソ喋っているな? なんだろう……。
よ~く、耳を澄ませてみると、土方の声が聞こえてきた。
「……ここで、一句」
「は……?」
――朝は日が
夜には月が
回る時
「……は?」
今のは……俳句? いや、どうして、こんな所で? と、すると――。
「……もう一句」
「え……?」
――夏風の
ように過ぎ去る
蝉の声
「……何言ってんだ?」
土方歳三が、俳句を作る事が趣味な事は、知っていた。それは、よくゲームとかでも「副長の穴籠り」と呼ばれてたりするのだが……実際は、あんな風に堂々と外に出て詩を作っていたのか……。
いや、それにしても……やっぱり詩のセンスがない。普通、俳句というのは、何となく情景が浮かぶものだし、そこに思いを馳せたりするものなのだが……土方歳三の詩は、それっぽい言葉を使っているだけで、何も浮かんでこない。
そもそも夏風のように過ぎるってなんだ?
「……あのすいません。なんか、お取込み中みたいですし、俺はこの辺で……」
そう思って隣に立つ男の方を見てみると――。
「くぅぅぅぅぅぅ! 素晴らしい!」
「あれ?」
どうやら、男の方は土方さんの作った俳句に感動している様子だった。……いや、あれの何処に感動する箇所あるんだ?
すると、男は急に早口で語り出した。
「……うむ。やはり、素晴らしいな! トシの詩は! 俺は、ずっと思っていたんだ。トシならきっと、有名な大歌聖になれると!」
「いや、無理だろ!」
……って、待てよ。今、この人……土方さんの事を……“トシ”って、呼ばなかったか? 俺の歴史知識が正しければ鬼の副長をそんな風に呼ぶ事ができる人なんて新選組の中じゃただ1人しか……。
――と、その時だった。
「ヒッ! あぶなっ!」
急に一太刀の刀が、俺と男の間へと飛んできた。いや、この刀は見覚えがある。ゲームや小説で何度も見てきた。和泉守兼定――。
「って、事は……」
「そこに誰かいやがるな?」
土方さんが物凄い鬼の形相で、こっちを見ていた。ひょえええええええええええ! こっ、こえぇ! なんだよ。あの顔! 鬼ってか、もうそれ超えてるだろ!
大慌てで、俺がどうやって謝ろうかと考えていると隣の男が、ひょいっと立ち上がって拍手をしながら告げた。
「……いやぁ、すまないな! つい、トシの詩をまた聞きたくなって、つい盗み聞きをしてしまった! 素晴らしい詩だったよ」
すると、土方さんは驚いた様子で告げた。
「近藤さん!? あんだよ。アンタかよ。……ったく、勘弁してくれよ」
「この人が……近藤勇。新選組の局長」
「ん……? 新選組?」
と、近藤さんがこっちを見てきて言った。……って、あぁやべぇ! この時は、まだ新選組じゃないんだった! しかも、ここでこっちを見てきたりなんかしたら……。
「おい。近藤さん、アンタ……もう1人、連れてきているだろう? そいつぁ、一体誰だ?」
まっ、まずい……。ここまで来たらもう正体を明かすしか……。
「その……俺です。――じゃなくて、俺だ」
土方は、目を大きく見開いていた。彼からすれば予想外にも程があったのだろう。そのまま、衝撃的な様子のまま口を開いた。
「せっ、芹沢さん!?」
だが、そこから急激に土方さんの表情は、鬼のような形相へと変化していった。
「何の用だ? アンタ、普段はこんな所へは来ないはずだろう?」
「そっ、それは……」
くそっ! ようやく土方と会えたというのに……肝心な事を何も考えていなかった。
――俺、そもそも土方さんと何を話せば良いんだ……?
あたふたしていると、土方さんは手に持っている縦長の紙をギュッと抱きしめるようにして持ち直してから告げた。
「まさか、この俺が密かに編んでいる豊玉発句集を高値で売り飛ばそうなんぞ思ってないだろうな?」
「んなもん、売れるか!」
――あ、やべ……。つい、本音が……。
「あぁん? あんだって? この俺の歌集が……売れねぇって?」
「あ、いや……その……」
やべぇよ。この感じ、今日が俺の命日なんじゃ……。
すると、隣で近藤勇が口を挟んできた。
「うむ。俺は、そうは思わないが。トシの詩ならば、きっと京でもかなり人気になれる事間違いなしであろう!」
「近藤さん、アンタは黙っていてくれ。……んで、芹沢さん。アンタは、俺の詩をどう思っているんだ?」
「どうって……」
――下手くそ。
「あぁん?」
「まだ、何も言ってないだろう!」
「アンタの顔にそう書いてあったんだよ!」
土方さんは、そのまま脇差を抜いて、ゆっくりと近づいて来る。
やべぇ……斬られる。死ぬ。ごめん。母ちゃん。……俺、これで終わりみたいだ。せめて最後に美人なお姉さんと仲良くなりたかった……。
と、その時……。
「あっ、ははははは!」
と、甲高い笑い声が聞えてきた。その笑い声に俺も土方さんも固まる。
「誰だ!」
土方さんが叫ぶ中、近藤さんは冷静に何かに気付いた様子で「この声は……」と言っていた。やがて、風でざわめきだした木の裏から1人の男が姿を現す。
「……いやぁ、なかなか面白いものが見れましたねぇ」
「沖田総司!?」
沖田は、目から涙を零すくらい腹を抑えて笑っている。土方さんは、そんな沖田さんをギロリと睨みつけて告げた。
「……総司、テメェか? テメェが、芹沢さんをここへ呼んだってわけか?」
「だって、芹沢さんが土方さんの事を探しているみたいでしたし、僕は単に芹沢さんのために居場所を教えてあげただけですよ。けど、まさか近藤さんまで来てくれるとは思いませんでした。いやぁ、面白かったなぁ」
「テメェ、俺がここにいる時は誰も呼ぶなと何度も命令したじゃねぇか!」
「いやだなぁ。土方さんったら。だって今、目の前に立っているのは鬼の副長じゃなくて、大歌聖の豊玉さんじゃありませんか!」
「総司、てめぇ!」
土方さんは、今度は沖田さんに向かって脇差を振り上げたまま走って追いかけ始める。
「うわぁ! 鬼だ! 鬼は外~!」
沖田さんもそんな土方さんをからかいながら逃げ出す――。
「……ははは! 今日も元気だなぁ! 2人とも!」
近藤さんは、そんな2人を見ながら「がははは!」と笑って見守る。
俺の想像していた通りの新選組の3人の姿がそこにはあった。
なんだ。意外と思った通りの部分もあるんじゃないか……。