芹沢鴨
──新撰組。それは、一言で表すなら警察に近い。幕末の京都の治安を守るために結成された組織で、侍や農民など様々な身分の者で構成され、隊士達は皆、凄腕の剣豪揃い。
しかし、この新撰組も最初から立派な組織だったわけではない。
当初は、京都の壬生という場所に集まった浪人の集まりという事で、単に「壬生浪士隊」という有象無象の寄せ集め集団のような立ち位置。
これが、後に正式な組織となっていくのには、色々あるわけで……。
そんな壬生浪士組のリーダーは、当初3人体制。新撰組の局長と言われるとよく「近藤勇」が出てくるけど、実は最初の頃は違うのだ。
当初は、近藤勇の他に2人──新見錦。そして、芹沢鴨の3人だった。
新見錦も芹沢鴨もしっかりした侍の出だけど、かなり問題行動の目立つ人達だった事からこの2人を筆頭とする新撰組の芹沢派と呼ばれる人達は後に、切腹する事になったり……。
ちなみに芹沢鴨の場合は、鬼の副長で知られる……あの土方歳三に斬られてしまう。
そして、俺は今……。
「俺が、芹沢……鴨?」
その事実に驚いていた。何を隠そうこの俺(名前は、いまいち思い出せない)は、元々幕末の時代の人間でさえないのである!
俺は、現代の日本で普通に新卒のサラリーマンをしていた平凡な男。それが、朝起きたらいきなりこの姿だ。
え……? おいおい。ちょっと待って? これ、夢だよな? 夢……なんだよな? それにしては、匂いとか温度とかが本物すぎる。
「……えーっと、それで貴方達はもしかして……?」
と、恐る恐る尋ねてみれば、ガタイの良いちょんまげの男達は、告げてきた。
「何を寝ぼけていやがるんです! 俺ですよ! 平山五郎!」
「……新見錦です」
「あー……おしまいだ」
新撰組のゲームをやっていた俺には分かる。芹沢派の人間の名前だ。しかも、この最初に見かけたちょんまげ(姿勢が良くて、サルみたいな顔をしている)は、もう1人の局長、新見錦。
そして、このガタイの良い髭もじゃのちょんまげは、平山五郎。芹沢派の重臣と言える人だ。
あー、ははは……ダメだ。どうやら俺、完全に芹沢鴨になったみたいだ。
言われてみればこの屋敷もゲームで見た事がある。芹沢鴨が居候していたとされる八木邸。
ますます、自分が芹沢鴨になった事が信憑性を増していく……。
どうする? てゆーか、今の年号は? 確か芹沢が殺されたのは……。
と、頭を巡らせていると、サル顔のちょんまげこと、新見錦が告げてきた。
「それよりも芹沢先生! 一大事! 一大事でありますぞ!」
「どっ、どうしました?」
そんな俺の反応に新見も平山もキョトンとした様子で見ていたが、新見は改まって俺に告げてきた。
「……屯所近くで3人くらいの子供達が、芹沢先生の事を大悪党だの祟り局長だのと申しておられまして……」
そりゃそうだろう……。俺が見て来たゲームのストーリーが史実に沿っているのなら芹沢のやった事は、どれも悪魔の所業だ。大砲でいきなり商家を粉砕したり、遊郭の女の子の髪を切らせたり……お相撲さんと乱闘したり……無銭飲食はするわで、壬生浪士隊(後に新選組)という名前を使って好き勝手やっていたのだから京都で嫌われるのも無理はない。
それどころか、その子供達は賢いとさえ思う。芹沢が局長を務めていた頃は、多くの大人達が新選組という組織そのものを悪者とみなしていたのに、その子達はちゃんと新選組の中でも芹沢がダメなのだと見抜いている。将来有望な子達だ……。そう言う子達が後の時代を作っていくのだな。まぁ、俺からすればご先祖様なんだけど……。
「いかがいたしましょう?」
新見の顔が、どす黒く染まったのが分かった。
なるほど……。コイツら、こうやって子供達にまで手を出していたのか。許せねぇ奴らだ。マジで、ゲームや時代劇で見た人物そのまま過ぎるぜ。芹沢さんよぉ。
しかしなぁ、今は俺が芹沢鴨。俺にだって何が良くて悪いかの判断はつく。
「……止しましょう。子供にまで手を出すのは、可哀そうではないか」
この一言で決まったと……そう思ったのだが、次の瞬間に目の前で座っている新見と平山の方を見てみると……。
「……へ?」
2人は、口をポカーンと開けている。新見なんて、本物のサルみたいな顔だ。え? えぇ? なっ、なんだ? 俺、なんか変な事言ったか? 別に普通の事だろう?
「芹沢先生?」
「なっ、なんですか?」
新見が、俺の額に手を置き、熱を測り始めてこう言う。
「……熱でもおありですか? 今日の芹沢先生は、どうもいつもと様子がおかしい。夏風邪でしょうか? でしたら、すぐに屋敷の者に粥など作らせます!」
すると今度は、隣に座っている平山五郎が告げた。
「……そうでっせ! 芹沢せんせ! 俺も屋敷のバカ共に布団を敷くよう言ってやりますわ!」
「いっ、いやちょっと待ってくれ! 俺は、別に大丈夫ですよ……」
すると、熱を測り終えた新見が、深刻そうな顔をして告げた。
「……熱は、無さそうでしたが……しかし、油断は禁物。近頃は、黒船に乗って新しい流行病も来ているとの事ですし……一刻も早く芹沢先生をお休みさせねば……平山、八木家の者に粥と、布団! それから氷枕を持ってくるよう言って参りなさい!」
「承知したぜ!」
「いや、ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
大声で平山五郎を引き止めると、2人と目が合う。彼らが同時にこちらを向いて来た時、俺はその迫力に一瞬だけ負けそうになった。しかし――。
そうだった。俺は、芹沢鴨。いつもみたいな感じじゃダメだ。せめて、喋り方くらいは……。
俺は、特大の咳ばらいをした後に告げた。
「……少し起きたてで、寝ぼけていただけだ。問題ない。粥も布団も必要ない。2人ともそこに座るのだ」
途端に、2人は俺の言う通りに目の前で座ってくれた。
よし……。何とか、この場は治められそうだ。後は、その子供達に後で、こっそり謝りに行こう。「こっそり」というのが大事だ。
人前でやったら、この人達みたいに怪しまれる。それほど、芹沢の悪名は広まっているのだろう……。
しかし、そうだとすれば……今はいつだ? 確か、芹沢が亡くなるのは、文久3年9月16日。既に八木家にいるという事は、浪士隊も結成して間もない頃のはず。
この男、何処までやらかした? 遊郭のお姉さんの髪を切ったか? それは、許せねぇ。切腹ものだ。士道不覚悟どころか、男として不覚悟ものだ。
「うーん……」
と、今後の事をジーっと考えているとその時だった。障子が勢いよく開き、外から1人の男が姿を現した。
「……芹沢さんは、ここか?」
その男は、長い黒髪を後で結ってちょんまげのように見せている美青年。鋭い目つきと、腹に突き刺さってきそうな冷徹な声が特徴的な男だった。
……って、いやいや! 待て!? この人は……この人は、写真で見た事あるぞ! この人は……。
新見がため息交じりに告げた。
「……土方殿、いきなり入って来るとは、無礼ですよ。……全く、田舎者はこれだから……」
「あぁ?」
男は、新見をぎろりと睨みつける。その眼光に流石の新見も少しだけ怖かったのか、身体が一瞬だけ震えたのが分かった。男は、改めてこちらを見て来た。
「……芹沢さんに用があって来た。座っても良いか?」
「テメェ! 無礼だぞ! 芹沢先生の前でその態度!」
平山が怒る中、俺の心臓は、バックバックと鳴り止まない。やがて呼吸も苦しくなり、俺は目の前のその男を見て震えながら指さした。
「……あ、アンタ……」
「あ?」
「アンタが……土方歳三ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
俺は、今最も会いたくない人に出会ってしまった……。