16・ピリピリ
「うわぁー! 美味しそう」
ソポさんのお家周辺はよく来るけど、直行直帰。劇場とソポさん家の往復をしている状態だった。だから目に入るお店がどれもこれも新鮮に映る。
いま思えば、周りを見る余裕がなかったのかもしれない。
前世も推し活と仕事で働き詰めで動きまわっていた私に友人たちから「ちゃんと休んでる?」と言われたことがあったな。
「好きなの選んでいいよぉ」
「い、いえっ! そこまで甘えられないです」
「ずっと頑張っているアリシアちゃんへお兄さんからプレゼントだよぉ」
おぅ…なんと言うことでしょう…
綺麗なお顔と素敵な言葉が掛け合って、もはや神!
「アリシアちゃんって、たまに変な行動するよねぇ」
ジムノさんに向かって無意識に手と手を合わせて感謝を伝えていた。
「はっ」
「ほらほら、遠慮せずに」
もはや慣れた手つきで私の肩を引き寄せるジムノさん。
私ももうジムノさんの顔面に慣れているので、顔が近いぐらいで驚いたりはしない。
「どれにするぅ? ボクのオススメはー…」
「なにをしている」
突然ぐいっと強い力で腕を引かれた。
「いっ…ま、マーカス!?」
マーカスはいままで見たことがないぐらい、怖い顔をしていた。
「ちょっとー。アリシアちゃんが痛がってるでしょー」
いつもふわふわと柔らかいジムノさんの笑顔がなんか鋭くとがっているように見える。
それになんだか空気がピリピリとしていて肌がひりつくような気がする。
「お前こそ、気安くアリシアに触れるな」
「気安くって…あぁ、もしかして君って仮初の婚約者くんかなぁ?」
ジムノさんが笑いながらこてりと首を傾げる。
「仮初じゃない、正式な婚約者だ!」
「えぇ? 婚約解消予定なんでしょう? と言うかぁ、いい加減、その強ぉく握っているアリシアちゃんの腕を離してあげたらどうなのー?」
マーカスが勢いよく私の方を見ると瞳を大きく開いて、そっと掴んでいた手を離した。
私の腕にはくっきりとマーカスが握った跡がついていた。
「わぁ…」
見事な出来栄えに関心して声が出た。
そんなに痛いとは思っていなかったけど、腕についた跡だけ見るとすごく痛々しく見える。
「アリシア、その…すま…」
「アリシアちゃん、こっちにおいでぇ」
マーカスがボソボソとなにやらひとりごとを言っているなと思っていたら、視界の端でジムノさんが手招きをしていた。
なんだろうと近づくと、ジムノさんがうやうやしく私の腕を手にとった。
「ソポの家に戻って、冷やそうねぇ」
「え? ぜんぜん痛くな…」
痛くないから大丈夫ですよ、と言い切る前にジムノさんに口をぱこりと優しく塞がれる。
「んむ?」
ジムノさんの謎の行動に私の頭の上にはクエッションマークが飛ぶ。
私の視線に気づいたジムノさんはふわりと笑うと、マーカスのほうへ顔の向きを変えた。
「ってことで、ボクたちは帰るよー」
「ま、待てよ」
マーカスにしては珍しく自信がなさげな小さい声だったから、すこし気になった。
でもマーカスの表情はジムノさんの影に隠れて見ることができなかった。
「んー? 待たないよぉ? 君のお願いを聞く義理もないしねー。それに一時的な感情にまかせて、仮でも正式でも、婚約者を大切に扱えない子は嫌われても仕方がないかなぁ」
珍しいといえば、ジムノさんの声もいつもより平坦で冷たく感じた。
「っ…」
「さぁ、お昼ご飯も買ったことだし帰ろう?」
「え、でも?」
もしかしたら私に用事でもあったんじゃ?とも思ったけど、それ以上、マーカスから声をかけられることはなかった。
マーカスはただ単純に、今日たまたま通りがかって私を見つけて声をかけただけなんだろうな。
だからマーカスの行動に深い意味なんてない。