この世界からの卒業式
卒業式を終え、卒業生たちが戻ってきた教室。高校3年生最後の日。笑い声や歓声をあげる者、感極まって涙にむせぶ者、抱擁しあう者……。そこは賑やかで夢と優しさが溢れる教室だった。
そして俺はと言うと……幼馴染の親友と気まずくなったままこの日を迎えたていた。
俺は小野山淳。寡黙で孤高な高校3年生だ。陰キャでコミュ障な高校3年生と言い換えることもできるが、あえてその必要はないだろう。そんな俺も昔は活発で元気な子供だった。クソ生意気な悪ガキと言い換えることも……まぁ昔の話だ。
幼馴染の名前は植野可南子。物心ついた頃から一緒に育った同い年で、家も近いし幼稚園から小中高とずっと一緒という腐れ縁。高校3年では久しぶりにクラスも同じになっていた。
幼い頃は並んで歩くと、よく姉弟と間違えられた。その場合は可南子のほうが少しだけ背が高いので「お姉ちゃん」だ。俺は根拠もなくいつかは可南子より背が高くなるのだろうと思っていたが、結局は可南子の身長を抜くことなく160cmで成長が止まった。可南子は172cmで止まったと言っているが、175cmはあるんじゃないかと俺は睨んでいる。
◇
そろそろ冬も終わろうとする頃、可南子から「たまには一緒に帰ろう」と誘われた下校中のことだった。
都会の大学へ進学が決まっていた可南子は「私がいなくなったら寂しくなるでしょ」と冗談交じりに笑って言った。
俺は「んぁ?まあな」と、家に帰ったあとのゲームのことを考えながら気の抜けた返事をした。
「私は……寂しいよ」と可南子はシリアスモードに切り替わったのだが、そのときの俺は可南子の様子に気付きもせず、アホ面晒してゲームのことを考えていた。
――少しの間、無言で歩く。
突然可南子が、「たまには真面目に聞きなさい!」と俺の胸ぐらをつかんでブチ切れた。
「な、なに……?」俺は目の前に迫る可南子のブチ切れた顔に戸惑う。
「どーせゲームのことばっか考えてんでしょ!」と俺の胸ぐらをグイっと引き寄せる。上空に迫る可南子の顔から目を逸らしつつ「別にそんなこと……」と言いよどむ俺。
「私はね、淳ちゃんと離れ離れになるから寂しいって言ってんの!」
あぁ……怖い。可南子は背が高くてかなりの美人。綺麗で長い黒髪をいつもポニーテールにしている。でも短気でガサツな暴力女。すぐ手が出る。学校じゃネコかぶってるけど俺の前では女性らしさなんて微塵もない。そもそも俺より背が高い。貧乳だし。
「だ……だから俺だって寂し……」
――と言いかけたところで口を塞がれた。口で。
唇と唇が勢いよくぶつかったので痛かった。ファーストキスの思い出……痛い。そして可南子は俺の胸ぐらをグイっと押し戻して言い放った。
「私はね、淳ちゃんことが好き!だからホントは離れたくないの!」と。そして俺に状況を理解する隙も与えず、「あほーっ!」と叫ぶと同時に「ボコッ!」っとグーで俺の顔面を殴り倒して走って逃げた。ファーストキスの思い出……さらに痛い。
それからなんか気まずくて、業務連絡以上の会話はなくなっていた。可南子のことを女性としてみようと考えてみたりもしたけれど、無理だった。俺にとって大事な人であることは間違いないのだけど、それは親友とか家族とか……どう考えてもそういう感じだった。そもそも俺より背が高い。貧乳だし。
◇
そんな状況で迎えた卒業式。式を終えて教室に戻ってきた俺は、春の風に揺れるカーテンに隠れるように、教室の一番後ろの窓際の壁に寄りかかっていた。視界の端にクラスメイトと談笑する可南子を捉えながら、可南子に話しかけたいと思っていた。なんて話せばいいのか……なんて考えれば考えるほどハードルは上がる。それでもこのままサヨナラってのはやってはダメなことだと思っていた。
そんな感じで可南子に話しかけるタイミングをドキドキしながら伺っていた。
――それは突然の出来事だった。
映画やアニメで、ブラックホールに効果音を付けるとすればこれを選ぶ、とでも言うべき現実離れした重低音がずしんと響く。空間が歪んでしまうかのような腹に響く重低音だ。
それと同時に、教室の中央付近で俺のことをチラ見していた可南子の足元の床が黒く発光した。
黒い光――そんなものを見たことはないが、目の前のそれは、「黒い光」以外に表現する言葉はなかった。
そしてその足元から、エメラルド色に輝く無重力の螺旋の渦が立ち昇り、ゆっくりと可南子を包んだ。この場の誰もがこの状況を理解できるはずもなく、可南子も不安そうな顔をして「な、なにこれ……」というのが精いっぱいだった。
次の瞬間、大きい鐘をハンマーで殴りつけたかのような不快な金属音と共に可南子の足元に魔法陣が現れた。その魔法陣はゆっくりと回転し、不気味な唸りを発している。
魔法陣が現れた瞬間、可南子の体がエメラルド色の淡い光をまとった。それはとても美しくこの世のものとは思えない神秘的な光だった。だけどそれ故に永遠の別れを彷彿させる光だった……少なくとも俺はそう感じた。
「可南子!」俺はほとんど条件反射で、淡く光る可南子に駆け寄った。
「じゅ、淳ちゃん!何なのこれ……!」可南子の顔が恐怖に歪む。
俺は右手で可南子の右手を握った。
温かい可南子の右手の感触が確かにあった。
そのままの勢いで魔法陣から引っ張り出そうと力を入れようとしたその瞬間、エメラルド色の螺旋が、SF映画で実験体の人造生物を標本として閉じ込める巨大なシリンダーのように形状を変化させ、可南子を閉じ込めた。
可南子の右手の温もりが激痛と共に消えた。
「ぐわぁ⁉」俺は激痛に思わず悲鳴を上げた。右手を走る激痛に顔を歪めつつシリンダーの中に目を向けると、可南子と俺の右手が取り残されている。
可南子は血がしたたり落ちる俺の右手を握りしめたまま、恐怖に目を見開きガクガクと体を震わせている。俺は残っているほうの手を可南子に向けて伸ばすが、シリンダーに触れた瞬間、高電圧の電流が走ったような衝撃に襲われた。その稲妻が地面を貫くような衝撃は、俺を体ごと後方に吹き飛ばした。俺は受け身を取ることもできず、そのまま教室の床へ仰向けに倒れ込んだ。
俺はなんとか上半身を起こすと、シリンダーのような筒状の光に閉じ込められた可南子を見た。
涙を流す可南子の瞳は俺のことを心配していた……少なくとも俺にはそう思えた。その光のシリンダーは、実際に触れてみると強固な存在感があり、俺は未知の力によって断固として拒絶され、可南子のいる内側とはあらゆる意味で遮断されてると感じていた。
つまりは絶望。
そのとき可南子の口が動いた。シリンダーのような光に遮られて声はもう聞こえなかったが、唇の動きで可南子の発した言葉はわかった。
――助けて。
俺の右手の手首から先がシリンダーの中にあることよりも、俺の右手の手首から先がなくなったことよりも、可南子の唇が「助けて」と動いたことに俺の気持ちは揺さぶられた。
「可南子!」無意識に叫んだ声は震えていた。泣いている?俺が?どうでもいい。俺は立ち上がり可南子の元へとまた駆け寄った。そして絶叫しながら、もしかしたら泣きじゃくっていたのかもしれないが、残っているほうの手でシリンダーを殴り続けた。殴るたびに体を稲妻が走るような衝撃を受けたが、俺は死に物狂いで足を踏ん張り、血が出るほど歯を食いしばって殴り続けた。
どれだけ叫ぼうとも、どれだけ殴ろうとも、可南子を包むエメラルド色の光は強くなっていき、それに反比例するように可南子の輪郭は薄くなっていく。
そして突然、ブラウン管のスイッチを切ったときのような、電子の動脈を断ち切る重たく鈍い音がした。まるで一切の音が消え去ったような錯覚に捕らわれた。でも実際に消え去ったのはシリンダーのような光と、その中にいた可南子だった。
――可南子が消えた。
シリンダーを殴り続けていた俺はバランスを崩して、可南子の足元にあった魔法陣の中央に倒れ込んだ。「可南子」と叫ぼうとしたが声にならなかった。
どうやら体が動かない。可南子が消えると同時に、俺を支えていた「俺の中の俺を突き動かすもの」も消えてしまったらしい。
それになんでこんなに寒いんだろう……。
これは意識を失いそうなのか……。
いや、死にそうなのか……。
そんなことを朦朧とする意識の中で思いながら、魔法陣の中にゆっくりと沈んでいった……まるで底なし沼に沈んでいくようにゆっくりと。
そして俺は「可南子……」とつぶやいて意識を失った。