リンネ・コウ⑤
魔力の色が黒以外だったらどんなに幸せだったことだろう。
赤でも青でも、白でもなんでもいい。ただ、黒でさえなければよかった。
黒い魔力のせいで微細なコントロールは出来ないし、出来るのはせいぜいオンオフだけ。
「魔術を魔法と呼んではいけないよ。それはもう失われたものだから」
あの人はそういった後、自身を大きな蝶へと変えて飛んで行った。それは私に作用する魔術だったのか。
認識を歪める魔術?
色彩を変化させる魔術?
変身したあの人の羽は、私の魔力で生み出した蝶と同じ、夜空のような真っ黒な羽をしていた。
まるで「1人じゃない」と言われているかのような、あの人の細やかな心配りが嬉しかった。
根本的には違うのだろう、黒い魔力から作ったものと、黒い魔力に見せたもの。
それでも嬉しかった。それだからこそ、心の底から嬉しかったのだ。
私もいつかああなりたい、そう思うのは─────
「分不相応、だったのかな」
■■■■■■
リリィが強い口調でルタに詰め寄る。彼女はもうブチ切れ寸前だ。
拳を握り、胸ぐらを掴んで、今にも殴り殺さん勢いだ。
「テメェが教師ってのは分かったよ、そしてお前のせいでリンネが傷付いたのもよーく分かった」
「おい待て、勝手な事をするな、お前だけの問題じゃないんだ」「ないよ!」「ないもんね!」
「あたしだけの問題じゃねえことくらい分かってんだよ!……これは、リンネの問題だ……!」
「そうじゃなくてだな……!」
そこでルタの姿がフッと消える。掴んでいたのが幻であったかのように。
「もうええやろ、ノコちゃんやってリリィちゃんの言いたいことが分かるはずや」
小指で耳をほじくりながら、ナガはあくびをする。興味が無いような、いや、あえてそう見せてるかのようなわざとらしさだ。
「で?ルタ先生、僕らは合格ってことでええやんな?」
「そうだね、約束は約束だから」
「ふざけんな!何が合格だ!人1人傷つける結果になってんのにそんな話で済んでいいはずねえだろうが!」
「じゃあどうするんだい?リンネちゃんの問題は根深いよ。一朝一夕でどうにかなるもんじゃない。数時間前に出会った君がどうにか出来るのかい?」
その言葉に、リリィは口を閉じた。
言い返せなかったから、訳ではなく。
心の底から、ブチ切れたからだ。
ガシャアン!と言う音がする。リリィが放った拳がルタの顔面に突き刺さり、吹き飛んだルタが机を巻き込んで倒れたからだ。
「こんな学校なら、あたしは別に退学でも構わねーよ」
初めのチャイムからそうだった。こんな人を人とも思わないようなふざけた茶番を、互いを疑わせるようなゲームをさせるのがリリィには気に食わなかった。
「……俺のせいだ、俺がリンネを指名したから……」
「それは僕も気になってたよ、あの場面で、どうして君はリンネちゃんを指名したんだい?」
ケロッとした表情でルタはその場に座り込んだ。その顔にも衣服にも、傷どころか汚れひとつ見当たらなかった。
「……直感ですよ、ただの。俺は常に自分に出来る全力を出してるつもりです。それでも乗り越えられない壁が現れた時、それを乗り越えるのはきっと俺じゃない、そして俺の直感はそれがリンネだと言った。ただ、それだけなんです」
「……」
ルタは少し考え込んだ後に再度口を開く。たった今ぶん殴られたリリィに向けてだ。
「ねぇ、リリィちゃん」
「なんだよ、次は全力でぶん殴るぞ」
「まだ全力ちゃうんか……」
「君が本当に怒ってるのは、僕になのかい?」
「あ?」
「君は本当に僕に怒っているのかな。ヨシトキ君に?アルスロッドちゃんに?ノコちゃん達に?違うんじゃない?」
「テメェのやり方にキレてんだよ!テメェにどんな思惑があるが知らねーよ!けどな!結果としてリンネは傷ついた!それなのにアイツを放っておいて抜け抜けと合格だのなんだの宣ってるテメェにあたしはキレてんだ!」
「そっか、なら、なら君は。きっと、リンネちゃんの友達になってあげられる」
「もうとっくに友達なんだよ!」
そう言うとリリィは駆け出した。教室の扉を蹴破って。
全力で駆けつけようとする彼女の目には、怒りよりも別の何かが宿ってるようにも見えた。
「……先生、僕らやっぱあんたが何をしたいか分からんわ」
「そうだね、僕はずっとリリィちゃんを探してた」
「は?」
「僕はずっと前からリンネちゃんを知ってるんだ、禁忌の子の血を受け継いだ彼女のことをね」
「何を言ってるんだ、貴様は」
アルスロッドが面倒くさそうに剣を構える。
「あのバカほどじゃ無いが、私もお前に腹が立ってきたぞ。終わったなら早く本題にでも入れ、それともお前が私と戦ってくれるのか?」
「あはは、戦う?君の剣なんて蝶のようにヒラリと交わしてみせるさ」
ルタはそう言うと夜空のように黒い羽をバサッと出した。
見蕩れるほどに漆黒で、極小の銀色が明滅していて、吸い込まれそうだ。
「ま、僕にとってもこんな事になったのは予想外だったけどね。でもいずれこうなってくれればなぁとは思っていたんだ」
「だから何を言ってるんですか、先生!」
「ヨシトキ君、リリィちゃんの魔力の色ってなんだっけ?」
予想外の質問に、ヨシトキは面を食らう。
その質問の真意がわからなかったからだ。
「……確か、黄色に近かったような……それが何か?」
「そう、それだけ。ただそれだけの事で、何かが変わるんだよ」
リリィの魔力は黄色に近い。
それだけで起こせる奇跡はあるのだと言い放ち、ルタは笑顔で飛んで行った。