困りましたね
翌朝出勤すると、王太子妃の私室でお嬢様と向かい合った王太子が青い顔で「豚の餌・・・豚の餌・・・」と呟いていた。
グレナード王国の男どもには豚に餌をやるブームでも到来しているのだろうか。
王太子の態度は謎だが、私の出勤まで人払いがされていた王太子妃の私室の中でどんな語らいがあったのかはお嬢様と王太子の当人たちにしか分からない。
「ミュゲ、王太子殿下はケルヒン王国からのお客様をおもてなしするご予定がおありだから、昨夜からスケジュールの変更を話し合っていたのよ」
お嬢様がにっこりと圧力満点の笑みを浮かべると王太子がビクぅ、と肩を震わせた。
「これからしばらくこのスケジュールで動くわ。よろしくね」
「かしこまりました」
ふっくら柔らかな手で差し出された紙を恭しく受け取って内容を確認する。
うわぁ、王太子の公務ギッチギチだな。一応ケルヒン王国からの客をもてなすのも公務の一環ではあるけど、傍から見たら体裁が悪いくらい頻度は高いし内容も逢瀬にしか見えない。「王太子の私的庭園で王女と二人きりのお茶会」って公務か?
それで王女との逢瀬以外の「ちゃんとした公務」が睡眠時間も削ってこれでもかと詰め込まれているから、王太子の自由時間はゼロだ。
結婚してから今までは、どんなに忙しくても食事は三食ともお嬢様と取っていたのに、朝は大臣らと会議をしながら、昼か夜は必ず王女と一緒、王女と一緒じゃない方の昼か夜は側近らと会議か仕事相手と、になっている。
今までは会議や仕事相手との食事でもお嬢様を同席させていたのに、これからは王太子が単身で出席するようだ。
妃同伴で予定を組まれていた式典の来賓や視察や慰問以外で王太子とお嬢様が顔を合わせることが無い。異性のパートナー同伴必須の招待されている夜会にも、王太子はケルヒン王国の王女を同伴して参加することになっている。
これ、どう考えても噂と憶測が飛び交うような・・・。
変更されたスケジュールはお嬢様の筆跡だから、お嬢様も了承している内容なんだろうけど。
このスケジュールで動いたら、新婚早々に第二王子時代から長年婚約者として支えて来たお嬢様を蔑ろにして隣国の出戻り王女に乗り換えた軽薄王太子にしか見えない。
王太子の悪評はどうでもいいけど、お嬢様が馬鹿にされるのは我慢ならない。
「おじょ・・・王太子妃様、よろしいのですか?」
「ミュゲ、心配かけるわね。でも、このスケジュールだと私にはたくさん自由に動ける時間があるでしょう? 私、その間に『一人で』やりたかったことを色々とやろうと思うのよ」
王太子が泣きそうな顔でお嬢様を見ている。「一人で」を強調されたのがそんなにショックか。そんなにベタ惚れしてるくせに、どうして女関係でお嬢様を怒らせたんだ。
夫大好きなお嬢様は、それ以外の問題なら怒らず何でも受け入れて力になるのに。
「さ、王太子殿下。今日からこのスケジュールでお仕事なのですから、もう殿下にはここにいる時間がありません。ルキア、殿下を部屋の外へご案内して」
お嬢様が室内の護衛の女騎士に指示を出す。部屋の外へご案内って、つまりは追い出せって指示だ。
王太子妃付きの護衛や侍女には王族側が用意した半ばお嬢様の監視役もいるのだが、誰も王太子の味方はしない。
お嬢様の魅力と人徳の勝利。そして不実な男は自立した働く女からは大概受けが悪い。捨てても自力で生きて行けるから。
「シェリー・・・」
「ごきげんよう、殿下」
お嬢様、ずっと殿下呼びだな。普段は公務の時以外は名前呼びなのに。
昨日窓から見た抱擁シーンだけでここまで怒らせたわけじゃないだろう。何やらかしたんだ、あの王太子。
捨てられた仔犬のような顔でお嬢様を振り返り振り返り、女騎士のルキアに部屋の外に王太子が連れ出されると、お嬢様は私以外を人払いで下がらせた。
と言っても扉の外に控えているのだが。
私は闇の聖霊の眷属、夢の精霊の力を借りて、部屋の外からは室内の様子を「夫に裏切られ傷ついている可憐なお嬢様と、そのお嬢様をお慰めする長年仕えた侍女」とだけ認識するように仕向けた。
「お嬢様、外のことは気にせず何をお話になっても平気です」
「加護を使ったのね?」
「いけませんでしたか?」
「いいえ。ありがとう、ミュゲ」
困ったように眉を寄せるお嬢様に、先ほど王太子に見せていたような圧は無い。
学園を卒業してすぐに結婚したお嬢様は、まだ19歳になったばかりだ。王太子も同い年とは言え、まだ若いお嬢様に甘え過ぎだ。
「お嬢様、昨日見たアレだけがお怒りの原因ではないのでしょう」
断定で訊くと、困った顔のまま頷かれた。
「ええ。王女来訪の打診があった時から少し意見のすれ違いはあったのだけれどね」
「王族だけの共感とか言うやつですか」
「ええ。それを言われてしまうと王族生まれではない私には何も反論できないもの。私の反論を封じる方法として卑怯だと思ったわ。時間と言葉を尽くして私の信頼を得て説得する、という方法を選択していただけなかったのは、殿下にとっての私の価値がその程度ということよ」
ふっと悲しげに自前でも長いまつ毛を伏せるお嬢様に、甘い香りのハーブティーを淹れた。
「でも、それも怒りの決定打ではなかったでしょう」
ティーカップを差し出しながら、またも断定で訊くと、やはり肯定が返って来る。
「そうね。決定的なのは、私が嘘を見抜いてしまったからね」
「アイツ、お嬢様に不実な嘘を吐きやがったんですか」
「ミュゲ、王太子殿下よ」
「外の誰にも聞こえません。お嬢様を悲しませる野郎なんかアイツ呼びでも勿体ないです」
憮然と答えるとお嬢様が少し笑ってくれた。
それからゆっくりハーブティーを一口飲んで、微かに息を吐く。
そして淡々と話し始めた。
「私ね、昨夜殿下にお尋ねしたの。『私に対し不実なことはなされていないのですね』と『ケルヒン王国の王女への気持ちに疚しいものは無いのですね』って。どちらの問いに対しても殿下は『もちろんだよ、シェリー』ってお答えになったの。でもね、どちらも偽りであることが私には判ってしまったのよ」
うわぁ、王太子、アウトじゃないか。
これ、絶対ダメなやつだ。
お嬢様が判別できるのは「本物の真実」だ。
例えば、その気が無いのに無理矢理襲われたとか、実際には不実じゃないけど本人は後ろめたくて不実だと思い込んでいる、みたいなのは不実判定しない。疚しいかどうかの判定も本物が出ている筈だ。
あんなにお嬢様にベッタリで好き好き光線垂れ流してるくせに、内心と下半身は器用だな! 王太子! 褒めてないけどな!
「お嬢様、アレの遺伝子、残せなくしましょうか」
「ダメよ、ミュゲ。王家の血筋が絶えるわ」
「このままでお怒りが鎮められるんですか?」
「私の加護を知っている最高権力者に報告だけはしておくけど。殿下も第一王子のように『攻略』されてしまったのかしらね」
寂しそうに言葉を洩らしたお嬢様が痛ましい。
お嬢様は否応なしに「本物の真実」を判別してしまうけど、私にはどうにも妙な気がして王太子の不実をスッパリ真実だと思えない。
お嬢様を疑うとかお嬢様が浮気されるなんて信じたくないとか、そういうのではなく。
何だか変な気がするのだ。
「ベルドは『攻略対象』なのに『攻略』されなかったのよね。ミュゲに惹かれてからは二心も無い。私の大切なミュゲの夫が誠実な男性で嬉しいわ」
「お嬢様・・・」
外では無表情な私の眉がハの字に下がる。
私の情けない顔を見てフッと笑ったお嬢様が、カップに口を付けてから話題を切り替えた。
「ベルドの集めてくれた情報で、この国に繰り返し起きる王太子と側近の異常行動に共通の原因があることが裏付けられたわ。ただ、異世界からの転生者が事前に握っていた情報で王族や高位貴族の男性を籠絡している、という話を事実として受け入れられる人はいないでしょう」
それはそうだ。私だってお嬢様の加護を知らなければ「悪役令嬢」の供述は狂人の戯言だとしか思えない。
「それが事実だとしても、そのまま議題に乗せて注意喚起することはできないわ。でも、原因と背景が分かっていれば対策だけは講じることができると思うの」
「妙に個人情報に詳しい女に気をつけろ、くらいは言えるでしょうが、個人情報に詳しい女が必ずしも転生者とは限りませんし、『シナリオの強制力』とやらがあるなら転生者の言動の選択次第で運命は決まった通りに動くんですよね?」
「確かに『シナリオの強制力』は存在するようね。ロザリア様の言葉から、それが真実であることは判っているわ。でも、ベルドは『攻略』されていないのよ。ロザリア様が『攻略』するための言動を取った筈なのに。表向きは『攻略』されたように振る舞っていても真実では彼は『攻略』されていなかった。そして、『攻略』されていない彼だけが『バッドエンド』を逃れ『シナリオの強制力』からも逃れられた」
と言うことは、傍から見たら区別がつかなくても内心で転生者に堕ちてしまっていたら「シナリオの強制力」が働いて「バッドエンド」まっしぐら、か。
恐ろしいな。
狙われた男たちからすれば自分を破滅させる一番の敵は、目に見えない自分の心だ。自分が本当に相手に堕ちていないのか、自分自身に疑心暗鬼になりそうだ。
転生者に「攻略」されなければいい。それが対抗策だとして、自分の婚約者を好きになったら破滅すると思い込むよう王族や高位貴族に息子が生まれたら教育することにでもなれば、異世界の輩に引っ掻き回されるまでもなく国家滅亡へ舵を切れそうだ。
「ミュゲが考えていることは分かるわ」
「口に出ていましたか」
「いいえ。難しい顔をしているもの。私も伝え方を間違えれば却ってこの国の傷を深くすると考えているのよ。転生者の排除だけが目的なら、真実の精霊の加護を持つ者の審判無くして王太子に接近叶わず、という法でも制定してしまえば可能よ。それで少なくとも2〜3代おきに王太子を廃嫡する可能性が減るわ。でも、真実の精霊の加護を持つ者の全てが世界の真理まで判別できるわけではなさそうなのよ」
闇の聖霊もそんなことを言っていたが、私の口からはそれは言えない。言いたくても口も開かない。
「国王様やお父様から聞いた他国の真実の精霊の加護を持つ取調官や審判者の方たちは、相手が真実だと信じ切って話していることは真実としか判別できないそうなの。だから、私の報告を聞いた国王様も、私が『全て真実』としたロザリア様の供述を無条件で信じてはいないわ。閲覧制限をかけてある事件が同じような内容で繰り返されることを気味悪くお思いでしょうけど」
「お嬢様が嘘は言えないことは信じてるんですよね?」
「ええ。それは真実の精霊の加護を持つ者の共通の特徴だもの」
じゃあ、お嬢様の報告は疑ってないが、「悪役令嬢」の供述は妄言で、歴史上何度も同じ妄想に取り憑かれた狂女が現れては国家の中枢を蝕んでいる、とでも考えているんだろうか。
何の呪いだ、それ。さっさと国家を畳んだ方がいいんじゃないか。
「私が嘘を口にできないのも問題なのよ。転生者を『攻略対象』になりそうな身分や能力の男性に近づけないことが最も有効な対抗策だけれど、一般的な真実の精霊の加護を持つ者の言葉として私の報告を捉えている国王様が、それを聞いてどんな手段を講じるか、私がこの世を去った後の国の主導者が私が残した言葉をどのように解釈し、国を守るためにどのような行動を起こすのか、私には想像もつかないわ。私の不用意な言葉のために、罪無き人々の血が流されることだって大いに考えられるわよね」
「・・・国家転覆に関わるのは大罪でしょうからね」
国王に重用される真実の精霊の加護持ちで王太子妃。
お嬢様の立場で口にした言葉は、とてつもなく重い。記録に残るようなものであれば、特に。
もし今の国王が穏便な方法で転生者の隔離を目論んだとしても、先々の最高権力者たちがそれを踏襲する保証はない。
そこで流される血にまでお嬢様が責任を負うことは無いと思うが、優しいお嬢様は気になってしまうだろう。
真実の精霊の加護持ちに転生者かどうかの審判をさせたとして、権力者が面倒の少ない方法を選べば、転生者と判断されたら幽閉か処刑かもしれない。
王太子と顔合わせする最初の茶会は7歳から参加できる。その前に審判となれば6歳の女児を「転生者だから」という理由で処刑。どう考えても公にできる理由じゃない。
それに、もし夢見がちな女児が「自分は何処か遠くの世界から生まれ変わってきた」と思い込んでいたとしたら?
お嬢様ほどの真実判定スキルが無ければ、夢見がちなだけの幼女が「転生者だから」と迫害され処刑されるかもしれない。
「困りましたね」
「ええ。真実は判っているし裏付けも過去の記録であるのだけれど、そのまま国王様に報告するわけにはいかないのよ。対抗策もね」
珍しく弱りきったお嬢様に心が痛む。
お嬢様の加護を明かされていないから相談に乗ることはできないにしても、こんな時に寄り添って心を支えるのが夫じゃないのか。
不甲斐ない王太子を内心で踏みつけながら、お嬢様のお茶を新しく淹れ直した。