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初めての

「あれ? お嬢様から新しい命令が入ったのか?」


 資料に目を通したお嬢様の判断待ちで、今は情報収集は一時停止中だと思っていたが、ベルドが夜半に闇に紛れやすい格好で部屋を出ようとしている。


「いや、最初から出てる方の命令だ」


 最初から出てる方の命令・・・。

 思い当たって目が泳ぐ。お嬢様がベルドに忠誠を誓わせて最初にした命令は、「ミュゲを守れ」だったと聞いた。

 お嬢様に大事にされているのだと感じられて喜びが押し寄せる。


「命令だから行くわけじゃないけどな」


 ベルドが苦笑して一度私の前まで戻ると、私の髪を一房手に取り口づけを落とす。


「俺がミュゲを守りたいから行くんだ」


「・・・今は誰も見ていないんだから妻を溺愛するふりをする必要はないだろう」


「本気で、俺が演技してるだけだと思ってるのか?」


 誰にでも見せる優しげな表情の中で真剣な瞳が私に判断を迫る。

 私の知る限りではあるが、この瞳を他の誰かに向けたことは無い。


「お前にとって私が特別なのかもしれないとは思うが、よく分からない」


 正直に答えれば満足そうに笑われた。


「分からないと言うことは、お前はまだ恋を知らないということだ。俺の知らないお前の過去に妬く必要が無くて嬉しいよ」


「何だそれは。じゃあ私はお前の過去に妬く必要があるのか?」


 ムッとして見上げると蕩けそうな甘い瞳になって抱擁される。


「ミュゲ、お前そのセリフの意味分かってるのか? ああ、最高に可愛いな。安心しろ。この年齢で元裏稼業だから童貞ではないが、俺の初恋はお前だ。ミュゲ。心はお前にしか向けたことが無い」


 何だかやたらと甘いことを言われている気がするが頭が追いつかない。

 セリフの意味って何だ?

 私がベルドの過去に妬く必要があるならムカつくのは、ベルドにとって嬉しいことなのか?

 いや、そもそも妬くってどういうことだ。私がベルドの過去に妬く? ベルドが私以外の誰かに真剣な瞳や今みたいな甘い眼差しを向けていたかもしれないから?

 あ、それは物凄くムカつくな。嫉妬かどうか分からないけど、ひどくムカムカする。


「ミュゲ、可愛い。俺にはお前ほどの加護は無いが、俺が必ずお前を守る」


 眉間に寄っていた皺に、そっと口づけられた。驚いて目を見開く。眉間の皺も広がって消えた。

 今まで人前で夫婦らしくするために髪や手の甲にすることはあっても、顔にしたことは無かったのに!


「行ってくるよ、愛しい奥さん」


 目を見開いて固まったままの私の額にキスをして、嬉しげに笑うとベルドは音もなく出て行った。

 何だあれ。何がベルドのスイッチを押したんだ。

 そりゃ、私としか結婚したくないと求婚はされたけど、求愛と言うより説得だったじゃないか。

 あんな甘い顔で声で眼差しで、あんな甘い言葉を垂れ流すようになるなんて思わなかったよ!

 ただでさえ整った顔で常日頃から色気がダダ漏れで声だっていいんだぞ。


「何を考えているんだ、あいつは」


『愛する女をモノにすることだろ』


 私が頭を抱えてしゃがみ込んでいると闇の聖霊の声がした。


『愛し子の成長は嬉しいものだな。グレナードの生まれだが、あの男なら俺は祝福できる。お前の主と同じで心からお前を大切にし守ろうとしている』


 お嬢様に聖霊への宣誓で忠誠を誓う時に彼が反対しなかったのは、お嬢様が私を通して聖霊の力を利用することはないだろうと彼自身が判断したからだ。

 彼から聞いた話では、過去にグレナード王国の国民に五霊全ての「聖霊の愛し子」が殺されたことがあるそうだ。

 だからグレナード王国に聖霊の加護持ちは生まれないし、精霊も滅多に加護を与えない。王族でさえ精霊の加護も持たずに生まれることがあるのはグレナード王国だけらしい。

 だから、グレナード王国の国民であるお嬢様が、私が個人的に大好きなお嬢様個人のためにではなく、国益のために私の力を使おうとするならば、聖霊から待ったがかかる。

 だが、今まで一度も聖霊からのストップが必要になったことが無い。


 グレナード王国民にとって聖霊の存在は、おとぎ話で妄想でしかない。

 外交を担っているお嬢様の父親ですら、私の聖霊への宣誓は「実在しないおとぎ話の存在への宣誓だが神聖なもの」という認識だ。この国以外の国では聖霊への宣誓は「決して違えない誓い」として物語によく出て来るから、それらを読んだことのあるモンブラン伯爵は、聖霊への宣誓で私の決意と熱意が伝わったと言っていた。実際の拘束力があることは理解していない。

 お嬢様は真実の精霊の加護により、私に聖霊の加護があることが真実であることを知っている。この国で国王以外に聖霊の実在を理解している唯一の人間だろう。


 聖霊の実態を知らなくても、外国の伝説を読めば聖霊の力の一端は想像できる。

 私がその加護を受けていることを知っているのに、お嬢様は私にそれを使えとは命令しない。

 むしろ、人前ではできるだけ使わないように言われているくらいだ。

 それなのに私を侍女兼護衛として連れ歩くから、私は大抵人前にいる。

 お嬢様に拾われてから、私はほとんど加護の力を使っていない。


 闇の聖霊は、そんなお嬢様と同じようにベルドが私を大切にして守ろうとしていると言う。


 ベルドの加護は闇の精霊で、他のグレナード王国民と同じく大した加護は与えられていない。

 お嬢様の真実の精霊の加護が強すぎるだけで、本来この国で生まれる精霊の加護持ちは、他の国の本当に精霊に気に入られた人間よりずっと弱い魔法や簡単なスキルしか使えないのだ。

 闇の聖霊いわく、お嬢様の気概と魂に惚れ込んだ真実の精霊が、お嬢様が生まれた後は加護を与える人間を他に増やさず視線がいつでもお嬢様に向いているくらい執着しているようで、だからこそお嬢様は世界の真理のような人類が知る類ではない真実まで見抜くスキルを持ってしまっているそうだ。

 闇の精霊はベルドにそんな執着はしていない。

 ベルドも外国の物語は読んだことがあるから聖霊への宣誓は知っていた。あくまで物語を盛り上げる演出として。この国の人間なら、それが常識だ。

 だけどベルドは私に聖霊の加護があることをあっさり信じ、大した加護を与えていない闇の精霊から何かを感じ取ることはできないのに、聖霊への宣誓を演出ではなく本物として受け入れている。

 生まれ育った国で培ったそれまでの人生での常識を、私の言葉を信じることで躊躇なく手放したのだ。

 それだけの想いを、いくら私に恋愛の経験が無いからと言って疑うことはできない。


『お前は主の命令で人前で大っぴらに加護が使えないし、俺の育て方で強い戦士に見える体に鍛えることも禁じていた。防御膜なら常時展開しているが、身体能力だけなら鍛えた男には絶対に敵わないだろう』


 お嬢様は私に聖霊の加護があることを国王にも王太子にも報告していない。

 私に対しても、ベルド以外に話してはいけないと口止めしている。

 私を守るために。

 だから私の表向きの職務はメインが侍女で護衛はサブ要素だ。護身術と軽い武器が使える侍女を盾や逃走の時間稼ぎのために側に置く貴族女性は多い。それに埋没させて目立たないように私を側に置いてくれている。

 闇の聖霊も、私が生き残りやすいように周囲を油断させるために、見た目を強そうにするなと言って育てた。

 本当に戦わなければならない時には加護を使え、体力だけは必要だが見た目で分かるほどの筋力は警戒されるし目立つから付けるな。

 ずっとそう言われて来たから、私の体は戦闘職の人間ではなくアスリートに見えるだろう。

 舐められもするが油断もさせるから、いざとなれば反撃は簡単だ。


『気をつけろよ。お前は今、狙われているからな』


「は? 現在お嬢様に危害を加える者は感知できていない」


『だから、お前の主じゃなくてお前が狙われているんだよ。だからお前の伴侶が出て行ったんだろうが』


「お嬢様に害を及ぼすための道具として狙われているのではなく、か?」


『お前の伴侶を奪おうとしていた女に逆恨みされていただろう』


 ああ、すっかり忘れていた。

 ベルドが妻を溺愛する夫に方針転換した時に捨て台詞を吐いて立ち去った令嬢がいたな。


『俺の愛し子のお前に傷を付けるなど不可能だが、嫌な思いくらいはさせられるかもしれない。だから気をつけろ。加護を大っぴらに使えなければ、お前は少し戦えるだけの若くて綺麗な女だ』


 貴族女性の感覚では年増に分類される年齢だが、平民の感覚では私はまだ若い女だろう。

 平民出身の文官や騎士だけじゃなく、城下町の娼館で遊ぶ貴族の男たちにとっても十分に手を出す気になる年齢だ。

 それに、私は自分の造形が美しいことは知っている。聖霊も精霊も例外なく美しいものが好きだから。

 聖霊も精霊も生まれる前から魂の輝きに惹かれて加護を与えることが多いが、生まれてから姿形の美しさに加護を授ける気になる精霊もいる。この国の精霊の加護持ちは、ほぼそのパターンだ。お嬢様の真実の精霊は生まれる前からのストーカーだと闇の聖霊が言っていたけど。

 闇の聖霊の加護を与えられて生まれた私は、生まれた後に彼の好みの姿形だったことで愛し子になった。

 関心を引きすぎて危険だからと表情を出さないように言い聞かされて育ったので、子供の頃から「可愛げがない」と周りの人間に言われ続けてきた。

 そう言えばお嬢様も「ミュゲは人前で笑ってはダメよ。堕としたい相手にだけ笑いかけてごらんなさい」と言っていた。

 私が笑うと何かがそんなに変わるのだろうか。


 とにかく、闇の聖霊の言い方だと私を女として襲わせるために男を差し向ける計画でもあるんだろう。

 スキルを使わなくても害意を感知するくらいはできる。

 私を守ろうとしてくれているお嬢様やベルドに煩わしい思いをさせたくない。

 自己防衛に努めよう。


「わかった。気をつける」


『そうしろ。お前を人に留めておける人間が増えて良かったな』


 闇の聖霊の声が慈愛に満ちて和らぐ。

 願うだけで世界を終わらせる力を持つ私が、人々の生きる世界に飽いたり絶望しないために、私を「人を壊す側」ではなく「人の側」に繋ぎ止めてくれる存在。

 お嬢様と出会うまでは子供で飽きたり絶望するほど人の世を知らなかった。

 お嬢様に出会ってからは、お嬢様と共に生きることが喜びとなった。

 お嬢様の生きる世界を壊すことは望まない。

 多分、ベルドの生きる世界を壊すことも私は願わないだろう。


『ミュゲ、俺の愛し子。胸くそ悪いグレナードの地に再び来るとは思っていなかったが、お前を幸せにできるなら、何処の国の人間と何処に暮らそうが構わない。そろそろお前の伴侶が帰って来る。茶でも淹れて労ってやれ』


 声が止んでしばらくすると室内にベルドが現れた。気配も音もしなかったが、闇の精霊の加護を使ったのではなく本人の能力だ。


「お帰り、ベルド」


 言ったことのない言葉なのに、帰って来た家族にかける言葉として知っていたせいか自然と口から出た。

 目を瞠ったベルドがそれはそれは嬉しそうに破顔して私を抱き締めると甘い声で囁いた。


「ただいま、ミュゲ」


 言われたことのない言葉だ。

 そうか。ベルドは法的に本当に私の家族なんだ。血の繋がりが無くても誰に憚ることもなく家族だと公言できる対象。同じ家で暮らす主でも同僚でもなく、ベルドは本当に私の家族。

 私は初めてベルドを抱き締め返した。

 何故か腕の中のベルドがビクリとしていたが、嫌がられてはいなかったと思う。

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