お嬢様の自由時間
ベルドが日夜集めた情報は、お嬢様の予想を裏付け闇の聖霊が話した真実に近づいていた。
特に、過去の「王太子と側近らのご乱心事件」の記録に毎回出て来る「前世」「悪役令嬢」「おとめげーむ」の言葉に薄ら寒くなる。
闇の聖霊の言葉を疑うわけではないが、本気でこの世界を娯楽の一作品と思い込み、生身の人間の命と人生をゲーム感覚で「攻略」するような生き物が異世界から度々侵入していたのかと実感すると気味が悪い。
異世界から来た奴らは、色事に長けた遊び人が口にする「ゲーム感覚で恋に堕とす」なんて意味じゃなく、この世界の人間を全て実在しない架空の「キャラクター」として扱い、自分が知る「物語」に描かれていない時間や場所で彼らが生きていることも、その時々で思考も感情も望む未来もあったことも、何もかも無視しているから、前世で知った「攻略情報」を用いて「攻略対象」とその周辺の人々の想いも人生も歪めて「攻略」できるのだ。
気味が悪い、気持ち悪い以外に言葉がない。
閲覧権限が無ければ見られない資料だが禁書扱いではない「ご乱心事件の記録」は、800年ほど前まで遡れる。
王太子と取り巻きがご乱心する相手は「悪役令嬢」である王太子の婚約者で公爵令嬢ばかりだが、今では存在しない家名や子爵家になっている家もある。
二つ前の事件から、自主的な爵位返上以外では「悪役令嬢」を出した家が取り潰しになったり降格されたりすることは無くなったが、それ以前は王太子と共にご乱心した側近の家が本人の放逐でお咎めなしでも「悪役令嬢」の実家は厳しい罰を受けていた。一族郎党処刑の例もあったくらいだ。
側近の実家にはお咎めなしになったのが500年くらい前で、王太子の婚約者の実家に厳罰を与えなくなったのが、ここ200年くらいから。
とは言え、王太子と側近を使い物にならなくした国賊レベルの犯罪者を出した家だと認識されるし、そうでなくても社交界での評判が最悪な娘を育てた家だと噂が蔓延しているから肩身が狭いなんてものじゃない。貴族界どころか富裕層の平民を入れた社交界でも居場所が無い。
大抵が両親は爵位返上で余生を修道院で過ごすことになり、兄弟は平民として国外へ出るか運が良ければ他家の養子になる。姉妹がいれば修道院以外に生きられる場所は無い。結婚していれば離縁されるし婚約状態なら破棄されて、その後まともな嫁ぎ先は有り得ない。
異世界から来た「悪役令嬢」たちにとっては、「攻略対象」のみならず、生まれた時から近くで過ごした家族でさえ実在しない架空の「キャラクター」でしかないのだ。
自分が「遊んで」失敗して「バッドエンド」になった後に、滅茶苦茶にされた人生を死ぬまで続けなければならない巻き込まれた人間のことは、まるで考えていない。
稀代の犯罪者や異常思考の持ち主ではなく、そんな奴らが「優秀だから」と魂をこちらに送られて来たことを思えば、絶対にそんな気持ち悪い世界には行きたくない。
王族と高位貴族の醜聞の記録なので、本来ベルドには閲覧権限が無い資料だが、王太子妃であるお嬢様なら権限を持っている。
ただ、お嬢様は公務が忙しいし王太子がベッタリくっついて離さないから自由時間が無い。
一応、私からベルドがお嬢様の予想を裏付ける資料を見つけた旨を報告しているが。
ベッタリされてお嬢様も嬉しそうだから邪魔はしないが、新婚だからと束縛し過ぎではないだろうか。あの王太子は。
城内の女を誑し込んで話を聞き出すのを止めたベルドの情報収集も一段落してしまい、現在はお嬢様が資料を実見してからの命令待ちだ。
お嬢様が資料に目を通す時間はいつ作れるだろう、とスケジュールを確認しつつ頭を捻っていたら、隣国の王女が急にグレナード王国を訪問する予定を捩じ込んで来た。
グレナード王国の南西に接する小国の第一王女。小国と言ってもグレナード王国と国土の広さは同等。と言うか、この大陸には大国は私の出身地のリヴァイ帝国しかない。残りは全部小国だ。
で、その南西側の隣国であるケルヒン王国の第一王女は、その南隣の小国の王太子の婚約者だったはず。
だが、婚約していた王太子が病死と公表され王女はフリーになった。その王太子の国は王が女好きなせいで王子の数が多く、キナ臭い噂も多かった。病死と公表されているが暗殺の可能性が高いだろう。
後継者争いに参戦している他の王子に有力な婚約者がいない筈がない。王子たちの婚約者も、それぞれ次期王妃の座を争い、ケルヒン王国の王女はその争いに負けて国に戻されたのだ。
王女は私のお嬢様の一つ下だった筈だから、今年で18歳か。
フリーになったら王族だとしても嫁ぎ先に困る年齢だな。
てことは、近隣諸国に急に訪問の予定を捩じ込んでいるのは後妻枠狙い行脚だろうな。
これが恥だという感覚じゃないらしいから平民と王侯貴族の感覚のズレは埋められない気がする。
他人の旦那を略奪するために権力と国税を使って外国まで押し掛けるんだよ?
しかも略奪の手段は色仕掛で既成事実を作る、だ。私の知ってる場末の娼婦たちの方が人として女として誇りを持っている。
だが、その他人の旦那と既成事実作り行脚の王女のお陰でお嬢様が資料に目を通す時間ができた。
王女がゴリ押しで王太子だけを指名して視察や観光の案内をさせているからだ。
王太子もノリノリで王女の相手をするわけではないが、「婚約者を亡くしたばかりの傷心の隣国の王族」に冷たくすることは、同じ王族として憚られるらしい。
生まれながらの王族には王族だけの共感のようなものがあるようで、それは貴族とは違うそうだ。貴族の感覚でさえ平民とは埋められないズレがあるから王族の感覚なんか想像もつかないが。
「リュシアン様に浮ついた気持ちが無いことは分かっていますもの。今は折角できた時間で資料を読みましょう」
お嬢様が王太子に浮気心は無いと言うのだから、それは真実なんだろう。
それでも王女の方は王太子に浮気させる気満々で近づいているのだから、お嬢様だって面白くないと思う。
もし、この世界のどんな生き物よりも愛らしく素晴らしいお嬢様の夫という至高の椅子を許されながら浮気などしようものなら、男として使い物にならなくしてくれる。
「ミュゲ、殺気が漏れているわよ?」
「申し訳ございません」
「いいのよ。ミュゲが怒ってくれるから私は冷静でいられるのかもしれないわ。でも、他の侍女や護衛が怯えるから殺気は抑えてね」
「かしこまりました」
ここは王太子妃の私室で、現在部屋の中にはお嬢様と私の他に伯爵家から伴った女騎士と王族側が用意した女騎士と侍女がいる。
王太子妃の私室に入れる男性は王太子のみ。男性の護衛は扉の外までだ。
本気の殺意でもないのに、この程度の殺気で怯える騎士にお嬢様の護衛が務まるのだろうか。
窓辺に立つ女騎士の一人に胡乱げな目を向けるとツイと目を逸らされ、そのまま窓の外に視線を向けた女騎士は、「あ」と声を漏らした。
何かあったのかと室内の全員が窓の外へ目を遣り、冷たい沈黙が降りる。
窓の外で不倫目的来訪中の王女がグレナード王国の王太子─お嬢様の夫─の腕の中に収まっていた。
「あら。大丈夫かしら」
可憐な声で小さく呟いたお嬢様が何に対して「大丈夫かしら」と思われたのか分からないが、穏やかに微笑む柔らかな頬の上の細められたつぶらな瞳が全く笑っていないことは明白。
お怒りですね、お嬢様。
お任せください。今すぐあの売女の心の臓を止めてお嬢様の憂いを晴らしてご覧に入れます。
「ミュゲ、ダメよ?」
「まだ何もしておりません。おじょ・・・王太子妃様」
「国際問題は困るわ」
ふむ。
証拠を残さなくてもグレナード王国内で死亡すればお嬢様に不要の雑事が増えてしまうか。
ならば国境を越えたら・・・。
「ミュゲ?」
お嬢様の笑顔が圧を増した。
「大人しくしています」
「そうしてちょうだい。大丈夫よ。夫の躾は妻の役目ですもの」
ふんわりとした白い手をまあるいカーブを描く頬に当て、たおやかに微笑むお嬢様に後光が差して見える。
うん。王太子はお嬢様が仕置するだろう。放っておこう。
王女のことも、お嬢様へ直接害を及ぼそうとするなら私の職分で排除することをお嬢様も止めないだろう。
今は静観するしかない。
ふと室内を見回すと、先程私の軽い殺気に怯えていた面々が、何故かお嬢様に注目しながら尻尾を股の間に挟む犬のような表情をしていた。
こいつら、護衛として本当に役に立つんだろうか。