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豚の餌?

 腐れビッチこと「悪役令嬢」ロザリアのバッドエンドに巻き込まれた「攻略対象」は元王太子だけじゃない。

 元王太子の取り巻きもとい側近らは将来を約束されたエリートだった。だから貴族の身分なら当然婚約者だっていた。「攻略対象」の中で婚約者がいなかったのは平民の教師とベルドだけ。ベルドは実際には攻略されていなかったようだけど。


 破滅した元エリート男たちは婚約者を蔑ろにしてロザリアとイチャつきながらも婚約自体はキープしていた。

 婚約者の令嬢たちは彼らの実家より爵位の低い家の令嬢だったから自分たちから破棄はできなかったし、彼らの振る舞いが常軌を逸するほど色ボケたアホになったのは学園を卒業する年、つまり18歳の時だ。そのため彼らの婚約者の令嬢だって既にそれなりの年齢になっていた。


 15歳を越えてからの婚約解消は、男より令嬢側の被害がずっと重くなる。

 良い家の有望株の男なら10歳前後で良い家の令嬢と婚約している。

 15歳以上でフリーになってしまった令嬢が「残り物のロクでなし男」との婚姻を避けて選べるのは、嫁き遅れと誹られながら仕事や奉仕活動に人生を捧げるか、俗世を捨てて修道院に入るか、何処かの優良物件の後妻を狙う、という三つの選択肢だけだ。

 元王太子の取り巻きみたいに、明らかに男の方に問題があって婚約を解消して現在フリーになっているのが社交界で周知されていても、年齢の壁は残酷で厳正だ。

 だから、やがて国家の重鎮の妻になる未来が確約されていた令嬢たちが、ロザリアに「攻略」されて破滅した男たちのせいで、現在城内で後妻枠漁りに勤しんでいる。


「ウフフ、よくってよ。ベルド様ぁ。わたくし貴方になら何でもお話して差し上げてよ?」


 そう、こんな風に。


「そうですか。それはありがたいですね」


 ベルドは情報収集中のようだ。人気のない回廊の円柱の影で「元宰相の嫡男の婚約者だった令嬢」と顔を寄せ合って親密に会話している。

 平民出身と言ってもベルドの立場は王太子妃付きの従者兼護衛で、精霊の加護持ちであることも知られている。今後、城内でも上位に食い込む権力を持つだろう有望株と目されている。その上顔は良いし色気はあるし優しげだし声も良い。


 後妻狙いは相手が既婚者でも関係ないんだよな。


 つまりは、現在しっかり妻がいても略奪してしまえば良いという考えなんだよな。

 平民が同じことを考えて実行したらビッチと呼ばれて周囲から総スカンだが、嫁き遅れの貴族令嬢にとっては普通の感覚だそうだ。お嬢様から「夫を奪われないよう気を付けるのよ?」と言われて仰天した。

 しかも略奪方法は手っ取り早く既成事実を作ることだと言うからビックリだ。嫁き遅れ貴族令嬢の肉食動物ぶりに私は引いている。

 別に、お嬢様の望む情報を引き出せるなら、ベルドが誰を抱こうがどうでもいいんだが。


 ・・・いいんだが。


 ・・・いい筈だ。お嬢様の命令なんだし。


 ・・・でも、情報源を抱けなんて命令されたか?


 ああ、食堂に行かないと。私は今、交代で昼食を取るために二時間の休憩を与えられているんだった。

 こんな所で道草を食っている暇はない。

 無いんだけど・・・何だか無性にベルドを困らせてやりたい気がする。

 勿論、お嬢様のために情報を集めているベルドの邪魔をするなんて私がすることは無いが。


『ミュゲ、夫を困らせてやりたかったら、ここぞという時に涙を流してみせなさい』


 お嬢様の愛らしくも清らかな声が脳内に甦る。城内で令嬢やらメイドやらに囲まれるベルドを遠くから眺めていた時に言われた言葉だ。

 涙を流すくらいは自由自在だが、嘘泣きでもいいのだろうか。


 よく分からないな。


 どっちにしろ立ち止まって時間を食ってしまったから、ベルドと令嬢を迂回して食堂まで遠くなるのは困る。

 あの令嬢は後妻枠漁りに城へ入り込む大義名分として文官補佐の仕事に就いているが、王太子妃付き侍女として仕事で顔を合わせる度に絡んで来て鬱陶しい。

 さっさと通り過ぎて昼食にありつこう。今日の日替わりランチはチキンカツのハーブソテーだ。ここの食堂のチキンカツは、肥育した鶏ではなく肉質の締まった健康な鶏を使っているので好みだ。

 よし、さっさと食堂に行ってチキンカツを噛み締めよう。

 と、気持ちを切り替えたのに。


「あら〜? ミュゲさんじゃありませんこと?」


 私のチキンカツが遠のいた。

 円柱の影にいたくせに、よく私が見えたな。と思ったら、ベルドが情報源から体も視線も完全に外してこちらを見ていた。いや、お嬢様の命令を遂行してろよ。

 貴族令嬢に名前を呼ばれて無視すると、私の主であるお嬢様の評判に傷を付けられかねないので仕方なく足を止める。


「何か?」


 簡潔に問うと令嬢は一瞬鼻白み、すぐに付けまつ毛の重そうな瞳を嘲笑の形に細め口元を扇子で覆った。


「いいえ? ベルド様とご一緒している時に見かけたから、つい? ウフフ、誤解なさらないでねぇ?」


 誤解も何も情報源だとしか思っていないのだが。誤解して欲しいのが滲み出過ぎていて滑稽だ。

 ボディタッチされたベルドが物凄く不快そうな顔をしているけど見えてないのかな。

 不快そうな顔が演技の可能性もあるけど。そんな顔、普段はしないし。

 ベルドは誰にでも優しげだからな。「優しい」のではなく、「優しげ」だ。誰にでも。

 そうだ。私にも、いつも優しげだな。

 ああ、猛烈に今ベルドを困らせたい。

 どうせ、もう情報源にも私の姿が視認されてしまったし。

 お嬢様、こんな感じでよろしいのでしょうか。


「っ⁉ ミュゲ‼」


 あれ?

 ベルドが血相変えて大股で近寄って来た。令嬢のボディタッチを音を立てて振り払ったな。令嬢が痛みに手を押さえてポカンと口を開けている。


「豚の餌・・・」


 近寄って来たベルドが私を抱き締める直前に脈略のない単語を呟いた。


「は?」


 思わず不審げな声を出すと、ベルドは私の顔を自分の鍛えた胸板に右手で押し付け、左手を私の腰に回して体を密着させながら強い口調で令嬢に吐き捨てた。


「俺の可愛い妻に比べたら他の女は豚の餌に見えるんですよ。俺にとってはね」


 え、何言ってるのコイツ。頭大丈夫か?


「な、な、な」


 あまりの言われように「な」しか発声できなくなった令嬢に、ベルドが更に畳み掛ける。


「新聞沙汰になった事件の当事者を直接知る人間から話を聞こうと興味本位で近付きましたが、俺の大切な妻を馬鹿にするような態度の相手に好意を持つわけないでしょう。俺にはミュゲだけだ」


 情報収集はどうした。作戦変更だとして、どういう路線変更なんだ?

 作戦内容が分からずに身動きが取れない私を、ベルドはギュウギュウと拘束する。

 本当に拘束だ。こいつ、私をこの場から逃したらマズイと思ってるんだ。理由は分からないけど、抱き締める振りをした完全なる逃走防止の拘束だ。


「ミュゲ、すまない。お前を悲しませるなんて最悪だ。泣かないでくれ。俺が愛してるのはお前だけだ」


 何なんだ、この茶番は。どさくさに紛れて頭頂部にキスしやがったな。妻を溺愛する夫だという噂でもバラ撒きたいのか? 何のために?


「ミュゲ、頼む、泣き止んでくれ。お前に泣かれると心臓が凍りつきそうだ。俺を助けると思って、泣き止んでくれ。愛しいミュゲ」


 涙を流す効果の絶大さに内心慄いている私だが、嘘泣きはとっくに止めている。

 しかし恐ろしいほどの効果だ。

 押し当てられた胸板からベルドの心臓が相当速い鼓動を打ち鳴らしているのが聞こえる。凍りつく前に過労死しそうだな、ベルドの心臓。

 この心臓の音からして、作戦変更は私が涙を見せたことで突発的に行った緊急事態だったのだと想像できる。

 いつも飄々としているベルドを困らせることに成功したのだ。


 さすがです、お嬢様。


「ミュゲ・・・ミュゲ・・・」


 譫言のように私の名前を繰り返すベルドは、そろそろ台詞のネタが尽きたんだろうか。

 頭の上から息がかかって熱い。


 ベキリ。


 多分、令嬢の扇子が折れた音が聞こえた。意外と力あるんだな。

 私のお嬢様の扇子は細工がしてあるから武器として使っても簡単に折れることはないが、一般的には貴族令嬢や貴婦人の扇子は骨組みが華奢で女性の力でも破壊可能なのか。


「わたくしを侮辱したこと、後悔させて差し上げますわ!」


 捨て台詞の後でヒールの音が遠ざかって行く。


「ベルド、いつまで拘束しているつもりだ」


「もう少し」


「もう涙は出ていない」


「知ってる」


「チキンカツを食べる時間が減る」


「・・・俺はチキンカツに負けるのか」


 拘束が解けた。

 チキンカツは昼食になるが、ベルドは煮ても焼いても食えない。


「何故そんな顔をしている?」


「俺か? どんな顔だ?」


「嬉しそうだ」


「ああ」


 指摘されてベルドが苦笑した。


「俺は絶対にお前を泣かせたくないのに、お前が他の女と親密そうにしている俺を見て泣いてくれるのは嬉しいんだ」


 嘘泣きなんだが。それは言わない方がいいと脳内お嬢様から指導が入った。

 私はお嬢様に従う。だからベルドは嬉しそうなままだ。

 何となく後ろめたいような気持ちが湧いてきて、ベルドから視線を逸らした。


「食堂に急ぐ。休憩時間が残り少ない」


「俺も行く」


「お前も休憩中だったのか?」


「ああ」


 ベルドは王族側が用意したのではない王太子妃付きの中で唯一の男性だ。

 女性が目立って出入りすると無用の摩擦が起きる部署などとの遣り取りは全てベルドが担っているから、勤務時間は他の王太子妃付きの面々と比べるとかなり変則的だった。

 決まった時間には交代で休憩を取る私と違い、昼時に食堂で会うことも無かったことに気がついた。

 いつも仕事の合間を縫って休憩中に諜報活動をしていたのか。閲覧権限の無い書類や資料を見に行くのも勤務時間外の夜間だったな。

 ちゃんとお嬢様のために頑張っているなら労ってやってもいい。


「日替わりランチのデザートはベルドに譲ってやる。今日は濃厚卵プリンだ。栄養をつけてお嬢様のためにしっかり働け」


「可愛すぎてツライ・・・」


 ベルドが片手で顔を押さえて呻いている。仕事のし過ぎで疲れているのか?

 さっきも妙に過激な言葉を使っていたな。

 いくら妻を溺愛する夫を演じるためでも、貴族令嬢を例えるのに「豚の餌」は無いだろう。何処から出て来た発想なんだ。

 今日は仕事が終わったら私が疲労回復効果のある飲み物を作ってやろう。

 ベルドが倒れたらお嬢様が困るからな。

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[一言] 豚の餌でつい、にやにやと笑ってしまいました。 外見の描写がないですが、それなりに磨かれているはずですから、可愛いんでしょうね、ミュゲ。 可愛いけれど毒のある花の名前持ってるだけのことはありま…
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