隠していること
「じゃ、今夜も行ってくるわ」
ひょいと片手を上げて、いつものようにベルドが部屋を出て行った。
王宮で与えられた王太子妃付きの従者の夫婦用の部屋は、シンプルで実用的でありながら広いし調度品の質も良い。
ベルドはお嬢様の命を受けて情報を集めているが、盗み聞きや普通の書類や資料から得られる情報はともかく禁書はどうにもならない。
その辺りは王太子の目を盗んでお嬢様が国王と面談して話を詰めるそうだ。お嬢様ベッタリの王太子の目を盗めるのか疑問は残るが。
本当は、お嬢様に無理をさせなくても私が聖霊に聞いた話を伝えられたらいいのだが。
『どうした、ミュゲ。何を憂いている』
「お嬢様に隠し事をしているからお嬢様の役に立てない」
部屋の中に私の他に人間はいない。
今、私に話しかけたのは私に加護を与えている闇の聖霊だ。
加護を得ていても普通は聖霊と会話などできない。普通は願って力を借りるだけの一方通行な関係だ。それでも加護の力はとてつもなく大きいのだが。
『俺の愛し子が役に立てないことがあるか。お前の主がそう言ったのか?』
「違う」
私が聖霊と会話で意思疎通ができるのは、私が彼の愛し子だからだ。
生まれた時からずっと一緒で、捨て子だった私に話しかけてくれていた。だから家族がいない孤独を感じたことは無い。
私に話しかけ、言葉や常識や生きていくのに必要な知識を教え、私が言葉を話せるようになる前に私を聖霊の誓約で縛った。
聖霊と会話できることを誰にも知らせない。
聖霊の愛し子であることを誰にも知らせない。
直接的な言葉で誰かに告げなければ可というものではない。
それを知られかねない内容を口にしようとすると声が出ないし口も動かない。
もしも私が聖霊の愛し子であることを知る者が現れたら、彼は私を守るためにその相手を殺す。
愛し子とは、それほど強固に守らなければ天命を全うできないのだと彼は言う。
私が絶対の忠誠を誓うお嬢様にも、これだけは明かすことができない。
お嬢様が私の力を搾取することを良しとしなくても、お嬢様の夫や主や親もそうだとは言えない。彼に言われなくても私だってそう思う。
一国の王や次期国王や外交を担う貴族だったら、孤児の平民で外国出身の一個人の尊厳なんか一瞬だって考慮せずに国益を選ぶだろう。
お嬢様は私を大事にしてくれるが、お嬢様を大事にするお嬢様の周囲にとって私は単なるお嬢様のオマケで使用人。道具にして搾取し尽くし、使い潰して殺しても心が痛むことなど無いだろう。
聖霊の愛し子の力など、巨万の富を投げ打っても手に入るものではない。
聖霊は会話を通して愛し子の願いは誓約違反以外なら何でも叶えてくれるのだから。
私はその気になれば、人類の中では無敵だろう。
だからこそ、聖霊への願いは慎重になる。
いくらでも取り返しのつかないことができる力を持っているから。
生まれた時から聖霊に言い聞かされていた私ならばそう考えられるが、「聖霊と会話ができて何でも願えるし叶えてもらえる」という事実だけを知った人間が欲に狂うのは仕方のないことかもしれない。
だから互いが不幸にならないための、口止めの誓約なのだ。
「で、この国の禁書の内容って実際役に立つの?」
『お前の主次第だろうな。禁書は過去にあったことの記録でしかない。聖霊の加護持ちが存在したことは記録されているが、前世の話を供述した内容なら、禁書より、この国が聖霊に見捨てられた後の色ボケ王太子と取り巻きの三文芝居の記録の方が詳しいだろう。その頃から中身が転生者なのが悪役令嬢ばかりになってるからな。しかも選ぶルートは決まって逆ハーレム。男好きで頭と股が緩い魂しか送られて来ない証拠だ』
「異世界の魂って、そんなに送られて来るの?」
『交換留学の形でトュルーダの魂も向こうに行っている。送られて来た魂がこっちに転生するのは一度きりで、死んだら返してるぞ』
そんなことが起きていたのか。
交換留学と言うと高尚で真面目な人物が選ばれるイメージなんだが、ロザリアの愚かしさを思い出せば首をひねらざるを得ない。
「なんでそんなハズレの魂ばかり送られて来るんだ? こっちも変なのを送ってるのか?」
『いや。こちらからは交換留学に相応しい優秀な魂を送っている。異世界の基準では男狂いの女は優秀なのかもな』
どんな世界なんだ。繁殖力が高そうだから優秀とかなのか?
「前世の話を供述と言うことは、道を踏み外した王太子と取り巻きの影には毎回異世界からの転生者がいたのか? それも『おとめげーむ』とやらとこの国が同じ世界ということで?」
『そうだ。乙女ゲームってやつは毎回コンセプトが同じなんだ。女が見目の良い権力または特別な力を持つ男を恋愛的に攻略するのが目的だ。ただし恋愛話を盛り上げるために大なり小なり事件が起きる。中にはかなり物騒なものもあるし、選択肢を誤り続けると死亡も有りで破滅する』
何故目的が恋愛的攻略なのにそんなに物騒なんだ。異世界の常識はよくわからん。
「毎回同じコンセプトで商品価値があるのか? 娯楽用の商品なんだよな?」
『毎回違うイケメンを用意すれば問題無いらしいぞ。重要なのは種類の違う金も力もあるイケメンを何人も侍らせて良い気分になることみたいだからな』
確かにロザリアもそうだったな。
『それよりミュゲ、また俺と同じ口調になってるぞ。結婚もしたんだから女っぽい口調で話したらどうだ?』
「・・・私が言葉を学んだのはお前からなんだから口調が似るのは仕方ないだろ。結婚は関係ない。別に好きでしたわけじゃない」
『へえ? 俺にはそう見えないけどな』
からかう口調は機嫌が良さそうで、本当に私とベルドの結婚に賛成しているように聞こえる。
「私が結婚してもいいのか? 愛し子は家族同然で、子であり弟妹であり伴侶でもあるんだろ?」
『お前が他の聖霊の愛し子になるならお前を殺す。お前を伴侶に望む精霊がいたらそいつを消す。だが人間の伴侶は気にならない。あの男は闇の精霊の加護持ちだが加護は弱い。あいつの持つ諸々の力は天性の才能と努力の賜物だ。それにお前に心から惚れて大事に思っている。俺の愛し子の人間の伴侶として認められる』
「・・・・・・」
『照れるなら顔に出せ』
何だろう、何か負けたようで悔しい。それなのに何故かソワソワと内側から湧き立つような何かがあって口元が緩みそうだ。
『あいつが近づいて来たな。今日はここまでだ』
ベルドが戻って来たのか。相変わらず私にも読めない気配と無音の足音だ。
『そうそう。今俺が話したことは人間が知り得ない話だから、お前も誰にも話せないぜ』
「は?」
せっかくお嬢様の予想が正しいことが分かったのにお嬢様に伝えられない。
頭を抱えているとドアを開けた気配すら無くベルドが帰って来た。
「どうした、ミュゲ? 頭が痛いのか?」
心配そうな顔をして私に近寄り額に手を触れる。
「熱はないな。城で気を張って疲れたか?」
「別に」
さっきの闇の聖霊の言葉を思い出し、どういう顔をしていいのか分からなくてそっぽを向いた。
いい態度ではないのは自覚しているのにベルドは気にした風もなくサラリと額から髪を撫で上げて手を離し、茶器の方へ足を向ける。
手慣れている。茶器の扱いもだけど女の扱いも。
「眠る前だからな。ミルクを入れた熱いハーブティーにするか。蜂蜜も入れよう」
何だろう、この敗北感。
蜂蜜入りのハーブミルクティーは好きだし美味しい。
何だろう、この胸に渦巻く気持ちを表せる言葉は。
ぐるぐると思考を巡らせ、ぽつりと一言が口から転がり出る。
「ずるい」
何故かベルドが目を見開いて私を凝視した後、顔を覆ってしゃがみ込んだ。覆われていない耳が赤い。
どうしたんだ?