仕方なく、仕方なくだからな!
私の尊いお嬢様は王太子妃としてお城で暮らしている。
先日大聖堂で盛大な結婚式が行われ、王都のメインストリートを花で埋め尽くした祝賀パレードも滞りなく終了。
腐れビッチと噂され国民から嫌われまくっていた元王太子の婚約者が元王太子ごと失脚したのを受けての第二王子の婚約者だったお嬢様の王太子妃としてのお披露目は全国民から大歓迎された。
そのふくふくしたマシュマロのような頬をやんわり持ち上げた微笑みに魅了される国民が続出。
城下町では「王都名物」として「王太子妃様マシュマロ」なる商品が爆発的人気で連日売り切れ完売の賑わいだ。
さすがです、お嬢様。
王太子妃となった今も変わらず私のお嬢様は可憐で愛らしい。国家のトップとして女性の頂点に君臨するのにこれほど相応しいお方はいないのだ。
第二王子だった王太子も、それはそれはお嬢様を大事にしている。少し距離が近いが。少々触り過ぎではないのかと思うのだが。
だが何の不満も無い。お嬢様が幸せなお顔をしていることが何より重要なのだから。
「なーに不満げな顔してるんだ。夫が妻に近いのも触るのもごく当たり前だろう?」
音も気配もなく背後から私の肩に手を回すベルドの鳩尾に肘を叩き込み、鼻の頭に皺が寄るのを自覚する。
「お嬢様の夫に不満は無い。あるのはこの状況だ」
お嬢様がお城に上がる時に当然私はついて来た。私は一生、お嬢様の侍女兼護衛だ。何処へだってついて行く。
だが、私の人生に余計なオマケもついて来たのだ。
「いい肘鉄だが俺の腹筋は頑丈だからな。言ったろ。夫が妻に触るのは当然の権利ぐはっ」
性懲りもなく私に手を伸ばすベルドへ、ほんのちょっと聖霊の力を借りて衝撃を増した肘を打ち込むと変な声を洩らしたが、蹲りもしないのは憎らしいが元名うての暗殺者の実力だ。
「ミュゲ、俺はお前の夫だよな?」
鳩尾に片手を当てて情けない顔をするベルドに冷たい一瞥をくれてやる。
「一応、仕方なく、便宜上、仕方なく、だ」
「うわ、二回も仕方なくって言った」
「本当のことだからな」
私の不満は、この元暗殺者のベルドが私の正式な夫として一緒に城に上がったことだ。
ベルドもお嬢様への忠誠を聖霊に誓っているし、闇の精霊の加護を持つ凄腕の暗殺者だった過去から「使える人物」であることは間違いない。
王太子妃として城に上がるのに独身男性の従者を連れて行くのは無理だし、私はお嬢様の侍女兼護衛なので側を離れて諜報活動をするのは限界がある。
ベルドを諜報活動に使うとしても、他の侍女や女騎士の夫にして連れて行けばいいのではと考えたが、夫婦は同じ部屋を与えられる。夜な夜な暗躍しに出かける夫に心を乱さず職務を全うできる女性は少ない。
何しろベルドは顔はそれなりに整っていて色気があって物腰が優しげなのだ。元暗殺者のくせに!
だから、伯爵家から連れて行く私以外の侍女や女騎士とベルドを職務のために「仕事として」結婚させても何れ惚れられて面倒事が起きるのは目に見えている、だからミュゲがいいとベルドに説得された。
確かに私なら惚れたりしないだろう。だが、ベルドはそうじゃないと言った。
『ミュゲになら惚れられても面倒じゃないし、むしろ惚れてくれたら嬉しいから、他の女とは仕事でも結婚したくない』
色気のある優しげな顔と声で、そのくせ目だけは恐ろしいほど真剣に、そんなことを言いやがったのだ。
その時の私がどんな顔をしていたのか定かではないが、脳内で大パニックだったせいで、気がついたときには私がサインしたベルドとの婚姻届が国に提出されていた。
後日ふざけるなと食ってかかっても後の祭り。楽しげに妙に高級そうな石の付いた腕輪を嵌められた。
この国では平民は結婚すると夫婦で揃いの腕輪をし、身分の高い者は左手の薬指に揃いの指輪をする。
お嬢様の白くて柔らかい指にも王太子と揃いの指輪が光っている。
お嬢様がベルドに命じているのは、先日犯罪奴隷としての労役中に「事故死」した腐れビッチこと元公爵令嬢ロザリアが話していた「この世界の真実」の検証のための情報収集だ。
ロザリアが言うには、この世界はロザリアの前世の「おとめげーむ」なる娯楽と同じ運命を辿る世界で、取り巻きにしていた権力のある男たちは「おとめげーむ」の「攻略対象」だった。
ベルドも「攻略対象」の一人だが、お嬢様の話では、攻略対象中ベルドだけが実際は恋愛的に攻略されていなかったためにロザリアの「バッドエンド」に巻き込まれなかったそうだ。
ロザリアが前世で遊んだ「おとめげーむ」の情報は、そのままこの国の有力な男たちの個人情報として当てはめることができ、いくつかの分岐点はあるものの彼らが辿る運命すら予測してロザリアの望む方向へ誘導可能だった。
だが、「おとめげーむ」の中で「悪役令嬢」だったロザリアは、「攻略対象」たちが「ヒロイン」に惚れると死ぬか破滅するエンディングが運命づけられていた。「悪役令嬢」処刑エンドは「ヒロイン」が「逆ハールート」を選んで「悪役令嬢」が「ヒロイン」に殺人未遂を起こした時のみらしいが。どのルートでも「ヒロイン」に危害を加えると「悪役令嬢」は破滅する運命だったらしい。
じゃあ危害を一切加えなければ何も起こらなかったんじゃないのか?
お嬢様がロザリアの話は「全て真実だった」と断言してから考えた結論だが、あの腐れビッチはアホだと思う。
破滅して死にたくなければ大人しくしていればよかっただけじゃないか。
ロザリアの語る「おとめげーむ」では、「悪役令嬢」が「ヒロイン」を殺してしまえば、どのルートでも強制的に攻略した相手ごとバッドエンドになる「シナリオ」だったらしい。
だから攻略されていた「王太子」、「宰相の嫡男」、「騎士団長の嫡男」、「精霊の加護持ちの学園教師」、「精霊の加護持ちの王属魔法使い」の五人がロザリアと一緒に「バッドエンド」で破滅した。
ロザリアの婚約者だった「王太子」は廃嫡で王族の犯罪者を入れる塔に幽閉、現在生死不明。
元王太子の側近筆頭だった「宰相の嫡男」は廃嫡、貴族籍剥奪、国外追放。
元王太子の側近で近衛騎士だった「騎士団長の嫡男」も廃嫡、貴族籍剥奪、国外追放。
学園でロザリアに便宜を図っていた「精霊の加護持ちの学園教師」は平民出身のため、犯罪者の入墨を彫られて辺境の鉱山で死ぬまで労役。
精霊の加護持ちだったことで貴族の養子となりエリート街道を躍進していた「精霊の加護持ちの王属魔法使い」は養子縁組を破棄され犯罪奴隷として国外へ売られた。
ロザリアに「攻略」されなければ輝かしい未来が約束されていた男たちばかりだったはずだ。
尋問を受けた男たちが言い募ったのは、盲目的な恋に溺れている間は「いい夢を見せてくれる女神のような女性」だったが全てを失って目が醒めた今では「悪夢をもたらす災厄の魔女」としか思えない、という内容だ。
この国では2〜3代おきに似たような愚かな男性王族が現れると言う。
そして、その側近たちが一緒に愚かになって巻き込まれて破滅するパターンを踏襲する。
だから高位貴族の親たちは、自分の息子が側近となる王子が女に狂ってアホやらかさないか戦々恐々としているそうだ。
城に上がって、他国なら奪い合いになる要職を押し付け合う中年男性たちを目撃して、グレナード王国の異様さが理解できた気がする。
他の国では宰相や騎士団長や大司祭などは大抵が世襲制だ。決まった家の嫡男が継ぐ。
実力主義とは呼べないが、代々同じ仕事を請け負う家系の方が資料や情報も集めやすいし、その方面の人脈も作りやすい。これはこれで理に適っている。
だがグレナード王国では、女に狂うアホ王太子に巻き込まれ率ナンバーワンが「宰相の嫡男」と「騎士団長の嫡男」だそうだ。
たまに聖職者の息子や孫息子だったり、王太子の乳兄弟の従者だったり、平民出身の魔法使いだったり、出自を隠した王弟のご落胤だったり、国王の年の離れた異母弟なども巻き込まれて破滅するらしいが。
だからグレナード王国では宰相と騎士団長は「呪われた役職」扱いだった。
爵位の高低に関わらず、家格も血統の古さも資産の過多も関係ない。アホ王太子の側近になれば真っ先に巻き込まれるのが「宰相の嫡男」と「騎士団長の嫡男」で、優秀であればあるほど破滅の危険度が高いことが過去の統計で分かっている。
そりゃあ避けたいだろう。優秀な男子が生まれて喜んで優秀に育って出世コースに乗ったら破滅が約束されているなんて誰だって御免だ。
この「呪われた役職」に似た噂は平民にも流れていて、「男の精霊の加護持ちは貴族の学園に関われば破滅する呪いを受ける」らしい。
だから男の精霊の加護持ちは、高給に飛びつかなければどうにもならない境遇でもなければ貴族の学園には足を踏み入れない。出入り業者や学食やカフェのバイトですら借金で首が回らない事情でも無ければ避けるそうだ。
どれだけヤバいと思われてるんだろう。
お嬢様に拾われるまでは他国で生きていた私には「変なの」くらいの感覚だが、それが「普通」で「当たり前」の「常識」という状態で生まれ育ったグレナード王国の国民には、深刻に考える事柄だ。
王太子が狂う一人の女のせいで息子や本人が破滅して家ごと人生が狂うのだから。
もっとも、現在では王太子に巻き込まれる形で破滅した嫡男の家は、当人を廃嫡して追放すれば家にはお咎めなしということになっているそうだ。そうしなければ王家が恨まれてとっくに革命でも起こされていたかもしれない。
そして、私の命より大事なお嬢様もグレナード王国の国民である。
真実の精霊の加護を持つお嬢様は、偽りを口にできない代わりに「本当の真実」を見抜くスキルを持つ。
本人が真実だと思い込んでいる事柄であっても、それが真実でなければお嬢様には判別がつくのだ。そしてどれだけ荒唐無稽な戯言に聞こえても、それが真実であればお嬢様には分かってしまう。
ロザリアの前世の話が「本当の真実」であることが分かってしまったお嬢様は、過去の男性王族の愚行も今回と同じ原因があるのではないかと考えた。
毎回女に狂う中心となるのは王太子。ならば情報を集めるのに最適なのは王城だ。
父親の外交に伴われるお嬢様は他国とグレナード王国を比較して自国の異様さに気がついていた。
このままでは国が滅びるのではないか。
そう憂いていたお嬢様は、この手掛かりを元に、将来同じ過ちを繰り返し国を衰退させないために、対処法を探すことにした。
お嬢様のスキルは真実の精霊の加護持ちの中でも特別に強力で、父親と国王の他は聖霊に絶対の忠誠を宣誓した私とベルドしか知らない。王命で明かしてはならないことになっている。代わりに国王から絶対の庇護を約束されている。
だからお嬢様の夫となった王太子も、お嬢様の加護やロザリアの妄言が真実だったことを知らない。
夫に不審を抱かせず城内を探るには、お嬢様に絶対の忠誠を誓い、事情も知っている諜報のプロが必要で、その適役がベルドだった。
色々考えると、私とベルドの結婚は納得するしかないのだ。
そう。お嬢様の願いを叶えるために必要だったのだ。
私がベルドになど惚れていなくても!
これは必要な結婚だったのだ。
「仕方ない、そう、仕方ない・・・」
ブツブツと唱えていると面白そうに顔を覗き込む整った顔立ち。
「離れろ!」
とっさにベルドから距離を取るが、何故か嬉しそうにニヤけやがる。
「なんだ⁉ 仕事中にニヤけやがって!」
「いーや? 俺の奥さんは毛を逆立てた猫みたいでカワイイなーと」
クソっ。仕事中でなければ全力で殴りかかっているのに!