不穏当な言葉
今、何か不穏当な言葉を聞いたような・・・いや、聞き間違いじゃないよな?
は? 精霊を消すから?
え? まさかもう消して帰って来たとか?
『あ、お前のヤバい伴侶が戻って来た。じゃあな』
詳しく話を聞こうと口を開いたが、言葉を発する前に闇の聖霊にこれまた不穏当な言葉を残して黙られた。
え、ベルドって闇の聖霊から見てもヤバいの?
「ただいまミュゲ。明日は王太子の公開土下座ショーらしいよ」
こっちも不穏当な発言来た!
扉が開くことなく突然部屋の中に現れたベルドが、私を抱き込んで拘束しながら有り得ない予定を口にする。
「は? 王太子? 土下座? 公開?」
頭の中に疑問符を満たす私を気にした風もなく撫で回すと、ベルドは繰り返した。
「そう。王太子の公開土下座ショー」
繰り返されても言葉の破壊力は変わらない。
王太子が土下座。だけでも有り得ない行動なのに、それを公開でショー扱い。一体何が起こっているんだ。
「どうしてそんなことが」
きちんとした説明が欲しくて問うように顔を上げると、「可愛い・・・」と呟かれて顔中にキスが降ってくる。
ベルド、色々吹っ切れたな。対外用の余裕のある優しげな表情や飄々とした態度が鳴りを潜め、熱を孕んで蕩けるような目でデロデロに甘い声と緩みきった顔をしている。
「ベルド、説明が欲しい」
苦情を申し立てているのに、更に「可愛い!」と拘束と口づけが激しくなり、腕の中でもがくと漸く説明を始める。
何故か私の耳元で。囁くように。無駄に色気を甘い声に込めて。
「俺が仕事終わりにお嬢様に報告に行った時に、ちょうど王太子が駆け込んで来たんだ。何でも、急にケルヒンの王女への尽きない肉欲から解放されたとかで」
落ち着かないし説明に集中できないが、内容は聞き流せるものではない。
ケルヒンの王女が加護の力を使った魔法が使えなくなったぽい内容だ。
闇の聖霊の言葉が頭を過る。
──毒の精霊を一つ消すからな。
本当に、消したのか?
王族に加護を与えるレベルの精霊を?
精霊は等しく聖霊の眷属だが、彼らにもレベルというかランクがある。
それらが高い精霊ほど多くの人間に加護を与えることができるのだが、高ランクでも人間には一切加護を与えない精霊もいる。
人間が持つことで人の世に混乱をもたらす可能性が大きい力もあるからだ。
例えば、闇の聖霊の眷属の精神に干渉できる精霊や死の精霊などだ。
けれど、大抵は高ランクだと多くの人間に加護を与えている。
闇の聖霊の話では、精霊は複数に分かれて世界中に散っているが本体は一種類につき一体だそうだ。
分かれている中の末端は本体の意思を汲み取らずに漂っているものも多いらしい。そういう末端が、聖霊に嫌われているグレナード王国の人間に気まぐれで加護を与えるから、強い加護を持った者がこの国にはいないらしい。
ただし、お嬢様は例外。
闇の聖霊いわくお嬢様のストーカーである真実の精霊は、本体であり、世界中に漂うフリーの自分の分身をどんどん本体に集約しているようだ。
だから、お嬢様が誕生してから世界の何処にも真実の精霊の加護持ちは生まれていない。
話が逸れたが、王族に加護を与える精霊は凡そ高ランクな上に本体もしくは本体から分かれた中でも中枢に近いものだと闇の聖霊から聞いている。
毒の精霊のランクがどの程度か知らないが、毒魔法の使い手は特に希少と言えないのだから、多くの人間に加護を与えることが可能なレベルではある。
それに、あの王女は媚薬魔法をとても器用に使いこなしていた。加護の力が強い証拠だ。
もし、本体である一体を消してしまったら、世界中から毒の精霊の分体も一緒に消えてしまうし、当然他の人間が与えられていた加護も消える。
魂を見初められても姿形を見初められても、加護は生まれた時分から持っているものだから、加護を持つ人間はそれが「普通」という状態で育つ。
加護の効果は魔法やスキルを使うことができるというだけじゃない。
持っていることで様々な恩恵を被る。
毒の精霊なら、加護の力の強さに比例して毒物の類が効かないとか。
それが、ある日突然失われる。
ケルヒンの王女がどうなろうが知ったことではないが、それに巻き込まれる何の関わりもない人間がいたとしたら・・・。
闇の聖霊が毒の精霊を消したとしたら、それは私のためだろう。
側を離れる時に、何やら酷く怒っていたような気がするから。
私を泣かせたものを許さないと、そんなような話も聞こえた気がするから。
「ミュゲ、どうしたんだ? 体が強張っている」
耳殻を甘噛されて、強張った体が震えた。
「驚いて・・・。それで、どうして王太子は急に?」
説明の続きを促すと、はむはむと一頻り耳殻を噛んだ後に、やはり耳元で色気過剰な声で説明は再開する。
集中できない。
「王太子はずっと悩んでいたらしい。お嬢様しか好きじゃないのに何故かケルヒンの王女と会った瞬間から王女への肉欲が滾り始め、人目の無い場所で二人切りになると脳も視界も靄がかかったように朧気になり、自分が何をしているのか定かではないような状態で、肉欲のままに体が勝手に動いていたそうだ」
それは、相当強い媚薬魔法をかなりの頻度でかけられていたな。
「自分の心は余すところなくお嬢様に捧げているのに体の制御が自分の意思を離れる日々に、いっそイチモツを切り落とそうかとも考えたらしい。だが、第一王子が廃嫡された今は王太子が唯一の王位後継者だから、子孫を残せなくなるような真似は勝手にできない。そんな苦悩の最中、急に頭や視界の靄が晴れて王女への肉欲の支配から解放された。そして靄が晴れ、胸をはだけて自分に伸し掛かる王女を突き飛ばし拒絶すると、王女が言ったそうだ」
パクリ、と今度は耳朶を食まれる。
聞き逃がせない内容なんだから集中させてくれ。
「どうして私の媚薬魔法が効かなくなったの、と」
ウワァ。
王女、油断と驚愕があったんだろうが迂闊すぎる。
そりゃ、加護が急に消えるなんて前代未聞だから想像もしなかっただろうけど。
「俺の疑問も解消した。豚の餌以下の女のところで受けた攻撃は媚薬魔法という魔法だったんだな」
この国には毒の精霊の加護持ちが長いこといなかったんだろうな。
元暗殺者のベルドですら知らなかったようだが、他の国では割とポピュラーな加護であり魔法だ。
毒の精霊の加護があれば、身分の高い者は毒殺を気にしなくていいし、平民なら毒見役として就職したり娼館に高い給料で雇ってもらえる。結構人気の高い加護だ。
加護の力を使えるからと言って、無闇矢鱈と同意が無いのに媚薬魔法をかければ犯罪だけど。毒魔法も当然そうだ。その辺は魔法でも実物の薬品でも同じだ。
しょっ引かれる先が少し違うけど。
「魔法を用いた犯罪ということで、王女は神殿預かりになった。王太子に怪しげな魔法で攻撃を加えたんだ。神殿で拘束されて尋問らしい」
加護持ちがほとんど生まれないこの国でも、神殿は他の国と同じような役割を持っているんだな。
神殿の役割は、加護関係の管理だ。
少なくとも私の知る国々では、5歳を過ぎたら本人が希望すれば神殿に加護の神託を受けに行き、加護があるとの神託が下れば証明書が発行されることになっていた。
証明書は二つ折りになっていて、表紙には名前と加護があることを神殿が証明した旨の記載、内側に何の加護があるのか記載されている。
本人が拒否しているのに内側まで見せることを要求するのは宗教上の規則違反だ。
職種によっては就職の際に見せることを要求されるが、当該精霊の加護がなければ職務の遂行が不可能または危険が及ぶ予想がつく場合は認められている。
例えば、毒の精霊の加護が無いのに高給に釣られて毒見役に就職しても悲劇しか起こらないし。
それから、魔法やスキルによる犯罪行為は神殿で取り調べを行うことになっていた。
普通の犯罪者は騎士団の詰め所や街の警備団の詰め所にしょっ引かれる。
だけど加護の力を悪用して犯罪行為を行った場合、取り調べは人間の手には余るのだ。
私は闇の聖霊から他人の加護について詳しく聞くことができるけど、普通、人間は他人が証明書に記載された加護の力の何を使って何をやったのかなど知りようがない。
だから、加護によって問題が起きれば神官長が父神に祈って神託でお伺いを立てる必要があるのだ。
加護の力を用いた犯罪の解明は、神頼みなのが実情。父神様はすごく忙しいんじゃないだろうか。
ちなみに私は神殿の証明書を持っていない。闇の聖霊に神託を受けに行くのを止められたからだ。
得ている加護が聖霊のものだという部分を精霊と偽造することができないから、神殿や王族に囲われて自由を失いたくなければ行くなと止められた。
証明書の偽造は宗教上の大罪とされる。
神託を受けに行かないのも、授かっている加護を公開しないのも罪にはならないから、私は自衛のために証明書を持たない。
証明書の偽造ほどの大罪にはならないが、口頭でも持っていない加護を持っていると言うのは神殿にしょっ引かれる犯罪行為になるそうだ。
加護を得ている人の半分くらいは、何の加護を得ているかまで公開しているが、そういう背景で口頭だけでも信用はされる。
今回のケースでは、ケルヒンの王女はグレナード王国の王太子に媚薬魔法を使ったと吐いてしまった。
事の真偽を確かめ内容の精査をするために神殿預かり、ということになったのだとベルドは付け加えた。
やはりグレナードでも神殿の役割は同じぽい。他国に比べてものすごく暇そうだけど。
普段あまり仕事が無い神殿が活気付いて神官長も大張り切りらしい、とベルドが更に付け加える。
うん、やっぱり暇なんだな。この国の神殿。
「お嬢様も張り切っているし、明日は楽しい王太子の土下座ショーを一緒に見に行こうね」
お嬢様が張り切っているのは良いことだけど、「王太子の土下座ショー」というパワーワードが楽しんでいいものなのか思案どころだ。
「俺も休暇に入ったから、ショーの時間までたっぷりミュゲを愛せるね」
「え?」
耳元の囁きに、背筋が冷えるほどの色香が混じった。
「言っただろう? 汚いモノの記憶を消すんだよ。俺だけのミュゲなんだから」
ゴクリ。私の喉が鳴る。
それは、想いを自覚した夫への期待で鳴ったと言うよりも、過分に怯えが強かったように感じられた。
「愛してるよ。ミュゲ。俺の奥さん」
キスの雨の中では触れられなかった唇に、深い深い接触が開始された。