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帰って来た闇の聖霊

 部屋に入り扉を閉めると、すぐにベルドは全身を絡みつけるように私をぎゅうっと抱きしめた。


「ミュゲ、ミュゲ、ミュゲっ! 俺のミュゲ! お嬢様の命令を綺麗に遂行してすぐに戻って来るからな」


 少し苦しいが、私を大事に思っている気持ちが伝わって来るので好きにさせていた。


「戻って来たら汚いモノが近寄った感触を全部消すから」


 顔だけ離してそう言ったベルドは薄めの唇を三日月型に吊り上げてうっそり笑い、徐々に瞳の奥を暗赤色に染めていく。


「いい子で待っているんだよ。ミュゲ」


 完全に暗赤色に塗り替えられた瞳で掠めるだけの口づけを私の唇に落とし、鮮烈な赤に変わった髪を翻してベルドは忽然と消えた。

 いつ見ても、どうやって部屋から出て行っているのか分からない。


『うわ、あいつ、あんなヤバい男だったのか。道理で身体能力が馬鹿みたいに高い筈だ』


 ふわりと赤ん坊の頃から私を包んでいた気配が戻って来た。

 心からホッとする。


「お帰り」


『ああ、今戻った。守りは置いて行ったが何があった? 昨夜ついた心の傷は癒えているが新しい傷ができているぞ』


 聖霊には心の傷が具体的に見えているようだ。

 五人の騎士の男に襲われてベルドに助けられた顛末を話して聞かせる。


『王族の媚薬魔法をあの程度の加護で撥ね返したのか。やるな。でもまぁ、あの部族なら有り得るか』


「部族ってどういうことだ? ベルドと同じ体質の人間が他にもいるのか?」


『ああ。海を越えた別の大陸の山岳部に集落を作るキド族という少数部族だ。周辺の国々には修羅の民と呼ばれ恐れられている』


「修羅」


 大層な呼び名だと思いかけたが、暗赤色の両眼の瞳孔を開き切って鮮烈な赤の髪を振り乱し屈強な騎士五人を瞬時に制圧したベルドの戦闘能力を思い出せば納得の呼称だ。


「人間、なんだよな?」


 一応訊くと、曖昧な肯定をされる。


『一応。人類最強部族だがな。向こうの大陸は最初、火の聖霊と風の聖霊がメインで眷属を増やしたから、それらの加護で生命力が強く身体能力の高い人間が多くなった。そういう人間は自然と体を鍛えるから肉体そのものが力を蓄えた遺伝子を残す。キド族は険しい山岳地帯に隠れ棲み、狩猟と戦いで糧を得る生活によって、特に身体能力の高い人間だけが生き残り、子孫にその特徴は受け継がれた。だが、狭い集落で同族婚を繰り返したことで戦闘狂の性質を持って生まれる子供が増え、彼らは戦いへの欲求を満たすためと稼ぐために山を降り、周辺諸国に恐れられるようになった』


「傭兵を生業とする部族なのか?」


『今は知らんが数十年前はそうだった。味方に引き入れることができれば一騎当千どころか一人で一国軍くらい壊滅させられる。敵側にもキド族の戦士がいれば不毛だがな』


 一人で一国の軍隊を壊滅。それは身体能力の高さだけで可能なことだろうか。


「キド族には戦闘向きの強い加護を持つ者が多いのか?」


『キド族に生まれる予定の魂は、美しいかはともかく輝きは強い。精霊なら飛び付く。それに、しばらくは聖霊もよくキド族に加護を与えていた』


「聖霊好みの魂が多いなんて稀有な部族なんだな」


 感心すると苦い声で否定された。


『違うんだ。キド族から愛し子が出たことは無い。本来なら好みじゃない魂に、争う力を貸し与えるためだけに加護を授けたんだ』


「え・・・?」


『聖霊は愛し子を理不尽に奪われると荒む。俺も、お前と巡り会うまでは果てなく荒む年月を過ごしていた。荒む気持ちのまま憂さ晴らしのように強い魂の戦闘部族に加護を与え、人間同士で激しく殺し合うのを眺めていたこともある。それも虚しくなって誰にも加護を与えず漂っている時にお前を見つけた。再び愛し子を見つけられていない聖霊の中には、未だに荒んでるやつもいる』


 聖霊の愛し子を理不尽に奪う相手は、常に愛し子と同じ人間だったと言っていた。

 人類全てを嫌いになって見放してもおかしくはないのに、聖霊は優しいと思う。


『お前の伴侶もキド族の里で生まれていたなら強い加護を持っていた筈だ。あの程度の精霊の加護しか得ていないならば生まれは間違いなくグレナードだろう。もしかしたら、三十年ほど前に火の聖霊が加護を与えていたキド族の女の子供かもしれない。確か同族の男の子供が腹にいた筈だ』


「生きているのか?」


 ベルドの母親かもしれない女性は、無事なのか問うと、答えは「否」だった。


『夫婦それぞれ敵国に別れて傭兵として雇われ殺し合った。どちらも火の聖霊の加護を持っていたから戦闘力は互角だったが、腹の子を守る気概が父親を凌駕したのか母親側が辛勝し、報酬を注ぎ込んで同族の追っ手から逃げたんだ。夫は部族の長だったからな。雇われ傭兵として殺し合ったのだとしても一族にとっては長の敵だ。キド族の長は一族の象徴。象徴を穢された戦闘部族は誇りを懸けて長の敵を討つ』


「なんか、無茶苦茶な部族だな」


『所変われば常識も考え方も変わるものだ。この大陸だってグレナードと外は違うだろう?』


 確かにそうだ。この国では誰もが普通だと感じていて敢えて口にしない事柄が、他国生まれの私には驚愕する内容だったりする。


『グレナードは鎖国に近い状態だ。潜り込めば出産して子供を隠す時間くらいは稼げると考えたのかもしれないな。追っ手が集団で力尽くで突破しようとすれば騒ぎになって気づくこともできる。単身に分かれて密かに潜入して来るなら各個撃破で返り討ちも可能。聖霊の加護持ちの戦士ならそう考えるだろう』


「その予想はどの程度確信を持てる?」


『キド族は少数部族だ。お前の伴侶の年齢を考えれば他に思い当たるキド族はいない。キド族以外で瞳と髪が変化する人間もいないしな』


「あれは本当に体質なんだな」


『ああ。血が濃くなり戦闘狂ばかり生まれるようになった辺りから、感情が昂り戦い殺すことへの渇望が抑えられなくなると、全身に返り血を浴びる予感で瞳と髪が戦闘前から血の色に染まるようになったんだ。あれでも一応、人類の一部族だ』


 あれでも、とか一応、とか。ベルドの体質の謎は解けたけど、色々と大丈夫なんだろうか。


「ベルドはキド族から追われているのか?」


『もう三十年近く経っているし、この大陸にお前の伴侶以外にキド族はいない。わざわざ向こうの大陸に渡って瞳と髪を血の色に変化したところを目撃でもされなければ関わらずに済むだろう』


「そうか・・・」


 少し安心した。けれど、この話も聖霊から聞いたものだからベルドに言うことはできない。


『他に何か不安はあるか?』


 闇の聖霊に気遣うように訊ねられ、ふとお嬢様に報告した時に腑に落ちなかった感じを思い出した。


「不安というわけじゃないが、この国では貴族の身分がコロコロ入れ替わったりするのか? ご乱心事件の影響で爵位返上をする家が過去にいくつもあったのは知っているが」


『何だ、そんなことか。グレナードではごく一般的な常識だから誰もわざわざ話題にしないが、この国ほど血筋が平等に流れている国は無いぞ』


 字面だけなら褒めているようにも見えるが、闇の聖霊の口調は皮肉げで嘲りに富んでいる。


『王太子の婚約者は公爵令嬢だが、その女が悪役令嬢だったらその公爵家は消える。同じ家名の貴族が再登場することもあるが、たまたま同じ家名の別の血筋か没落貴族の家名を買った裕福な平民の成り上がりだ。低位貴族の家名を金で買える国は他にもあるが、グレナードではご乱心事件の度に貴族の家が消えたり爵位の上下がひっくり返る。そして消えて減った貴族の数を保つために国王は余っている爵位をバンバン売る。特に、王太子の婚約者として令嬢を差し出す家は公爵家として引き上げるんだよ。面白いだろう?』


 いや、面白いというか、異常事態過ぎて理解が追いつかなくて引く。

 私の困惑が伝わっているだろうに、闇の聖霊は尚も皮肉げな声で説明を続けた。


『2〜3代ごとに婚約者が生家ごと破滅するんだぞ。誰が王太子の婚約者に進んでなりたいものか。差し出される娘は人身御供だ。王太子の婚約者となり得る年頃の娘が生まれた家は娘を生贄に差し出す代わりに娘が破滅するまでの権力と財産を得る。

 大博打だが野心家にとっては乗ってみたい賭けでもある。負ければ自分も家族も破滅だが勝てば王妃の縁戚となり、孫の代くらいまでは権力と財産を維持できるからな。

 過去に公爵家に成り上がった家の中には貴族の家名を買った平民も多い。

 娘を差し出して公爵家にならずとも、貴族の家名を買った平民も平民落ちした貴族も、その後再度別の家名を買って貴族に返り咲いた奴らもたくさんいる。

 この国の貴族も王族も、既にたっぷりと平民の血が混ざっているんだよ。だから精霊もグレナードの王族や高位貴族の家に生まれるだけの子供に魅力を感じない。グレナードに守られた尊い血筋なんか無いからな。

 この国に精霊の加護が少ないのは、ここが聖霊を怒らせた国だからというだけじゃない』


 そんな無茶苦茶な・・・。

 でも、それならお嬢様の言葉の意味が腑に落ちる。

 この国では貴族の身分は簡単に失う可能性も、金の力で高い爵位まで得られる可能性もあるんだ。

 国王が最高権力者なのは絶対かもしれないが、他の国に比べたら身分差を鼻にかける効果がとても低そうだ。

 没落経験があったり平民から成り上がったばかりの貴族なら、子供に現在の身分を過信する怖さを教えることもあるだろう。

 だが、伯爵家という中くらいの地位で重要な役職に就くこともなく、ぬるま湯に浸かったような貴族生活を数代続けていたら、危機感の無い高慢な令嬢が出来上がるかもしれない。

 それは、危機感を持って教育された貴族から見たら、「あいつバカなんじゃないの?」と思われる対象なんだろう。

 ベルドも、あの場でわざわざ身分の話を持ち出したのは、それが逆恨み令嬢とその生家への攻撃に転じられる素材だと分かっていたからだったんだ。

 腑には落ちたがグレナード王国が鎖国状態で続けて来た無茶苦茶な政策にドッと疲れ、溜め息が出た。


『ミュゲ、他に聞きたいことはあるか? お前が生きるために必要な知識だと俺が考えていなかったことは、今まであまり教えていない。知りたいことができたら何でも訊くといい』


 皮肉げな嘲笑を消し去り、優しい声で闇の聖霊が問う。

 私は少し考えて、重要なことを聞いていないと思い出した。


「お前、何をしに私から離れていたんだ?」


 私が訊くと、「あ、忘れてた」という調子で彼は事も無げに答えた。


『お前の眷属の毒の精霊を一つ消すからな、と水の聖霊に話をつけに行って来たんだ』


 なんだと・・・⁉

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