31.魔女と戯れて精霊と混ざる
《納屋31》
シャンプー・リンス・石鹸を持ってきた。渡したらさっさと帰ろう。
「さあ、入って入って~」
ディメトレーヤさんに手を引っ張られて家の中へ入った。ドアを閉めるなり抱き着いてきて、髪の匂いを吸い込んで深呼吸している。
「ん~っ、あれ?今日は普通なのね」
「香水みたいに長持ちする匂いじゃないですよ」
「あら、そうなの。でもあなた、冒険者とは思えないくらい身綺麗なのね。髪も肌もきれいだし、そのままでもいい匂いよ」
「それはどうも」
彼女は街の中に一軒家を所有していた。さほど大きくは無いが、煉瓦と石造りの立派な家だ。旅に出て長期間留守にしても平気らしい。きっと結界や恐ろしい罠があるのだろう。
「本当に重要なものは地下室だしね」
「へ~、綺麗な部屋ですね」
「でしょー、私はアゼリーナみたいに悪趣味じゃないもの」
もっと魔女っぽい部屋を期待していたが、金髪縦ロールに似合う豪華で品のいい内装だった。まるで小さな貴族屋敷だ。壁の上部には薄青い半透明のガラスが入っている。微妙に波打っているあたり、やはりこの世界のガラスの製造技術は低そうだ。
「さあ、ここに座って。すぐにお茶を入れるわ」
長いソファーだ。この世界の物にしては質がいい。
「これが例の、洗髪剤と」
「あら、女の部屋に呼ばれていきなり用件だなんて無粋よ」
お茶を待たずにシャンプー・リンスを出そうとしたら、口に人差し指を当てて止められた。こっちは用件だけで帰りたいのだが。この魔女と二人っきりなのは心臓に悪い。
出されたお茶は、普通のお茶っぽい。
「な~に警戒してるのよ。ただのお茶よお?」
ただのお茶かどうか知るすべはないし、選択肢もない。
二人の間には隙間もない。
ディメトレーヤさんはお茶を置くと右隣に密着して座った。長いソファーなのに。
「一目見た時から気になってたのよ~。わたし、アナタに興味があるの」
テーブルに置いている手に手が重なる。
「そっ、それは光栄です。どの辺に興味がおありで?」
「そんなに緊張しないでえ。美味しいお茶でしょ?飲んだら落ち着くわよ」
お茶と言えるのかは分からないが、確かにうまい。
じーっと見つめながら重ねた手をすり上げてくるディメトレーヤさん。視線が意識の奥まで入り込んでくる。鼓動が跳ねた、いや狂った。
「あぐっ...」
「あら、ごめんなさい。あなたスカスカなのね。う~ん、これはこれで興味深いけど、アゼリーナに恨まれたくないから普通にお話ししましょうか」
恨まれるって何だよ!?
次には「この程度で死ぬとは思ってなかった」とか言われそうだ。
クロエに「普通の魔法」を最初に習った時に、魔力を流されて意識を飛ばされたのと似た感じだった。ただこの人のはやたら鋭く、意識を貫通して心臓を直撃だ。
「フリントロックってこの辺じゃ珍しい名前よね。やっぱり北の方から来たの?」
「そうですよ。まだこの街へ来たばかりです」
「あら、それじゃ宿暮らしでしょ。ここに泊めてあげましょうか」
右腕を抱え込んできた。
これを断ったら面倒くさい返しをされるに決まってる。だが、問題ない。オレには伯爵が付いている。
「いえ、それが、今はリューズライト伯爵のところでお世話になってます」
「え~、なーんだ、マキナスの知り合いだったの。それじゃアナタ、私たちの関係者ってことになるのかしら?」
「さあ?皆さんのことは聞いてないですよ」
「じゃあ、時間要塞は?」
「それなら、発掘品の動力装置を見せてもらいました」
「もちろんそうよね~、だってアナタ、フリントロックだし。それで、何か分かったの?」
「たぶんですが、あの回転機構に近いものを作るのは可能です」
「お~、さっすがフリントロックね。時間要塞にはもう行ったの?」
「それはまだですけど、」
「それは良かったわ。要塞へ行く前に、私もそこの精霊さんと話がしたいわあ。精霊と仲良しなら、あなたすごい魔法を使えるでしょ?」
こっちに体重をかけてきた。
「どうでしょう?アゼリーナさんの足元にも及びませんけど」
「そうなの?まったく、あの子何やってるのかしら。こんなおも、、、素質のある弟子なのに」
面白いって言いかけたな。
「オレがすごいって、本当に?」
「本当よ。もしかしたら、わたしと同じくらい、かも?」
それはすごい。アゼリーナさんの師匠だぞ、この人。
「それって、世界最強の魔法使いになれるかもってことでしょ」
「たぶん最強の一角ね。文字通りの世界一が誰かは知らないもの」
へえ~、そうだったんだ。オレって最強なんだ。
「ふふっ、嬉しそうね。わたしが鍛えてあげましょうか」
それはお断りだ。この人の目を通して地獄が見える。オレの頬を撫でる魔女の手をがしっと掴んで、真顔で言った。
「すでにオレには師匠と先生がいるんです。それを自分の都合で変えるなんて出来ませんっ!」
キリッ、と真剣な顔ができたはずだ。
「ぷっ、なにそれ?それじゃあ、わたしは3人目の教官ってことでいいわ」
あれ、なぜそうなる?
こっちに傾いてきた。
「ふふっ、それじゃあ早速教官といいことましょうか」
ずずずっと体重をかけられて押し倒された。さっきからずっと密着したままで、いい加減オレの理性も麻痺してきた。だがこれは怖い魔女、これは怖い魔女。手を出してはいけない。
両肩を押さえられて全く抵抗できない。見た目は美少女だし、本気で抵抗する気力が出るわけもない。真上に顔がある。今度は柔らかい視線だ。心臓に刺さらない。
騙されるな。美少女だが怖い魔女だ。体はドキドキしながらも頭の後ろでは警報が鳴っている。
目を逸らせない。瞳の中心の漆黒が広がってオレが飲み込まれる...。意識の中に直接ディメトレーヤさんが入って来る。確かにそう感じた。
あれ、重い。エルフだし、たいして重くはないけど力が抜けた人は重いのだ。オレに乗ったまま気を失って脱力している。キスされたと思ったけど、気を失っただけだったらしい。この柔らかい感触は惜しいが早くどけよう。この状況になった理由が何であれ後々ネタにされそうだ。
狭いソファーの上なので床に落とさないように慎重にモゾモゾしていたら目を覚ましたらしい。彼女の腕に力が入り、オレはまた動けなくなった。
上に乗り、至近距離で顔を合わせて微笑む魔女。
「溺れるかと思ったわ。アナタのせいよ。どうしてくれるの?」
「ええ~、理不尽なこと言ってません?」
「そうよ。女は理不尽なものよ」
体重をかけられて、吐息がかかる距離で美少女と会話するのは理性がゴリゴリ削られる。だが、消えない警戒感のおかげで自分からは手を出さなかった。
「それは困りましたね。どうしましょうか?」
「もう一回。ね、もう一回やってみたいわ」
「はい。お好きにどうぞ」
他にどうしろと。
また漆黒と自分の意識が一体になる。だが、今度は割とはっきり意識が残っている。宇宙の深淵を漂いながらも、ディメトレーヤさんの体重を感じる。それがだんだん脱力して体重が完全にオレに乗ると、意識の奥底で形を成すものがあった。ディメトレーヤさんがそれと接触している?
いつの間にかソレを認識できなくなり、ディメトレーヤさんがオレに話しかけているような気がした。
彼女はまた気を失っていた。こうなってしまえば魔女も怖くない。だが、手を出してはいけない。耐えろオレ。彼女の頭を軽くポンポンしたら気が付いた。
「変な精霊ね。何も知らないくせにすごい情報量だったわ。おかげで、また溺れるところだったわよ」
「その精霊って何なのか詳しく教えてもらえます?自分でも分かってないので」
「そうなの?あなたの一部なのに?」
彼女の説明によると、オレの体は確かに人間で、意識の奥底にいる精霊は火や風のような属性を持たない、透明な精霊らしい。それが目を覚ましたのはおそらく最近で、それとの会話は感情も意思も感じない、ひどく味気ないものだったそうだ。
なるほど。フリントロックと名乗ったりはこの精霊がやってたのか。
「その精霊ってオレの体を乗っ取ったりします?」
「どうかしら?たぶん、乗っ取るというのは違うわね。もともと精霊とあなたに境界は無いから、精霊の意思はあなたの意思でもある...ちょっと違うけど、まあそんなところよ」
「その精霊がオレが知らないことを知ってたりは?」
「言ったでしょ、すごい情報量だったって。それだってあなたの一部になりかけてるわ。まあ、精霊の方が圧倒的に大きいけど、飲み込まれるわけじゃないわよ。たぶんね」
「ちょっ、それってぜんぜん安心できないんですけど」
「怖い?」
「そりゃー、自分が消えそうな話されたら」
「じゃあ、わたしが責任とってあげよっか」
「え、どういう意味です?」
「実はねえ、会話しようとしてつっついたら、そいつ、あなたと混じり始めたのよねえ。てへっ」
「えええぇ...」
てへっじゃねえ。
それって、ヤバい奴が来たから逃げ込んだんだろ。
「大丈夫よ。こう考えて。二重人格気味だったのが一つになるだけだって。それに、この精霊に感情は無いから、混じり合ってもあなたの性格は変わらないはずよ」
「でも会話ができる知能があるんでしょ?」
「感情がないから、ただ受け答えできるだけよ」
そういう風に作られた人工知能みたいだな。あ、要塞の精霊と同類ってそういうことか。たしか作られたとか言ってたし、人工知能っていうのも完全には否定しなかったよな。
「たぶん悪いことは無いから気楽にね。もともとあなたの一部なんだし。それに、精霊がいるなんてすごいことよ」
「はあ。わかりました。ところで精霊以外にもなにか見えたりしました?」
「あなたの記憶を覗いたりはしてないから安心して。ただ、抱き合ってアナタを感じただけよ」
「その言い方はどうかと」
「これでもう、わたしとアナタは深~くつながった仲よねえ」
「人前でそういう誤解を招く言い方しないでくださいよ」
彼女はふふんと笑って言った。
「つれないわねえ。文字通り心の奥底でつながったじゃないの。それに、キスまでしたでしょ」
気づいてたか。
「そっ、それは事故みたいなもので、気にしなくてもいいかと」
「あ~ら、やっぱりしてたのねえ。それじゃもう、アナタはわたしのモノ、かしら?」
くっ、カマかけられた。だが、あっちにその気がないのは分かる。オレで遊んでるだけだ。
その後、石鹸、シャンプー、リンスを渡して使い方を実演させられた。風呂場で髪を洗ってあげたのだが、やはり始終からかわれた。それがまた実に際どい。気を抜いたら魔女に取って食われそうだった。手を出さずに耐えきったオレ偉い。
「ありがとう。今日は楽しかったわ。また遊びに来てね~」
「はい。それじゃあ、またいつの日にか」
あ、しまった。次回からはパブロックが売ると伝えるの忘れてた。
《納屋31》




