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二人で食堂にて軽食をとり、本物のアンジャストの部屋に入る。
副隊長の宿舎は、隊長宿舎には劣るものの、一般隊員の宿舎とは比べられないほどに広かった。
内装は落ち着いた色彩であり、無駄な家具や小物は置かれていない。
三人掛けのソファーへ座り、アンジャストが淹れたカフェオレを飲みながら他愛も話をする。
話の中で読書が共通の趣味だと知り、これまで読んだ本について語り合う。
ジェイドは入隊するまで、他人と本について語り合うができなかった。
初めて友人ができたようで、ジェイドは感極まって涙をこぼす。
そんなジェイドの様子にアンジャストは多少戸惑ったが、すぐに笑みを浮かべてハンカチを差し出す。
「大丈夫かい?」
「はい、うれしくて。僕、入隊してよかったです。アンジャストさんと知り合えたんですから」
「フフフ、それはよかった。オレもそう思うよ。正直、ジェイドと会うまで、人前では玄人として過ごしていたから息苦しかった」
少しばかり、アンジャストの笑みに影が落ちる。時折見せるそんなアンジャストの顔は、どこか悲し気であった。
「アンジャストさんは、どうして玄人として軍にいるんですか?」
「それは………。ごめん、言えない」
アンジャストは悲痛な面持ちで答えていて、それ以上、聞き出すことはできない。
その資格を自分は持っていない。そのようにジェイドは思った。
しばらくの沈黙を破ったのは、アンジャストであった。
「いつかは言えると思うから、その時になったら一番最初に、ジェイドに言うよ」
「早く、その時が来るといいですね」
「………そうだね」
少し歯切れの悪い様子であったが、アンジャストは立ち上がり、満面の笑みを浮かべる。
「ところで、今日は泊まっていってよ。三番隊の勉強って言えば、誰も反対しないし」
「いいですけど、規則として大丈夫なんですか?」
軍隊であるため、それなりに規律は存在する。ジェイドは特別入隊を許されたが、規則を破っていいというわけではない。
そんなジェイドの心配に、アンジャストは声を出して笑う。
「隊員同士だったらダメだけどさ。名ばかりでも、オレは副隊長だよ。オレの指示とすれば、罰せられることはないよ」
「それなら、泊まります! まだ、いっぱい話したいことがあるんです!」
「そうと決まれば、まずは夕食を作ろう! ジェイドは一応お客さんだけど、手伝うんだよ」
「もちろんです」
普段から自炊ということで食材は潤沢にあり、買い出しの必要はなかった。
二人でキッチンに立ち、ジェイドは食材を見つめる。
実家では家政婦がいたため、料理は手伝いすらしたことがなく、食材のさばき方などもちろん知らない。
そして、今、目の前にあるのは生のイカ。しかも、一切加工がされていない生イカ。
「これはイカですか?」
「そうだよ。早く食べないと腐っちゃうから、今日食べなきゃダメなんだ。さばき方、わか……らないよね。オレがさばこうか」
海が近くにないガデスにとって、生のイカはとても珍しい食材。
アンジャストに任せたほうが、確実にうまく仕上がる。しかし、こんな機会でなければ、魚すらさばくことすらない。
「やりたいです。教えてください」
「じゃあ、まずはイカの胴からワタを抜き取って。イカの目の上あたりに胴とワタがくっついている部分があるから、胴の中に親指を入れて、軟骨にそってひきはがす」
言われた通りにやろうと、何も考えずに親指を胴の中にいれる。
生のイカを触ったことがないジェイドは、イカの感触に情けない声を出す。
「うわああぁ、なんかヘンな感じです」
「軟体動物だからね。一回触ったら、一気にやるんだよ」
「わかりました」
初めてのイカに苦戦したが、アンジャストの手ほどきを受けてさばき終わる。
イカの解体されている間に、アンジャストは他の材料の下処理を終えていた。
それ以上、ジェイドが手伝えることはなく、手を石鹸で洗い、一人でソファーへ戻る。
戻ったところで人の部屋ではやることがなく、部屋のスミに置かれた小さめの本棚へ目を向けた。
本棚に入っているのは、分厚く装飾が質素な本。ガデスや周辺国家で使われている言語とは異なる文字で、タイトルが書かれている。
勝手に見るのはいけないと思いつつ、立ち上がってその本に近づき手に取る。
背表紙と同じく、表紙にはタイトルしか書かれていない。
本を開き、パラパラとページをめくる。中には写真も印刷されていて、文字が読めなくても何となくでも内容は理解できた。
その本は純血の特性について、事細かに書かれているものであった。
被写体が着ている服は、病院に入院する際に着用するガウン。そして、どの被写体の目は生気がない。
市販されている本ならば、そんな写真を載せる必要はない。
視線を感じ、反射的に顔をあげる。そこには調理が終わったアンジャストが立っていて、その表情は感情が読み取れない。
そのことに少しひるみながらも、ジェイドは問いかける。
「アンジャストさん、この本はなんですか」
「見ての通り、純血の種族についてをまとめたものだよ」
「それは分かります。でも、これは普通に売っているものじゃないですよね」
そんなことを聞いたところで、メリットは何もない。それでも、聞かずにはいられなかった。
アンジャストは苦々しい表情を浮かべ、ジェイドから本を取り上げる。
「この本は複製だけど、とても古いものなんだよ。だから、今は売っていないだけで、昔は売っていたんだ」
「こんな写真で売れたんですか?」
「あぁ。これはカタログなようなものだから。純血にまだ人権が無くて、人間によって売買されていた頃のものなんだよ」
アンジャストの発言が理解できず、ジェイドは混乱する。
昔、純血と人間は戦争をしていた時期があることは知っていた。戦争の原因は、邪神が人間を殺したこと。
そして、人間はそれに乗じて、純血の罪をなすりつけるように偽装した。
そのことに純血は人間に不信感を持ち、戦争へ発展したということになっている。
そんな時代でも、純血には人権があり、売買などおこなわれていないはず。
しかし、アンジャストの発言は、売買が一般的だったようなもの。
「昔って、いつですか………」
「初代龍神が生まれた時代だよ」
「そんな昔の本が、なんで複製されているんですか」
ジェイドの問いに、アンジャストは本に視線を落とす。
「純血の資料として、この本は類を見ないほどに優秀なんだよ。ジェイド、君はブルーリザード社を継ぐんだろう」
「はい、何も無ければですけど。それと何が関係あるんですか。父の会社は武器製造で、純血は関係ありません」
「………すべてを説明されていないんだね。なら、この話は終わり。この本は見なかったことにして」
本を持って、アンジャストがリビングから出ていく。ジェイドは頭を抱え、思考をめぐらせる。
父の会社を継ぐために、監禁とも呼べる生活しながら勉学に励んできた。
すべて武器会社を継ぐためのもの。事業の内容も事細かに説明されていた。
それにも関わらず、アンジャストは何かを知っている。
しかし、問いただしたところでアンジャストは答えないことが、容易に想像できた。
それならば、アンジャストの言う通り、本を見なかったことにするのが最善である。
軍での訓練が終われば、父の後を継ぐ。そうしたら、すべてがわかるはず。
戻ってきたアンジャストは、何事も無かったように料理をリビングへ運び、笑みを浮かべる。
「さぁ、夕食にしよう。温かいうちのほうが、おいしいからね」
「はい、いたただきます」
テーブルに移動し、手を合わせてから食事を始めた。
入浴も終わり、茶菓子をつまみながら雑談する。
甘いものが好きなジェイドとは対照的に、アンジャストは塩分がきいている酒のつまみのようなものを好んで食べていた。
女性と見間違えてしまうようなスタイルのいいアンジャストが、酒のつまみを好んでいるのはギャップがある。
「おつまみが好きなんですね。なんか意外です」
「ジェイドは嫌いなの?」
「嫌いってわけじゃないですけど、甘いもののほうがいいですね」
そう答えれば、アンジャストが不敵な笑みを浮かべ、ブルーチーズを差し出す。
ブルーチーズは見た目からして、食べられない者もいる。
クラッカーに乗せられ、はちみつもかけられているが、それでも好みは分かれるものであった。
ジェイドは拒否するように、差し出されたブルーチーズの皿を軽く手の平で押す。
「遠慮します」
「食べたことあるの?」
「ないですけど、ブルーチーズがどんなものかは知っていますよ。だから、いりません」
そう言って断ったのにも関わらず、アンジャストは容赦なしにジェイドの口へとブルーチーズが乗ったクラッカーを押し込む。
口に入れられてしまえば食べるしかなく、味に苦戦しながらもなんとかして飲み込んだ。
味をお茶で流し込み、アンジャストを軽くにらみつける。
「好みを押し付けるなんて、ひどいですよ」
「食わず嫌いはダメだと思って。怒った?」
「怒るとまではいきませんが、不機嫌です」
正直に答えれば、アンジャストは嬉しそうに笑う。
「ジェイドは正直だなぁ。おわびにいいことしてあげるよ」
そう言い、ソファーへ連れていかれる。さらに横になるように言われ、嫌な想像が頭をよぎった。
いくらアンジャストが女性のように美しいからといって、想像するようなことを受け入れることはできない。
「いいです! 遠慮します!」
「なんで? 変なことはしないよ」
そう言われても、頭から思い浮かんだことが離れない。
そんなジェイドの肩を軽くつかみ、問答無用にソファーへ押し倒す。
端麗な顔で覗き込まれ、ジェイドの心臓は緊張から脈を速くした。
そんなジェイドの様子に、アンジャストは優しく笑みを浮かべる。
「優しくするから。さ、うつぶせになって」
「はい………」
抵抗しても無駄だと思い、言う通りにうつぶせとなった。
アンジャストの細腕が、ジェイドの背中をなぞり始める。
「あっ………」
それはまさしく、ただのマッサージであった。別の想像していたことが恥ずかしくなり、ジェイドを頬を赤く染める。
「マッサージなら、最初からそう言ってくださいよ」
「え、他に何がある?」
「いえ、ないです………」
違う想像のことを正直に言えるわけがなく、黙ってマッサージを受ける。
アンジャストのマッサージの腕は、素人とは思えないほどにうまい。
気持ちよさからウトウトとしてしまい、寝てしまわないようにアンジャストへ話しかける。
「マッサージ、上手ですね。誰かに習ったんですか」
「いいや、自己流だよ。でも、育ててくれた人に、よくやっていたから得意なんだ」
「………アンジャストさんも、養子なんですか?」
実の両親であったのなら、育ててくれた人なんて他人行儀な言い方はしないはず。
ジェイドの問いにアンジャストは、笑みとも憂いているとも判断がつかない表情を浮かべる。
「いや、違うよ」
「ご両親とは、仲が良くないんですか?」
「どう答えればいいか、分からない。普通の家庭というのが、分からないから」
「それは分かります」
ジェイドも養父とは、いい関係性とはいえない。
衣食住が豊かであったが、自由は皆無であった。だから、それが普通ではないと知っている。
しかし、少しでも自由があったならば、家での豊かな生活に疑問を思うことは無かったかもしれない。
「アンジャストさんはもう成人されてますから、もう会ってないんですか?」
純血の場合、成人すれば親離れ子離れするのは世間では一般的とされている。
成人した子供の面倒を見たり、年老いた親の世話をしたりなどをしなくても、責められることは一切ない。
アンジャストは、首を横に振る。
「会っているよ」
「どうしてですか? 仲良くないなら、無理して会わなくてもいいんじゃないですか?」
「そんな簡単だったら、よかったのにね」
会話の間を狙い定めたかのように、固定電話の呼び出し音が鳴る。
その音を聞き、アンジャストの顔が険しくなった。マッサージを中断し、アンジャストは電話をとる。
少し距離があるために、会話の内容は一切聞き取れない。
しばらくして、アンジャストが戻ってくる。その表情は笑みを浮かべているが、明らかに作り笑顔であり、ピリピリとした空気を感じ取った。
ジェイドは意図的に笑みを作り、ソファーから立ち上がる。
「今度は僕がマッサージしますよ。下手ですけど、勘弁してください」
「………電話のこと、聞かないの?」
アンジャストは聞かれると思ったらしい。ジェイドは頷き、今度は自然に笑みを浮かべる。
「聞きませんよ。聞かれたくないですよね。だから、聞かないで、他のことでアンジャストさんを元気します」
「ありがとう。………ジェイドとは、もっと早く知り合いたかったよ……」
「? そうですね。そしたら、いっぱいお話できますもんね」
意味がわかっていない。そんなジェイドの様子に、アンジャストは苦笑を浮かべる。
「ジェイドは、どんなことがあっても、オレの友達でいてくれる?」
「どんなことの程度にもよりますが、もちろん、友達でいますよ」
「ありがとう」
そう言うアンジャストの目尻には、微かに涙が浮かんでいた。